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zoom RSS 箕輪初心▲群馬:【高山館&高山城】&高山氏の戦国時代

<<   作成日時 : 2015/05/20 05:35   >>

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藤岡市高山に高山館があった。今は世界遺産:高山社である。高
山重遠が藤岡の高山に住んだのは、大治6年(1131) 緑野郡に伊
勢神宮領の高山御厨が置かれた時に移住したと考えている。藤
岡市高山&金井に高山城がある。世界遺産:高山社の裏山であ
る。
東日野金山城=高山城は、永享10年(1438) 平井金山城&
平井城が上杉憲実の命で長尾忠房が築かれたとされる。高山城
は支城ネットワークに一つとして築城されたと考えている。高
山城は百間築地・要害山城:天屋(てんや)城からなる。
私は
残念ながら、登っていない。
画像

(★高山氏館=高山社&高山城)



箕輪初心:生方★源頼朝43【高山重遠+高山重久・小林重幸】
http://53922401.at.webry.info/201505/article_19.html


箕輪初心:生方▲群馬藤岡【平井金山城:平井城の詰め城】前編&
「上杉憲実」
http://53922401.at.webry.info/201505/article_17.html

箕輪初心:生方▲群馬【平井金山城】後編&猪之田温泉
http://53922401.at.webry.info/201505/article_18.html

箕輪初心:生方▲群馬【平井城5回目】:関東管領の城
http://53922401.at.webry.info/201505/article_16.html




◆訪問日・・・平成27年(2015)5月12日
【1】
@平井金山城2回目からの高山城遠望

A平井城の矢島さん宅の想像図
画像

 写真の左の城である。

B平井城の説明版
画像




【2】高山館→世界遺産:高山社
●高山館は、高山城址の南麓に位置している。

●駐車場

●300mの小径

●高山館前の専用駐車場・・・老人・障害のある方の専用
 駐車場〜高山社を世界遺産にの幟が立っている。

●説明板が設置されている。

●中世虎口であった長屋門
石垣の上に立派な長屋門が建ち、旧家の面影を残している。
表虎口は東南面中央に開いている。

●藤岡市のスタッフへの質問
「高山館跡は5年前まで高山氏が住んでいたが、今は藤岡市の所有で
あす。」

スタッフの方は「高山館はここで、裏山が高山城です。
天屋(てんや)城ともいいます。要害山と高山城からできています。
ゴルフ城になっています。秋に高山城に行こうとしましたが、凄い
藪で行ける状態ではありませんでした。」

「高山重遠の子孫です。」


●高山館略測図

●明治・大正の建物跡


●蚕室跡の建物。


●世界遺産
「高山氏の末裔は幕末から明治時代に、高山社を設立し、養蚕産業
の発展に大きく寄与した。」

※国指定史跡は中世の館山館としてではない。

「高山行重の館が子孫:高山長五郎が養蚕の改良を行ったのが高山社
の発祥の地として国指定史跡となった。
●パンフレット
「高山長五郎は先祖伝来の屋敷を壊して蚕室を建てて研究を行った。
「清温育」という優れた養蚕の飼育法を確立した。高山長五郎は、
飼育法を館で指導し、多くの社員・生徒を育てた。卒業生の中から
優秀なものを全国へ養蚕指導員として派遣して、清温育を全国へ広
めた。藤岡に本社を移した後は「高山分教場」として機能した。
分教場は162あった。そして館跡は 「世界遺産:富岡製糸工場
と絹産業遺産群」の「高山社発祥の地」となった。」

●館内に


●館跡
南北75m×東西70m。

北東面から、西北面にかけて堀跡が認められる。


【3】興禅院の高山氏の墓地
※高山長五郎の墓がある。

【4】興禅院からの高山城遠望
画像




◆◆ 高山一族の歴史 ◆◆
高山氏は桓武平氏良文流秩父十郎武綱の子:権平重綱の第3子:
高山三郎重遠から出た。
秩父武綱―重綱―高山重遠―重久―重昭―盛冶―守重―直成―満重
        重幸(小林氏の祖)


・????年 秩父重綱の3男:秩父三郎重遠が武蔵国高麗郡高山
 邑(埼玉県飯能市にある高山不動様)に住して高山三郎を名乗っ
 た。初代高山三郎重遠となった。高山荘を経営していた。
高山重遠は源義朝に属していた。

・大治6年(1131) 緑野郡に伊勢神宮領の高山御厨が置かれた。
高山重遠は上野国緑野郡高山(藤岡市美九里地区字
  高山)を本拠とした。在庁官人となった。
  高山重遠の嫡男:重昭(重久)が高山を継ぎ、弟の重幸は緑野
  郡小林邑に移り小林氏の祖となった。
  高山重遠の一族は高山党と呼ばれるようになった。
(★藤岡市史)
  高山重遠は最初は清水山城にいた。
(★藤岡市史)

〜〜〜カット〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・元弘3年(1333) 新田義貞の挙兵
   高山時重は新田義貞軍に加わった。
  ●分倍河原の戦い
    高山時重は戦死した。
  その後、子:高山遠江守重栄は新田軍として活躍した。
   (★高山系譜抄:藤岡市史)
   
  高山彦九郎の祖先:高山遠江守重栄は新田義貞の
  「新田十六騎」の1人として高名をはせた。

・延元3・建武5(1338) 南朝:新田義貞が戦死した。
   高山重栄は北朝:足利尊氏に従った。

・文和元年(1352)〜応安元年(1368) 武蔵平一揆・・16年
高山重栄は河越直重の平一揆に加わった。
上野国では浄法寺・白塩・小林・高山
  高山重栄は関東管領:上杉憲顕によって鎮圧された。
 (★上杉憲顕:久保田順一著)

箕輪初心▲畠山国清B【伊豆:国清寺】→畠山義深の生涯
http://53922401.at.webry.info/201503/article_6.html
  ★上杉憲顕の墓がある。

 以降、関東管領上杉憲顕の家臣として吾妻郡高山村を本拠に
 した。
 ★おそらく、古中山城を築城したのであろう。
主流(大本家)は現高山村の高山重栄になった。
 いつ藤岡に戻ってきたのか不明である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_13.html
 ★名胡桃事件を手引きしたといわれる中山氏
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

・応永23年(1416) 上杉禅秀の乱
  高山頼重は戦功があった。

・永享10年(1438) 永享の乱
  高山重秀・重友は戦功があった。

・永享12年(1440) 結城合戦
高山宮内少輔重秀・高山越後守重友・
  小林山城守は戦功を重ねた。

居館として児玉党阿佐美氏→中山氏の中山城がある。
★不明なのは、高山氏主流はずうっと吾妻高山村にいたので
あろうか? 


・永享10年(1438) 上杉憲実によって築かれたと云われる。
 上杉憲実は関東管領:山内上杉氏5代目当主である。
上杉憲政は嫡子を平井城に移させた。
8月 上杉憲実は平井金山城に籠城した。
画像

  高山越後守重友も子:重次&盛重は上杉憲実に従った。
おそらく、高山重友はこの時、高山村から
  藤岡の高山に平井金山城警護のため、藤岡の高山に
  戻されたのであろう。そして、金山に居住した。
高山重友は東日野金山城=高山城を築城した。


箕輪初心★上杉家A『8代:憲実〜9代:憲忠〜10代:房顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_26.html

箕輪初心○埼玉本庄【五十子(いかっこ)の陣&五十子の戦い】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_27.html


・文明18年(1486) 菅谷原の合戦(埼玉県嵐山町)
 高山因幡守盛重は上杉顕定に従い、上杉定正に敗れて討ち死
 した。



・永正4年(1508) 長森原の戦い
 ★高山重次の子:高山憲重&重員(しげかず)も上杉顕定に
 従った。
 上杉顕定は長尾為景(上杉謙信の父)に敗れ、戦死した。 
高山憲重&重員(しげかず)も戦死した。

箕輪初心★本間家の歴史;佐渡本間一族→酒田本間家
 日本一の地主へ
http://53922401.at.webry.info/201307/article_20.html
★長尾為景の協力者:佐渡本間家が上杉顕定を倒した。

箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺・
雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html
★上杉顕定の管領塚=戦死した場所



・大永6年(1526) 高山憲重の子:高山重純は上杉憲房に
 従い、平井の戦いに貢献した。

・享禄3年(1530)高山重純は平井の戦いに貢献した。
高山重孝は清水山城(藤岡市高山字中組)にいた。
(★藤岡市史)


・天文15年(1546)
 4月 河越夜戦
   高山満重も主家の上杉憲政に従った。
   北条氏康に敗れた。
 
 ★高山城は、平井城を中心とする支城ネットワークの一つと
  して強化されたのであろう。



 
・天文15(1546)武田信玄の佐久侵攻
8月 上杉憲政は佐久志賀城:笠原清繁の要請で出兵。
 ★長野業政は参加しなかった。
高山定重も上杉憲政に仕え、出兵した。
10月 小田井原の戦い〜笛吹峠の戦い
上杉憲政の敗戦。
  
関東管領:上杉憲実はさらに、権威が落ちた。
 
・天文18年(1559) 三寺尾(高崎寺尾)の戦い
 武田晴信 VS 和田信景・倉賀野の金井秀景+9城主
 上野軍527の首が討ち取られた。

  (★富原文庫より)


9月 武田晴信は平井城を攻撃した。
(★平井城:上杉氏一族の碑)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・天文21年(1552)
 北条氏康は2万の軍勢を率いて平井城攻めのために
 小田原城を出発した。

 山内家同族の深谷上杉家当主:上杉憲盛などが
 後北条氏康の降伏していた。

 2月 北条氏邦の御嶽山城の攻撃
  武蔵の最前線御嶽城:安保氏が落城した。   
  ★御嶽山城は阿保氏が足利長尾氏からの養子であった。
 上杉憲政は御嶽山城の救援には行かなかった。
  ★これが、平井城落城を早めた。 
箕輪初心●群馬「平井城」=関東管領:上杉憲政の城
http://53922401.at.webry.info/201107/article_7.html

箕輪初心●群馬【平井城前編】:関東管領8代上杉憲実〜
16代上杉謙信
http://53922401.at.webry.info/201405/article_29.html

箕輪初心●群馬【平井城後編】関東管領:【15代:上杉憲政 】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_31.html

箕輪初心●群馬藤岡編:平井城の城郭群=「金井城」など
http://53922401.at.webry.info/201107/article_8.html
★金山城は平井城の詰め城である

箕輪初心:生方▲【水上:建明寺】&上杉憲政は水上での
逃亡生活7年間?
http://53922401.at.webry.info/201505/article_11.html

〜〜〜平井城落城説@〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
※天文20年(1551)説・ 天文21年(1552)説がある。
  3月説&10月説〜〜〜〜〜

1)天文20年(1551)2月説:NHK大河ドラマ説
  2月10日、上杉憲政は50名の家臣を従えて平井城を脱出した。
 春日山城の長尾景虎を頼り、越後に逃れた。
 平井城には嫡子:龍若丸を残し、後見として目加田新介・
 長三郎兄弟と九里采女正を配した。
 

2)天文20年(1551)3月説
 3月・4月 北条氏康の上州平井城侵攻@ 
 @北条綱成の嫡子:善九郎康成は、福島一郎ら2万余
  の兵を率いて・・・・(中略)・・・・。  
 太田美濃守・長野信濃守・曽我兵部頭・金井小源太
 ・安中越前守・小幡・白倉・沼田・厩橋・新田
  ・赤井(館林城)・佐野・足利(=長尾氏)・桐生
  ・渋川・大胡・山上・後閑・長野などの諸将が先陣
  と後陣に別れて、出陣した。
 
神流川合戦
上杉憲政 VS 北条氏康
   武蔵・上野国境の神流川を挟んで対陣した。
   激戦・・・
  結果・・北条北条綱成、康成(氏繁)らの活躍で
  北条が勝利した。
  北条氏康は深追いせずに一旦兵を退かせた。
  3月10日の一戦では、上杉方が勝利したが、・・・
   北条康成は18歳であるが、・・13人を切り倒した。
   ・・・深追いは禁物と引き上げた。
   (★参考文献・・・関東古戦録:久保田訳)

※平井城は極めて堅固な支城・補塁があるので、安易な
平井城攻撃は避けた。
(★群馬の古城塁祉の研究:山崎一著)
 
 上杉憲政は平井城に立て籠った。
 ※平井城が北条軍の脅威にさらされた。
   
 北条氏康は武蔵・上野国の武将に味方になるように勧めた。
  結果・・・多くの武将が寝返った。   
※ちなみに、天文19年(1550)に、北条氏康が小林平四郎の
味方になるように手紙を出した。
 (★小林家文書)
 
 A北条氏康20000 VS 関東管領上杉憲政4000
  *長野業政2000の軍勢で応援→落城せず。
  *上泉伊勢守1500で箕輪城の留守番。
 (★参考資料:野口先生=雨情先生子息の箕輪城の本)
 

3)天文20年(1551)10月説:関東古戦録・ウィキペディア説
10月 平井城落城北条氏康の上州平井城侵攻A
 @北条氏康は再び、上州平井城を決めた。・・・。
 上杉憲政は、お触れを出したが500騎しか集まらな
 かった。
 上杉憲政は岩槻城(太田道灌の子)か箕輪城(長野)
  に籠もるか迷ったが、
 曽我・三田・本庄らが「越後の長尾景虎が若輩ながら、
  知勇に優れているという噂がある。父:長尾為景は
  上杉顕定公を討った逆臣ですが、元は上杉の家臣・・。」
 春日山城の長尾景虎は温かく迎えてくれた。
  (★参考文献・・・関東古戦録 久保田順一訳)
 
 平井落城の際に平井城に留まった嫡男:龍若丸が
 上杉憲政により置き去りにされ、厩橋の家臣:長野??
 に預けられたが、長野が北条へと裏切ってしまい、
 龍若丸は北条氏康に捕らえられ処刑された。
  (★参考文献・・・関東古戦録 久保田順一訳)
 
 処刑の話は後世の創作である可能性も高い。
(★ウキペディア)
 


A平井城の上杉憲政に長野業政が「長尾為景を頼れ。」
  倉賀野氏に依頼。龍若丸を目方に依頼。
  北条が平井城に進撃。長野は箕輪城に戻る。
  真田幸隆は昔の恩義で心配。
  山本勘助は北条に使者に「嫡男を北条に。」
  (後の3国同盟へ)」
  上杉憲政が越後に逃亡。長尾影虎は丁寧に迎えた。
  目方は憲政の竜王丸を北条に差し出す。
 (★参考資料・・大河ドラマ「風林火山」9/18)
 
B長野業政は上杉憲政を箕輪城に呼ぼうとした。
  →上杉憲政は越後の長尾景虎(上杉謙信)の元に逃亡。
 
C河西(利根川の西)の箕輪長野氏・安中氏など西上野の衆
  が那波氏に通じ後北条に服属した。
  上杉憲政の馬廻衆も離反した。
(★群馬県史・ウキペディアなど)

いずれにしても、
4)天文21年(1552)説
 北条氏康が平井城を攻略。 
 
 目加田、九里らは北條氏康に龍若丸を差し出して降伏・開城
 した。平井城は落城した。龍若丸は小田原の一色松原海岸
 で斬られ、目加田、九里らも「不義不忠の逆賊」として
 磔刑に処された。

北条氏康は叔父:北条幻庵長綱を平井城に置いた。
 
平井城主:上杉憲実は長尾景虎(上杉謙信)のもとに逃亡。
 

===逃亡経路============
上杉憲政は居城:平井城を失うと越後へ向かった。
 元は家臣筋で、外戚の越後長尾景虎を頼った。

説@・・越後上田庄→国府説(かつての通説?)
 上杉憲政は家宰:足利長尾氏や太田金山城:横瀬国繁
  居城へ入れず、利根吾妻の上野北部へと向かった。
  そのまま越後の長尾景虎(上杉謙信)の元に逃れた。
通説では平井落城後にすぐに越後へ向かった。

説A・・群馬中之条〜十日町〜御館説(新潟の十日町市史?)

説B・・・建明寺の和尚様の話によると、天文20年(1551)10月説を採っ
 ている。「水上町史」も建明寺に建てた。」とあるそうだ。

 説C・・群馬の沼田・水上説(★高崎市史)
理由@・・水上の建明寺に上杉憲政の木造がある。
理由A・・「上杉家御年譜」に永禄元年(1558)に上杉憲政が
 越後入りした。
※越後へは永禄元年(1558)説が最近は有力視とされて
 いる。(★高崎市史・榛名町誌)
 ★御館は行ったが、写真喪失のため添付できない。

関東管領上杉憲実は平井城を支えきれなくなった。
 
●高山満重&子高山行重は平井城落城前後に北条氏康に降りた。
北条氏が平井を占領した際は、いち早く北条に降ったものと
 見られる。
 (★群馬の古城塁祉の研究:山崎一著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
※「関東古戦録」では、天文20年(1551)の長尾景虎が
 北条氏の平井城を奪い取った。この時、長尾景勝が
 小王山城を占領した。・・・
★でも、長尾景虎の越山は永禄3年(1560)である。

・天文年間(1532〜)北条氏が武蔵進出
※阿保氏は関東管領:上杉憲政に属していた。
 安保泰広にとって後北条氏との関係が重要な課題となった。
 
・天文21年(1552) 御嶽の戦い
 御嶽城主:安保泰広の守る御嶽城を北条氏康が攻略した。
「天文二十年の冬、北条氏康が北関東へ出陣をもくろみ、翌年
 二月には御嶽城を攻め、二月十五日には金鑚神社を含め全山
 を焼き討ち、三月には落城させた。城主安保信濃守入道泰広と
  息子の中務大輔泰忠は降参して助けられたが残りの数千人
  は一人も残さず討死をした。」
(★『仁王経科注見聞』:関東の名城を歩く 南関東編)

・天文21年(1552)
北条氏康は叔父:北条幻庵長綱を平井城に置いた。
  北条氏康は小田原に帰った。
(★北越軍談)
高山行重も北条氏の旗下になった。

安保氏が国人領主から戦国大名へと転換した。
   武蔵・上野の国境地帯に所領を獲得していった。
 安保氏は、小林・富田・高山・小幡・浄法寺氏などを従え、
   家臣団に編成していった。



・永禄3年(1560) 長尾景虎(上杉謙信)の第一次関東出兵。
 宮野城(猿ヶ京湖城閣)→岩下城(斉藤憲弘)→
 明間城・・・)★私説では川戸城(東吾妻町川戸)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●群馬【平井城後編】関東管領:【15代:上杉憲政 】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_31.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
→沼田城(北条綱成の次男:孫四郎ら数百騎が戦死した。)
 →沼田城
 →まや橋(前橋城)→平井城→
★長尾景虎が北条氏の平井城を奪い取った。この時、長野景勝が
 小王山城を占領した。のであろう。
『関東幕注文』・・・長野氏 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 箕輪初心★箕輪城135長野業政&長尾景虎の「関東幕注文」
http://53922401.at.webry.info/201405/article_9.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

●高山遠江守定重・・・白井衆にあるので、白井長尾氏と
 婚姻を結んだと思われる。(★藤岡市史)

◆◆ 関東幕注文
【0】近衛前嗣・山内憲政・長尾景虎=上杉輝虎

【1】白井衆
長尾孫四郎・・・白井憲景
外山民部少輔・・土岐一族?
大森兵庫助
神保兵庫助・・・・・・・・★長野業政の着到帳にある
高山山城守・・・高山行重★長野業政の着到帳にある
小林出羽守・・・・・・・★長野業政の着到帳にある
小嶋弥四郎
三原田孫七郎
上泉大炊助・・・・・・・上泉秀胤★上泉伊勢守秀綱の子ども
  父は★長野業政の着到帳にある

【2】惣社衆
安中・・・・・・★安中忠政か忠成(ただしげ)長野業政親戚
小幡三河守・・・小幡信尚★下仁田鷹ノ巣城
多比良・・・・・
大類弥六郎・・・
萩原
高庭・・・・・・★馬庭
被官 高津
瀬下
小串
神谷
多胡
諏方
荒蒔
苅部
反町
栃淵
長尾能登守殿・・・・高津景総
★何故、「殿」がついているのであろうか?
    長尾景虎が同格と見ているからであろう。
【3】箕輪衆+大胡衆=長野業政の家臣:同心・・28名
【4】岩下衆・・斉藤憲弘&山田・・後は紙が切れている。

●高山山城守・・・高山行重★長野業政の着到帳にある
 小林出羽守・・・・・・・★長野業政の着到帳にある

高山山城守は高山行重である。
(※高山系図では、越後上杉房能の子ども:→
父が謙信の父に殺されて3歳で高山満重の養子となった。)
 小林出羽守は小林平四郎である。

  
  高山山城守行重・高山遠江守定重も参加した。
・・東毛へ・・・羽生城へ・・・常陸へ・・小田原城攻撃

  
・永禄4年(1561)武田信玄の平井城攻撃
武田信玄→小林監物宛の手紙
「味方になれば、所領安堵する。」

・永禄7年(1564) 所領安堵(生島足島神社) 

・永禄9年(1566) 9月29日 箕輪城落城
   
・永禄10年(1567) 所領安堵(生島足島神社)
高山行重・高山定重・高山衆の安堵状が出ている。

  大本家の高山城主:高山遠江守定重は上野国
  緑野郡高山を本拠としていた。

・天正10年(1582) 
2月? 高山定重は内藤大和守昌月(箕輪城主・保渡田城に在住)
  から海津その他で合わせて400貫文与えられた。
  ★内藤昌月(まさあき)は滝川一益の侵攻に備え、武田の
   忠実な武士になるように考えたのではないだろうか。
   既に、内藤昌月の重要な存在となっていたのであろう。


・天正10年(1582)
 3月 滝川一益の箕輪城入城。
箕輪城主:内藤昌月は滝川一益の家臣になった。
   高山定重は織田家臣:滝川一益に従属した。

6月2日 本能寺の変・・織田信長は死亡。

6月18〜19日 神流川の戦い
 内藤昌明もかつての旧武田家臣を掌握し、滝川一益に従った。
 高山遠江守定重(彦兵衛重成)は滝川方の先方に加わって
 奮戦した。
 甥:高山重正が武功を挙げた。
 北条氏直が上野に侵攻し、滝川一益を破った。
 滝川一益は箕輪城で内藤昌明らと酒を酌み交わして別れを
 告げた。
箕輪初心▲埼玉上里【金窪城】&『神流川の戦い』詳細
http://53922401.at.webry.info/201409/article_21.html

箕輪初心◆高崎【第16回新町神流川合戦:滝川一益】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_3.html

箕輪初心●箕輪城シリーズR「第11代:滝川一益」
http://53922401.at.webry.info/201010/article_33.html



真田昌幸は滝川一益を諏訪まで送り届けた。

6月22日 北条家禁制が北条氏邦から高山遠江守宛に出されて
  いる。
  ※神流川の戦いから3日後のことである。
  高山遠江守定重(彦兵衛重成)は北条氏直に従った。
  高山遠江守は北条氏邦に降伏したのであろう。

  高山遠江守定重(彦兵衛重成)は北条氏直に重用された。

・天正12年(1584) 北条家朱印状
厩橋(前橋)在番の衆として、北条綱成、遠山政秀、木部貞朝、
 小幡左衛門大夫、和田左衛門尉、堀内丹後守、高山遠江守らの
 名前がある。
 
・天正13年(1585) 北条家朱印状
高山遠江守定重・宇津木氏久(玉村)・清水主膳(箕輪城和田山
砦)は新田金山城の守将を命じられた。
高山遠江守定重は金山西城(太田金山城の見付砦)に在城を
  命じられた。
 (★群馬県古城累址の研究:山崎一氏著)

・天正14年(1586)
高山遠江守定重は新田領に100貫文を与えられた。


箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城
http://53922401.at.webry.info/201202/article_22.html

・天正18年(1590)
2月5日 小幡兵衛宛の北条氏直書状
「其元、高山の在陣、別して苦労察し入り候」
★前田利家・上杉景勝の北国軍が上野国に侵攻すること、
  踏まえて、高山城を北条氏の番城としたのであろう。
  小幡兵衛らが在城していた。
 ※ちなみにこの時の上野国の城の改修工事は、
  沼田城(猪俣邦憲)・松井田城(大導寺政繁)・西牧城(多米
  周防守)・倉賀野城であった。 
北国軍は松井田城を攻略すると、上杉景勝の配下:真田昌幸が
  大導寺政繁の道案内で箕輪城の無血開城とした。
本隊は南牧の西牧城に行った。多米氏は物語山で自決した。
さらに姫街道を南下した。平井城や高山城は箕輪城同様に抵抗
もせずに開城したのではないだろうか。
  高山城は廃城となったと思われる。

・天正10年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
 高山定重は小田原城に籠城した。
 北条氏が没落。
箕輪初心●神奈川:小田原城=百名城
http://53922401.at.webry.info/201106/article_19.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城3回目】写真集前編
http://53922401.at.webry.info/201411/article_24.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城3回目】:写真集後編
http://53922401.at.webry.info/201411/article_25.html

高山遠江守定重は浪人となった。
帰農した。

・江戸時代
  子孫は代々名主となった。

・明治時代
  蚕業改良家:高山長五郎重札がいる。


※新田義貞家臣:高山重栄の子孫:高山盛重の子孫は
 新田の金山城主:横瀬国繁(由良)に仕え、家老となった。
 ・天正19年(1590) 北条氏の金山城の城番として、
高山遠江守定重は金山西城(太田金山城の見付砦)に在城を
  命じられていた。
 (★群馬県古城累址の研究:山崎一氏著)
 おそらく、北条側の深谷城代:秋元長朝は潜伏していたが、
井伊直政の勧めで、高崎城の長野堰からの取水に関与し、
総社藩を立てた。その折、浪人になった高山定重は秋元
長朝の家臣になったのであろう。
  子孫は高山繁勝は館林藩秋元志朝6万石の国家老となった。
 
※【高山彦九郎】
 新田義貞家臣:高山重栄の子孫の分家の子孫に江戸期の寛政
 3奇人の1人として著名な「高山彦九郎」がいる。
南北朝時代の祖先:高山遠江守重栄は新田義貞の「新田十六騎」
 の1人として高名をはせた。高山彦九郎は「太平記」を読み、
 尊皇論者になった。北海道以外全て旅をした。吉田松陰にも影響
 を与えた。

箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎A現代版「旅日記」
http://53922401.at.webry.info/201106/article_21.html

箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎B現代版「旅日記」
http://53922401.at.webry.info/201106/article_22.html

箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎C現代版「旅日記」
http://53922401.at.webry.info/201106/article_23.html

箕輪初心■大分:【日田豆田町】&【高山彦九郎&広瀬淡窓】
http://53922401.at.webry.info/201110/article_15.html

箕輪初心★【「花燃ゆ」:梶取素彦3回目】@群馬県庁、A功徳碑、
B臨江閣
http://53922401.at.webry.info/201502/article_29.html




〜〜〜藤岡の城〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心●群馬:旧藤岡の城=45城砦一覧
http://53922401.at.webry.info/201107/article_6.html

箕輪初心●群馬藤岡編「芦田城」&依田一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201107/article_9.html

★小林館の城写真は消滅してしまった。



★明日は世界遺産:高山社だ。
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