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zoom RSS 箕輪初心▲源頼朝H【治承4年(1180)8月28日:岩からの源氏再興の舟出】

<<   作成日時 : 2014/12/30 06:59   >>

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★治承4年(1180)8月17日、源頼朝は挙兵し、伊豆国目代:山木兼
隆を襲撃して殺害した。8月23日、石橋山で源頼朝は大庭景親ら
平氏方と戦いで大敗を喫した。北条宗時(北条時政の長男)、佐奈
田義忠・狩野茂光らが討ち死にした。源頼朝は山中に逃げ込み、
8月27日、真鶴の岩の洞窟に潜んだ。土肥実平は舟&水主の
用意をし、嫡男:土肥遠平を伊豆山神社にいる北条政子へ伝令と
して遣わした。8月28日、真鶴の岩から舟で安房国へ落ち延びた。
源頼朝・安達盛長・岡崎義実・土肥実平・土屋宗遠・新開忠氏・田
代信綱の7名が真鶴から舟出したメンバーであった。

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●源頼朝・・・・源氏の嫡流?
(源義朝の3男・・・兄:義平の母は三浦義明の娘)

●安達盛長・・・京都からずっと伊豆に従ってきた家臣
(源義朝の乳母:比企尼の3女:丹後内待が妻)

●岡崎義実・・・藤沢の豪族。・・(三浦義明の2男)
    (中村宗平の娘=土肥実平の妹と結婚・子は左那田義忠)

●新開忠氏・・・秦河勝の子孫。・・・埼玉県深谷市新戒
    (新開荒次郎忠氏は土肥実平の2男:実重が養子)

●土肥実平・・・東伊豆:湯河原〜早川〜小田原の豪族
(中村宗平の2男)
※土肥実平は、石橋山の戦いで敗れた源頼朝を庇護した。
 「頼朝七騎」の中心人物であった。石橋山の戦いのあった早川
  も逃げ回った湯河原・真鶴は全て土肥実平の所領であった。


●土屋宗遠・・・小田原の豪族
(中村宗平の3男:土肥実平の実弟)

●田代信綱・・・中伊豆:田代の豪族・・
    (狩野茂光の孫・・狩野茂光の娘&後三条天皇の子孫:
     源有仁の4代孫:源為綱の子ども)
  


〜〜〜源頼朝&伊豆シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★源頼朝@伊豆「伊東→蛭ヶ小島へ」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_19.html

箕輪初心▼伊東ダイビング2回
http://53922401.at.webry.info/201307/article_29.html

箕輪初心★源頼朝A伊東祐親の娘:八重姫の悲話&
『伊東祐親の生涯』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_20.html

箕輪初心★源頼朝B【蛭ヶ小島3年北条政子との結婚】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_24.html

箕輪初心★源頼朝C「治承4年(1180)8月17日の挙兵
〜19日石橋山の合戦前」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_25.html

神奈川▲源頼朝D【治承4年(1180)8月19日〜22日土肥館】&
土肥実平の生涯
http://53922401.at.webry.info/201412/article_26.html

箕輪初心▲源頼朝E【治承4年(1180)8月23日石橋山の戦い
&佐那田神社】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_27.html

箕輪初心▲源頼朝F治承4年(1180) 8月24日逃亡〜梶原景時
〜土肥城〜箱根神社
http://53922401.at.webry.info/201412/article_28.html

箕輪初心▲源頼朝G治承4年(1180)8月27日【荒井城】&
【詠い坂】
http://53922401.at.webry.info/201412/article_29.html



後日、来年・・・狩野茂光館・田代信綱砦・北条時政館・
 安達盛長・大見館・加藤景廉・仁田館・肥田館などを
 鎌田城・掲載予定。
 ・・・それから、北条早雲関係の柏久保城・狩野城・長浜城・
 鈴木繁伴館・高谷城・丸山城・・後30城かな?  


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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  (★伊豆武将物語:小野眞一著より)


【1】源頼朝の挙兵の地(伊豆の国市)
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 (★伊豆武将物語:小野眞一著より)
1)北条時政館説・・・北条時政館内の源頼朝
2)源頼朝館=蛭が小島説・・・通説
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3)韮山の八幡神社説・・・箕輪初心



【2】山木判官館&香山寺(伊豆の国氏)
国司(現在の知事・・朝廷が貴族に命じる位最高職)や目代(国主の
代理人)が勝手に税をとったり、領地を奪ったりということが当たり
前のようになっていた。
伊豆の国の目代:山木判官は平家の権威を利用して勝手な政治をして
いた。
★治承4年(1180)8月17日 源頼朝の挙兵
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【3】函南の長久寺→高源寺
文覚上人がいた。武者が集まった場所
  ★国清寺の隣・・・写真がない。




【4】土肥氏館→菩提寺:城願寺
JR湯河原駅〜城山麓には土肥氏菩提寺:城願寺がある。
  土肥館址碑(湯河原駅前)〜城願寺・・・
  湯河原町のJR湯河原駅周辺は、土肥実平が屋敷を構えた場所
  である。今でも「土肥」の地名が残っている。
1)JR湯河原駅前の館跡碑

2)JR湯河原駅の土肥実平夫妻像の銅像

3)城願寺・・・土肥氏館の持仏堂跡と言われている。
城願寺は土肥実平が建立した寺院である。
@土肥実平&土肥遠平父子の木像
A土肥実平手植えの樹齢800年のビャクシンの大樹
  (国指定天然記念物)
B七騎堂・・石橋山合戦に敗れた源頼朝主従7人の武者像
 (土肥実平・遠平、土屋宗遠、岡崎義実、佐々木信綱、
 土肥の小舎人七郎丸)が安置されている。
 源頼朝が安房へ渡る際に従った「頼朝七騎の像」である。
C土肥一族の墓所・・五輪塔や宝篋印塔などが建ち並ぶ。
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D土肥祭・・・4月の第一日曜日の土肥祭:源頼朝の武者行列。
E焼亡の舞・・土肥館が焼かれるのを見て土肥実平が舞った。



【5】石橋山古戦場(小田原市)
1)「石橋山の戦い」   
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2)伊豆の佐奈田神社


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●源頼朝の推定逃走ルート
石橋山〜土肥城〜しとど窟〜箱根神社〜しとど窟〜土肥城前〜
土肥館〜荒井城前〜詠い坂〜真鶴の岩〜〜〜〜〜安房(千葉県)


【6】椙山(すぎやま)の内堀口
土肥城につくまでの途中、椙山(すぎやま)の内堀口付近で
一度、大庭軍と戦いった。この時、源頼朝は弓をもって戦った
と記録されている。
 (★吾妻鏡)
源頼朝は戦闘で戦死してもおかしくない状況であったが
何とか逃げ切ることができた。


【7】土肥城:詰め城(湯河原町)
土肥実平が道案内した。
 土肥実平は源義朝時代から源氏と関係の深かった中村氏一族で
 あった。地理に詳しい土肥一族が味方にいた。ラッキーだった。
 石橋山を含む湯河原一帯を治めていた豪族であった。
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★土肥城は土肥氏館&荒井城の詰め城である
 

【8】「鵐窟」=しとどの窟(湯河原町)
土肥の椙山の「しとどの窟」
 梶原景時は大庭の軍勢にありながら源頼朝に心をよせる
 武士がいた。源頼朝にとって幸運なことであった。
 梶原景時は源頼朝一行を見つけたが
 「ここには誰もいない。」
といって,追っ手を別の場所へ導いた。
後に梶原景時は源頼朝の御家人になった。別当だった。


【9】箱根神社(箱根町)
 箱根神社の別当行実の弟:「求実」が源頼朝を見つけて
 箱根神社まで道案内をして救出した。
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【10】「鵐窟」=しとどの窟(湯河原町)


【11】土肥城
★土肥館&荒井城の詰め城である。


【12】土肥館=城願寺(湯河原町):土肥実平の菩提寺。
 土肥館=真鶴駅〜城願寺(湯河原町)
 


【13】荒井城(湯河原町)前
◆訪問記・・・平成22年(2010)1月10日  
 真鶴町の岩にダイビングに来て2本潜った。
  宿泊する岩の「なかむら」のおかみや岩Dセンターのお嬢
  さんに聞いた。
「今は荒井城址公園となっています。春の桜の時期が良いですよ。」


【14】詠い坂(真鶴町)
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 ・浜より100m 



【13】岩海岸:源頼朝船出の浜(真鶴町岩海岸)
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1)岩の洞窟=如来寺跡 
◆訪問日・・・平成26年(2014)11月2日
岩でのダイビングは5回目である。岩ダイビングセンターのオーナー
さんの案内で如来寺跡の洞窟を見にいいた。
「岩海岸から船出の前夜に洞窟に身をひそめていた可能性は
高い。・・・赤土は今から??年前に・・・。」
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◆訪問日・・・平成26年(2014)11月3日
岩の民宿:山木で豪華夕食・・
★酒「頼朝舟出」を飲んだ。
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就寝・・・翌日、朝の散策
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こんな、朝焼けの日に舟出したのであろうか?

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「岩海岸大浦の一角に、廃寺、帰命山如来寺の洞窟があります。 
通称、岩の赤石・赤馬石と言われる岩盤を掘り進めた、地獄
・間道・極楽は岩肌も荒々しく薄暗く、閻魔大王を初め十王像
や奪衣婆(だつえば)が並び業の秤や善悪人頭杖が置かれ不気
味な感じに襲われます。
 この如来寺は、元和六年(1620)月山和尚が建立し、本尊阿弥
陀如来石仏は但唱の作で、境内には石室(洞窟)があり・・・」
 (★真鶴町の案内板)
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2)舟の用意・・・2隻
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3)伝令
北条政子は、平氏の手から逃れるため伊豆山権現を頼った。
土肥実平は嫡男:遠平を北条政子の元に送った。
「今の所、無事である。これから安房に向かう。」
ということを伝えるために・・・
後、北条政子は秋戸郷に移っている。

4)伝説・・・観音様が船頭となって助けてくれたという。
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5)石碑「源頼朝開帆碑」
◆訪問日・・・平成22年(2010)1月10日
◆訪問日・・・平成26年(2014)11月3日
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「1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いに敗れた源頼
 朝は、山中に逃れ、一時箱根権現に潜んでいたが、土肥実平の案
 内で土肥郷へと移り、8月28日、この浜から安房へと向かった。」
(★源頼朝の石碑)。
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従っていたのは、安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥
実平、田代信綱。

※源頼朝の脱出に協力した漁舟の水主は、その後長く税が免除された
と伝えられている。

8月28日 岩(真鶴町岩)の海岸・・・
  (三浦半島の三浦氏と合流)・
 「祝出し  岩の浜より出し 鎌倉」 
   真鶴パンフレットは?
   俳句のない時代に、俳句・・・
  誤解を招くパンフレットである?
  源頼朝は土肥(静岡県土肥:西伊豆)・・・
  岩(神奈川県真鶴町岩)新しい出発だったのだ。・・・・
  →三浦港(三浦軍と合流)→千葉に向かった。
  (★真鶴町パンフレット)





●おまけ・・・立派な石塔
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,●おまけ・・・資料館
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●おまけ・・・・火山のでき方:赤土の謎
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【13】源頼朝上陸地:竜島?(鋸南町?)

●結末は来年に持ち越し・・・房総〜武蔵の源頼朝かな?





★明日は1年間の遊び内容を振り返って・・・かな?

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