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zoom RSS 箕輪初心:生方【吉田松陰と下田】黒船と下田踏海事件

<<   作成日時 : 2015/07/25 07:40   >>

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吉田松陰は攘夷論者であった。「まず、敵を知ることが大切。」という
考えからアメリカを外国を見てきてやろうという気持ちから国禁を犯
した。平成27年(2015)NKK大河ドラマ『花燃ゆ』でもそうだった。
ペリーに純粋に文明の発達した外国を実際に見たいと気持ちを伝え
た。が、結果は、ペリーは「純粋な向学心は尊いが、今は開国に漕ぎ
着けたばかりの大切な時期。国禁を犯した者をアメリカに連れていく
わけにはいかない。」と諭して帰した。ペリーは日本の心証を悪くす
る恐れがあったから連れて行かなかったのである。『花燃ゆ』&漫
画「吉田松陰」などをベースにまとめてみた。以前掲載したブログの
詳細編である。
画像

  (★「花燃ゆ」より)


箕輪初心:生方▲【ペリー&下田開港】日本の開国への道
http://53922401.at.webry.info/201507/article_23.html


箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html

◆箕輪初心★梶取素彦=群馬県令。吉田松陰の2人の
妹:寿&文が妻。
http://53922401.at.webry.info/201401/article_31.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201401/article_31.html

◆箕輪初心★【「花燃ゆ」の夫:梶取素彦=群馬県令】群馬での
功績詳細版
http://53922401.at.webry.info/201501/article_1.html

◆箕輪初心★【「花燃ゆ」:梶取素彦3回目】@群馬県庁、A功徳碑、
B臨江閣
http://53922401.at.webry.info/201502/article_29.html

箕輪初心★【「花燃ゆ」:梶取素彦4回目】B【臨江閣の楫取素彦展】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_1.html



【1】ペリー日本来航1回目
・嘉永6年(1853) 吉田松陰は江戸にいた。

・嘉永5年(1852) ペリーはアメリカ大統領:フィルモアから東インド
 艦隊司令長官を命じられた。アメリカでは西海岸が開拓された。
 カリフォルニア金鉱などの鉱山開発や捕鯨業が盛んになっていた。
 太平洋の重要性が高まり、北太平洋の日本との国交が急務となった。
 11月24日。アメリカ東海岸ノーフォークを出航し、日本に向かった。
  ペリーは12隻の大艦隊で日本にプレッシャーをかけるつもりで
 あった。ところが、旗艦として考えていた最新鋭の蒸気船は完成
 が遅れ、出航に間に合わなくなってしまったた。ペリーは古い蒸
 気船ミシシッピー号に乗って日本に向かった。アメリカ東海岸から
 大西洋を南下→アフリカの喜望峰→インド沖→東南アジア→中国
 広東→4隻の艦隊を編成し、日本に向かった。
 琉球(沖縄)・小笠原父島→
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心■世界遺産:小笠原@「歴史」
http://53922401.at.webry.info/201108/article_18.html
父島に上陸碑がある。



・嘉永6年(1853) 7月8日 ペリーがやっと浦賀沖に来航した。

 ペリーは久里浜で日本に日本に開国を提唱するアメリカ大統領の
 親書を渡した。
 ペリーは翌年の再来航を約束して、中国上海に向かった。



【2】ペリー日本来航2回目&日米和親条約&吉田松陰の渡航の思い
・嘉永7年(1854)
1月 ペリー提督率いる黒船艦隊浦賀に再び来航した。
3月 アメリカの開国要求
江戸幕府はアメリカの『開国』を要求する外圧に対抗する
   ことができなかった。
3月3日(3月31日) 日米和親条約が横浜で締結された。
 
日本側全権は大学頭の林復斎(はやしふくさい)
 アメリカ側全権はマシュー・ペリー
@アメリカの遭難者・漂流民の救助・保護の義務
アメリカ人の安全の保障である。
 A下田・箱館(函館)の開港 (箱館は翌年の開港)
  ・・・アメリカ捕鯨船への物資・食糧の供与。
 B下田にアメリカ人居留地と外交官(領事)を置くこと
   アメリカ人が日本に滞在する場所所として了仙寺・玉泉寺
   が定められた。日本でアメリカ人が死去した場合には玉泉
   寺の米人墓所に葬られることになった。
 C最恵国待遇(諸外国に有利な条約はアメリカにも適用)

『日米和親条約』は不平等条約であった。
 日米和親条約締結で『下田・箱館』が開港された。
 江戸幕府の鎖国体制は崩壊したのだ。
その後、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約が締結した。



〜〜〜私の幕末関連のブログ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

★★ 箕輪初心★佐久間象山@「長野:象山神社」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_16.html

箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html


6月3日 マシュー・ペリーが浦賀に来航。
 ペリー率いる旗艦サスケハナ以下4隻のアメリカ合衆国海軍東インド
 艦隊の艦船が浦賀沖にあらわれた。
浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、
「ミシシッピ」(蒸気外輪フリゲート)、「サラトガ」(帆走スループ)、
「プリマス」(帆走スループ)の4隻からなっていた。
 (★横浜開港資料館の冊子より)
 突如あらわれた黒船に、静かな浦賀の村は大騒ぎになった。

 空砲を放った。
 ドーン、ドーン・・・ドーン
 ペリー艦隊が空砲の発射があることは事前に江戸幕府から連絡されて
 いた。
 それでも、実際に耳にした浦賀の村民は大混乱に陥いった。 
「ぎゃああ」
と、耳を塞いだ。

 村民はしだいに落ち着きを取り戻した。
やがて外からの見物人が浦賀ににどんどん集まってきた。
その中に佐久間象山と吉田松陰もいた。

「ひゃあ〜〜〜。なんちゅうでっかい船じゃあ・・・。」
吉田松陰ははじめて見る欧米の船のでかさ、軍事力に目を見張った。
「こんなもんと戦争になったら日本は一たまりもない。」

吉田松陰は佐久間象山と黒船を視察した後、・・・
 
「日本を守るためにはまず欧米を知らねばならん。
よし欧米へ渡って、実際にこの目で見てやろう。」
と・・・
西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意した。
この場面は、『花燃ゆ』以外でも、何回もTVで目にしている。
 平成20年(2008)NKK大河ドラマ『篤姫』
 よかったよ。
篤姫は宮アあおい・・・「バケモノの子」で声優してだった。


ペリーはアメリカ大統領フィルモアの開国を迫る親書を江戸幕府に
渡した。
しかし、将軍徳川家慶(いえよし)は病床に伏していた。
江戸幕府は
「将軍の病を理由に結論を出すまで1年間の猶予が欲しい。」
と訴えた。
ペリーは
「来年、また来るね〜。」
と約束して引き上げた。

ペリーは翌年の再来航を約束して、中国上海に向かった。


【3】長崎のプチャーチン艦隊&吉田松陰
7月18日 ロシアのプチャーチン艦隊が長崎を訪れるという
 話が届いた

12月 吉田松陰と萩の金子重之輔と長崎に寄港していた
  プチャーチンのロシア軍艦に乗ろうと考えた。
  
  プチャーチンはパルラダ号等4隻の艦隊を率いていた。
●吉田松陰、長崎へ 
  吉田松陰は船に乗り込もうと長崎に行った。
  吉田松陰は弟子:金子重之輔と共に密航計画を立てて長崎
  に駆け付けた。

 しかし予定より早くプチャーチン艦隊は長崎を引き上げた。
 
  ヨーロッパで勃発したロシアとトルコの間で戦われていた
  クリミア戦争にイギリスが参戦してきて、ロシア艦隊を攻
  撃したという情報が入ったためでである。
  4艦が予定を繰り上げて出航した。
 吉田松陰と金子が長崎についた時はもうプチャーチン艦隊は
 出発した後だった。
ロシア船には乗れなかった。

「まだ来年があるさ。」
 吉田松陰と金子重之輔は来年のペリー再来日に期待をかけた。

この後、プチャーチンはディアナ号に乗り換えたが、下田で
台風に遭い、故障・・・江川太郎左衛門の指揮で、西伊豆
戸田で船を修理した。
後日、9月か10月に戸田でのディアナ号を紹介をしたい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★「江川太郎左衛門英龍」=国防に捧げた幕末偉人
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_23.html

箕輪初心▲伊豆:【韮山反射炉&飾り雛】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_10.html

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【4】 浦賀のペリー艦隊&吉田松陰
●吉田松陰時に吉田松陰25歳。

ペリー日本来航2回目&日米和親条約
・嘉永7年安政元年(1854)
1月3月 アメリカの開国要求
江戸幕府はアメリカの『開国』を要求する外圧に対抗する
   ことができなかった。

1月16日 ペリーが日米和親条約締結
 の為に再航。 ペリー提督率いる黒船艦隊浦賀に再び来航した。
 ペリー艦隊が江戸湾に入港した。

3月3日(新暦3月31日) 日米和親条約が横浜で締結された。
 
日本側全権は大学頭の林復斎(はやしふくさい):大学
 アメリカ側全権はマシュー・ペリー
@アメリカの遭難者・漂流民の救助・保護の義務
アメリカ人の安全の保障である。
 A下田・箱館(函館)の開港 (箱館は翌年の開港)
  ・・・アメリカ捕鯨船への物資・食糧の供与。
 B下田にアメリカ人居留地と外交官(領事)を置くこと
   アメリカ人が日本に滞在する場所所として了仙寺・玉泉寺
   が定められた。日本でアメリカ人が死去した場合には玉泉
   寺の米人墓所に葬られることになった。
 C最恵国待遇(諸外国に有利な条約はアメリカにも適用)

『日米和親条約』は不平等条約であった。
 日米和親条約締結で『下田・箱館』が開港された。
 江戸幕府の鎖国体制は崩壊したのだ。
その後、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約が締結した。

ペリーは条約締結のため、横浜にいた。


吉田松陰と金子重之輔はペリー艦隊偵察のため
保土ヶ谷に宿を取った。
翌日、横浜港へ出かけた。

港にはペリーの旗艦ポーハタン号が停泊していた。
吉田松陰はなんとか黒船に近づきたいと思った。
土地の漁師に
「舟を借りられないか」
と頼んだ。

しかし、誰も貸してくれる者はいなかった。

途方に暮れている間にペリー艦隊は横浜から伊豆の下田に移
ってしまった。
吉田松陰と金子重之輔も陸路で下田に向かった。



【5】下田のペリー艦隊&吉田松陰の下田踏海事件
3月??日 ペリー艦隊が下田沖に・・・。
 ペリー提督は、調査船を出し、艦隊が下田湾には入れるか
 調べた。 

3月18日 吉田松陰と金子重之輔は下田奉行所(稲田寺)の近くの
宿の2階に泊まり込み、毎日ペリー艦隊の動きを探った。
●岡村屋→下田屋旅館
画像

3月20日 気はせいていた。・・・しかし、痒くて・・・
 吉田松陰は疥癬(皮膚病)に悩まされていた。
 蓮台寺村の温泉場に湯治に向かった。
吉田松陰は蓮台寺村が寝静まった夜中、村の共同浴場に入っていた。
 そこで、吉田松陰は村の医師:村山行馬郎と出会った。
 「アメリカの様子を見たいので黒船に乗りたい。」
と、吉田松陰は密航の企てを村山行馬郎に打ち明けた。
 村上行馬郎は自宅の天井裏の一室を吉田松陰&金子重之輔に
 投宿させた。そして、自宅の温泉風呂を使わせた。
村山行馬郎邸に、数日間、医師:いた。
●蓮台寺温泉の村山行馬郎邸。

吉田松陰と金子重之輔は役人の目を避けて夜ごと浜に出ては機を
 窺った。

いたずらに日が過ぎていった。
画像



3月25日夜、吉田松陰と金子重之輔は意を決して稲生沢川河口から
 小舟を漕ぎ出した。しかし、下田湾内は波が高く、思うように舟が
 進まない。・・・
 小舟は波に押し戻されるようにして柿崎の浜に着いてしまった。
 浜の先に小さな島がある。弁天島である。
 2人は弁天祠で夜を明かした。

3月26日 雨であった。
 吉田松陰と金子重之輔は外浦の上の山で過ごした。

3月27日 
金子が
「先生、下田の町中を異人?夷人?が歩き回っています。
 どうでしょう。異人?夷人?に直接文を渡してみては?」
「そうだね。やるか、金子君。」

 吉田松陰の渡航にかける思いを漢文で書いた。
田松陰は通訳が英訳してペリーに伝えてくれるだろうと期待した。
 吉田松陰と金子重之輔は路上を歩いている外国人に、背後から近寄り、
 軽く話しかけてからポケットに文をねじこんた。
 指を口の前にあてて
「しっ。」
の合図をつくって、その場を立ち去った。

吉田松陰と金子重之輔は上陸中のアメリカ人に漢文で
 書いた渡米の嘆願の手紙を渡すことに成功した。
 

弁天島の祠から下田湾沖の黒船を見つめた。

しかし、夜になっても迎えの船が来ない。
・・・ダメだった。

「金子君、こうなったら直接、黒船に乗りつけるしかない。」

3月27日(新暦4月25日)夜。
●弁天島の「吉田松陰と金子重輔の像」題は「踏海の朝」である。
★ハリスの玉泉寺に行ったのに・・・通り過ぎちゃった。


「金子君、行くぞ」

吉田松陰と金子重之輔は浜の小舟を押し出して飛び乗った。
★簡単に言えば、舟を盗み出した。
●小舟を漕ぎ出した弁天島

吉田松陰は金子と2人で舟に乗り込み、下田港沖に停泊中のポーハ
タン号へ小舟で密航を開始した。

沖に停泊しているペリー旗艦ポーハタン号に向けて漕ぎ出した。
ところ舟の櫓をとめるための杭が壊れていることに気づいた。
「先生、これでは櫓を止められません」

「金子くん、諦めてはだめだ。櫓をふんどしでくくるのだ。」
吉田松陰はふんどしをはずし、櫓を船の縁に括り付け、ぐいぐい漕ぎ
出した。
しかし。ふんどしではすぐに緩んでしまった。
「帯を使おう。」
今度は帯をくくりつけた。
舟はなんとか進んだ。
風浪の中、黒船を目指した。
 
疲労困憊・・・
「もうすぐだ。」
やっとのことで弁天島に最も近く投錨していた蒸気船ミシシ
ッピー号に辿り着いた。
ミシシッピー号はでかかった。
上の甲板に向けて
「おーい。おーい。・・・乗せてくれえ。」
と怒鳴った。


甲板では
「なんだあ?・・あの連中は?」
「2人いるぞ。」
「日本人だ。」
「裸じゃねいか?」
と、ワイワイがやがや・・・

ミシシッピー号の士官が
はるか下の小さい舟に乗った日本人2人が何か
言っている。・・・・

ミシシッピー号から縄ばしごが下された。
吉田松陰と金子はミシシッピー号の甲板に引き上げられた。

吉田松陰は手紙を渡した。
しかし、漢文では通じなかった。

「ポーハタン号には漢文のわかる通訳がいるから
旗艦ポーハタンへ行け。」
と降ろされてしまった。

ポーハタン号へ移ることになった。
画像

吉田松陰と金子は再度小舟に乗り込んだ。
旗艦ポーハタン号に近づいた。
ポーハタン号の士官達が騒ぎ始めた。

「港にへ行け。」
「帰れ。」
「それ以上寄るな。」

ポーハタン号の士官達が階段を降りてきて、吉田松陰&金子重之輔
の乗る小舟を棒で突き放そうとした。
2人は櫓を懸命に操ってポーハタンの舷に小舟を着けた。
「飛び移ろう。」
吉田松陰&金子重之輔はやっとポーハタン号の船の階段に飛び移った。

小舟は流されていった。
ポーハタン号の士官達はしかたなく2人を甲板まで案内した。
甲板に上がった2人を通訳官のウイリアムズが応対した。
ペリー提督が現れた。
「何しに来た。」

吉田松陰は通訳官ウィリアムズとの間で漢文による筆談となった。
画像

 (★「花燃ゆ」より)

「私たちは世界が見たい。アメリカに連れて行ってくれ。」
「君たちはあの手紙をくれた日本人か?」
「そうだ。」
昼間、吉田松陰がアメリカ人に渡した手紙の内容はウイリアムズ
からペリーに伝えられていたので、既に知っていたのだ。

通訳ウィリアムズがペリーに取り次いだ。
通訳ウィリアムズはペリーに純粋に文明の発達した外国を実際に見たい
と気持ちを伝えた。

3月3日にやっと日米の間に和親条約が結ばれたばっかであった。
ペリーとしては個人的には連れていってやりたいが、
ペリーは日本の心証を悪くする恐れがある。・・・ここで日本の法を
犯すのは得策ではない。・・・とペリーは考えた。
ペリーは
「純粋な向学心は尊いが、今は開国に漕ぎ着けたばかりの大切な時期。
国禁を犯した者をアメリカに連れていくわけにはいかない。」
と言った。

通訳ウイリアムズは「日本の国禁を破って2人をアメリカに連れては
行けない。」とペリーの意思を伝えた。
続いて、ウィリアムズは申し訳なさそうに、
「速やか帰れ。」と
漢文で書いて、吉田松陰&金子重之輔に伝えた。

「しかし、私たちの舟は流されてしまったのです。」
「ならば、ボートで送る。」
画像

 (★「花燃ゆ」より)


こうして吉田松陰と金子重之輔はアメリカのボートに乗せられて、
福浦の磯まで戻された。
●福浦海岸の「吉田松陰上陸の碑」
吉田松陰と金子重之輔が送り返されて上陸した場所
ハリスの小径を15分程行く。

吉田松陰と金子重之輔は失意と落胆のうちに、夜が明けた。

福浦に戻された吉田松陰は
「金子君。我々は国禁を犯したのだ。この上はいさぎよく自首しよう。」
と金子に言った。
「はあ・・・?」
としぶしぶ・・・。

こうして、吉田松陰と金子重之輔は自首することになった。
吉田松陰は柿崎村名主平右衛門宅に
「国禁を犯した。」
と名乗り出た。

下田奉行所に捕えられた。
 
吉田松陰と金子重之輔は下田の番所で取り調べを受けた。
取り調べに際して、吉田松陰は
「国家のため異国の情勢を探知するための企てであった。」
と説明した。
そして、拘禁された。
●吉田松陰の拘禁の地
長命寺は廃寺→下田市立中央公民館  
画像

画像



4月11日、吉田松陰と金子重之輔は縄をかけられ、唐丸籠で江戸の獄
へ送られた。
★悲しい「天城越え」で あった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲川端康成B「伊豆の踊り子」&【天城越え】の歴史
http://53922401.at.webry.info/201507/article_13.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、こんな感じのドラマや漫画であった。

●三島神社の「吉田松陰の像」


◆吉田松陰ゆかりの地:下田編
http://www.yoshida-shoin.com/monka/shiseki-shimoda.html
****************************************************

4月18日 ペリー艦隊が下田に上陸。
 ペリー提督は、浦賀での条約締結後、さらに細則を詰めるため、
 下田に上陸した。

ペリー提督は大砲4門を先頭に、軍楽隊、水兵など300人の
 部下をを引き連れ、意気揚々と行進した。
 現在のペリーロードである。「ペリーロード」はペリー上陸記念
 公園から了仙寺までの道のことで、約700mの道である。



★ポーハタン号は後に、日米修好通商条約の締結のため、小栗上野介達
が乗船した船である。
 
◆◆箕輪初心★小栗上野介@「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介A「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介B「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介C「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介D「横須賀造船所」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

箕輪初心■神奈川:小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介E「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介F「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html
(★小笠原の父島のペリーの碑やアメリカ人の居住地を紹介)

◆◆箕輪初心★小栗上野介I「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介J「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介L「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

箕輪初心:生方▲世界遺産bP9「明治日本の産業革命遺産」
の疑問
http://53922401.at.webry.info/201506/article_22.html



〜〜〜神奈川県横浜と横須賀〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心◆横浜散策&自衛艦『ひゅうが』&『くにさき』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_9.html

箕輪初心◆神奈川『横浜開港物語』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★『中居屋重兵衞』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html

◆◆ 箕輪初心◆青木城=本覚寺の岩瀬とハリス ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_10.html

箕輪初心▲神奈川「権現山城&青木城」:多米一族&神奈川宿
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201411/article_15.html
 (★青木城=本覚寺はハリスのいた場所である)

★★ 箕輪初心★「土方歳三の35年の生涯」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201305/article_23.html

★★箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖 ★★
http://53922401.at.webry.info/201301/article_7.html





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