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zoom RSS 箕輪初心★源頼朝34【小間使&密偵?→文官:小中太(中原)光家】

<<   作成日時 : 2015/02/22 19:55   >>

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★小中太(中原)光家・・治承4年(1180) 8月17日源頼朝挙兵の前の
6月、安達盛長と小中太光家は源頼朝の命により、坂東武士の御家
人召集の密使として働いた。寿永元年(1182) 源頼朝も信頼厚く、源
頼朝の愛妾:亀の前を自邸に匿っていた。文治2年(1186)源頼朝の使
節として上洛した。建久2年(1191) 政所知家事に任ぜられた。簡単に
いうと、源頼朝の「雑色=小間使い」→密使役→上級文官になった。
★言わば、影の男=忍者のような存在であったのではないだろうか?
従って、源頼朝や安達盛長の下男のような存在であったのであろう。
でも、結果的には出世した。
画像

 (★鎌倉時代の大鎧ではない。)



◆◆ 小中太(中原)光家の生涯 ◆◆ 

・治承元年(1177) ?源頼朝は北条館に行った。
 源頼朝は蛭ヶ小島に館を構えた。
★個人的な考えだと北条時政館の一部、伝堀越公方館付近
あるいは北条政子の産湯付近、あるいは産湯&八幡神社の
間か?
小中太(中原)光家は下男として働いていたのではないだろうか?




・治承2年(1178)
※源頼朝は蛭ヶ小島からいろいろな場所を訪ねたであろう。
安達盛長&小中太光家がお供であったのだろう。
〇箱根・・・箱根神社
@三島・・・三島神社
A函南・・・安達盛長邸&比企尼邸・仁田忠行邸・肥田邸
B韮山・・・北条時政館・江間館・天野館?
C修善寺・・修善寺・加藤景廉邸・工藤系狩野茂光邸
E河津・・・白浜神社
F松崎・・・円通寺
G東伊豆・・阿多美・伊豆山神社


※良橋太郎入道の娘:亀ノ前とできちゃった。
小中太光家が逢い引きの手引き祖をし、時にはH場所に
  なったのであろう。想像の領域をでないが・・・。



・治承4年(1180)
4月27日 源頼朝の叔父:源行家は蛭ヶ小島を訪れた。
   伊豆国の源頼朝に叔父:源行家より令旨が 
     届けられた。
 
     源頼朝は事態を静観していた。

5月10日 下河辺行平は
「源頼政の挙兵がある。」
と伝えた。

5月下旬 以仁王の挙兵
 しかし、挙兵計画が平氏に発覚してしまった。
 以仁王と源頼政は準備不足のため、
 以仁王は一端、近江の園城寺に逃れた。
 そして、平氏の追討を受けて宇治で戦死した。

伊豆国は平時忠の知行国になった。
 平時忠の子:平時兼は伊豆守になった。
山木(平)兼隆が目代になった。

 伊豆国では目代:山木(平)兼隆は急速に伊豆で勢力を振る
うようになっていった。
 また、目代であるが故、旧知行国主系の工藤系狩野茂光や
 北条時政から反感を持たれた。


6月2日 平清盛の福原遷都

平氏が令旨を受けた諸国の源氏追討を企てた。

6月19日 京の三善康信(源頼朝の乳母の妹の子)が
「平家が諸国の源氏を追討しようとしているので、直ち
 に奥州藤原氏の元へ逃れるように・・。」
 と急報を送ってきた。

●高源寺(函南町)田方郡函南町桑原
高源寺は弘法大師(空海)によって開かれた。
源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた時、文覚と源氏再興
の密議を行った寺と伝えられている。
当時の高源寺は、長久寺という真言宗の寺で、修行の道場として伊豆国
一円を支配していたものと考えられている。
山火事によって伽藍を焼失した。
・建久元年(1190) 源頼朝が再興.
「長久寺」から源氏の一字を入れた「高源寺」と改めた(伝)
・現在  曹洞宗の寺である。


6月24日 源頼朝は挙兵を決意した。
 函南の桑原・大竹の安達盛長・小中太光家が
相模・武蔵に出向いた。
源頼朝は安達盛長に源家累代の家人の動向
  を探らせた。

 
6月27日 大番役を終え、京より下った三浦義澄、千葉
  胤頼らが北条館を訪れて京の情勢を報告した。
  「5月から、拘留されていた。」
 

 安達盛長・小中太光家が使者として、源義朝の時代
 から縁のある坂東の武者に挙兵の協力を呼びかけた。
 

7月10日 安達盛長・小中太光家が戻った。
@反対派
 山内首藤経俊は
 「佐殿(頼朝)が平家を討とうなど、富士山と丈比べをし、
 鼠が猫をとるようなものだ。」
 と嘲笑した。
A迷った派
波多野義常は返答を渋った。
B賛成派
  大庭景義(大庭景親の兄)は快諾した。
  三浦義明は一族を集めて御教書を披露して同心を確約
  した。
土肥実平も快諾した。
  千葉常胤、上総広常も承諾した。
渋谷重国の居候:佐々木4兄弟も味方に付いた。
※賛成派は平氏系目代から圧迫されていた存在だった。
(★ 『源平盛衰記』)
 

7月23日 伊豆に流されていた佐伯昌長や永江頼隆
を呼んで祈祷した。この一族も同心となった。
 
8月17日 
早朝・・・源頼朝は襲撃は朝駈けを考ええていたが、
  佐々木兄弟の遅参によって計画がくるってしまった。

安達盛長は三島社への奉幣使を務めた。

昼・・・・山木兼隆の雑色男=召使が源頼朝の家の下女と
     恋仲で今日もゲートをしに来た。
     源頼朝は用心のため生け捕った。


深夜・・・源頼朝の命で進軍した。
 源頼朝は
 「明朝を待たず、直ちに山木館を襲撃すべし。」
 「山木と雌雄を決して生涯の吉凶を図らん。」
 「山木の館を放火すべし。それをもって襲撃の成否を
  確認すべし。」
と命じた
  北条時政は
 「今宵は三島神社の祭礼であるがゆえに、牛鍬大路は
  人が満ちて、襲撃を気取られる恐れがあるから、間道
  の蛭島通を通ってはどうか?」
  と進言したが、源頼朝は
 「余も最初はそう思った。しかし、挙兵の草創であり、
  間道は用いるべきではない。・・・また、蛭島通では
  騎馬が難渋する。大道を通るべし。」
 と命じた。

 一行は進発。
 北条時政は、途中の肥田原で、佐々木定綱に
「山木兼隆の後見役:堤信遠は優れた勇士であるので軍勢を別けて
 これを討て。」
 と命じた。
@仁田兄弟&佐々木兄弟・・後見人:堤信遠邸へ 
佐々木兄弟は堤信遠の館に向かい、子の刻に佐々木
経高が館に矢を放った。
「源家が平家を征する最前の一箭なり」
 (★『吾妻鏡』)
新田忠常は筏を組んで、堀を渡って一男乗り・・。(伝)
  新田(仁田・日田)忠常は満13歳。
  堤信遠の郎従が応戦して矢戦になり、佐々木経高は矢を
  捨てて太刀を取って突入。
  堤信遠も太刀を取って組み合いになった。
  佐々木経高が矢を受けて倒れるが、佐々木定綱、佐々木
  高綱が加わり、遂に堤信遠を討ち取った。
   (★吾妻鏡)
A北条時政本隊・・・山木判官(目代)平兼隆邸へ
 北条時政らが韮山にある平兼隆の目代屋敷を襲撃。
 北条時政の本隊は山木館の前に到着すると矢を放った。
  その夜は三島神社の祭礼で山木兼隆の郎従の多くが参詣に
  出払たっていて、さらに黄瀬川の宿で酒宴を行っていた。
  山木館に残っていた兵は激しく抵抗した。
  
  堤信遠を討った佐々木兄弟や仁田忠常も加わり、激戦と
  なった。容易に勝敗は決しない。

  源頼朝は山木館から火の手は上がらないのいで、
  焦った。
  源頼朝は警護に残っていた加藤景廉・佐々木盛綱・堀親家
  を山木館へ向かわせた。
  加藤景廉には長刀を与え、
 「これで兼隆の首を取り持参せよ。」
  と命じた。
  加藤景廉、佐々木盛綱は山木館に乗り込んでいった。
  遂に山木兼隆を討ち取った。
  山木館に火が放たれた。〜〜〜悉く燃え尽きた。
  襲撃隊は暁に帰還した。
  源頼朝は庭先で山木兼隆&堤信遠の首を検分した。

8月19日 
  源頼朝は山木兼隆の親戚:史大夫知親の伊豆国蒲屋御廚で
  の非法を停止させる命令を発給した。
 『吾妻鏡』「関東御施政の始まりである」と特記している。

  源頼朝は山木兼隆を討ち取って韮山一帯を制圧した。

8月20日 源頼朝は相模へ〜〜〜〜 
  ●高源寺(函南町桑原)が石橋山へ進軍する頼朝軍の
  「軍勢ぞろいの地」と伝えられている。
  源頼朝は、伊豆韮山から北条時政以下46騎を従えて、
  伊豆東海岸の相模国土肥郷(湯河原)を目指した。
  従った者は 伊豆と相模の御家人だけだった。
  北条時政・北条義時・工藤茂光・土肥実平・土屋宗遠
  ・岡崎義実・佐々木四兄弟、天野遠景、大庭景義、加藤
  景廉らである。 
  ★新田四郎忠常・・ほかに新田(仁田)の名が見られ
   ないので単独参加なのだろうか?
  (★吾妻鏡)
  当然、小中太光家も行っていた。
源頼朝に従って相模国土肥へ出発。

8月22日 
三浦義澄、和田義盛らの三浦一族が源頼朝に参じる
  べく三浦を発した。
  三浦一族は途中の大庭景親の家臣の館に火を放った。 
  三浦義澄一族は台風のために合流が遅れた。
 

8月23日 石橋山(神奈川県小田原市)の戦い 
 大雨となった。
 三浦軍は酒匂川の増水によって足止めされ、源頼朝軍へ
 の合流ができなかった
大庭景親は三浦勢が到着する前に雌雄を決すべしとし、
  夜戦を仕掛けることにした。闇夜の暴風雨の中を大庭軍
は源頼朝の陣に襲いかかった。

 合戦に先立って、北条時政と大庭景親が名乗りあった
 大庭景親は
 「我こそは、後三年の役で奮戦した鎌倉景政の子孫である。」
 と名乗った。これに対して、北条時政が
 「かつて源義家に従った鎌倉景政の子孫ならば、なぜ頼朝
  公に弓を引く。」と言い返した。これに対して
 大庭景親は
 「昔の主でも今は敵である。平家の御恩は山よりも高く、
 海よりも深い。」
 と応えた。
  (★『平家物語』)
 
 源頼朝軍300騎 VS 平氏軍3000騎
   平氏・・・大庭景親・渋谷重国・熊谷直実・
    山内首藤経俊・伊東祐親ら・・・
     
結果・・・源頼朝軍は多勢に無勢で敵わなかった。
佐奈田与一義忠と俣野五郎景久が組み合った。
    岡崎義実の子:佐奈田与一義忠らが討ち死にした。
  源頼朝は大敗北した。
  源頼朝は土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れた。
大庭軍は追撃した。
  しかし、源頼朝に心を寄せる大庭軍の飯田家義の手引きに
  よって源頼朝は辛くも土肥の椙山に逃げ込んだ。

8月24日 源頼朝軍の残党は山中で激しく抵抗した。
  源頼朝も弓で応戦した。
  
源頼朝、土肥実平一行は箱根権現社別当行実に匿われた。

土肥実平は
  「人数が多くてはとても逃れられない。土肥は自分の領地
   なので、頼朝公御一人ならば命をかけて隠し通せます。
   皆、ここで別れて雪辱の機会を期す。・・・」
  と進言した。
  皆、涙を流して別れた。
  北条時政と3男:義時は甲斐国へ向かった。
  嫡男の宗時は伊東祐親の軍勢に囲まれて討ち死にした。

 源頼朝は箱根山から真鶴半島へ逃れた。

  大庭軍はくまなく捜索した。
  源頼朝主従5人はやっと朽木の洞に身を潜めた。
  大庭軍に梶原景時が土肥の椙山の「しとどの窟」で源頼朝
  の居場所を知った。しかし、
  梶原景時は
  「この山に人跡なく、向こうの山が怪しい。」
  と大庭景親らを導き、頼朝の命を救った。
(★伝説の地)
しかし、梶原景時は洞穴の中の源頼朝の目と会った瞬間、
 梶原景時は「ここにはいない、別な山だ」と言って、追っ手
 を率いて、その場を立ち去ったのである。
 
★何故だろう?・・・・・考えても分からん。
 梶原景時が「源頼朝を見つけたど! 覚悟。」と言って
 源頼朝を殺してしまえば、歴史は大きく変わったでしょうね。
 源頼朝って、運のいい男である。平清盛に助けられ、梶原景
  時に助けらた。2度目の強運だった。

 「慥かに御在所を知ると雖も、有情の慮を存し、此山人跡無し
 と称し、景親の手を曳いて傍峯に登る」
(★『吾妻鏡』)

 ※これが縁で、梶原景時は源頼朝から信頼され
   鎌倉幕府の「別当」になった。
   
  源頼朝は数日間の山中逃亡し、死を逃れた。

8月28日 源頼朝は船を仕立てて真鶴岬の岩(神奈川県真鶴町)
  から出航。安房国へ向かった。
  安達盛長も源頼朝とともに安房国に逃れた。
 北条時政らも引き返して船を仕立て、海上で三浦一族と
  合流し、安房国を目指して落ち延びた。

〜伊豆の岩〜〜〜〜〜〜〜〜安房〜〜〜〜遠いなあ。

  9月4日、千葉常胤の下へ出兵の要請に向かう。
 12月12日、頼朝の新邸に供奉。
 12月20日、甘縄の屋敷に入る。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「着いたどお〜安房ぢゃあ。」

8月29日 源頼朝は安房国平北郡猟島へ上陸した。
  ※源頼朝上陸地・・千葉県鋸南町勝山付近?
  北条時政・和田義盛・三浦義澄らの出迎えられた。


9月3日 源頼朝は、勝山付近で使者を送り、味方の参陣を
 待つことにした。
 和田義盛・・・上総介広常に派遣
 安達盛長・・・千葉介常胤に派遣
  ★下総国の大豪族:千葉常胤を説得して味方につけた。
 □□□□・・・下野・下総・武蔵の有力豪族に派遣。
 北条時政・・・甲斐・信濃の源氏系豪族に派遣。

  南下し洲崎明神に参詣した。

9月9日 千葉介常胤から「
  先祖以来の故地で、要害の地:鎌倉にお入りを・・」
  という使者が来た。

9月13日 安房国を出て上総国に北上した。

9月17日 源頼朝は下総国に向かった。
 下総国府で千葉介常胤らの千葉一族と合流した。
 千葉寺に詣でた。

  頼朝は再挙した。
  安西氏、千葉氏などに迎えられて房総半島を
  進軍した。
  平氏方目代に圧迫されていた東国武士が平氏方を打ち
  破りながら続々と参集してきた。

9月19日 上総広常が大軍を率いて参上した。
 源頼朝は下総と武蔵の境の隅田川で、上総介広常が2万騎を
 率いて迎えた。しかし、源頼朝は広常の遅参を厳しく責めた。
 源頼朝の「許すの気がない」態度に、上総広常は頼朝に服従
 を誓った。
   
 ※1か月で数万騎の大軍に膨れ上がった。

10月2日  隅田河を渡った。
    武蔵国に入った。
    葛西清重・足立遠元は加わった。

    江戸重長の勧めで、三浦軍を壊滅させた
    畠山重忠、河越重頼、江戸重長が従った。
源頼朝は三浦義澄の敵であった畠山重忠の参陣も
    許した。

10月6日 源頼朝は「凡そ扈従の軍士幾千万を知らず」と
    いう大軍を率いて、鎌倉に入った。
     父:源義朝と兄:義平が住んだ鎌倉へ入った。
   大倉に大倉御所を構えた。
   鎌倉の政治の拠点とした。
   先祖:源頼義が京の石清水八幡宮を勧請した鶴岡
   八幡宮を北の山麓に移した。
   父:源義朝の菩提を弔うために勝長寿院の建立を行った。
  
※鎌倉は鎌倉幕府の本拠地として、発展を遂げることとなる。
★いつ世界遺産になるのだろう?

10月20日 富士川の戦い
  源頼朝+武田信義らの甲斐源氏 VS 平維盛
 源氏は平氏を撃破した。

10月21日 源義経が平泉から駆けつけてきた。
    源頼朝と源義経は劇的な再会をした。
@通説・・・涙を流した再会説。
A少数説・・「義経・・お前はわしの配下じゃ」説
源頼朝は源義経を馬から降り、片膝ついて座ることを
    命じた。そして、源頼朝は馬上から義経の肩に土足を
   置いた。・・・・この上下関係の姿を、多くの従者に見
   せたと言う。徳川家康が松平から徳川に変えたのと
   同様である。源義経はこの時のことを恨んで、後に頼朝
   に背くことになったと言う。
   
  ★今まで、私のブログに「源頼朝がなかったのは、好きな
   人物ではないからである。嫌いな人物なのだ。」

12月まで  源氏系佐竹氏、新田義重などが従った。
  源頼朝は坂東での覇権を徐々に確立していった。


★石橋山の戦いで頼朝を破った大庭景親と伊東祐親は平家方に
 合流しようとするが失敗した。
 大賀景親は降参するが許されずに斬られた。
 伊東祐親は捕えられ自害した。

12月12日 鎌倉大倉に完成した源新邸に
  安達盛長も小仲太光家も供奉した。

12月20日 安達盛長は甘縄屋敷(鎌倉甘縄神明神社)に入った。


・養和2年(1182)
3月 北条政子は2人目の子を懐妊した。
 源頼朝は三浦義澄の願いにより北条政子の安産祈願として、平氏方
 伊東祐親の恩赦を命じた。・・・・・
 源頼朝は北条政子と結ばれる以前に伊東祐親の娘:八重姫と恋仲に
 なり男子:千鶴摩利までなした。平氏の怒りを恐れた伊東祐親は
 千鶴丸を川に遺棄し殺した。源頼朝と八重姫の仲を裂き、北条泰時
 と強引に結婚させてしまったのだった。八重姫は自害した。
 伊東祐親はこの赦免を恥じとして自害してしまった。

 小中太光家は源頼朝も信頼厚く、源頼朝の愛妾:亀の前を自邸に
 匿っていた。


 6月1日 源頼朝は伊豆国にいた時からの愛人:亀の前を鎌倉に
  呼び寄せ、小坪の小中太光家の屋敷に住まわせた。
  小坪(逗子市)は由比ヶ浜に「御祓(みそぎ)」に行くといって
  出かけるのに非常に都合がよかったのだ。

 亀の前は、器量よし?(★平安時代のお多福系)で、心の柔和な
  女性だったので、源頼朝の寵愛が激しさを増していった。

 その後、飯島の伏見広綱の屋敷に亀の前を移した。



7月 源頼朝は兄:源義平の未亡人で源氏一族:新田義重の娘:祥寿
    姫を妻に迎えようとした。
    北条政子の怒りを恐れた新田義重が娘を他家に嫁がせたため
    実現しなかった。
★現実には、新田義重は源頼朝からさらに嫌われた。

  源頼朝は伏見広綱の娘:「亀の前」にターゲットを絞った。
  北条政子の妊娠中に源頼朝は「亀の前」を寵愛するように
  なった。
  北条政子は父:北条時政の後妻:牧の方から情事を知らされた
  北条政子は嫉妬にかられて激怒した。
  伊豆山神社での思いを伝えた。

8月 北条政子が、北条政子は万寿を出産。。。
    後の2代将軍:源頼家である。源頼家を出産した。
    安達盛長は三浦義澄・佐原義連等と
    護刀を奉献した。

10月17日 北条政子と赤ちゃん:頼家が産所の比企ヶ谷から御所に
     戻ってきた。

 すると、牧の方(北条時政の後妻・北条政子の継母)が
  源頼朝の浮気を北条政子に話してした。
  激怒した北条政子は、牧の方の父:牧宗親に広綱の屋敷を破壊
  するよう命じた。

11月10日 沼津の牧の方の父:牧宗親は亀の前が住んでいた伏見
   広綱の邸を壊した。
   広綱は、亀の前を伴って鐙摺の大多和義久邸に逃げ込んだ。
    
★北条政子は嫉妬深く気性の激しい奸婦のイメージを持たれた。
  
  
11月 千幡の御行始として、甘縄の安達盛長の屋敷が
      選ばれた。 


11月12日 源頼朝は、牧宗親を引き連れて大多和義久邸を訪れ、
  伏見広綱に事情を尋ねた上で化牧宗親を詰問した。

 牧宗親は弁明できず陳謝した。
源頼朝は激怒して牧宗親の髻(もとどり)を切り落とした。
 
 そして、源頼朝は亀の前の所に泊まった。
  
 北条時政が源頼朝に怒り、一族を連れて伊豆へ引き揚げた。
   
 北条政子は伏見広綱を遠江国へ流罪にさせた。

 

 武士にとって髻を切られるということは最大の恥辱である。

 


・寿永2年(1183) 源頼朝は源義仲と和睦した。
  条件として義仲の嫡子:義高&源頼朝と北条政子の長女:大姫
  の婚約が成立した。
  木曾義高は大姫の婿という名目の人質として鎌倉へ下った。
  
・文治元年(1185) 北条政子が三幡を出産した。


・文治2年(1186)
 安達盛長は「上野国役」を沙汰され、税事務を執っていた。
小光太光家は源頼朝の使節として上洛した。



・文治3年(1187)
安達盛長は上野国の寺社管理に支配権をも持った。
(★吾妻鏡:群馬県史)



・文治5年(1189) 奥州合戦・・・藤原氏&源義経
閏4月30日、源義経が自刃。
7月 源頼朝は『奥州征伐』に出発。 
8月14日「物見岡合戦」
8月18日 安達盛長は源頼朝の後を追い掛けて
  奥州に下向した。安達盛長は従軍した。
  囚人の筑前房良心を従え下向した。

 
・建久元年(1190) 安達盛長は源頼朝に供奉して上洛した。
10月13日  鎌倉を出発。
   源頼朝に供奉して鎌倉を出発したのだ。
  ★群馬県の武士も20名、参加したよ。
  
11月7日 上洛。
     後白河法皇の閲兵を受けた。
     
12月29日  鎌倉に戻った。



・建久2年(1191)
 3月   鎌倉の大火災
3月4日 源頼朝は甘縄の安達盛長の屋敷に入って
     臨時の御在所とした。
4ヶ月滞在した。
★源頼朝は安達盛長が信用されていたかが分かる。
   7月 源頼朝は新邸が造営された。
   
※源頼朝の信頼が厚かった。
  源頼朝が私用で安達盛長の屋敷をしばしば訪れている。
 安達盛長の屋敷は現在の甘縄神社である。
  ※「安達盛長邸址」の石碑が建っている。
  安達盛長の孫:松下禅尼は北条時氏の妻になった。
  ・・・北条時頼の母であった。
  また、霜月騒動の際に安達泰盛が滅亡した。



 10月24日 安達盛長は甘縄社を修理した。
小光太光家は政所の知家事に任ぜられた。


・建久3年(1192) 「いい国つくろう 鎌倉幕府」
2月 江間小四郎→北条泰時の元服の儀に列席した。
3月13日 後白河法皇が崩御。

3月??日 源頼朝が上野国と下野国で実施した狩猟に参加
      した。

7月12日 源頼朝に征夷大将軍に宣下された。
★安達盛長は将軍:源頼朝を見て、感動しただろう。

7月26日 勅使が鎌倉到着。
 安達盛長は源頼朝から『上野の總追捕使』を命じられた。


8月9日 北条政子が千幡(源実朝)を出産した。
     安達盛長は護刀を献じる。
 
閏8月  将軍:源頼朝は甘縄宮へ参詣した。
     甘縄の安達盛長の屋敷で休憩した。


11月5日 千幡の御行始として、甘縄の屋敷に入った。

12月 安達盛長は上野国内における社寺の統括を一任される。





・建久5年(1194)
 2月2日 北条金剛(北条泰時)が元服した。
 閏8月22日 将軍が甘縄社参詣し、甘縄の屋敷に入った。
 

・建久6年(1195)
1月??日 源頼朝は安達盛長の甘縄の屋敷に入った。
2月14日 源頼朝の上洛に供奉して鎌倉を出発。
3月4日  源頼朝に供奉して2度目の上洛。
3月10日 東大寺に到着。
3月12日 東大寺法要に出席。・・・雨だった。
 
7月8日、鎌倉に帰還。


 

・正治元年(1199)
1月 源頼朝の死。
 

〜〜〜河内源氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【1】源氏系図
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

河内源氏は@源頼信→A源頼義→B源義家→C源義国→新田氏の始祖
:新田義重と続く。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
A源頼義
長男:義家
次男:義綱
3男:義光・・長男:佐竹義業
次男:義清→清光→次男:武田信義・・一条忠頼
3男:安田義定
※清和源氏流・河内源氏の一門:源義光を始祖とする甲斐源氏
の宗家である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
B源義家→義親→長男:為義&次男:義国
 長男:為義系・・・
長男:源義朝・・・義平・○・頼朝・○・○・範頼・○・義経
次男:源義賢・・・木曾義仲・・義高
3男:志田義広

 次男:義国系・・・・
 長男:新田義重・・・里見義成・新田義兼・山名範頼など
  次男・足利義康・・・足利義兼
 ★当時・・誰が嫡流かは明確になっていない。


〜〜〜河内源氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【1】源氏系図
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国
:八幡荘』前編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』
=長田忠致の裏切り
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do


〜〜〜源頼朝&伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝@伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心★源頼朝A伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝B【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝C「治承4年(1180)8月17日の挙兵
〜19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝D【治承4年(1180)8月19日〜22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝E【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝F治承4年(1180) 8月24日逃亡〜梶原景時
〜土肥城〜箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝G治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html

箕輪初心▲源頼朝H【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の
裏切り
http://53922401.at.webry.info/201501/article_23.html

箕輪初心◆源頼朝12:『治承4年(1180)8月29日房総
〜関東平定』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲源頼朝13【挙兵〜関東平定&坂東武者の思惑】
素案
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_29.html

箕輪初心★源頼朝15【愛のキューピッド:安達盛長】
:鴻巣放光寺→伊豆→甘縄→高崎八幡
http://53922401.at.webry.info/201501/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝16【仁田忠常】&伊豆函南【仁田館】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_31.html

箕輪初心▲源頼朝17【肥田宗直】&伊豆函南「肥田館」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_32.html

箕輪初心▲源頼朝18【治承3年の政変〜以仁王&源頼政の
思惑〜源頼朝の挙兵】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_1.html

箕輪初心★源頼朝19【北条時政の思惑@】&伊豆長岡【北条館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_2.html

箕輪初心▲源頼朝20【北条時政の思惑A】&伊豆【願成就院】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_3.html

箕輪初心★源頼朝21【正妻:北条政子】結婚〜恐妻〜尼将軍
http://53922401.at.webry.info/201502/article_4.html

箕輪初心★源頼朝21【義弟:北条義時】:武家政権確立&
伊豆『北条寺』
http://53922401.at.webry.info/201502/article_5.html

箕輪初心★3代目執権【北条泰時】:御成敗式目の作成
http://53922401.at.webry.info/201502/article_6.html

箕輪初心★鎌倉幕府の執権:北条氏一覧
http://53922401.at.webry.info/201502/article_7.html

箕輪初心▲源頼朝21【狩野茂光】&伊豆【狩野日向館】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_9.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉@】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_10.html

箕輪初心★源頼朝25【武闘派:加藤景廉A】&伊豆の墓
http://53922401.at.webry.info/201502/article_11.html

箕輪初心▲源頼朝26【田代冠者信綱】&伊豆の田代砦
http://53922401.at.webry.info/201502/article_12.html

箕輪初心▲源頼朝27【武闘派:天野遠景】:狩野茂光の娘婿?
http://53922401.at.webry.info/201502/article_13.html

箕輪初心★源頼朝28【大見家政&家秀】&伊豆【大見城】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_14.html

箕輪初心★源頼朝29【側近:近藤七国平】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_15.html

箕輪初心▲源頼朝30【25臣の1人:宇佐美祐茂】&「宇佐美城」
http://53922401.at.webry.info/201502/article_18.html

箕輪初心★源頼朝31【寵臣:工藤祐経→曾我兄弟の仇討ちで死亡】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_19.html

箕輪初心★源頼朝32【伊東祐親→河津祐泰の死→曽我兄弟の仇討ち】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_20.html

箕輪初心★源頼朝33【源義朝重臣:鎌田政家の子:鎌田俊長】
http://53922401.at.webry.info/201502/article_21.html




〜〜〜源頼朝の一族〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●源義朝妻 
  正室:藤原季範娘(由良御前)
  側室:常盤御前、三浦義明の娘、波多野義通の妹
   遠江国池田宿遊女、青墓長者大炊 

●源義朝の子ども
長男:義平・・・・三浦義明娘説が有力。源義賢を討った。
次男:朝長・・・・波多野氏の妹*娘?豪族と婚姻関係を結んだ。
3男:頼朝・・・・母:藤原季範の娘=由良御前★身分が高い。
4男:義門
5男:希義
6男:範頼・・・・母:池田宿(=磐田市)の遊女?
7男:阿野全成
8男:義円
9男:義経・・・・母:常盤御前
長女:坊門姫
次女:女子?
箕輪初心▲埼玉北本『石戸堀ノ内館=伝:源範頼館館』
http://53922401.at.webry.info/201408/article_17.html

箕輪初心★板東11番巌殿山【安楽寺】&源範頼
http://53922401.at.webry.info/201406/article_22.html

箕輪初心●栃木【白旗城】&源頼義/源義経/松尾芭蕉
も余瀬に滞在
http://53922401.at.webry.info/201401/article_21.html


〜〜〜源頼朝の準一族【新田一族】〜〜〜〜〜〜〜
●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜
箕輪初心★「2代目里見義成」=源頼朝の側近
http://3922401.at.webry.info/201309/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

●【3】山名氏関係:山名義範〜矢田氏関係
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html
※矢田館が入っている。


〜〜〜源義賢&木曾義仲公の関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★【木曾義仲B】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
http://53922401.at.webry.info/201406/article_16.html

箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html



〜〜〜源頼朝の乳母&側近〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲坂東9番:都幾山慈光寺&比企能員館
http://53922401.at.webry.info/201406/article_20.html

箕輪初心●坂東10番巌殿山:正法寺&比企能員
http://53922401.at.webry.info/201406/article_21.html


〜〜〜源頼朝の御家人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心■埼玉川本【畠山重忠公史跡公園】
:畠山重忠公生誕の地
http://53922401.at.webry.info/201407/article_16.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

箕輪初心★熊谷:熊谷次郎直実&熊谷寺
http://53922401.at.webry.info/201408/article_25.html

箕輪初心▲熊谷:【中条氏館】:常光寺&中条家長&子孫
http://53922401.at.webry.info/201409/article_1.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心▲埼玉騎西【多賀谷氏館】&多賀谷一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201408/article_23.html


〜〜〜〜那須一族関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心★那須一族の歴史=〜2代:那須与一宗隆〜31代
http://53922401.at.webry.info/201401/article_19.html

箕輪初心★栃木:【那須与一伝承館】&与一の信憑性
http://53922401.at.webry.info/201401/article_15.html

〜〜〜宇都宮一族〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●栃木:『宇都宮一族の歴史』&【宇都宮城&多気山城】
http://53922401.at.webry.info/201312/article_23.html

〜〜〜伊達氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●栃木【中村城】:伊達政宗の先祖が築いた城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_25.html

〜〜〜小山氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★栃木【祇園城=小山城】&小山一族の
栄枯盛衰の歴史  
http://53922401.at.webry.info/201312/article_10.html


〜〜〜〜足利氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●足利氏館跡:足利尊氏を輩出した城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201311/article_5.html

箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html


  

〜〜〜源頼朝に敵対した人物〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html







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箕輪初心★源頼朝34【小間使&密偵?→文官:小中太(中原)光家】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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