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zoom RSS 箕輪初心★源頼朝37【i治承4年(1180)石橋山の戦い・平氏側参加者一覧】

<<   作成日時 : 2015/02/27 06:55   >>

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★治承4年(1180)8月17日、源頼朝も挙兵、23日、石橋山の戦い、
相模国の住人:大庭景親・俣野景久・河村義秀・渋谷重国・糟屋盛
久・海老名季員・曽我助信(祐信)・瀧口経俊・毛利景行・長尾為
宗と定景・原景房と義行・熊谷直實
など平家に仕える武
者は3000余騎の精兵も同じく石橋山(谷の北側)に布陣した。
源頼朝に志を通じる飯田五郎家義も大庭景親軍に加わって
いた。大庭系の梶原景時も加わっていた。伊東祐親は300余騎
を率いて源頼朝軍の背後に布陣した。しかし、畠山重忠は間に合
わなかった。
画像



 (神奈川県小田原市石橋山)




【1】プロローグ
・治承4年(1180)8月6日、源頼朝は挙兵決行の日を「来る(8月)17
日の寅ノ刻(午前四時)と決めた。しかし、伊豆・相模周辺は8月15
日から雨天が続いていた、前日の16日になっても、三浦軍と連絡が取
れない状況であった。三浦軍は海路、相模湾を渡る予定が、折から風雨
が強く予定の時刻におくれていたのだ。(★「吾妻鑑」) 三浦軍が陸路
を選んだことや石橋山合戦が豪雨の中だったのを考えると、台風の接近
あるいは余波の影響だったと推定できる。悪天候のため、早朝の朝駈け
=寅ノ刻(午前四時)韮山で挙兵し山木兼隆邸&後見人堤邸を襲う当初
の予定は幸か不幸か相模国渋谷荘からの佐々木4兄弟参加が洪水で遅れ
た。しかし、決行を引き延ばすと、平家方に露見する恐れがあるため、
17日の夜討に決定した。約18時間の順延となった。結局、約24時
間後、伊豆目代:目代山木兼隆を討つとった。  


8月19日、早朝、源頼朝は首検分をした。
※目代:山木兼隆を倒しても源頼朝の兵力のみで伊豆1国を
  掌握するにはほど遠かった。
  平家方の攻撃は時間の問題であった。

  三浦義澄・和田義盛らの三浦一族が源頼朝に参じる
  べく三浦を発した。
  途中、弟の大庭景親の郎党の館に火を放った。
  (★おそらくは曽我邸?) 
  
  三浦義澄一族は台風のために合流が遅れた。
  源頼朝は相模の三浦一族を頼みとしていたがなかなか参着
  してこなかった。




【2】承の章  
8月20日(9月18日) 源頼朝は相模へ〜〜〜〜 
兼ねてから打ち合わせていた三浦義明の一族が台風で遅れているため、
源頼朝は伊豆と相模の御家人だけを率いて相模国土肥肥郷に向った。
従う者は
北条四郎時政と三郎宗時と四郎義時、平六時定、籐九郎盛長、工藤茂
光と五郎親光、宇佐美助茂、土肥實平と遠平、土屋宗遠と義清と忠光、
岡崎義実と義忠(佐那田)、佐々木定綱と経高と盛綱と高綱、天野遠
景と政景と光家、宇佐美政光と實政、大庭景義(景親の兄)、豊田景
俊(景親の兄)、新田忠常、加藤光員と景廉と景員と、堀親宗(親家)
と助政、中村景平と孫:盛平(宗平長男重平の子)、鮫島宗家、七郎
武者宣親、大見家秀、近藤七国平、平佐古為重、那古谷頼時、澤宗家、
義勝房成尋、中惟重と惟平、新藤次俊長(鎌田正清の子)、小中太光
家・・・これら頼りになる者たちが家を忘れ親を忘れて戦う、と。
  (★吾妻鏡)
土肥実平は嫡男:土肥遠平ら中村党を率いて参じた。
※相模・伊豆の有力な源氏方であった鎌倉党や工藤党が
  内部分裂したが・・・
 中村党は土肥実平を中心に一団となって参じた。
 
源頼朝は、伊豆韮山から北条時政以下46騎を従えて、
 相模国土肥郷(神奈川県湯河原)を目指した。
源頼朝率いる軍勢は韮山の奈古谷高岩寺
〜函南〜熱海旧街道日金道〜平井郷)軽井沢〜日金山。
・・・東光寺で武運を祈った。土肥郷(現湯河原)に下った。
土肥実平一族の神社で戦況祈願をした。
@東光寺=土肥氏菩提寺&神社
A五所神社の社伝説・・・源頼朝勢は社殿で戦勝祈願をした。
韮山の奈古谷高岩寺から土肥郷までの距離は約25kmである。

8月21日 源頼朝は土肥氏館で三浦義澄を待った。  
しかし、来援を約束していた三浦勢がなかなか来なかった。
五所神社?で陣容を整えて石橋山に向って出陣した。

8月22日  
  これに対して、平家方の大庭景親が俣野景久、渋谷重国、
  海老名季員、熊谷直実ら3000余騎を率いて迎撃に向か
  った。

 土肥郷から石橋山までは山越えの道は約15kmある。


【3】転の承 
8月23日 石橋山(神奈川県小田原市)の戦い 
 源頼朝は300騎で石橋山の山上に本陣を構えた。
  そして、以仁王の令旨を御旗に高く掲げさせた。

 源頼朝の挙兵を知った大将大庭景親を先頭に、熊谷直実など
 3000余騎が各地から駆けつけた。
 
 大庭景親軍は谷ひとつ隔てて石橋山の麓に陣を構えた。
 伊豆国の伊東祐親も300騎を率いて石橋山の後山まで
 進出して、源頼朝の背後を塞いだ。

寅の刻(朝4時頃)、源頼朝は北條時政親子・安達盛長・工藤(狩野)
茂光・土肥實平ら300騎を率いて相模国石橋山に布陣した。
以仁王が発行した令旨を旗の横上に付けて中四郎惟重が掲げ、頼隆が
矢に白布を付け頼朝の後に控えた。
相模国の住人大庭景親・俣野景久・河村義秀・渋谷重国・糟屋盛久
・海老名季員・曽我助信(祐信)・瀧口経俊・毛利景行・長尾為宗と
と定景・原景房と義行・熊谷直實など平家に仕える武者は
3000余騎の精兵も同じく石橋山(谷の北側)に布陣した。



【1】平家側
1)相模の武士
@大庭三郎景親・・・大庭御厨(藤沢市大庭):大庭氏族大庭流
 大将だった。
 大庭家3男:大庭景親が大庭家を継いでいた。
 (★平清盛の承認があったから・・)
 平治の乱で死罪のところを、平清盛に助けられた。
 ※大庭景義(景親の兄)、豊田景俊(景親の兄)・・源頼朝側

A俣野五郎景久・・・俣野郷(横浜市戸塚区俣野町)大庭景親弟


B河村義秀・・・・・河村郷(山北町川村)
  秀郷流波多野系河村氏

C渋谷重国・・・・・渋谷荘(藤沢市長後)秩父氏系渋谷氏
渋谷重国・・・娘は佐々木秀義(4兄弟の父)に嫁いだ。
外孫:佐々木家5男:佐々木義清

(近江源氏佐々木秀義の子息「佐々木四兄弟」)
★佐々木秀義の妻は渋谷義国の娘
渋谷義国&外孫:佐々木秀義5男:佐々木義清
 (妻は大庭景親の娘)は大庭景親についた。

 ★渋谷重国の5男:飯田家重・・妻は大庭景親の娘
  石橋山で逃がした。後、源頼朝家臣。

 ※27佐々木定綱 28佐々木経高 29佐々木盛綱 30佐々木高綱は
   源頼朝についた

  

D長尾為宗・・・・・長尾郷(横浜市栄区長尾台)
長尾為宗とE長尾定景・・・大庭氏系長尾流

F糟谷盛久・・・・・糟谷荘(伊勢原市糟谷)

G海老名季貞・・・・海老名郷(海老名市)横山党

H曽我助信・・・・・曽我荘(小田原市曽我)曾我兄弟義父

I山内首藤瀧口経俊・山内荘(鎌倉市山内&横浜市栄区笠間)

J毛利景行・・・・・毛利荘(厚木市毛利台):毛利元就の先祖

K原景房とL原義行・・惟宗氏

2)武蔵の武士
M熊谷直実・・・(武蔵:現熊谷市)私市党
★この時は敵だっだ。後、源頼朝家臣。
 景親軍「三千余騎」として記載されている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 次は吾妻鏡の途中から現われる参軍者。

N飯田五郎家義・・・飯田郷(鎌倉)渋谷重国5男
源頼朝に志を通じる飯田五郎家義も馳せ参じようとしたが、
 館が鎌倉郡飯田郷にあり、大庭景親軍の進軍ルートであった。
 南の俣野景久と南西の大庭景親にやむを得ず大庭勢に加わっ
 ていたのだ。
 妻は大庭景親の娘であった。
 ※石橋山で源頼朝ら逃がし道案内をした。後、源頼朝家臣。
 その後、富士川合戦などの功績により飯田郷を安堵され、
 ・正治2年(1200)には駿河まで落ち延びた梶原景時一族の討伐
  に加わり大岡荘(沼津市北西部)の地頭職に任じられた。

O梶原平三景時・・・梶原荘(鎌倉梶原)大庭系梶原氏
★源頼朝を※石橋山で見逃がした。後、源頼朝家臣。


P荻野俊重・・・・相模:横山党
 海老名季貞の子:荻野俊重は石橋山では大庭景親方に
 ついていた。
 大勢を見て、10月18日に降伏した。
 11月12日 荻野俊重が斬首された。
 子:荻野景員&景継は没収地を再給付された。
 (★『吾妻鏡』)



3)伊豆の武士
Q伊東祐親R2男:伊東祐清・・・300騎
※狩野茂光の一族であった。しかし、娘:八重姫が源頼朝の
 子:千鶴丸を生んだ。伊東祐親は千鶴丸3歳の時を川に沈めた
 =殺した?

源頼朝には、狩野茂光・親光、宇佐美祐茂がついていた。
 ある系図によれば
 @長男:伊東祐親・・・平氏系
 A次男:宇佐美祐茂・・源頼朝系
 B3男:狩野茂光・・・源頼朝系
★系図がいろいろあるんで、有力系図から表示してみた。
 伊東祐親は300余騎を率いて源頼朝軍の背後に布陣した。
.

4)武蔵の武士
  畠山重忠・河越重頼・江戸重長
 ★畠山重忠は石橋山に間に合わなかったので、後日、三浦
 一族の衣笠城を攻撃した。三浦義澄の父:義明だけが残って
 殺された。畠山重忠の妻の父であった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
※石橋山古戦場
 JR東海道線の早川駅と根府川駅のちょうど中間である。
 現在は旧道の周囲にはミカン畑が続き、近在の集落には
「すけどの」や「ねじりばた」など合戦の名残を伝える地名が
 残っている。佐奈太与一義忠を祀った佐奈田霊社がある。
画像



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夕刻が近くなり、三浦勢は丸子河(酒匂川)で宿営して大庭景親に
与する者の館を焼き払った。
 '(★「吾妻鏡」)
★おそらくは大庭景親の味方:曽我祐信の館であろう?
石橋山までは10km〜15km程である。
だから大庭景親が煙が遠望できる距離だったのであろう
13年後の「曽我の仇討ち」の曽我兄弟の養父である。


大庭景親は煙を見て三浦勢の接近を確認した。
★しかし、台風?大雨で本当に見えたのであろうか?
 かいた人の作り話かもしれない。

大庭景親らは
「明日になれば三浦の衆が加わって面倒になる。既に夜だが、
合戦を遂げてしまおう。」
と決めた。

そして、源頼朝陣に攻め込むことにした。



【3】転の章.
夜、雨が激しく降りだした。
 三浦義澄軍250騎が遅参していた。

源頼朝は三浦の軍勢と合流しないと命が危ない状況であった。

大庭景親は、源頼朝と三浦軍が合流するのを恐れ、夜討ちを
決行した。


闇夜の暴風雨の中を大庭軍は頼朝の陣に襲いかかった。

  北条時政 VS 大庭景親
「言葉戦い」をした。
大庭景親は
  「後三年の役で奮戦した鎌倉景政の子孫である。」
  と名乗った。
  北条時政が
  「かつて、源義家に従った鎌倉景正の子孫ならば、
   なぜ源頼朝公に弓を引くのか。」
   と言い返した。
  大庭景親は
  「昔の主でも今は敵である。平家の御恩は山よりも高く、
   海よりも深い。」
  と応じた。
 (★『平家物語』)
★北条時政は先陣だった。


 石橋山は現在は「みかん畑」・・・非常に急斜面である。
 ★早川蜜柑・・・美味しいよ。

・・・真っ暗やみの土砂降りの中を,何時間も急斜面を
 上ったり降りたりしながら戦っていたのだ。

石橋山頂上付近の林・・・
  源頼朝一行は必死に逃げた。


 源頼朝の軍勢300余騎は大庭景親率いる平家方3000余騎と
 相模国石橋山で対陣した。
佐奈田与一義忠の奮戦は父・岡崎義実の推挙により、
源頼朝は武勇優れる佐那田義忠に
「大庭景親と俣野景久(景親弟)の2人と組んで源氏の高名を立て
よ。」
と先陣を命じた。
佐那田義忠は討ち死にを覚悟し、57歳になる郎党:文三家安に
母と妻子の事を頼もうとした。文三家安は義忠が2歳の頃から
親代わりにお育てしたのだからお伴をして討ち死にすると言い
張り、佐那田義忠は許した。

源頼朝は佐那田義忠に
「装束が華美で目立ちすぎるだろうから着替えしなさい。」
と助言するが、佐那田義忠は
「弓矢を取る身の晴れの場です。戦場に過ぎたることはありますまい。」
と言った。
白葦毛の名馬にまたがり、15騎を率いて進み出て名乗りを上げる。
大庭勢はよき敵であると見て大庭景親、俣野景久、長尾新五、新六ら
73騎が襲いかかった。

合戦は夜間に行われた。その上に大雨で敵味方の所在も分からず
乱戦となった。
佐那田義忠は郎党の文三家安に
「大庭景親か俣野景久と組まんと思っているから、組んだならば
直ちに助けよ。」
と命じた。
すると、敵一騎が組みかかってきた。
佐那田義忠は組み伏せて首をかき切るが岡部弥次郎だった。
佐那田義忠は首を谷に捨ててしまった。
●佐那田与一神社
  佐那田(真田)与一忠義は一たんは敵をねじ伏せた。
  しかし、血で固まって抜けなくなった小刀を必死に抜こう
  としている間に別の武士によって殺されてしまった。
  北条宗時(北条時政の長男)も討ち死にした。
@佐那田与一が殺された付近・・・佐名田与一を祭る廟の位置
画像

A佐那田与一が眠る与一塚・・・遠く相模湾が見渡せる。
画像

※佐奈田義忠(さなだ よしただ)は、岡崎義実の嫡男。
真田義忠(『吾妻鏡』)、岡崎義忠とも称される。
 (★『源平盛衰記』)。
箕輪初心▲神奈川伊勢原「岡崎城」:岡崎氏→三浦氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201411/article_23.html

箕輪初心●埼玉深谷市普済寺【岡部氏館】&岡部忠澄の墓
http://53922401.at.webry.info/201406/article_19.html


闇夜の乱戦の中、敵を探していると目当ての俣野景久と行き会った。
2人は馬上組みうち、地面に落ちてころげ、泥まみれになった。
格闘の末、佐那田義忠が俣野景久を組み伏せた。
暗闇のためにどちらが上か下か分からず、文三家安も景久の郎党
も手が出せない。
俣野景久は敵わじ(勝てない)と思い、叫び声を上げた。
長尾新五が駆け付けるがどちらが上下か分らない。
長尾新五は
「上が敵ぞ?下が敵ぞ?」
と問うと、佐那田義忠は咄嗟に
「上が景久、下が与一」
と言った。驚いた俣野景久は
「上ぞ与一、下ぞ景久、間違えるな。」
と言った。
長尾新五は手探りで鎧の毛を触った、上が佐那田義忠と見当をつけ
た。佐那田義忠は長尾新五を蹴り飛ばし、短刀を抜いて俣野景久の
首をかこうとするが、不覚にも鞘ごと抜き放って刺さらなかった。
鞘を抜こうとするが、先ほどの岡部の首を切った時の血糊で鞘が
抜けなかった。
そのうちに長尾新五の弟:新六が背後から組みかかってきた。
佐那田義忠は首を掻き切られて討ち死にした。
享年25。
なお、主人を失った文三家安は奮戦して稲毛重成の手勢に討たれた。
(★『平家物語』・『源平盛衰記』より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


源頼朝軍は力戦するが多勢に無勢で敵わず、岡崎義実の子:
  佐奈田与一義忠らが討ち死にして大敗した。
  ・・源頼朝は大敗北した。
(★『平家物語』、『源平盛衰記』)
 

 大庭軍は勢いに乗って追撃し、源頼朝に心を寄せる大庭軍の
 飯田家義の手引きによって辛くも土肥の椙山に逃げ込んだ。
 飯田家義は源氏の再興を望んでいたと思われるが、妻は大庭
 景親の娘であった。
 飯田家義は、意を決し、源頼朝軍の味方をした。また、合戦
 の際に源頼朝が紛失した数珠を飯田家義が拾って届けたところ、
 源頼朝は大いに喜んだ。
 この数珠は、源頼朝が普段から持ち歩いていたもので、狩りな
 どで相模国の武士達は皆見知っていたという。
 飯田家義は随行を申し出た。しかし、「敗走に
  際して目立つといけない。」という土肥実平の進言から、
 別れた。
 
 源頼朝は土肥実平ら僅かな従者7名と共に山中へ逃れた。


8月24日 大庭軍は追撃の手を緩めなかった。
  頼朝軍の残党は山中で逃げ回って激しく抵抗した。
  源頼朝も弓矢をもって戦った。
  源頼朝軍の武士達はおいおい、源頼朝の元に集まった。
  
加藤景員や宇佐美祐茂は
  「源頼朝と行動を伴にしたい。」
  と申し出た。
  
土肥実平は加藤景員や宇佐美祐茂に対して、
「今は敵に見つからないようにバラバラに逃げることが
 大事である。人数が多くてはとても逃れられない。
 源頼朝一人ならば命をかけて隠し通すので、皆はここで
 別れよう。」
と雪辱の機会を期すよう進言した。
(★『吾妻鏡』治承4年8月24日条)
皆これに従って涙を流して別れた。
  
「兵衛佐殿に相従いて山に籠りける者は、土肥次郎実平・同男遠平
・新開次郎忠氏・土屋三郎宗遠・岡崎四郎義実・藤九郎盛長なり」
 (★『源平盛衰記』)
源頼朝軍が衆寡敵せず、分散して、退却することにした。
 源頼朝主従は、やっと朽木の洞に身を潜めることがで
 きた。

安達盛長が
「もはやこれまでか?」
と言った。
「佐殿の前で、何を申すか?」
  
 源頼朝が箱根山で自害を覚悟した際に土肥実平が自害の作法
 ・故実を伝授した。
 (★『愚管抄』巻5)

大庭軍は山中をくまなく捜索した。
 大庭軍の梶原景時が源頼朝の居場所を突き止めた。
 
しかし、梶原景時洞穴に身を隠している源頼朝の目と会った瞬間、
梶原景時は
「蜘蛛の巣だらけじゃ・・・・・・・」
と知って知らぬふりをした。梶原景時は
「人跡なく、向こうの山が怪しい。」
「ここにはいない、別な山だ。」
と言って、追っ手を率いて、その場を立ち去った。
(★某歴史漫画)

梶原景時はと大庭景親を導き、源頼朝の命を救ったのである。

●土肥の椙山の「しとどの窟」
  エピソード=伝説の地として伝わっている。
 源頼朝主従が「しとどの窟」に隠れていたのを梶原景時が
 見逃した。
(★『源平盛衰記』)

★先頭にいた梶原景時に見つかってしまった。
 この時、梶原景時が
「源頼朝を見つけたぞ」
と言えば、歴史は大きく変わっていたであろう。

「慥かに御在所を知ると雖も、有情の慮を存し、此山人跡無しと
 称し、景親の手を曳いて傍峯に登る。」
 (★『吾妻鏡』)

★梶原景時は平氏での自分の出世を棒に振った。源頼朝と会った
 瞬間、助けてしまった。しかしこれが縁で後に梶原景時は源頼
 朝から重用されることになったのだが・・・・・・・。

 源頼朝&土肥実平の一行は箱根権現社別当:行実が
 探し当ててくれた。
 行実・永実兄弟の箱根神社の宿坊に匿われた。

●北条時政と2男:義時は甲斐国武田に向かった。
 しかし、嫡男:北条宗時は別路を向かったが、伊東祐親の
 軍勢に囲まれて討ち死にした。


8月25日 箱根神社泊
源頼朝は数日間の箱根山中逃亡・・・死を逃れた。

8月26日 しとど窟泊
 ※土肥実平の妻が夕飯を届けたと言われてている。
「しとどの窟」に食糧を運んだ。
そして、大庭軍の目が遠ざかったのを見はからって、真鶴半島
  まで駆け下った。

荒井城前〜詠い坂〜

8月27日 岩海岸の洞窟泊
土肥実平は船の用意をした。



【4】結の章
8月28日 真鶴岬の北の付け根:岩
(神奈川県真鶴町)から船で安房国へ脱出した。
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 ※後に助けた岩の漁師には年貢がかからなかった。 
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〜〜〜三浦義澄 VS 畠山重忠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8月25日 小坪の合戦
  三浦義澄 VS 畠山重忠
 
8月26日 三浦義澄は、衣笠城に籠城した。
  三浦一族の長老三浦介義明(89歳)を残して、船で
  安房に逃れた。
 北条時政らも引き返して船を仕立て、海上で三浦一族と
 合流し、安房国を目指して落ち延びた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜河内源氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【1】源氏系図
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』
=長田忠致の裏切り
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do


〜〜〜源頼朝&伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝@伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心★源頼朝A伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝B【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝C「治承4年(1180)8月17日の挙兵
〜19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝D【治承4年(1180)8月19日〜22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝E【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝F治承4年(1180) 8月24日逃亡〜梶原景時
〜土肥城〜箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝G治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html

箕輪初心▲源頼朝H【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の
裏切り
http://53922401.at.webry.info/201501/article_23.html

箕輪初心◆源頼朝12:『治承4年(1180)8月29日房総
〜関東平定』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲源頼朝13【挙兵〜関東平定&坂東武者の思惑】
素案
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_29.html

箕輪初心★源頼朝15【愛のキューピッド:安達盛長】
:鴻巣放光寺→伊豆→甘縄→高崎八幡
http://53922401.at.webry.info/201501/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝16【仁田忠常】&伊豆函南【仁田館】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_31.html

箕輪初心▲源頼朝17【肥田宗直】&伊豆函南「肥田館」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_32.html

箕輪初心▲源頼朝18【治承3年の政変〜以仁王&源頼政の
思惑〜源頼朝の挙兵】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_1.html

箕輪初心★源頼朝19【北条時政の思惑@】&伊豆長岡【北条館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_2.html

箕輪初心▲源頼朝20【北条時政の思惑A】&伊豆【願成就院】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_3.html

箕輪初心★源頼朝21【正妻:北条政子】結婚〜恐妻〜尼将軍
http://53922401.at.webry.info/201502/article_4.html

箕輪初心★源頼朝21【義弟:北条義時】:武家政権確立&
伊豆『北条寺』
http://53922401.at.webry.info/201502/article_5.html

箕輪初心★3代目執権【北条泰時】:御成敗式目の作成
http://53922401.at.webry.info/201502/article_6.html

箕輪初心★鎌倉幕府の執権:北条氏一覧
http://53922401.at.webry.info/201502/article_7.html

箕輪初心▲源頼朝21【狩野茂光】&伊豆【狩野日向館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_9.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉@】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_10.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉A】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_11.html

箕輪初心▲源頼朝26【田代冠者信綱】&伊豆の田代砦
http://53922401.at.webry.info/201502/article_12.html

箕輪初心▲源頼朝27【武闘派:天野遠景】:狩野茂光の娘婿?
http://53922401.at.webry.info/201502/article_13.html

箕輪初心★源頼朝28【大見家政&家秀】&伊豆【大見城】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_14.html

箕輪初心★源頼朝29【側近:近藤七国平】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_15.html

箕輪初心▲源頼朝30【25臣の1人:宇佐美祐茂】&「宇佐美城」
http://53922401.at.webry.info/201502/article_18.html

箕輪初心★源頼朝31【寵臣:工藤祐経→曾我兄弟の仇討ちで死亡】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_19.html

箕輪初心★源頼朝32【伊東祐親→河津祐泰の死→曽我兄弟の仇討ち】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_20.html

箕輪初心★源頼朝33【源義朝重臣:鎌田政家の子:鎌田俊長】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_21.html

箕輪初心★源頼朝34【小間使&密偵?→文官:小中太(中原)光家】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_22.html

箕輪初心★源頼朝35【伊豆挙兵時の参加者名簿&国別一覧】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_24.html

箕輪初心▲源頼朝36【葛城山 (伊豆の国市):源頼朝ゆかりの地?】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_25.html


〜〜〜源頼朝の一族〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●源義朝妻 
  正室:藤原季範娘(由良御前)
  側室:常盤御前、三浦義明の娘、波多野義通の妹
   遠江国池田宿遊女、青墓長者大炊 

●源義朝の子ども
長男:義平・・・・三浦義明娘説が有力。源義賢を討った。
次男:朝長・・・・波多野氏の妹*娘?豪族と婚姻関係を結んだ。
3男:頼朝・・・・母:藤原季範の娘=由良御前★身分が高い。
4男:義門
5男:希義
6男:範頼・・・・母:池田宿(=磐田市)の遊女?
7男:阿野全成
8男:義円
9男:義経・・・・母:常盤御前
長女:坊門姫
次女:女子?
箕輪初心▲埼玉北本『石戸堀ノ内館=伝:源範頼館館』
http://53922401.at.webry.info/201408/article_17.html

箕輪初心★板東11番巌殿山【安楽寺】&源範頼
http://53922401.at.webry.info/201406/article_22.html

箕輪初心●栃木【白旗城】&源頼義/源義経/松尾芭蕉
も余瀬に滞在
http://53922401.at.webry.info/201401/article_21.html


〜〜〜源頼朝の準一族【新田一族】〜〜〜〜〜〜〜
●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜
箕輪初心★「2代目里見義成」=源頼朝の側近
http://3922401.at.webry.info/201309/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

●【3】山名氏関係:山名義範〜矢田氏関係
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html
※矢田館が入っている。


〜〜〜源義賢&木曾義仲公の関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★【木曾義仲B】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
http://53922401.at.webry.info/201406/article_16.html

箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html



〜〜〜源頼朝の乳母&側近〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲坂東9番:都幾山慈光寺&比企能員館
http://53922401.at.webry.info/201406/article_20.html

箕輪初心●坂東10番巌殿山:正法寺&比企能員
http://53922401.at.webry.info/201406/article_21.html


〜〜〜源頼朝の御家人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心■埼玉川本【畠山重忠公史跡公園】
:畠山重忠公生誕の地
http://53922401.at.webry.info/201407/article_16.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

箕輪初心★熊谷:熊谷次郎直実&熊谷寺
http://53922401.at.webry.info/201408/article_25.html

箕輪初心▲熊谷:【中条氏館】:常光寺&中条家長&子孫
http://53922401.at.webry.info/201409/article_1.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心▲埼玉騎西【多賀谷氏館】&多賀谷一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201408/article_23.html


〜〜〜〜那須一族関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心★那須一族の歴史=〜2代:那須与一宗隆〜31代
http://53922401.at.webry.info/201401/article_19.html

箕輪初心★栃木:【那須与一伝承館】&与一の信憑性
http://53922401.at.webry.info/201401/article_15.html

〜〜〜宇都宮一族〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●栃木:『宇都宮一族の歴史』&【宇都宮城&多気山城】
http://53922401.at.webry.info/201312/article_23.html

〜〜〜伊達氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●栃木【中村城】:伊達政宗の先祖が築いた城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_25.html

〜〜〜小山氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★栃木【祇園城=小山城】&小山一族の
栄枯盛衰の歴史  
http://53922401.at.webry.info/201312/article_10.html


〜〜〜〜足利氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●足利氏館跡:足利尊氏を輩出した城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201311/article_5.html

箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html


  

〜〜〜源頼朝に敵対した人物〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html








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