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zoom RSS 箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】

<<   作成日時 : 2015/04/10 07:56   >>

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★平成27年(2015)4月3日〜7日まで、高崎シティギャラリ
ーにて、中嶋宏氏の主唱する【長野堰を語り継ぐ会】の長野堰
の絵図展が開催された。5日間で約2000人近くの来場者があ
った。慶長3年(1598)に徳川四天王の「井伊直政」が本城を
箕輪城→高崎城に移した。この時、高崎城の縄張りは早川幸豊
であっただろう。長野堰からの新井堰の取水口&新井堰は秋元
長朝、新井喜左衛門などに命じて作らせたのでないかと思われ
る。
→高崎城への水堀&高崎の城下町の用水路はもちろん、旧
長野業政の家臣や旧和田信業の家臣や旧武田の家臣の中にも用
水技術を持っていた者はたくさんいたであろう。井伊直政の家
臣団が協力してして造ったことが分かる。写真は「長野堰を
語りつぐ会」の会長:中嶋氏の資料を使わせていただきました。
新井喜左衛門については「新井堰」の人脈と水脈:隠居の思ひ
つ記を参考に編集させていただききました。ありがとうござい
ます。 

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@和田時代
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A井伊時代〜安藤時代?
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語り
つぐ会の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html


箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html


箕輪初心:生方★高崎城【井伊直政&早川幸豊】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_9.html





【1】高崎台地の用水路の歴史
 (★ありがとう、長野堰の絵図集を参考に編集
 @古墳・奈良時代・・・高崎台地には水田の遺構はない。

A平安時代・・・高崎台地に水田遺構が20ヶ所以上見られる。
つまり、この時代に用水路建設&稲作が行われたことになる。
長野堰の発祥は長野康業が1000年前に長野堰を開削という説
もあるが、長野氏そのものがいたかどうかで不明である。青木
庄(高崎市浜川・高崎市箕郷町下芝)伝説があるが・・・
文書上では、建久元年(1190)の石上(在原業平の子孫)が国司の
bQ&bRとして上野国司の代理とした「石上氏」をして来たことは
明確である。(榛名神社文書)。



B鎌倉時代〜南北朝時代
永野氏が吾妻鏡に2つ登場する。山崎一先生&近藤義雄先生の
説では、鎌倉時代、高崎市浜川の「寺の内」(高崎市浜川町の大
山医院北東)が一番はじめの長野氏がいてそこから、室町時代
に浜川の道場の乙業館や隆業館があったとする。
しかし、久保田順一先生の説では、現箕郷町が鎌倉時代に大きな
町があったとしている。源頼朝が指定した坂東33観音の内、
白岩観音&水沢観音の間の町であった。

★確かに南北朝時代に箕輪(箕郷)に足利尊氏が建設の指示した
敵対した後醍醐天皇を冥福を祈る「安国寺」があった。中心は箕輪
であった。また、箕輪城の井戸からは1200年代の墓石も出てくる。



C戦国時代
長野憲業や長野業政が箕輪城の用水、@祭戸用水、A現早瀬川=
12堰、B西新波堰=長野堰、本郷堰、長純寺堰(1557)などの用
水路を作ったのは確かである。
長野堰はかつて、西新波堰と呼んだことから、取水口は榛名
白川の可能性が高い。箕輪城の横を流れる祭戸用水→早瀬川
(12堰)→西新波堰(長野堰)と用水が流れていく。高崎市
浜川や浜尻や並榎や飯塚や大類や倉賀野に環濠屋敷が多い。
長野業政の同心(娘婿関係):和田業繁とその同心:天田氏や
反町氏、倉賀野氏とその同心(家老クラス)の環濠屋敷や農業
用水として、水を供給していたことが考えられる。つまり、高
崎台地と呼ばれる水の少ない場所に、平安時代から500年かけ
て徐々に用水路が建設されていったことを意味する。


C慶長3年(1598)に徳川四天王の「井伊直政」が本城を箕輪城
→高崎城に移した。

高崎城の縄張りは早川幸豊が中心となってしたのであろう。
高崎城の本丸は山崎一先生は水堀となっていたが、第15次
発掘調査では障子堀ではないので、水堀ではなかった。しか
し、二の丸や三の丸は水堀であった。現在でも、水堀は残っ
ている。
高崎城の水堀長野堰の取水口秋元長朝、新井喜左衛門などに
命じたのでないかと思われる。

城下町の用水路整備は家臣団の多くが参加したのであろう。
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箕輪初心★箕輪城90【井伊直政の箕輪城時代の家臣団一覧】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html
 (★井伊軍志より編集)
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●●結果
長野堰は高崎城のお堀=城防御用水・生活用水・農業用水・防
火用水の役割を担った。また、紺屋町も移され、工業用水(染
め物業)を発展させるきっかけとなった。
井伊直政時代で、ほぼ今の形になったと考えられる。
関ヶ原の戦いでは、5000の兵隊がいた。つまり、20000人
〜25000人の家臣や町人や寺社関係の人が箕輪→高崎に移住し
たことになる。 


〜〜〜高崎市の用水路シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心◆長野堰B「染色のまち高崎に流れる長野堰
:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

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箕輪初心★箕輪城90【井伊直政の箕輪城時代の家臣団一覧】
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html
 (★井伊軍志より編集)


【2】秋元長朝の生涯
・秋元氏は下野国宇都宮氏の庶流で、上総国秋元郷が本貫とされる。
 秋元氏の祖:秋元泰業は宇都宮氏第6代:泰綱の弟にあたる。

・戦国時代
  上総国守護の犬懸上杉氏が上杉禅秀の乱で失脚した。
  
・天文10年(1541) 秋元景朝が深谷城主:上杉憲賢に仕えた
 秋元景朝は深谷市上野台の領主として館を構えた。
 (★深谷城の南1,8km)
武蔵深谷上杉「四天王」の一と言われた。
秋元景朝は岡谷加賀守・井草左衛門・上原出羽守と共に、
  深谷上杉四天王と呼ばれた。


・天文15年(1546)嫡子:秋元長朝は深谷で生まれた。
 父は秋元景朝(元景)
  母は関東管領:上杉憲政の養女。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心○埼玉【深谷城】&『深谷上杉氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201406/article_4.html

箕輪初心●埼玉深谷【人見氏館】=猪俣人見氏→庁鼻和上杉氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_5.html

箕輪初心★埼玉深谷【庁鼻和城】&4代上杉憲顕の子:
庁鼻和上杉憲英〜
http://53922401.at.webry.info/201405/article_25.html

箕輪初心●埼玉深谷【東方城】=深谷城の支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_6.html

箕輪初心▲埼玉深谷【皿沼城&曲田城】:岡谷氏の居城
http://53922401.at.webry.info/201409/article_16.html

・秋元長朝は庁鼻和上杉家の上杉憲盛仕えていた。
   深谷城主:上杉憲盛となった。
 
 →上杉謙信は不満に思った。
  上杉謙信は深谷城に攻撃した。
  上杉憲盛はなんとか状況を乗りきった。  
  

・天正3年(1575) 深谷上杉憲盛が死亡。
   深谷城主を上杉氏憲が跡を継いだ。
 秋元長朝は上杉氏憲に仕えた。
三宿老のひとりであった。

・天正6年(1578)
  北条氏政は深谷上杉氏憲を養子とした。つまり、北条氏政は
  上杉氏憲「氏」の一字を与え、養女を上杉氏憲に嫁せた。

  深谷上杉氏憲は北条氏政の娘と婚姻させたことで、
  事実上、北条氏に上杉氏は降伏し北条氏の傘下に入った。
  深谷上杉氏は小田原北条氏の体制下に組み込まれたのだ。

  武蔵国では北条氏が勢力を確立して上杉謙信が
  進出する余地がなっていた。
  やがて、上杉謙信は羽生城からも撤退した。


・天正17年(1589)   
秋元長朝は深谷(旧江南)の平山家に財政についての
相談をした。手紙が多数現存しているという。
★「平山家住宅」の当主が源頼朝の御家人:平山
  季重の子孫であると分かって、旅行は面白いなあ
  と思った。



・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
深谷上杉氏憲は小田原城に籠城した。
深谷城は重臣:秋元長朝が留守を守っていた。
上杉景勝、前田利家の西国軍に包囲された。
秋元長朝は攻め寄せる豊臣軍を相手に奮戦し、よく城を
持ちこたえた。敵将:前田利家と浅野長政の猛攻を
察知した。敵将浅野長政の説得で、秋元長朝は杉田因幡と
謀って開城した。深谷城&深谷城下を兵火から守った。
秋元長朝は嫡男:泰朝を小田原に預けていた。
しかし、本城小田原城の開城した。→後北条氏の滅亡。
その際に小田原に人質に出していた嫡子泰朝を取り戻した。

開城した秋元長朝は浅野長政の配下としてと忍城攻めに加わった。
その後、秋元長朝はしばらくは隠棲していた。 〜〜〜〜
秋元長朝は井伊直政の推挙を受けて徳川家康の家臣となった。
松平元康の家臣となった。


その後、井伊直政の配下として上野国碓氷郡(安中市中野谷)
に500石を与えられた。


尚、深谷上杉氏は豊臣秀吉に領地を没収された。
 上杉氏憲、憲俊の親子は信濃国(現長野市大豆島)に移住した。


・文禄元年(1592) 秋元長朝は井伊直政の推挙で上野国総社
 4千石を領した。
 
 嫡男:秋元泰朝は徳川家康の近習となった。
 
・慶長3年(1598) 井伊直政は高崎城の築城した。
   縄張りと長野堰の取水した水堀は早川幸豊の
  仕事であっただろう。
  長野堰からの引水計画工事=高崎城下の水路を設計施工した
  のが、秋元長朝&家臣:新井喜左衛門であろう。
   土木・水利事業を行った。
 高崎城下の水路の取水口が「新井堰」である。

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  (★長野堰〜新井堰〜高崎城の堀の取水口)
画像



・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い
 戦前に徳川家康の命で上杉景勝の詰問の使者として会津に赴いた。
  関東管領上杉氏の旧臣であるという縁から上杉景勝に帰降を促す
 使者を務めた。
 また、下野国小山での小山評定を受けて徳川勢が軍勢を西に転じた
 のち、下総国栗橋の関を守備して上杉景勝の南下を牽制した。

 戦後は徳川家康の命で上杉景勝に降伏の使者として会津に赴いた。
  正使として、上杉景勝に降伏を勧め、受け入れさせた。
 
・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻め
    →徳川家康の関東支配。
    蒼海城に諏訪安芸守頼忠(諏訪小太郎)が入城。
     蒼海城には諏訪頼水が入封。      
    (★諏訪高島城のパンフレットでは)
         
    長尾氏は石倉城(蒼海城支城:前橋市)に移封。
         普請開始。
    城地のうしとら(北東)の方に長屋を建て居住。
      (★「上毛伝説雑記拾遺」の「総社記」)
  
・慶長6年(1601)  井伊直政の近江の佐和山城18万石で
  移封。
   諏訪頼水が高崎城代となった。

    諏訪頼水が諏訪高島城へ移封。
   →秋元長朝が惣社(前橋市総社町総社神社本丸)入封。     
  秋元長朝は6千石が加増され1万石の所領の大名となった。
  

  秋元長朝は、灌漑用水が得られれば、・・・・
  水不足で荒れ果てた領地に用水をつくることを計画した。
秋元長朝は
 @天水に依存している田畑に用水を供給して、新田開発の計画
  を立案。
A総社城の用水+堀+城や城下町の放火用水の目的であった。
 しかし、水位の低い利根川の遙か上流から取水する大事業であった。
秋元長朝は総社領の東の端を流れる利根川から水を取ろうと考
 えた。しかし、土地が川の水位より高い位置にあったので、上流
 の白井領に水の取り入れ口をつくらなければ、水を引くことがで
 きなかった。
秋元長朝が井伊直政に「用水」開発の相談に行った。
  井伊直政は
 「雲に梯子をかけるようなもので、無理だろう。」
 と言ったという。
 井伊直政の嫡男:井伊直継に相手にされなかった。

 しかし、秋元長朝は必死で頼んだ。
 井伊直政&井伊直継は熱意に負けて仲介を引き受けた。  
 白井領主:本多広重の許しを得るために、井伊直継
 と秋元長朝は白井城に向かった。
 秋元長朝は井伊直継の仲介で本多広重と何度も話し
 合った。
 ★ちなみに、井伊直政の領土は、やまと時代の鎧の出た
  金井東遺跡や三国街道の金井の関(渋川市金島)まで
  支配し、白井藩と隣接していた。
 

 その結果、水の取り入れ口を白井領につくることが許された。
 そして、用水工事の測量を始めることができた。
 
 秋元長朝にとって用水づくりは経済的にも大きな負担であった。
 秋元長朝は領民に協力してもらうために、3年間年貢を取らない
 ことにした。
 ★偉いね。

B白井城主:本多広重の許可を得て、漆原村(現吉岡町)から用水を
 引くことにした。
  
 井伊直政は 近江国佐和山城に移っていった。
   井伊直政は18万石の佐和山城主となった。
    でも、石田三成の城が気に入らなかった。
    彦根城の築城の計画を立てた。


・慶長7年(1602)
3月24日 井伊直政が死んだ。
 
 嫡男:秋元泰朝は大番役になった。500石取りになった。

・慶長7年(1602) 〜慶長9年(1604) 天狗岩用水
春、利根川から引水する用水路工事が始まった。
  総社藩主:秋元永朝により開削された越中堀
   (利根川→総社→高崎藩領)
  『天狗来助』伝説・・・
「越中堀の工事の際、取水口の付近の大勢の人夫が力を
合わせても取り除くことができない巨岩があった。
その折、一人の山伏が忽然と現れ作業を助けたら、岩が動き
水路ができた。」
と言われる(伝)。
 秋元家家臣と農民が協力し、総力をあげて事業を成就。
 
・慶長9年(1604)、天狗岩用水の完成
 結果・・・2万7千余石の新田が開発された。
新田開発などの民政面にも努力したのだ。
※天狗岩用水と五千石用水の分岐(前橋市総社町)
●総社町の元景寺境内にある「羽階権現」
・・・総社の人々は天狗に感謝して、取り除かれた大きな岩の
 上に祠を建ててまつることにした。
●秋元氏の菩提寺:光厳寺の「力田遺愛碑」・・・
・安永5年(1776) 秋元長朝への感謝を込めて建立した。
慶長2年より172年後であった。
 力田遺愛碑を建てるにあたって、村々では農家一軒に
 つき、一にぎりの米を出し合った(伝)。
 農民が領主であった秋元長朝を慕したっていたのをを示す
 碑である。
 ★領民が領主の業績をたたえて建てた碑は非常に珍しい。

●新しい城地を植野勝山に定めて総社城を築城し、城下町の整備
 を行なった。
 総社城を築城→蒼海城は廃城となった。

・慶長10年(1604)江原源左衛門は関東郡代:伊奈忠次に
   滝川用水建設を進言した。

・慶長12年(1607) 江原源左衛門は総社藩:秋本長朝に
    用水計画を陳情した。
 →江原源左衛門は総社藩:秋本長朝に「用水開発人」に
    任命された。→用水工事開始。

・慶長12年(1607)〜慶長15年(1610) 滝川用水
 天狗岩用水から滝川用水への延長を実現させた。滝川村から
 玉村にかけて35kmの滝川用水のおかげで、1800ha総石高は
 11200石になったといわれている。当時の領民は私財を投げ打っ
 て偉業をたり遂げたした江原源左衛門の功績をたたえ、慈眼寺
 に生きている時に立てる逆修塔を建てた。
 ★高崎藩は酒井家次の時代であった。おそらくは
  江原源左衛門の父を長篠の戦いで殺した酒井忠次の嫡男
  であった。でも、滝川は高崎藩に入っていなかった。


・慶長19年(1614) 〜大坂の両陣にも従軍して功を挙げた。
豊臣家滅亡後の残党狩りも行った。
嫡男:秋元泰朝は大坂冬の陣の際、総堀の埋め立てに功があり
  上野・武蔵両国内で5千石を与えられた。

・元和8年(1622) 嫡男:秋元泰朝に家督を譲って隠居した。
 秋元泰朝は1万5千石となった。

・寛永5年(1628) 秋元長朝は総社城で病没した。享年83。
法名は江月院巨嶽元誉。
 ※墓は蛇穴山古墳の上にある。

・寛永10年(1633) 秋元泰朝は日光造営奉行の功で3千石を加増
 され、甲斐谷村(山梨県都留市)に転封となった。
  甲斐谷村藩1万8千石に移封。
 谷村では用水の開削を行い、城下の整備も兼ねて「谷村大堰」
 を開き、養蚕を奨励した。

●秋元富朝は富士山の雪代の出水によって流出する田畑を守る
 ため、赤松数万本を植林した「諏訪森」を造成した。

●秋元喬知(たかとも)は河口湖の水を富士吉田新倉村まで抜く
  「新倉掘抜(あらくらほりぬき)」を開削した。
 甲斐谷村藩→川越藩初代秋元家

・子孫は上野国館林で6万石を領した。館林藩秋元家初代。


箕輪初心●群馬【蒼海(おうみ)城 】千葉氏→長尾氏→諏訪氏
http://53922401.at.webry.info/201212/article_22.html
★秋元長朝は入った最初の城

箕輪初心◆群馬の古墳I「前橋:総社の古墳」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_30.html
★秋元長朝の墓(蛇穴山古墳の上)を掲載

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html
★天狗岩用水&滝川用水

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html
★秋元長朝の許可

箕輪初心◆群馬:佐渡奉行街道=沼田街道西通り
http://53922401.at.webry.info/201311/article_21.html
★秋元長朝の墓を掲載


【3】新井喜左衛門
「新井堰」の人脈と水脈:隠居の思ひつ記
http://inkyo.gunmablog.net/e65605.html
★「長野堰の絵図展」に関わったそうである。お会いしたかった
なあ。
※新井若狭守は和田城の和田信業(跡部資勝の息子)家臣で騎馬衆
を務めた。新井喜左衛門は新井若狭守の嫡男である。
●新井氏城(西横手町)いた説。
(★高崎市史説)(★『中世城館調査報告書集成』)
●「八幡屋敷」(貝沢)の説
(★めいど院高崎さんの説)
★「八幡屋敷」は源頼朝の重臣:安達盛長の屋敷で
あると言われている場所である。でも、私は八幡神社の近くの
八幡館を考えているが・・・

新井喜左衛門は和田信業家臣→井伊直政家臣
 →秋元長朝家臣になった可能性が高い。


●新井喜左衛門の功績
@長野堰からの高崎城下の重要な水源「新井堰」
・慶長3年(1598) 高崎城の築城
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A井野川からの「貝沢堰」
・慶長6年(1601) 秋元長朝が蒼海(おうみ)城に入封。
  新井喜左衛門は総社藩の秋元長朝と総社に移ったのだろう。
  総社城&天狗岩用水を造るには新井喜左衛門が必要だった。

・慶長7年(1602) 〜慶長9年(1604) 天狗岩用水
B利根川からの「天狗岩用水」
新井喜左衛門の技術力によるところが大きかったのであろう。

C★滝川用水の建設にも関与した可能性が考えられる。


●ちなみに、
長篠の鳶巣の戦いで、酒井忠次に殺された和田信業家臣の
反町の子どもは酒井家次の家臣であった。
また、高崎浜川の北爪砦の北爪九蔵も酒井家次の家臣に
なった。九蔵町の建設に繋がる。



◆参考文献・図書等
・「長野堰を語り継ぐ会」の資料
・井伊軍志
・高崎市史
・「天狗岩堰用水史」天狗岩堰土地改良区
・「前橋の文化財」前橋市教育委員会
・三百藩藩主人名事典
など多数。

◆参考サイト
「新井堰」の人脈と水脈:隠居の思ひつ記
http://inkyo.gunmablog.net/e65605.html





****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html


箕輪初心●群馬の城「和田城→高崎城」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_16.html
  (★高崎城の畝堀:発掘調査)

箕輪初心★箕輪城140【秋本太郎先生の箕輪城→高崎城+城下町】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_9.html

箕輪初心▲箕輪城153【長野氏の箕輪の寺社→井伊直政の
高崎移転の寺社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_15.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★西田美英【高崎素奈子】&川野辺寛【高崎志】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_14.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&
【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5〜7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
http://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html

箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html

箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介C「権田村での隠遁生活」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html

箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
http://53922401.at.webry.info/201310/article_19.html

箕輪初心◆高崎藩の中山道&三国街道・倉賀野宿&高崎宿
http://53922401.at.webry.info/201310/article_18.html

箕輪初心◆三国街道1:高崎〜金古〜渋川〜金井〜北牧
〜横堀〜中山峠
http://53922401.at.webry.info/201311/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_16.html

箕輪初心★高崎偉人伝「高崎五万石騒動」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_22.html

箕輪初心★榛名「元禄内野秣場騒動」&「中野秣場騒動&真下紋弥」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_23.html




〜〜〜旧高崎地区のメジャーな城〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★新編高崎市史資料編3には、旧高崎地区の城が154城紹
介されている。私は高崎の城154城のうち、80城近くは
行っている。有名な城は和田城→高崎城である。

箕輪初心●高崎の城一覧表「154分の71」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_15.html

箕輪初心●高崎の城一覧「154城」復刻版
http://53922401.at.webry.info/201410/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201410/article_16.html2014/10/14 06:53


箕輪初心★群馬『乗附城=寺尾上城詳細』&高崎観音
http://53922401.at.webry.info/201302/article_26.html

◆◆ 箕輪初心●群馬高崎:寺尾中城1回目 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_20.html

箕輪初心●群馬『寺尾中城2回目』=新田義重の城か?
http://53922401.at.webry.info/201302/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_27.html

箕輪初心●群馬の城「高崎の茶臼山城=寺尾城?」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_19.html

箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心●群馬:高崎「根小屋城」=水堀のある山城
http://53922401.at.webry.info/201102/article_28.html

箕輪初心●群馬高崎「山名城(寺尾下城)&山上の碑」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_21.html

箕輪初心●群馬高崎【大類城】&『大類氏の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201410/article_15.html

箕輪初心●群馬の城「高崎:倉賀野城関係」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_23.html

箕輪初心★高崎学「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html


★この期間中に懐かしい方々にお会い出てよかった
です。木内氏・小山夫妻・竹内氏・青木氏・関根氏・・・など。






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