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zoom RSS 箕輪初心:生方▲【ペリー&下田開港】日本の開国への道

<<   作成日時 : 2015/07/24 07:54   >>

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「太平の眠りをさます蒸気船、たった4杯で夜も眠れず」と詠まれた。
嘉永7年(1854)3月3日(3月31日)に締結された日米和親条約の
第2条によって、下田と箱館(函館)の2港が開かれることになった。
下田は即時開港、箱館は翌年3月開港とされた。再び日本を訪れ
たペリー提督は、浦賀での条約締結後、さらに細則を詰めるため、
下田に上陸した。安政元年(1854)4月18日のことである。安政6
年(1859)12月8日(12月31日)までの5年と9ヶ月ほどの短い期
間ではあったが、下田は日本で最初の開港場となった。毎年5月
16日〜18日には黒船祭が開催されている。
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箕輪初心■世界遺産:小笠原@「歴史」
http://53922401.at.webry.info/201108/article_18.html
 (★メリーは沖縄伊江島→小笠原→浦賀に来た。)

◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html
(★小笠原の父島のペリーの碑やアメリカ人の居住地を紹介)

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【1】ペリー上陸記念碑 Monument to Perry's Landing
嘉永7年・安政元年(1854) 3月3日再来したペリーと江戸幕府の
間で行われた日米和親条約の交渉で、開港地として下田港が提
示された。
4月18日ペリー艦隊は下田にやってきた。
ペリーは調査船を派遣した。ペリーは下田港が外洋と接近して
いて安全に近づけること、船の出入りが便利なことに満足した。
ペリー艦隊が次々と入港した。
※ペリー艦隊の旗艦ポーハタン号は、2415tで、長さ75m、
3本マスト、両舷に外輪がある。航海には蒸気と風力を用い
る木造軍艦である。大砲9門を積んでいる。乗組員300名
である。
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後に日米修好通商条約締結のため、小栗上野介などが
 乗り込んだ。

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 (★横浜開港時の船)
ペリー艦隊の乗組員が上陸したのが、下田公園
下の鼻黒であった。ペリー上陸記念の碑が建てられた。
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記念碑のペリー像は故村田徳次郎氏の作品である。
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記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたものである。
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【2】下田の花街→「ペリーロード」
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 黒船来航。再び日本を訪れたペリー提督は、浦賀での条約締結
 後、さらに細則を詰めるため、下田に上陸した。
 安政元年(1854)4月18日のことである。
 ペリー提督が、大砲4門を先頭に、軍楽隊、水兵など300人の
 部下をを引き連れ、意気揚々と行進した道が、現在のペリーロード
 である。「ペリーロード」はペリー上陸記念公園から了仙寺までの
 道のことで、約700mの道である。
 ・大正から昭和にかけては「花街川端通り」と呼ばれ、
川端康成が最初に訪れた時には、遊廓が建ち並んでいた場所で
 ある。
 現在でも弥治川沿いの逢坂橋から、一行の休息所となった了仙
 寺までは、柳揺れる川岸に、石造りの洋風建物が軒を連ねており、
 昔ながらの雰囲気を色濃く残している。石倉、なまこ壁の町並みが
 残っている。そして、内部を再生利用したショップ・ギャラリー、
 喫茶店・レストラン、雑貨店が並んでいる。
若者に人気の場所だった。
 倉敷に似ていて女性好みの場所かもしれない。
そぞろ歩きにはぴったりの散歩道だ。
 ペリーロードを歩くなら、まず、開港当時の資料などを展示する了仙寺
 を拝観し、寺に車を停めて逆に歩くのがよいと思う。


【3】了仙寺
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・ミニ博物館
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【4】「長楽寺」
〒415-0023下田市3−13−19
 TEL:22−0731
日露和親条約の調印、日米和親条約の批准書の交換が
行なわれた寺である。


【5】下田開国博物館
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・嘉永7年(1854)3月アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊来航
最初の開港場となった。
 ロシアの使節プチャーチンが訪れ、日露和親条約を締結した。
 翌年にはアメリカ総領事タウンゼント・ハリスによるアメリカ
 領事館=玉泉寺の開設された。
 
イギリス、フランス、オランダ等の船も下田港に来た。

※日米修好通商条約の締結により開港場の役割は横浜、神戸などに
移った。ペリー来航から明治維新まで僅か15年、その最初の
5年と9ヶ月ほどの短い期間ではあった。下田は日本で最初の
開港場となった。下田は日本が世界に飛び出す役割を果たした
地であった。
下田開国博物館は、約6年間の日本開国に係る約2000点の
資料・遺品の中から約1000点を入れ替え展示している。
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【6】下田郷土資料館
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【6】宝福寺前
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【7】下田城の開国記念碑
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【8】下田港サスケハナ号模造船
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【9】下田駅前の模造船





◆▲ ペリーの日本上陸 ▲◆
●ペリー日本来航1回目
・嘉永5年(1852) ペリーはアメリカ大統領:フィルモアから東インド
 艦隊司令長官を命じられた。アメリカでは西海岸が開拓された。
 カリフォルニア金鉱などの鉱山開発や捕鯨業が盛んになっていた。
 太平洋の重要性が高まり、北太平洋の日本との国交が急務となった。
 11月24日。アメリカ東海岸ノーフォークを出航し、日本に向かった。
  ペリーは12隻の大艦隊で日本にプレッシャーをかけるつもりで
 あった。ところが、旗艦として考えていた最新鋭の蒸気船は完成
 が遅れ、出航に間に合わなくなってしまったた。ペリーは古い蒸
 気船ミシシッピー号に乗って日本に向かった。アメリカ東海岸から
 大西洋を南下→アフリカの喜望峰→インド沖→東南アジア→中国
 広東→4隻の艦隊を編成し、日本に向かった。
 琉球(沖縄)・小笠原父島→
・嘉永6年(1853) 7月8日 ペリーがやっと浦賀沖に来航した。

 ペリーは久里浜で日本に日本に開国を提唱するアメリカ大統領の
 親書を渡した。
 ペリーは翌年の再来航を約束して、中国上海に向かった。

●ペリー日本来航2回目&日米和親条約
・嘉永7年(1854)
1月 ペリー提督率いる黒船艦隊浦賀に再び来航した。
3月 アメリカの開国要求
江戸幕府はアメリカの『開国』を要求する外圧に対抗する
   ことができなかった。
3月3日(3月31日) 日米和親条約が横浜で締結された。
 
日本側全権は大学頭の林復斎(はやしふくさい)
 アメリカ側全権はマシュー・ペリー
@アメリカの遭難者・漂流民の救助・保護の義務
アメリカ人の安全の保障である。
 A下田・箱館(函館)の開港 (箱館は翌年の開港)
  ・・・アメリカ捕鯨船への物資・食糧の供与。
 B下田にアメリカ人居留地と外交官(領事)を置くこと
   アメリカ人が日本に滞在する場所所として了仙寺・玉泉寺
   が定められた。日本でアメリカ人が死去した場合には玉泉
   寺の米人墓所に葬られることになった。
 C最恵国待遇(諸外国に有利な条約はアメリカにも適用)

『日米和親条約』は不平等条約であった。
 日米和親条約締結で『下田・箱館』が開港された。
 江戸幕府の鎖国体制は崩壊したのだ。
その後、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約が締結した。



〜〜〜私の幕末関連のブログ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

★★ 箕輪初心★佐久間象山@「長野:象山神社」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_16.html

箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html

・嘉永6年(1853) ペリーが浦賀に来航。
吉田松陰は江戸にいた。
  佐久間象山と黒船を視察・・・★西洋の先進文明に心を
  打たれ、外国留学を決意。
  
 12月 吉田松陰と萩の金子重之輔と長崎に寄港していた
  プチャーチンのロシア軍艦に乗ろうと考えた。
  プチャーチンはパルラダ号等4隻の艦隊を率いていた。
  吉田松陰は乗り込もうと長崎に行った。
  しかし、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが
  参戦したので、4艦が予定を繰り上げて出航したためにロ
  シア船のは乗れなかった。
★この後、プチャーチンはディアナ号に乗り換えたが、下田で
台風に遭い、故障・・・江川太郎左衛門の指揮で、西伊豆
戸田で船を修理した。後日、5月か6月に戸田の紹介をしたい。

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箕輪初心★「江川太郎左衛門英龍」=国防に捧げた幕末偉人
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_23.html

箕輪初心▲伊豆:【韮山反射炉&飾り雛】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_10.html

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・安政元年(1854) ペリーが日米和親条約締結の為に再航。
 金子と二人で伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ小舟で
  密航。・・・乗船して密航を訴えるが拒否された。
  ペリーが先のことを考えて断った。

****************************************************
★ポーハタン号は後に、小栗上野介達が乗船した船である。
 
◆◆箕輪初心★小栗上野介@「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介A「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介B「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介C「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介D「横須賀造船所」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

箕輪初心■神奈川:小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介E「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
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◆◆箕輪初心★小栗上野介F「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
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◆◆箕輪初心★小栗G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
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◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html
(★小笠原の父島のペリーの碑やアメリカ人の居住地を紹介)

◆◆箕輪初心★小栗上野介I「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介J「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介L「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html


〜〜〜神奈川県横浜と横須賀〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心◆横浜散策&自衛艦『ひゅうが』&『くにさき』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_9.html

箕輪初心◆神奈川『横浜開港物語』
http://53922401.at.webry.info/201210/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★『中居屋重兵衞』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html

◆◆ 箕輪初心◆青木城=本覚寺の岩瀬とハリス ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_10.html

箕輪初心▲神奈川「権現山城&青木城」:多米一族&神奈川宿
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201411/article_15.html
 (★青木城=本覚寺はハリスのいた場所である)


★★ 箕輪初心★「土方歳三の35年の生涯」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201305/article_23.html

★★箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖 ★★
http://53922401.at.webry.info/201301/article_7.html


●ペリー日本来航1回目
・嘉永5年(1852) ペリーはアメリカ大統領:フィルモアから東インド
 艦隊司令長官を命じられた。アメリカでは西海岸が開拓された。
 カリフォルニア金鉱などの鉱山開発や捕鯨業が盛んになっていた。
 太平洋の重要性が高まり、北太平洋の日本との国交が急務となった。
 11月24日。アメリカ東海岸ノーフォークを出航し、日本に向かった。
  ペリーは12隻の大艦隊で日本にプレッシャーをかけるつもりで
 あった。ところが、旗艦として考えていた最新鋭の蒸気船は完成
 が遅れ、出航に間に合わなくなってしまったた。ペリーは古い蒸
 気船ミシシッピー号に乗って日本に向かった。アメリカ東海岸から
 大西洋を南下→アフリカの喜望峰→インド沖→東南アジア→中国
 広東→4隻の艦隊を編成し、日本に向かった。
 琉球(沖縄)・小笠原父島→
・嘉永6年(1853) 7月8日 ペリーがやっと浦賀沖に来航した。

 ペリーは久里浜で日本に日本に開国を提唱するアメリカ大統領の
 親書を渡した。
 ペリーは翌年の再来航を約束して、中国上海に向かった。
●ペリー日本来航2回目&日米和親条約
・嘉永7年(1854)
1月 ペリー提督率いる黒船艦隊浦賀に再び来航した。
3月 アメリカの開国要求
江戸幕府はアメリカの『開国』を要求する外圧に対抗する
   ことができなかった。
3月3日(3月31日) 日米和親条約が横浜で締結された。
 
日本側全権は大学頭の林復斎(はやしふくさい)
 アメリカ側全権はマシュー・ペリー
@アメリカの遭難者・漂流民の救助・保護の義務
アメリカ人の安全の保障である。
 A下田・箱館(函館)の開港 (箱館は翌年の開港)
  ・・・アメリカ捕鯨船への物資・食糧の供与。
 B下田にアメリカ人居留地と外交官(領事)を置くこと
   アメリカ人が日本に滞在する場所所として了仙寺・玉泉寺
   が定められた。日本でアメリカ人が死去した場合には玉泉
   寺の米人墓所に葬られることになった。
 C最恵国待遇(諸外国に有利な条約はアメリカにも適用)

『日米和親条約』は不平等条約であった。
 日米和親条約締結で『下田・箱館』が開港された。
 江戸幕府の鎖国体制は崩壊したのだ。
その後、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約が締結した。


・安政元年(1854)4月18日 下田に上陸。
黒船来航。再び日本を訪れたペリー提督は、浦賀での条約締結
 後、さらに細則を詰めるため、下田に上陸した。
 ペリー提督は大砲4門を先頭に、軍楽隊、水兵など300人の
 部下をを引き連れ、意気揚々と行進した。
 現在のペリーロードである。「ペリーロード」はペリー上陸記念
 公園から了仙寺までの道のことで、約700mの道である。

安政6年(1859)12月8日(12月31日)までの5年と9ヶ月ほど
の短い期間ではあったが、下田は日本で最初の開港場となった。


・現在 毎年5月16日〜18日には黒船祭が開催されている。




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