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zoom RSS 箕輪初心▲源頼朝17【肥田宗直】&伊豆函南「肥田館」

<<   作成日時 : 2015/01/31 08:54   >>

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治承4年(1180)8月17日、源頼朝の挙兵時に、肥田宗直は
同じ函南の仁田忠常・佐々木4兄弟らとおそらく堤信遠を討
った。石橋山の戦いでの敗戦で、逃げ回っていたのだろう。
しかし、全く記録がない。
正治元年(1199)1月 源頼朝の死。
肥田八郎宗直や肥田四郎左衛門尉が追従した。肥田宗直は
2代将軍源頼家の側近の中の側近であったという。
伊豆函南「肥田館」は静岡県田方郡函南町肥田字下屋敷=肥
田神社にあった中世の館跡である。源頼朝の配下になった肥
田宗直・肥田四郎左衛門尉などの肥田氏一族の館と推定され
ている館跡である。近くを韮山〜三島神社への中世の街道が
通っていた。
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■訪問日・・・平成26年(2014)7月20日
※地名が残っているそうである。
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@中央・・下屋敷=肥田神社
 
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A南・・・「御屋敷」
肥田の集落の中央〜肥田神社の南隣一帯を御屋敷と
  呼んでいるそうである。

B南・・・「南屋敷」
★畑・・・果物畑


C南西・・「馬場」
★車を停めた場所・・現在は畑及び宅地で遺構は不明である。


D北・・・「北屋敷」
★住宅地になってる。

※遺構の発掘調査はない。



●隣の狩野川の橋
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・肥田館の全貌
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E東・・・仁田字古屋敷=旧館跡で、後に移住したと言う?





◆◆ 肥田一族 ◆◆
【1】肥田一族の出自
@土岐氏庶流説
  ・肥田宗直は伊豆直家の傍系という。
A伊豆古代豪族:伊豆国造値氏子孫・肥田宿禰の子孫説。
  肥田氏を称し、在庁官人となった。
B藤原系秦氏説
 「はた」が「ひだ」に転化した説


【2】肥田宗直
 
★★ 源頼朝の挙兵 ★★

・治承4年(1180)
4月 後白河法皇の子:以仁王の令旨
後白河法皇の皇子:以仁王が平氏追討を命ずる令旨を
   諸国の源氏に発した。

4月27日 源頼朝の叔父:源行家は蛭ヶ小島を訪れた。
   伊豆国の源頼朝に叔父:源行家より令旨が 
     届けられた。
 
     源頼朝は事態を静観していた。

5月10日 下河辺行平は
「源頼政の挙兵がある。」
と伝えた。

5月下旬 以仁王の挙兵
 しかし、挙兵計画が平氏に発覚してしまった。
 以仁王と源頼政は準備不足のため、
 以仁王は一端、近江の園城寺に逃れた。
 そして、平氏の追討を受けて宇治で戦死した。

伊豆国は平時忠の知行国になった。
 平時忠の子:平時兼は伊豆守になった。
山木(平)兼隆が目代になった。

 伊豆国では目代:山木(平)兼隆は急速に伊豆で勢力を振る
 うようになっていった。
 また、目代であるが故、旧知行国主系の工藤系狩野茂光や
 北条時政から反感を持たれた。


6月2日 平清盛の福原遷都

平氏が令旨を受けた諸国の源氏追討を企てた。

6月19日 京の三善康信(源頼朝の乳母の妹の子)が
「平家が諸国の源氏を追討しようとしているので、直ち
 に奥州藤原氏の元へ逃れるように・・。」
 と急報を送ってきた。



6月24日 源頼朝は挙兵を決意した。
 函南の桑原・大竹の安達盛長・小中太光家が
相模・武蔵に出向いた。
源頼朝は安達盛長に源家累代の家人の動向
  を探らせた。

 
6月27日 大番役を終え、京より下った三浦義澄、千葉
   胤頼らが北条館を訪れて京の情勢を報告した。
  「5月から、拘留されていた。」
 
 安達盛長・小中太光家が使者として、源義朝の時代
 から縁のある坂東の武者に挙兵の協力を呼びかけた。 

7月10日 安達盛長・小中太光家が戻った。
@反対派
 山内首藤経俊は
  「佐殿(頼朝)が平家を討とうなぞ、富士山と丈比べをし、
  鼠が猫をとるようなものだ。」
  と嘲笑した。
A迷った派
  波多野義常は返答を渋った。
B賛成派
  大庭景義(大庭景親の兄)は快諾した。
  三浦義明は一族を集めて御教書を披露して同心を確約
  した。
土肥実平も快諾した。
  千葉常胤、上総広常も承諾した。
渋谷重国の居候:佐々木4兄弟も味方に付いた。
 ※賛成派は平氏系目代から圧迫されていた存在だった。
(★ 『源平盛衰記』)
 

7月23日 伊豆に流されていた佐伯昌長や永江頼隆
を呼んで祈祷した。
佐伯一族も永江一族も同心となった。


8月2日 大庭景親が本領:藤沢に下向した。
  源頼政の孫:源有綱が伊豆国にいた。
   大庭景親が源有綱追捕を平清盛から命を受けていた
  のだ。
  源頼朝らの緊張が高まった。
風雲急を告げた。・・・・・

源頼朝は北条時政に相談した。
  平家打倒の挙兵の打ち合わせに大日堂=現願成就院の地が
  使われたらしい。北条館の100m東は八幡神社で、その
東隣が現願成就院〜旧願成就院である。

  源頼朝は8月17日をもって挙兵することを決めた。
  まず手始めに、伊豆目代の山木兼隆を討つことにした。
  源頼朝は最初の標的は伊豆国目代:山木兼隆と定めた。


8月4日 源頼朝は祐筆:大和判官邦通に山木邸付近の
見取り図を書かせた。

8月6日〜□□日? 源頼朝の挙兵裏工作開始
 源頼朝は工藤系狩野茂光・土肥実平・岡崎義実・宇佐美祐茂
 (すけもち)・天野遠景・佐々木盛綱、加藤景廉らを招集し、
 一人ずつ私室に呼び、個別にそれぞれと密談を行い、意見
 を聞き、賛同を得た。
 「未だ口外せざるといえども、ひとえに汝を頼むによって
 話す。」
 と言い、自分だけが特別に頼りにされていると錯覚させた。

8月11日 源頼朝は岡崎義実&子:佐奈田義忠に使いを送
 った。
 「8月17日、土肥実平と参上せよ。」

8月16日
 挙兵の前日に至るが、佐々木定綱、経高、盛綱、高綱ら
 佐々木兄弟が参じなかった。
 源頼朝は佐々木盛綱に計画を漏らしたことに疑心暗記に
 なり、後悔した。
 
8月17日
 山木館の襲撃は朝駈けを図っていたが、佐々木兄弟の遅参
 によって計画がくるってしまった。
 源頼朝は
 「明朝を待たずに直ちに山木館を襲撃すべし。
  山木と雌雄を決して生涯の吉凶を図らん。
山木の館を放火すべし。・・・
 と決意を述べた。
 襲撃の成否を確認したいと配下に相談した。。

 北条時政は
 「今宵は三島神社の祭礼であるがゆえに牛鍬大路は人が
  満ちて、襲撃を気取られる恐れがあるから、間道の蛭
 島通を通ってはどうか。」
 と進言した。
 源頼朝は
 「余も最初はそう思ったが、挙兵の草創であり、間道は用
 いるべきではない。また、蛭島通では騎馬が難渋する。
 大道を通るべし」
 と命じた。

 源頼朝は三島神社祭礼に安達盛長を名代として参列させ
 ていた。

 挙兵当日の8月17日(新暦9月8日)佐々木兄弟が
 急ぎ疲れた体で参着した。
「洪水により遅れた。」
 源頼朝は涙を流してねぎらった(伝)。


夜、・・・・
 山木兼隆の雑色男=召使いが源頼朝の家の下女と恋仲で、
 北条館に来た。
 源頼朝は「多くの武者の集まっている。」
 と告げ口される恐れがあるので用心のため生け捕った。
 
 
源頼朝の命で進軍した。
深夜一行は進発。
北条時政は、途中の肥田原で、佐々木定綱に
「山木兼隆の後見役:堤信遠は優れた勇士であるので軍勢を別けて
これを討て。」
と命じた。
おそらく、佐々木4兄弟のうちの3人と仁田忠常と
肥田宗直らが進入した。肥田の屋敷から2kmで仁田・・3km
で堤邸であった。

@仁田兄弟&佐々木兄弟・・後見人:堤信遠邸へ 
佐々木兄弟は堤信遠の館に向かい、子の刻に佐々木
経高が館に矢を放った。
「源家が平家を征する最前の一箭なり」
 (★『吾妻鏡』)
仁田兄弟&佐々木兄弟・・後見人:堤信遠邸へ 
筏を組んで、堀を渡った。(伝)
   新田(仁田・日田)忠常は満13歳。
  新田忠常は筏を組んで、堀を渡って一男乗り。(伝)
  堤信遠の郎従が応戦して矢戦になり、佐々木経高は矢を
  捨てて太刀を取って突入。
  堤信遠も太刀を取って組み合いになった。
  佐々木経高が矢を受けて倒れるが、佐々木定綱、佐々木
  高綱が加わり、遂に堤信遠を討ち取った。
  
A北条時政本隊・・・山木判官(目代)平兼隆邸へ
 北条時政らが韮山にある平兼隆の目代屋敷を襲撃。
 北条時政の本隊は山木館の前に到着すると矢を放った。
  その夜は三島神社の祭礼で山木兼隆の郎従の多くが参詣に
  出払たっていて、さらに黄瀬川の宿で酒宴を行っていた。
  山木館に残っていた兵は激しく抵抗した。
  
  堤信遠を討った佐々木兄弟や仁田忠常・肥田宗直も加わり、
  激戦となった。・・・容易に勝敗は決しなかった。

  源頼朝は山木館から火の手は上がらないのいで、
  焦った。
  源頼朝は警護に残っていた加藤景廉・佐々木盛綱・堀親家
  を山木館へ向かわせた。
  加藤景廉には長刀を与え、
 「これで兼隆の首を取り持参せよ。」
  と命じた。
  加藤景廉、佐々木盛綱は山木館に乗り込んでいった。
  遂に山木兼隆を討ち取った。
  山木館に火が放たれた。〜〜〜悉く燃え尽きた。
  襲撃隊は暁に帰還した。
  源頼朝は庭先で山木兼隆&堤信遠の首を検分した。

8月19日 
  源頼朝は山木兼隆の親戚:史大夫知親の伊豆国蒲屋御廚で
  の非法を停止させる命令を発給した。
 「関東御施政の始まりである。」
    (★『吾妻鏡』)

 山木兼隆を討ち取って韮山一帯を制圧した。

※目代:山木兼隆を倒しても源頼朝の兵力のみで伊豆国を
  掌握するにはほど遠かった。
  平家方の攻撃は時間の問題であった。

 
源頼朝自身は守山北東に位置する北条邸に留まって采配を振った。
 二手に分かれ、佐々木定綱・経高・高綱らが山木兼隆の後見:堤信遠
 山木邸の北1km程の所の屋敷を襲って、打ち取り、主部隊が山木邸
 に直行し山木兼隆を打ち取り、山木邸を焼いた。

平氏側要人:山木兼隆&堤信遠を2人殺したことにより、もはや、後
 戻り出来ない。平家打倒を急がねばならない状況になった。
  

韮山→高源寺→田代→軽井沢→日金山→熱海→早川へと三浦軍との合流
を目指して急いだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 三浦義澄・和田義盛らの三浦一族が源頼朝に参じる
  べく三浦を発した。
  
 途中、藤沢の弟:大庭景親の党類の館に火を放った。 
  
  三浦義澄一族は台風のために合流が遅れた。
  源頼朝は相模の三浦一族を頼みとしていたがなかなか参着
  してこなかった。

  大庭景親は三浦勢が到着する前に雌雄を決すべしとし、
  夜戦を仕掛けることにした。
  闇夜の暴風雨の中を大庭軍は頼朝の陣に襲いかかった。

  北条時政 VS 大庭景親
「言葉戦い」をした。
大庭景親は
  「後三年の役で奮戦した鎌倉景政の子孫である。」
  と名乗った。
  北条時政が
  「かつて、源義家に従った鎌倉景正の子孫ならば、
   なぜ源頼朝公に弓を引くのか。」
   と言い返した。
  大庭景親は
  「昔の主でも今は敵である。平家の御恩は山よりも高く、
   海よりも深い。」
  と応じた。
 (★『平家物語』)
★北条時政は先陣だった。


8月20日 源頼朝は相模へ〜〜〜〜

  源頼朝は、伊豆韮山から北条時政以下46騎を従えて、
  相模国土肥郷(神奈川県湯河原)を目指した。
  従った者は
  北条義時・工藤茂光・土肥実平・土屋宗遠・岡崎義実・
  佐々木四兄弟、天野遠景、大庭景義、加藤景廉・・・ 
  新田四郎忠常・・・
  (★吾妻鏡)
 
三浦軍との合流前・・・
8月21日 源頼朝は土肥氏館で三浦義澄を待った。  
しかし、来援を約束していた三浦勢がなかなか来なかった。

8月22日 源頼朝は土肥氏館で三浦義澄を待った。
  
  
 平家方の大庭景親が俣野景久、渋谷重国、海老名季員、
  熊谷直実ら3000余騎を率いて迎撃に向かった。

   
8月23日 石橋山(神奈川県小田原市)の戦い 
 源頼朝は300騎で石橋山の山上に本陣を構えた。
  そして、以仁王の令旨を御旗に高く掲げさせた。
源頼朝の郎党・・・安達盛長、小中太光家
伊豆の武士・・・・
 北条一族4
 狩野茂光父子・・・
 土肥実平一族5
 天野遠景父子・
 宇佐美政光・実政
 新田忠常
加藤景員・景廉父子
 堀親家・助政
 天野光家
 大見家秀
 近藤七国平
 平佐古為重
 奈古谷頼時
 沢宗家・義勝房成尋
 中惟重・惟平
 鎌田俊長
近江源氏・・佐々木一族4兄弟
相模の武士・・中村景平・盛平(土肥同族)
       岡崎義実&佐那田義忠父子、
駿河の武士・・・鮫島宗家・宣親父子
敵将の兄・・・大庭景親、豊田景俊、
 ★肥田宗直の名前がない。


源頼朝は300名程の手勢を率いて相模に向かった。


 源頼朝軍300騎 VS 平氏軍3000騎+伊東300騎
   平氏・・・大庭景親・渋谷重国・熊谷直実・
   山内首藤経俊・
   伊東祐親(狩野茂光弟)300ら・・・

 @大将:大庭景親を先頭に、熊谷直実など3000余騎が
  谷ひとつ隔てて石橋山の麓に陣を構えた。
 (★現米神付近であろう。)
 A伊東祐親も300騎を率いて石橋山の後山まで来た。
 そして、源頼朝の背後を塞いだ。
つまり、源頼朝軍は挟まれてしまった。
  三浦義澄と挟み撃ちのはずが・・・


 源頼朝は300騎で石橋山の山上に本陣を構えた。
  そして、以仁王の令旨を御旗に高く掲げさせた。

 源頼朝の挙兵を知った大将大庭景親を先頭に、熊谷直実など
 3000余騎が各地から駆けつけた。
 大庭景親軍は谷ひとつ隔てて石橋山の麓に陣を構えた。布
 伊豆国の伊東祐親も300騎を率いて石橋山の後山まで
 進出して、源頼朝の背後を塞いだ。

 夜、雨が激しく降りだした。
 三浦義澄軍250騎が遅参した。

大庭景親は、源頼朝と三浦軍が合流するのを恐れ、夜討ちを
決行した。
源頼朝軍が衆寡敵せず、分散して、退却することにした。
 頼朝主従5人は、やっと朽木の洞に身を潜めることができた。
 

  この日は大雨となった。
  三浦軍は酒匂川の増水によって足止めされた。
 源頼朝軍への合流ができなかった。

 源頼朝軍300騎 VS 平氏軍3000騎
   平氏・・・大庭景親・渋谷重国・熊谷直実・
    山内首藤経俊・伊東祐親ら・・・
  
源頼朝軍は力戦するが多勢に無勢で敵わず、岡崎義実の子:
  佐奈田与一義忠らが討ち死にして大敗した。
  ・・源頼朝は大敗北した。
  (★『平家物語』、『源平盛衰記』)
  大庭軍は勢いに乗って追撃し、源頼朝に心を寄せる大庭軍の
  飯田家義の手引きによって辛くも土肥の椙山に逃げ込んだ。
 
  源頼朝は土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れた。

  源頼朝は数日間の山中逃亡・・・死を逃れた。

8月24日 大庭軍は追撃の手を緩めなかった。
  頼朝軍の残党は山中で逃げ回って激しく抵抗した。
  源頼朝も弓矢をもって戦った。
  源頼朝軍の武士達はおいおい頼朝の元に集まった。
  土肥実平は
  「人数が多くてはとても逃れられない。源頼朝一人ならば
   命をかけて隠し通すので、皆はここで別れよう。」
   と雪辱の機会を期すよう進言した。
   皆これに従って涙を流して別れた。
 北条時政と2男:義時は箱根湯坂を経て甲斐国武田に向かった。
 しかし、嫡男:北条宗時は別路を向かった。
北条宗時は山を降りて桑原(函南町)に降りた。
 平井郷(函南町平井)を経て、早河の辺りで平氏方の伊東祐親軍
 に包囲され、小平井久重に射られて討ち死にした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
函南には、仁田忠常&肥田宗直の館があるが、2人の行動は
不明である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 大庭軍は山中をくまなく捜索した。
  大庭軍の梶原景時が源頼朝の居場所を突き止めた。
 

 しかし、梶原景時は
  「・・・・・・・」
  が知って知らぬふりをした。梶原景時は
 「人跡なく、向こうの山が怪しい。」
  と大庭景親を導き、源頼朝の命を救ったのである。

●土肥の椙山の「しとどの窟」
  ・・エピソード=伝説の地として伝わっている。
★先頭にいた梶原景時に見つかってしまった。
 この時、梶原景時が
「源頼朝を見つけたぞ。」
と言えば、歴史は大きく変わった。
しかし、梶原景時洞穴に身を隠している源頼朝の目と会った瞬間、
梶原景時は
「ここにはいない、別な山だ。」
と言って、追っ手を率いて、その場を立ち去った。

「慥かに御在所を知ると雖も、有情の慮を存し、此山人跡無しと
 称し、景親の手を曳いて傍峯に登る。」
 (★『吾妻鏡』)


 源頼朝&土肥実平の一行は箱根権現社別当:行実に匿われ
 た後に箱根山から真鶴半島へ逃れた。

8月25日 箱根神社泊

8月26日 しとど窟泊
 ※土肥実平の妻が夕飯を届けたと言われてている。

8月27日 岩海岸の洞窟泊


8月28日 真鶴岬の北の付け根:岩から船で安房国へ
  脱出した。
  真鶴岬の岩(神奈川県真鶴町)から出航・・・・。
 ※後に助けた岩の漁師には年貢がかからなかった。 


北条時政らも引き返して船を仕立て、海上で三浦一族と
 合流し、安房国を目指して落ち延びた。

〜〜〜三浦義澄 VS 畠山重忠〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8月25日 小坪の合戦
  三浦義澄 VS 畠山重忠
 
8月26日 三浦義澄は、衣笠城に籠城した。
  三浦一族の長老三浦介義明(89歳)を残して、船で
  安房に逃れた。北条時政らも安房に逃れた。
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8月28日 源頼朝らも土肥の真鶴岬から小舟に乗って安房に
  向かった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 源頼朝は千葉氏、上総氏らの参陣をえて反攻。
 10月2日 足立遠元の参陣。
10月4日 畠山重忠・河越重頼・江戸重長が参陣。

 関東から大庭景親ら平家勢力を駆逐しすることに成功した。

●富士川の戦い

  富士川の合戦後に源頼朝&源義経兄弟が対面した。
(★『吾妻鏡』治承4年10月21日条)

●常陸への参陣
  常陸国の志田義広討伐などに従軍した。


・寿永3年(1184)1月 「宇治川の合戦」
  土肥実平は源範頼軍の副将として2000余騎で参陣した。
おそらく肥田宗直・仁田忠常は源範頼に従った。
  源義仲 VS 源範頼、源義経

平家討伐に活躍した。


・建久3年(1184) 2月 「一の谷の合戦」
  
・寿永4年(1185)3月 「壇ノ浦の戦い」
平家滅亡
  長門国と周防国の惣追捕使として長府に居城を構えた。

 
・文治5年(1189)
 奥州合戦に参加・・・源義経追討や奥州合戦にも加わった。

・建久元年(1190) 源頼朝の上洛


・建久4年(1193) 富士の巻き狩り&曽我兄弟の仇討ち

・正治元年(1199)
 1月 源頼朝の死。
2代:源頼家の側近として仕えた。
肥田八郎宗直や肥田四郎左衛門尉が追従した。 
  鎌倉将軍源頼家の側近の中の側近でもあった。

 現函南の仁田忠常や新田信綱も2代将軍:源頼家の側近として
  仕えた。


・康元2年(1257) 肥田左衛門尉が北条時宗の警護に
ついた。



〜〜〜源頼朝&伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝@伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心▼伊東ダイビング2回
http://53922401.at.webry.info/201307/article_29.html

箕輪初心★源頼朝A伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝B【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝C「治承4年(1180)8月17日の挙兵
〜19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝D【治承4年(1180)8月19日〜22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝E【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝F治承4年(1180) 8月24日逃亡〜梶原景時
〜土肥城〜箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝G治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html

箕輪初心▲源頼朝H【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏
再興の舟出】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html

箕輪初心★源義朝(源頼朝の父)の生涯
http://53922401.at.webry.info/201501/article_22.html

箕輪初心★平治の乱『源義朝&鎌田政清の最後』=長田忠致の
裏切り
http://53922401.at.webry.info/201501/article_23.html

箕輪初心◆源頼朝12:『治承4年(1180)8月29日房総
〜関東平定』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲源頼朝13【挙兵〜関東平定&坂東武者の思惑】
素案
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_29.html

箕輪初心★源頼朝15【愛のキューピッド:安達盛長】
:鴻巣放光寺→伊豆→甘縄→高崎八幡
http://53922401.at.webry.info/201501/article_30.html

箕輪初心▲源頼朝16【仁田忠常】&伊豆函南【仁田館】
http://53922401.at.webry.info/201501/article_31.html


〜〜〜源頼朝の一族〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



〜〜〜源頼朝の準一族【新田一族】〜〜〜〜〜〜〜
●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜
箕輪初心★「2代目里見義成」=源頼朝の側近
http://3922401.at.webry.info/201309/article_30.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

●【3】山名氏関係:山名義範〜
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html

箕輪初心●群馬の城:高崎旧吉井38城@「吉井陣屋他」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_11.html
※矢田館が入っている。


****源義賢&木曾義仲公の関係************
箕輪初心●埼玉嵐山町【大蔵館】&源義賢の生涯
http://53922401.at.webry.info/201406/article_15.html

箕輪初心★埼玉熊谷市【斎藤実盛館】=実盛と義仲の因縁
http://53922401.at.webry.info/201406/article_18.html

箕輪初心★【木曾義仲B】ゆかりの地:埼玉&群馬&長野
  &富山&石川
http://53922401.at.webry.info/201406/article_16.html

箕輪初心★木曾義仲ゆかりの地:埼玉→信濃→上野→
信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心▲埼玉北本『石戸堀ノ内館=伝:源範頼館館』
http://53922401.at.webry.info/201408/article_17.html

箕輪初心★板東11番巌殿山【安楽寺】&源範頼
http://53922401.at.webry.info/201406/article_22.html



〜〜〜源頼朝の乳母&側近〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝14【乳母:比企尼(ひきのあま)】
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newscaredisplay.do

箕輪初心▲坂東9番:都幾山慈光寺&比企能員館
http://53922401.at.webry.info/201406/article_20.html

箕輪初心●坂東10番巌殿山:正法寺&比企能員
http://53922401.at.webry.info/201406/article_21.html

箕輪初心●栃木【白旗城】&源頼義/源義経/松尾芭蕉
も余瀬に滞在
http://53922401.at.webry.info/201401/article_21.html



〜〜〜源頼朝の御家人〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心■埼玉川本【畠山重忠公史跡公園】
:畠山重忠公生誕の地
http://53922401.at.webry.info/201407/article_16.html

箕輪初心●埼玉嵐山町『菅谷城1回目』=畠山重忠の館跡
http://53922401.at.webry.info/201406/article_12.html

箕輪初心●埼玉嵐山町【菅谷城2回目】&畠山氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201406/article_14.html

箕輪初心★熊谷:熊谷次郎直実&熊谷寺
http://53922401.at.webry.info/201408/article_25.html

箕輪初心▲熊谷:【中条氏館】:常光寺&中条家長&子孫
http://53922401.at.webry.info/201409/article_1.html

箕輪初心▲源頼朝10:埼玉【阿保氏館跡】&「阿保氏の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201501/article_6.html




★明日も源頼朝関係かな?

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