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zoom RSS 箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」

<<   作成日時 : 2015/01/06 12:57   >>

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阿保氏館は埼玉県神川町元阿保にある。阿保親王&阿保氏を私はかつ
ては『アホしんのう&アホ氏』と思い込んでいた。何か変何て読むの
だろう。やがて、箕輪城研究で箕輪城主:長野氏の先祖が平城天皇→
阿保親王(あぼしんのう)→5男:在原業平→と伝えられていること
が分かった。阿保=安保(あぼ)氏は武蔵七党の秩父系丹党の出自で
ある。阿保氏は源氏→執権北条氏→古河公方→山内上杉氏→後北条氏
と主家を代えた。文明12年(1480)に安保吉兼が築いた金讃御嶽城は
永禄12年(1569)9月9日 武田信玄の侵攻により、奪われた頃より
阿保氏の記録がなくなったという。

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★南総里見八犬伝にでてくる「馬加城」
http://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/62154797.html
千葉の馬加城は『バカ城』じゃなく『まくわり城』です。(笑)
とあった。


●高崎→藤岡の小林館→神流川を渡った。
 鎌倉時代の「鎌倉上道」にでた。

●神川町元阿保・・・地名が先か?姓か先か

●JR八高線丹荘駅の名前・・・阿保氏は武蔵七党の丹党から
  由来しているのだろう。

●ナビは阿保氏館跡前に連れて行ってくれた。

●案内板
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安保氏は、武蔵七党の一つ丹党に属する北武蔵の豪族で、鎌倉幕府の有
力御家人「安保次郎実光」を祖とする。その所領については、「安保文
書」に詳しく、賀美郡安保郷を本拠地としていたようである。この館跡
は、安保氏総領家の居住地として伝えられ、嘉永元年(1848)には、「安
保氏遺蹟之碑」が建てられている。館跡とされる範囲は、研究者により
異なるが、十二天堀とそこから分流した深町堀、中堀、端堀に囲まれた
部分と考えられる。また、館の南西部は大恩寺(阿保泰規建立)跡と伝え
ている。館周辺にも関連した伝承が残り、馬場、馬出しとされる場所が
ある。尚、昭和63年と平成4年の発掘調査では北面の外堀と内掘の一
部、建物跡、井戸跡等が検出されている。
(★現地案内板)

●●縄張り図
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「昭和63年と平成4年の発掘調査」
外掘や内掘の一部、井戸や建物跡が検出された。
平安時代後期の方形館から戦国初期には二重堀の城館に発展した。
最盛期には東西160m、南北230m・推定面積約3.3ha。
★菅谷館に匹敵する埼玉県の最大級の館跡だった。

●「阿保氏遺蹟之碑」
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●石碑
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●主郭跡・・・畑と神川配送センター。
 
●外郭?

●堀と推測される用水路





〜〜〜鎌倉上道〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆道の駅・・・資料も食い物もなかった。

●鎌倉上道に戻った。
鎌倉上道が館のど真ん中をつっきていること
 がありうるのだろうか?
 鎌倉上道は菅谷館の前を通る。大蔵館は1km程引っ込んでいる。
 川越街道の河越氏館は100m程離れている。
鎌倉時代の鎌倉上道と考えると疑問の残った。

◆推定鎌倉上道「神川町→群馬県藤岡市」
現在の国道の道の駅・JA直売所グリーンピアのある交差点
→丹荘駅方面→直ぐ次の信号を右に曲がる。→元阿保→
阿保氏館→阿保神社→直進→神流川を渡る→藤岡の小林?

●元阿保信号近く石仏等

●阿保氏館跡

●「産塚」伝承
 「昔、側室が不意に館が攻めた。不意を襲われたので、正妻が戦い
  に利があらずと察し、井戸に身を投げて自害した。身重の側室は
  捕らえられ、塚まで連れられ、生き埋めにされた。これを弔う
  ため、塚に産八幡様を祀り、霊を慰める様になった。」
  (★『神川町誌』:ウィキペディア)

●西一体の街並

●阿保神社・・・阿保氏館跡から北500m程。
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 案内板
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 阿保神社はもとは六所明神と称していた。
 
●大恩寺付近か?
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◆◆ 阿保氏の歴史 ◆◆
●武蔵七党は横山、猪俣、野与、村山、西、児玉、丹、私市、綴の
 九党が挙げられている。七党の組み合わせに説がある。
武蔵七党のうち、現在の児玉郡神川町付近に居住していたのは
 丹党・児玉党・猪俣党である。
※現在の神川町が児玉郡であるので、安保氏を児玉党出自の武士
 であると誤認しやすい。平安時代〜鎌倉時代は現本庄市(児玉郡)
 西部は児玉郡ではなく賀美郡であった。丹党はもともと秩父郡を
 拠点としていた武士団であり、武蔵国北部に領地を拡大していっ
 たのだ。

【1】阿保氏の出自
丹党は、宣化天皇→皇子:殖栗王→○→彦武王の末裔と称している
 子孫は多治比・多治・丹遅・丹治等を名乗ったという。
・陽成天皇の元慶年中(877〜84) 丹治武信が武蔵国に配流され
 賀美郡、秩父郡に居住した。
 その子:丹峯信→丹峰時は石田牧の別当となった。
 その後、丹武峯の子は一大勢力を持つようになった。
 丹治武峯の嫡男:丹経房は秩父中村郷に住んだ。
 丹治経房の孫の丹時重の子ども・・・
 長男:中村武峯
 2男:薄長房
 3男:秩父五郎基房は→
   嫡男:勅使河原直時は上里町に住んだ・
   次男:新里綱房(恒房)は新里三郎太夫→安保三郎太夫。
   →阿保に住んだ。
    そして、秩父綱房の2男:阿保実光と繋がる。  
 4男:行房は分白鳥氏を名乗った。秩父皆野に住んだ。
 
@武蔵七党の丹党:丹二郎太夫経房(安保実光の曾祖父)説
  児玉郡阿保村に本拠地を置いて阿保氏を名乗った。

 A秩父綱房(丹綱房)の次男:安保実光が氏祖説
 本貫地は武蔵国賀美郡安保郷(現埼玉県神川町大字元阿保字上宿)
 に居館を構えた。
 菩提寺は安保山吉祥院真光寺で、阿保実光建立と伝えられる。

●勅使河原氏(上里町)・長浜氏(藤岡市長浜)などの勅使河原
 系が丹宗家に近かったが、安保氏の権力が強まったので、安保
 氏の家臣になったと考えられる。


※阿保氏は坂東武者として、清和源氏系河内源氏初代
 :源頼義との間に主従関係があった。



【2】安保実光
・永承6年(1051)〜康平5年(1062)「前九年の役」
 源頼義に武蔵7党が従軍した。
 横山党の横山経兼・忠兼兄弟
 野与党の野与恒永・・・戦死。
 
 齋藤実遠が源頼義より長井庄:妻沼の西城城に居館した。
 成田助高は南の太田庄成田(現熊谷市上之)に移住した。


・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
阿保経房の子:阿保丹刑部丞実光は源頼朝に仕えた。

  安保刑部丞実光が真光寺を再興した。
  沙門真隆を招き中興の開山とした。


・寿永3年(1184) 平氏追討の「一の谷の合戦〜壇ノ浦の合戦」
阿保丹刑部丞実光は源範頼に従った。
   阿保実光 戦功をあげた。

・文治5年(1189)奥州合戦
  奥州藤原泰衡の追討
   源頼朝に随陣した。
   軍功を挙げた。
 比企能員が率いた軍勢の中に
 「上野国高山、小林・・・」としてその名がある。
阿保氏の配下の長浜氏や勅使河原安保氏がいた。
 戦功を上げ、阿保氏の名前を高めた。


・建久元年(1190) 源頼朝の上洛
    阿保実房と阿保光重が随兵となった。

  (★『吾妻鏡』)


○阿保一族は出羽・播磨・信濃の地頭を務めた。


・承久3年(1221)承久の変〜宇治川の戦い
5月 後鳥羽上皇の宣旨
  「鎌倉幕府執権:北条義時を追討すべき」
  が下され、上皇軍は兵を集めて合戦の準備に入った。
  先鋒は東海道を鎌倉に向かった。

●阿保氏エピソード 
北条義時は箱根・足柄の両関を固めて官軍に備えるか、上洛すべ
 きか迷っていた。
 尼御前(北条政子)は
 「武蔵の豪族阿保刑部丞実光をはじめとする武蔵国勢の到着を待っ
  て、至急上洛せよ。」
 と話したという。
北条義時は急いで対策を練り、出撃との結論に達し京都へ攻め上が
 った。
6月 @美濃の摩免土(大豆渡)の戦い
 安保実光の属した鎌倉幕府軍は、美濃の摩免土で上皇軍と戦った。 
※阿保実光が属した源範頼軍は、後鳥羽上皇軍の第一線を
 破り、数十名の坂東武士と共に京の宇治川へ向った。

 宇治川に押し寄せた。
 しかし、大雨のために宇治川は氾濫して渡るのは容易ではなかった。

 宇治川を渡ろうとする前、
 塩谷家経(児玉党系塩谷氏3代目)と語り合ったとされる。

 阿保実光80歳・塩谷家経71歳という老齢の身ながら重い鎧を
 着たまま荒れ狂う宇治川に入った。しかし、激流に流され、溺死
  した。
 (★ウィキペディア)
 阿保丹刑部丞実光は宇治川に馬で乗り入れたが激流にのまれて
 溺死してしまった。享年80歳、相当な長生きの老武者であった。

阿保一族の2男:安保左衛門次郎・4男:安保四郎・8男:安保八
 郎が戦死した。

●阿保丹刑部丞実光の残った子ども達
 長男:安保五郎左衛門尉実房→○→○→安保惣領家:安保宗実(道堪)
 6男:安保六郎兵衛光重
 7男:安保七郎左衛門尉実員・・飛騨の守護。娘→北条泰時の2号
 
※安保実員の娘が3代執権:北条泰時の継室となった。
 発展理由の1つとして北条氏との姻戚関係があったのだ。
 足利氏も同様であった。
※北条泰時の妻
   正室:矢部禅尼(三浦義村の娘)
  継室:安保実員の娘
阿保実員は恩賞として本領とは別に播磨国の守護職を得た。
安保氏は各地に所領を得て、安保一族は地に広がっていった。
安保氏の所領は、本貫地である安保郷から拡大していった。
1)本貫地・・・安保郷
2)児玉郡・・・塩谷郷・長茎郷・宮内郷・太田郷・蛭川郷・
  阿久原郷・円岡郷、
3)秩父郡・・三沢郷・長田郷・大河原郷・大路沢郷・岩田郷
  ・白鳥郷・井戸郷、
4)榛沢郡・・滝瀬郷・騎西部・大井郷・成田郷の箱田村・平戸
  村である。

安保氏の一族は、信濃国、出羽国、備中国、播磨国、陸奥国にも
 所領を得ている。
(★武家列伝)


【3】2つの阿保氏
・元弘3年(1333) 分倍河原の合戦
新田義貞 VS 鎌倉幕府
 北条泰時との姻戚関係にあった理由で嫡流:安保入道道堪は
 鎌倉幕府側として新田義貞軍と戦った。
鎌倉幕府方阿保道堪父子は大将の北条泰家を守るため、
 しんがり(最後尾)を務めた。
 しかし、関戸で討ち死にした。
※鎌倉幕府の滅亡

・建武新政(1334) 
建武新政権により阿保氏の所領は没収となった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
・建武2年(1335) 中先代の乱
  北条高時の遺児:北条時行が信濃で諏訪頼重の支持を得て
  挙兵した。
  足利直義(ただよし)軍が敗退し、鎌倉を離れた。
  京都の兄:足利尊氏の軍事支援を求めた。
  足利尊氏軍に従っていたのが飛騨の分家:安保光泰は先陣と
  なって北条時行軍を攻撃し足利軍勝利に貢献した。 
  一方、北条時行に属した安保氏惣領職を回復しようとした
  阿保道堪の子は、諏訪氏と共に合戦に敗れて鎌倉で自害した。
  長男系の阿保道堪は断絶した。

・建武3年(1336) 足利尊氏は阿保光泰の戦功を称えて没収されて
いた嫡流の旧領と安保氏の惣領職を与えた。

※阿保氏は安保宗実(道堪)の直系の惣領家は阿保実光の七男
 阿保実員の子孫:安保光泰が宗家6代目を継ぐことになった。
足利直義によって出羽・播磨・信濃の所領を安堵された。
 嫡子:阿保泰規の経済的基盤を確保した。
※阿保氏は、南北朝時代には安保氏は早くに丹党から独立した
 氏族となった。結果として、丹党の氏族の中でも最も栄えた一族と
 なったのだ。


   
・南北朝時代
 足利尊氏は後醍醐天皇に叛旗を翻した。
 
・建武3年(1336)阿保泰規は武蔵守護:高重茂から鎌倉への出仕を
  命じられた。


・延元2年・建武4年(1337) 安保原合戦
・「利根川の合戦」
8月11日 北畠顕家は霊山(福島県)を出発した。
  後醍醐天皇の命のより上洛した。

12月13日 利根川の戦い:上野(現群馬県伊勢崎市)
  先陣争いで齋藤氏・長井氏・高木氏の名がある。
  上杉一族を破り、武蔵に乱入した。
 
12月15日?
北畠顕家は、産泰神社に参拝し、戦勝祈願を行っている。
神社は四方田資綱が砦を築くにあたって建てられた(伝)。
 (★四方田の金佐奈神社の説明板)

12月16日 安保原(現埼玉県神川町)の戦い
 「薊山(あざみやま)安保原の合戦」
 丹党は南朝:後醍醐天皇&新田義貞に属していた。
 丹党安保氏は北朝:足利尊氏=に属していた。
 ★早くに丹党から独立した氏族であった。
真光寺の伽藍消失した。
  
 結果・・北畠顕家は勝利を収め、鎌倉へと向かった。
   

・歴応5年(1342) 安保肥前守直実らによって真光寺が復興された。
 
・観応元年(1350) 高師直は阿保直実に所領を宛行いをした。
  阿保直実は高師直から所領給付を受けたのである。
※阿保光阿(光泰)の阿保直実への譲り状
 「入道居屋敷也 四至
   限東・・・地蔵堂大道(熊野神社地蔵堂)
   限南・・・児玉堀(九郷用水)
   限東・・・楠木流(楠川)
   限北・・・女堀    」

 阿保光泰の子:直実は惣領家を継げず、阿保泰規が継ぐことと
  なった。

 阿保泰規以後は南北朝の動乱で所領の没収と還付を繰り返した。

※貞和5年・正平4年(1349)〜「観応の掾乱」
足利尊氏 VS 足利直義
  阿保直実は尊氏=師直方に属した。
  京都賀茂川において足利直義方の秋山光政と一騎打ちをした。
  阿保直実は惣領家から独立し、播磨国作土郷志方に所領を与え
  られた。
・観応2年(1352) 足利尊氏は弟:足利直義を討つため東下した。
  12月 薩埵峠の戦い(静岡県)
     相模早川尻(神奈川県小田原市)
     などの戦いで直義軍破った。

・正平7年・観応3年(1352)
1月 足利尊氏は鎌倉に追い込み降伏させた。
   足利直義は浄妙寺境内の延福寺に幽閉された。
   2月26日に急死した。
  阿保泰規は足利尊氏から勲功として武蔵国秩父郡に地頭職を
  宛行われた。尊氏袖判状も得て足利尊氏との主従関係を強める
  ことに成功した。
  安保氏は室町幕府体制の中に位置付けられたのである。
 
・文和2年(1353) 鎌倉府&鎌倉公方の成立
7月 足利尊氏は初代鎌倉公方:足利基氏に所領の安堵権や宛行権、
  裁判権を付与して京都に戻った。
安保泰規は足利基氏は足利氏満の警固を命じられた。
  しかし、安保氏は足利基氏の命にすぐ従わなかった。
  安保氏の所領は一時没収されていたようである。

  鎌倉府が関東10ヶ国の行政を統括した。
  足利尊氏の子:基氏の補佐を畠山国清が行った。

・康安元年(1361) 畠山国清は鎌倉府に謀叛を起こした。
足利基氏は安保五郎左衛門に畠山国清討伐を命じた。

・康安2年(1362)
足利基氏は自ら箱根に畠山国清討伐の軍を進めた。
   子:足利氏満を留守居として武蔵入間川御所に留めた。



・貞治6年(1367〜)第2代鎌倉公方:足利氏満
阿保泰規の子:安保憲光は還補は行われなかった。
足利氏満以降は鎌倉府管轄の守護に対する指揮権は鎌倉府に
  移ったと考えられている。

・康暦2年(1380) 小山義政の乱
鎌倉公方:足利氏満による小山氏討伐
  安保氏も従った。
  小山義政の乱後、恩賞として没収されていた所領の還補を
  受けた。


・応永5年(1398〜)第3代:鎌倉公方:足利満兼がなった。  


・応永6年(1399) 応永の乱

・応永16年(1409) 安保宗繁は将軍:足利義持から信濃守任官の
  推挙された。
  結果、鎌倉公方:足利持氏から所領を没収された。
  鎌倉公方:足利持氏が安堵権を行使するようになった。
足利幕府は鎌倉府の反抗的態度を警戒し、関東の諸将に対して
  直接的接触が行うようになった。

・応永23年(1416)「上杉禅秀の乱」
  阿保宗繁は足利持氏に属して参加した。
  乱後、所領を返還されたのである。
 安保宗繁と満春兄弟は児玉郡蛭河郷など5ヶ所を勲功賞として
  持氏から宛行われた。
  しかし、上杉禅秀方に参加した武士たちによって押領された。
  安保氏は横領された旨を鎌倉府に訴えている。
 
・応永30年(1423) 「小栗氏の乱」
 安保宗繁は足利持氏に属して参戦した。

  足利持氏の行動は反幕府的態度とみられた。

・永享10年(1438)「永享の乱」
鎌倉公方:足利持氏 VS 関東管領:上杉憲実
 6代将軍:足利義教が足利持氏討伐を命じた。
 安保氏は上杉憲実=足利幕府方へと転向した。
 足利持氏の敗死によって終息した。
 
・永享12年(1440)「結城合戦」
足利持氏の残党や下総の結城氏朝・持朝父子:佐竹・宇都宮など
  が足利持氏の遺児「春王丸・安王丸」を擁立し、室町幕府に対
 して反乱を起こした。
足利幕府は総大将:上杉清方や今川範忠・小笠原政康などの諸将
 や関東の国人などを討伐のために派遣した。
 長野氏もいた。
 安保宗繁は幕府管領:細川持之から奉書を受けた。
 安保氏は上杉勢に与し結城攻城軍に加わった。
  子:阿保憲祐が出陣していたようである。
7月29日、結城氏朝らの立てこもった結城城を包囲した。
 結城城の籠城は幕府軍の攻撃をよく防戦した。
  
足利持氏の遺児:春王丸、安王丸は足利義教の命を受けた長尾実景に
よって美濃で殺された。

※春王・安王の墓と辞世の句碑(岐阜県不破郡垂井町)


・永享13年(嘉吉元年1441)
正月、上杉氏は阿保宗繁に一揆の招集を命じた。
結城氏朝は敗北し討死した。

戦火は鎌倉公方の支配下にあった奥州にも飛び火した。

 結城合戦後、上杉氏の勢力が拡大した。
 関東の諸将は鎌倉府の再興を幕府に望んだ。
「嘉吉の乱」将軍足利義教が暗殺された。
  鎌倉府再興の運動が開始された。

・文安6年(宝徳元年) 鎌倉府再興が承認される。
  足利持氏の遺児:千寿丸=足利成氏は信濃の大井持光の元から、
 新たな鎌倉公方として鎌倉に帰還した。
 8代将軍:足利義成(後の義政)の偏諱(「成」の一字)を与えら
 れて「成氏」という名が決まった。

  足利持氏に従った武士たちは上杉氏の圧力を除くために足利成氏
 のもとに結集した。
 
 関東の新たな紛争の火種となった。
 足利成氏は結城氏らを再興させた。
  それに反対する管領上杉氏と対立するるようになった。

・享徳3年(1455)12月27日 〜文明14年(1483)「享徳の乱」
足利成氏 VS 上杉=足利幕府
   
  安保氏泰は足利成氏に属した。

・文明10年(1478)12月 下総境根原の合戦
  安保氏泰は出陣し、千葉孝胤と戦った
  氏泰の「氏」は足利成氏からの偏諱を受けた。
  足利成氏と阿保氏泰とは密接な関係にあったと思われる。
 

・文明12年(1480) 安保吉兼が再築城した。
以後は阿保氏(安保氏)の詰め城とした。

・天文3年(1534) 阿保全隆が多宝塔(重要文化財)が寄進した。
  社務は大光普照寺(金鑚寺)が担った。
武蔵七党の1つ丹党の安保氏(阿保氏)から崇敬を受けた。 


・天文12年(1543) 安保泰広(全隆)伯父:阿保氏繁の代官として
  上戸の陣(川越)に出仕した。
 上州一揆の長野氏なども山内上杉氏方として出陣した。

・天文年間(1532〜55)北条氏が武蔵進出
   安保泰広にとって後北条氏との関係が重要な課題となった。
   安保氏が国人領主から戦国大名へと転換した。
武蔵・上野の国境地帯に所領を獲得していった。
安保氏は、小林・富田・高山・小幡・浄法寺氏などを従え、
   家臣団に編成していった。

阿保氏は関東管領:上杉憲政に属していた。

・天文21年(1552) 御嶽の戦い
 御嶽城主:安保泰広の守る御嶽城を北条氏康が攻略した。
「天文二十年の冬、北条氏康が北関東へ出陣をもくろみ、翌年
 二月には御嶽城を攻め、二月十五日には金鑚神社を含め全山
 を焼き討ち、三月には落城させた。城主安保信濃守入道泰広と
  息子の中務大輔泰忠は降参して助けられたが残りの数千人
  は一人も残さず討死をした。」
(★『仁王経科注見聞』:関東の名城を歩く 南関東編)

鉢形城主:北条氏邦から金さな神社は庇護された。

  関東管領:上杉憲政を平井城から追い出した。
  着々と関東支配の輪を広げていった。

・永禄元年(1558)後北条氏は安保氏を支配下に
  入れ、小田原の北条氏康と直接結びついた。

・永禄4年(1561)〜後北条氏の上野進出
  北条氏邦は上野積極的に行われるようになった。
  北条氏康は子:氏邦を藤田重利の女婿とし、鉢形・秩父などの
  武蔵・上野国境の領域経営を行うようにった。
  後北条氏は安保氏に利根川・鳥川・神流川の合流地点に
  領主支配を行わせた。

・永禄6年(1563) 北条家臣:阿保氏の支配権は藤岡まで及んでいた。 
安保中務大輔晴泰が武蔵・上野両国に知行を持っていた。
   (★「安保文書」)

・永禄11年(1568)末〜翌年正月 武田信玄の駿河侵攻
   今川氏真を攻撃した。
   北条氏政は駿河薩垂峠で武田軍を対陣した。
   北条氏政家臣として安保氏・小幡三河守(下仁田)・長根
   雅楽助(高崎吉井)が薩垂峠に出陣している。
  安保泰倫は老母を鉢形城へ人質として出していたので、
  鉢形城主の北条氏邦の家臣として組織されていた。
  安保氏の城に本城:御嶽城には北条氏邦の手勢が駐留していた。
 
 ・永禄12年(1569) 武田信玄の侵攻
6月? 武田信玄が御嶽城を乗っ取った。
    普請を行い、兵器兵糧を移し、数千人の兵を在城させている。
7月? 北条氏邦は再び取り戻した。
  阿保泰倫が戦功をたてた。
 9月  武田信玄が再び御嶽城を攻めた。
 9月9日 武田信玄が大激戦の末、御嶽城を占領した。  


・永禄13年:元亀元年(1570) 御嶽城には武田信玄家臣:長井豊後守
  政実が入城した。
  安保氏の所領であった浄法寺・矢場、安保馬場(安保氏の居館
  の一部)が倉林越後守の知行地となった。
(★長井政実の知行宛行状)


※永禄12年を契機として、安保氏に関する史料は存在しなくなる。 
 丹党:安保氏は、歴史史上から姿を消えた。
 
 
◆参考資料・図書
・「中世武蔵の人物列伝」:埼玉県立歴史博物館
・『足利尊氏と直義』峰岸純夫著 吉川弘文館
・上杉憲顕:久保田順一著
・『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著
・『埼玉の古城址』中田正光著
・『日本城郭大系』新人物往来社
・関東の名城を歩く 南関東編
など多数
◆参考サイト
・武家列伝

〜〜〜埼玉の城:長瀞・皆野・秩父〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●埼玉長瀞【天神山城2回目】=北条氏邦の支城
http://53922401.at.webry.info/201409/article_27.html

箕輪初心●埼玉長瀞町【天神山城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_16.html

箕輪初心▲埼玉長瀞町の名所&城一覧
http://53922401.at.webry.info/201409/article_26.html

箕輪初心▲埼玉長瀞「日本一の青卒塔婆」&『仲山城』
http://53922401.at.webry.info/201409/article_28.html

箕輪初心▲埼玉皆野町「城一覧20城&名所」
http://53922401.at.webry.info/201409/article_29.html

箕輪初心▲埼玉皆野【千馬山城=龍ヶ谷城】:秩父bQの城?
http://53922401.at.webry.info/201409/article_30.html

箕輪初心▲埼玉秩父【金運:和銅遺跡&「聖神社」】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_1.html

箕輪初心▲埼玉秩父【長尾城=瑞岩寺城】:長尾景春の城
http://53922401.at.webry.info/201410/article_2.html

箕輪初心▲埼玉秩父:「長尾景春の乱&逃走」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_3.html

箕輪初心▲埼玉秩父【秩父氏館】=吉田小学校
http://53922401.at.webry.info/201410/article_4.html


*******埼玉の城:寄居*美里****************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_15.html

箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編@準備〜パレード】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_14.html

箕輪初心●埼玉:鉢形城4回目:外曲輪〜三の曲輪〜
二の曲輪〜本曲輪
http://53922401.at.webry.info/201311/article_30.html

箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
http://53922401.at.webry.info/201305/article_16.html

箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_15.html

箕輪初心◆埼玉『第52回寄居北條まつり2013鉢形城』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_14.html

箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑@」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心○埼玉寄居町【花園城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_17.html


箕輪初心●埼玉美里町【猪俣4城】&猪俣邦憲=北条氏
滅亡へ?
http://53922401.at.webry.info/201405/article_18.html

箕輪初心▲埼玉寄居町【金尾山城】&【金尾弥兵衛居館】
=鉢形城支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_2.html


*************************************************
****鎌倉街道上道に沿って、寄居→嵐山→所沢********
箕輪初心◆鎌倉街道上道:埼玉編
http://53922401.at.webry.info/201407/article_17.html

箕輪初心■埼玉川本【畠山重忠公史跡公園】
:畠山重忠公生誕の地
http://53922401.at.webry.info/201407/article_16.html



*******埼玉の城:寄居*長瀞****************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_15.html

箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編@準備〜パレード】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_14.html

箕輪初心●埼玉:鉢形城4回目:外曲輪〜三の曲輪〜
二の曲輪〜本曲輪
http://53922401.at.webry.info/201311/article_30.html

箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
http://53922401.at.webry.info/201305/article_16.html

箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_15.html

箕輪初心◆埼玉『第52回寄居北條まつり2013鉢形城』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_14.html

箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑@」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

箕輪初心○埼玉寄居町【花園城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_17.html

箕輪初心●埼玉長瀞町【天神山城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_16.html

箕輪初心●埼玉美里町【猪俣4城】&猪俣邦憲=北条氏
滅亡へ?
http://53922401.at.webry.info/201405/article_18.html

箕輪初心▲埼玉寄居町【金尾山城】&【金尾弥兵衛居館】
=鉢形城支城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_2.html

*************************************************
箕輪初心●埼玉小川町【高見城=四津山城】=鎌倉上道に築城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_7.html

箕輪初心○埼玉小川町【中城=猿尾(ましお)氏館】
http://53922401.at.webry.info/201406/article_8.html

箕輪初心●埼玉小川町【青山城=割谷城】
http://53922401.at.webry.info/201406/article_9.html

箕輪初心●埼玉小川町【腰越城】=山田氏の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_10.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『杉山城』=関東管領の城→
北条氏の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_11.html


****木曾義仲公&斉藤実盛公&畠山重忠公関係************
箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★【木曾義仲B】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
http://53922401.at.webry.info/201406/article_16.html

箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

箕輪初心●埼玉ときがわ町『小倉城』=遠山光景の石垣の城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_13.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

箕輪初心◆埼玉の古墳『さきたま・野本・吉見の百穴』
★野本将軍塚古墳が出て来る。
http://53922401.at.webry.info/201406/article_24.html

箕輪初心●埼玉東松山『松山城』=上杉・武田・北条の激戦地
http://53922401.at.webry.info/201406/article_25.html

箕輪初心▲埼玉東松山『野本氏館』=野本将軍塚古墳に櫓台
http://53922401.at.webry.info/201406/article_26.html

箕輪初心▲埼玉東松山【高坂氏館】:高坂氏&加賀爪氏の館
http://53922401.at.webry.info/201406/article_27.html

箕輪城▲埼玉坂戸市『多波目城』=大かけ城
http://53922401.at.webry.info/201406/article_30.html

++++秩父系入西氏→浅羽・小代・越生3兄弟の城+++++++
箕輪初心▲埼玉東松山『小代氏館』=源悪源太義平の家臣:
小代氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_28.html

箕輪初心▲埼玉坂戸市『浅羽氏館』&浅羽一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201406/article_29.html

箕輪初心▲埼玉越生町【越生氏館&高取山城】
http://53922401.at.webry.info/201406/article_32.html

箕輪初心▲埼玉日高市【高麗神社】&高麗家住宅
http://53922401.at.webry.info/201407/article_1.html

箕輪初心▲埼玉飯能市『中山家範館』:北条氏照の重臣
http://53922401.at.webry.info/201407/article_2.html

箕輪初心▲埼玉所沢【小手指ヶ原古戦場の3つの合戦】
http://53922401.at.webry.info/201407/article_9.html

箕輪初心▲埼玉所沢:【根小屋城】=狭山湖畔の山口氏の
詰め城
http://53922401.at.webry.info/201407/article_10.html

箕輪初心◆埼玉入間『入間川御陣=徳林寺』&足利基氏の生涯
http://53922401.at.webry.info/201407/article_8.html

箕輪初心★埼玉【足利基氏館】&『足利基氏&上杉4代:憲顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_24.html

箕輪初心▲埼玉所沢▲『山口城』=遺構の寂しい城?
http://53922401.at.webry.info/201407/article_11.html

箕輪初心▲埼玉所沢【滝の城=「本郷城」】:遺構が凄い城
http://53922401.at.webry.info/201407/article_12.html

********************************************
箕輪初心▲埼玉富士見【難波田城=南畑城】
http://53922401.at.webry.info/201407/article_14.html


箕輪初心▲埼玉新座【平林寺】:松平家の墓
http://53922401.at.webry.info/201407/article_13.html


箕輪初心◆埼玉県の歴史
http://53922401.at.webry.info/201405/article_22.html

箕輪初心▲坂東9番:都幾山慈光寺&比企能員館
http://53922401.at.webry.info/201406/article_20.html

箕輪初心●坂東10番巌殿山:正法寺&比企能員
http://53922401.at.webry.info/201406/article_21.html

箕輪初心★板東11番巌殿山【安楽寺】&源範頼
http://53922401.at.webry.info/201406/article_22.html

箕輪初心▲坂東12番『慈恩寺』&庇護した鎌倉武士は誰?
http://53922401.at.webry.info/201406/article_23.html

箕輪初心▲埼玉【2015年初詣:坂東10番正法寺=岩殿観音2回目】
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