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zoom RSS 箕輪初心▲北条早雲&伊豆の城B【韮山城】:早雲25年?49年間の城?

<<   作成日時 : 2015/03/14 06:51   >>

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韮山城は静岡県伊豆の国市韮山にあった城である。文明年間(1469〜86) 
堀越公方:足利政知の家臣:外山豊前守が築城した。(★「北条五代記」)
・延徳3年(1491)足利政知の死→堀越御所の内紛が起こった。7月1日 
足利茶々丸は義母:円満院と潤童子を殺害し、堀越公方家督を剥奪した。
・明応2年(1493)、 興国寺城にいた伊勢新九郎(北条早雲)は政知の子:
茶々丸を討った。明応3年(1494),韮山城を本格的に築城した。北条早雲
の関東経略の拠点として城となった。北条早雲は小田原城も攻略したが、
88歳説では39歳〜死ぬまでの88歳まで、49年間の城であったのであ
ろう。64年説では25年間であろう。
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 (★韮山城から館を望む)





〜〜〜戦国時代の伊豆・駿東〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html


箕輪初心▲伊豆【堀越公方:足利政知館】→北条早雲の襲撃
http://53922401.at.webry.info/201503/article_12.html

箕輪初心★北条早雲の生涯=伊豆・相模国盗り物語
http://53922401.at.webry.info/201309/article_25.html

箕輪初心▼相模&駿河【足柄城】:北条氏の武田氏対策の城
http://53922401.at.webry.info/201412/article_2.html

箕輪初心▼駿河:【深澤城】:今川義元→北条綱成→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_4.html

箕輪初心▲静岡裾野【葛山城】大森弟系葛山→北条綱成娘婿:
葛山広元→武田信玄6男
http://53922401.at.webry.info/201412/article_5.html

箕輪初心●静岡【興国寺城】:北条早雲築城→今川→
北条の塀和→武田信玄
http://53922401.at.webry.info/201412/article_6.html


〜〜〜〜おまけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心▲神奈川【河村城】:河村氏→上杉氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201412/article_1.html

箕輪初心▲神奈川【小田原城の歴史詳細】:大森氏→北条氏5代
http://53922401.at.webry.info/201411/article_26.html


箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html



■訪問日@・・・平成18年(2007)10月10日
■訪問日A・・・平成26年(2015)7月21日
@山木兼隆の後見人:堤信遠の館・・・推定の堤邸
 治承4年(1180) 目指して牛鍬大路を直進した。
 子の刻(午前0時)堤信遠の館前に集まった。
 佐々木定綱(長男)と高綱(4男)は館の裏手に回った
 経高(2男)は前庭にすすみ、それぞれ矢を放った。
仁田忠常が筏を組み、一番乗りした。

A香山寺:源頼朝に討たれた山木判官山木(平)兼隆の菩提寺
江川邸の前を左折し、東の山向かった。
江川邸からは5〜600m程であった。

B山木兼隆邸・・・江川邸からは300m程

C江川邸・・・
もう4時半を回り、江川邸には入れなかった。

D韮山城の散策2回目・・・
江川邸から城池に行った。
城池駐車場は5台くらいのスペースがある。

●隣に掘があった。
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●城池から江川郭を望む。
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●案内板
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●堰堤を行くと、登り口の表示があった。
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●右に入って、2〜3分登る。
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●四の郭・・・テニスコートに出た。
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●三の丸の虎口
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●三の丸=権現郭に出た。
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●大手道から上り口
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●堀切を越えた。
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●二の丸の坂を登った。
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●二の丸
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●二の丸から小さな堀切を越えると本丸だった。
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・複雑だった。
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▲本丸・・・でも、小さかった。
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・案内板
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●先に進んだ。
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●畝堀のような所があった。
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●一番先まで行った。
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▼下山・・・・戻った。
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●畝堀のような場所を通った。
・ヤマユリがきれいだった。
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●本丸→二の丸→三の丸

●堀から崖を下ってみた。
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●二の丸の東の切り崖
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●腰郭
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●駐車場


●韮山高校の方へ堀を見に行った。
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◆◆ 北条早雲&韮山城の歴史 ◆◆
・文明年間(1469〜86) 堀越公方:足利政知の家臣:外山豊前守が
  築城?
  (★「北条五代記」)

・延徳3年(1491) 足利政知の死→堀越御所の内紛
  7月1日 茶々丸は義母円満院と潤童子を殺害し、家督を剥奪。
 ・明応2年(1493)10月
  「堀越御館の乱」
  →腹違いの弟を殺したことに、伊豆の武士は猛反発。
   
 
・明応2年(1493) 北条早雲満37歳
 明応の政変
管領:細川政元が10代将軍義材(義稙)を追放した。
  茶々丸弟:清晃を室町殿(実質上の将軍)を擁立した。
  足利清晃は還俗して、義遐→義澄と名乗った。
  
  足利義遐=義澄は母と兄:茶々丸の敵討ちを命じた。
足利義澄は伊勢宗瑞(北条早雲)に茶々丸討伐を命じた。
  
  
  →伊勢新九郎(=北条早雲)は「不孝者・茶々丸の成敗」を
  大義名分に、伊豆の武士団を味方につけた。
  
伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆侵入を招いた。
 
@興国寺城説
 伊勢新九郎(北条早雲)は伊豆堀越御所足利政知の子:茶々丸を
急襲した。

A駿河の丸子城説
「伊豆討入りは、伊豆国の兵の多くが山内上杉家に動員され上野国
  の合戦に出て手薄になったのを好機とした。早雲の手勢200人と
  今川氏親に頼んで借りた300人の合わせて500人が、10艘の船
  に乗って清水浦を出港。駿河湾を渡って西伊豆の海岸に上陸した。」
    (★北条五代記)
伊勢新九郎家臣・・約200
今川氏親の家臣・・約300
  葛山氏は今川氏に命じられて援軍として参加している。
  その後、伊勢宗瑞=北条早雲の次男:氏時を養子にむかえた。

+触れを出した。西伊豆の水軍のメンバー以下の通りである。
@三津の松下三郎右衞門
A江梨の鈴木兵庫助
B土肥の富永政直
C田子の山本太郎左衛門
E雲見の高橋将監
E妻良の村田市之助
達の水軍が加わった。
大見の三人衆:梅原・佐藤・上村などが加わった。
 (★土肥の富永一族:土肥町教育委員会)
住民は海賊の襲来と恐れて家財道具を持って山へ逃げた。
  
茶々丸側の宇佐美能登守貞与の必死の抵抗があった。
宇佐美は戦死した。
  
※説1・・・自殺説
  足利茶々丸は御所の裏山の守山城に籠城後、
    守山城の麓の願成就院で自害。
  →伊勢新九郎が伊豆を支配。堀越御所も廃止。


※説2・・・茶々丸逃亡説
 北条早雲の兵は一挙に堀越御所を急襲して火を放ち、茶々丸は山中
   に逃げ自害に追い込まれた。」
   (★北条五代記)

●茶々丸は堀越御所から逃亡して、武田氏、関戸氏、狩野氏、
   土肥氏らに守られて、中伊豆から南伊豆に逃亡した。

※説3・・深津城逃亡後自殺説
  下田の堀の内に「茶々丸の墓」があり、深津城の関戸氏が
   かばったという説もある。
  (★下田市教育委員会)

  後に、抵抗する関戸吉信の深根城=深根津城(下田市)を
  攻撃して皆殺しにした。3000人とも言われている
   (★下田市教育委員会)

※説4・・・三浦家逃亡説
    茶々丸はさらに、三浦氏隠れた説もある。
     後日、三浦義同(道寸)は北条早雲の援助を受け、
     三浦時高を茶々丸のいる新井城を攻撃し、奪取した。
(★漫画「北条早雲)

※説5・・・甲州武田逃亡説
   茶々丸はさらに、甲府に逃れて、今川氏親&北条早雲に
      討たれた説もある。
(★ウキペディア)

・明応3年(1494)
韮山城を本格的に築城し韮山城を居城とした。
北条早雲は伊豆:韮山城(現伊豆の国市)を新たな居城として
  伊豆侵略の拠点となった。

●富永政直は興国寺城代になった。
(★富永一族の歴史:土肥町教育委員会)

北条早雲は伊豆国の統治をし始めた。
  
@高札を立ててた。北条早雲は
  「味方に参じれば本領を安堵する。参じなければ作物を荒らして
  住居を破壊する。」
  と布告した。
  
 A分国法=早雲寺21ヶ条を制定した。
  兵の乱暴狼藉を厳重に禁止した。
  

 B病人を看護するなど善政を施した。
  風土病があったので、薬を配った。
  →暴君:茶々丸の悪政に苦しんでいた伊豆の武士や領民は
  たちまち北条早雲に従った。
   (★漫画:北条早雲)

 C伊豆国内で四公六民の税制などを行い、領民の支持を得た。
  ※「堀越公方家の重い税制を廃して四公六民の租税を定めたので、
  領民は歓喜し、伊豆一国は30日で平定された」と言われるが、
  江戸時代の軍記は違っていた。
 

 北条早雲は伊豆の国人衆を味方につけながら、徐々に南下した。
  茶々丸方を追い込んでいった。

    
●北条早雲はさらに5年かかって、全伊豆を平定した。


 伊勢新九郎(北条早雲)は大森氏の小田原城奪った。
 後北条の本拠地とした。

・永正16年(1519) 北条早雲は88歳(64歳?)没するまで韮山で
 隠居した。


・天正18年(1590)  豊臣秀吉の小田原攻め
  韮山城に豊臣秀次の軍勢約4万4千の大軍で韮山城攻撃。
  →城主北条氏規が3600余りの将兵で4ヶ月籠城。
  大きな戦力差のなかで約百日間も持ちこたえたが、
ついに開城した。
  徳川家康との和議。
  →徳川家康は内藤信成を1万石の城主として入封させた。

・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い
   →内藤は駿府へ→廃城。





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