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zoom RSS 箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏の上野国:八幡荘』後編

<<   作成日時 : 2014/12/12 07:02   >>

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◆平成26年(2014)11月29日、高崎市旧榛名町で久保田順一先
生の講演会『里見氏と山名氏』があった。河内源氏は@源頼信→A
源頼義→B源義家→C源義国→新田氏の始祖:新田義重と続く。
・長保元年(999) 9月2日 源頼信上野介に任官した。この時から、
上野国の交通の要所=八幡荘は河内源氏が継続して支配した。4代
目:源義国は八幡荘から、足利荘→やがて新田荘を開拓した。長男
:新田義重は源頼信→頼義→義家→義国と伝領した摂関家領上野:
八幡荘を継承した。次男:足利義康は父:源義国が開墾した下野国
足利荘を継承した。子どもは里見義俊、山名義範、新田義兼、世良
田(得川〜義季、額戸経義、祥寿姫、足利義清室、武田信光室、那
須与一室?、得河義秀?である。新田義重は現高崎市寺尾、長男:
里見義俊は現高崎市旧榛名町室田、次男:山名義範は現高崎市山名
を本拠地とした。

画像



●【0】河内源氏@源頼信→A源頼義→B源義家→C源義国→
D新田義重
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国:八幡荘』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

●【1】新田義重の関係〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

●【2】里見氏関係:里見義俊〜


●【3】山名氏関係:山名義範〜
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【1】上野国:八幡荘
清和源氏経基流:源満仲の3男:源頼信は摂津国多田(現兵庫県川
西市多田)に源氏武士団を形成した。
・長保元年(999) 9月2日 上野介に任官。
●久保田先生「八幡荘」・・・
「この時、八幡庄を切り開いたのではないだろうか?」
と、おっしゃっていた。
八幡荘は、上野国碓氷郡(現群馬県高崎市八幡町付近)にあった
荘園である。古くから信濃国と結ぶ交通の要所に位置していた。
交通の要所であった。・・・鎌倉上道&東山道が交わる場所で
あった。
源頼信が上野介任官時に摂関家領として立券された。
・長保3年(1001) 2月26日 上野介を退任か?

源頼義→源義家→源義国→源義重が相続した。
新田荘とともに新田氏の根拠地となった。
新田氏一族の里見氏、山名氏は八幡荘内の里見郷、山名郷より
それぞれ発祥した。・・・

※2014年11月29日には、久保田順一先生は
「山名郷は多胡荘かなあ?」
とおっしゃっていた。
 また、新田義重の猶子(利権の相続がない)で娘婿:矢田義清
の所領の矢田郷も八幡荘内に存在する。


【2】上野國一社八幡宮
●久保田先生
「上野國一社八幡宮うえのこくいっしゃはちまんぐう」
が正式の名前です。」
・・・群馬県高崎市八幡町にある神社である。
 碓氷八幡宮と呼ばれていたと言われている。
 また、八幡八幡宮とも呼ばれている。
・天徳元年(957) 源頼信が八幡荘に石清水八幡宮を勧請して創建され
 たという。・・・しかし、源頼信は生まれていない。

・永承年間(1046〜1052) 源頼義&源義家が奥州征伐に赴く際に
 戦勝祈願をしたといわれている。その際に社殿を改修した。
 後に源頼朝も社殿を改修、神田100町を寄進した。

・新田義貞が鎌倉幕府打倒の兵を挙げた際も、新田の生品神社→
 八幡に入って信濃や越後の味方と合流した。
新田義貞は里見氏達と八幡八幡宮で戦勝祈願をした。

・南北朝の内乱
  足利尊氏からも崇拝された
  足利尊氏の妻方の子:上杉憲顕が八幡荘を奪って守護領に
  編入し、以降守護:上杉氏の上野国経営の中心となった。

・戦国時代  武田氏が侵入して八幡を支配している。
・その後も関東源氏一門の崇敬を受けた。
・徳川幕府からは朱印地100石を寄進されていた。





【3】新田義重
・永久2年(1114)?保延元年(1135)
  〜建仁2年(1202)1月14日(12月8日)
@源頼信→A源頼義→B源義家→C源義国→新田氏の始祖:新田義重
と続く清和源氏義国流である。武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎
 義家の孫である。
・永久2年(1114)?保延元年(1135) 生まれた。
父:源義国
母:藤原敦基の娘

兄弟
長男:新田義重、
次男:足利義康 異母弟
3男:新田季邦

妻・・・正室:源親弘の娘

・源義国の庇護の下、しばらくは下野足利荘で育った。

*長男:新田義重は源頼信→頼義→義家→義国と伝領した摂関家領
 上野八幡荘を継承した
*次男:足利義康は父:源義国が開墾した下野国足利荘を継承した。


●ライバル・・・
上野国の源義賢・・・多胡郡(群馬県高崎市吉井町)
→後、秩父氏系棟梁:畠山重忠の娘を嫁にし、
秩父大蔵館に住んだ。木曽義仲を生んだ。
武蔵国の秩父氏・・・秩父氏系棟梁:畠山重忠
下野国の藤姓足利氏・・足利利綱・・・佐野氏など



※南関東の支配者・・・源義朝&源義平父子
新田義重は弟:足利義康と相婿:源義朝・義平父子と提携した。
娘:祥寿姫を源悪源田義平の室としている。
また、甥:足利義清を猶子とし、娘を嫁がせている。


・仁平3年(1153) 新田義重は内舎人に任官した。
  (★山槐記)
保延元年(1135)生誕説では、18歳頃? 
  京都に上洛したことになる。
 
  式部大夫→検非違使&新田加賀介となった。

・久寿2年(1155) 8月16日 大蔵合戦 
  源義平が源義賢の拠点:大蔵館を襲撃した。
  源義賢と秩父重隆を攻め殺した。
  ★保元の乱の前哨戦ともされる。

・久寿2年(1155)8月16日 秩父足利合戦
源義朝 VS 藤姓足利氏・秩父氏ら
渡良瀬川の強行渡河作戦で撃破した。
 →北関東における地盤を確固たるものにした。


・保元2年(1157) 平家系の藤原忠雅を領家として新田荘の立券に
成功した。新田荘司と称し、新田荘を開墾した。
 上野国司:藤原重家の舅(しゅうと)が鳥羽院御願寺金剛心院の
 造営に深く関与をした藤原家成であった。・・・藤原氏北家花山
 院流忠雅の母の兄が藤原家成であった。

※父:源義国とともに新たに上野国新田郡の開拓事業に乗り出
 した。

・父:源義国が加冠を行った源義清の子:武田信義の子:信光に
 自分の娘を嫁がせた。
 武田信義の弟:加賀美遠光の加冠を新田義重が行なった。

 新田義重は源盛義とも親交が深く、平賀氏一族:義隆、義澄、
 義資(義職)を猶子としている。

・???年 従五位下大炊助に任ぜられた。


・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
 新田義重の甥:足利義兼&子:山名義範&孫:里見義成らが
 早期にその麾下に帰参した。
 新田義重は一時日和見的態度を取った。
 理由@北関東での主導的地位にあった。
 理由A八幡太郎義家の孫だ。・・源頼朝を格下に見ていた。
 理由B新田荘が平家方の荘園であったこと
 理由C木曾義仲が多胡郡で味方集めをしてた。
・・・多胡郡は源義賢のかつての所領であった。
    親子2代に渡る隣合わせの所領を持っていて宿敵関係
   であった。
   従って、木曽義仲を牽制する必要があった。

12月 新田義重は源頼朝の威勢興隆を目の当たりにし慌てて鎌倉
  に駆けつけた。
  容易には源頼朝の不信感をぬぐうことはできなかった。
  安達盛長の取り成しでようやく帰参が叶ったという。
(★やがて、安達盛長は八幡荘で上野奉公人になった。)
  さらに、新田義重は娘:祥寿姫を源頼朝の兄:義平の未亡人:
  源頼朝の側室にと乞われるもこれを拒否した。
  ・・・という。より一層、源頼朝の不興を買った(伝)。
  新田義重の猶子:娘婿:矢田義清が木曾義仲に走った。
このことが源頼朝の反感をさらに買った要因のひとつとされて
 いる。

  
  甥:足利義兼がいち早く頼朝の下に駆けつけて活躍した。
  以後、代々北条氏と姻戚関係にあって強固に結びつけていった
  足利氏は幕府内での地位を保った。
  新田義重の鎌倉政権内における立場は常に微妙であった。
  
  足利・新田両氏の処遇の差となった。
  後代まで尾を引いていくことになった。
  但し、新田義重自身は源家の最長老であり、鎌倉幕府成立時点
  で八幡太郎義家にもっとも血統が近い者として一定の敬意を受
  けていた。

・晩年   嫡男:新田義兼とともに新田家の家督を継いだばかりの
  曾孫の:世良田政義の後見役を務めた。

・建仁2年(1202) 新田義重は老衰のために新田荘で没した。
   享年89
  (★『新田足利両家系図』
  享年68
   (★『尊卑分脈』)
●墓所・・・円福寺:群馬県太田市別所町

・慶長16年(1611年)3月22日、新田義重の子孫と称する徳川家康に
 より、鎮守府将軍に任官される。


◆◆ 『新田町誌』〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
義俊・義範・義兼・義季・経義の順としている。
@長男:里見義俊・・・新田太郎
    (「長楽寺草写本源氏系図(長楽寺系図)」では四良)

A次男:山名義範・・・・・新田太郎三郎、山名三郎
      (★「長楽寺系図」では四良義俊の次で伊豆守)
尊卑文脈の足利系図・・・にも表れている。
 ●久保田先生・・・足利家の娘婿になった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心★「上野国:山名義範〜応仁の乱:山名宗全」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_26.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
B3男:新田義兼・・・・新田次郎。母:源親弘の娘。

C4男:世良田(得川)義季・得川四郎。母:源親弘の娘。
           (※「長楽寺系図」では次郎)



D額戸経義・・・・・・・額戸五郎(
           (※「長楽寺系図」では三郎)

※額戸経義より下の諸子は各系図で異同がある。
 なお『新田町誌』は記載しない。
E祥寿姫・・・源義平室

F娘・・・・・足利義清室

G娘・・・・・武田信光室

H娘・・・・・那須与一室?

※長幼順は系図により異同がある。

I源義清・・・足利氏の祖である足利義康の庶長子。
  矢田判官代:足利義清、矢田義清とも記される。
 足利義康の長男であったが妾腹のため、足利庄を嫡出である
 異母弟の足利義兼に譲った。
 伯父:新田義重の猶子となった。
 上野国八幡荘の矢田郷を貰った。
 京で上西門院に仕える。
・治承4年(1180) 以仁王の挙兵
源義清(=矢田義清)は源頼政と行動をともにした。
  源頼政が敗死した後は、源(木曾)義仲の旗下になった。
木曾義仲は隣の多胡荘(高崎市吉井)で、仲間集めをいていた
からである。
 ★新田義重の猶子:娘婿:矢田義清が木曾義仲に走った。
このことが源頼朝の反感をさらに買った要因のひとつとされて
 いる。
●久保田順一先生の説
八幡荘矢田郷・・・矢田荘、矢田御厨、矢田郡など
 所領は新田義重との猶子関係、婚姻関係(娘婿)によって獲得した。
 当時、足利氏の所領に存在していないと言われており、矢田判官代
 なる義清の通称は誤りである。
 梁田判官代とされるのが正しいと思われる。
 足利荘は源義家→源為義→源義朝→源頼朝と河内源氏惣領に伝えら
 れた。

・寿永2年(1183) 平家の都落ち
源行家や多田行綱と共に京都を包囲した。
  丹波路から大江山に布陣して都の西方から平家を追いつめた。
 7月、木曾義仲軍と共に入京した。

 10月 源義清は木曾義仲の総大将として海野幸広とともに一軍を
   率いて平氏を追討するべく、京を出発した。
 閏10月1日 水島の戦い 
  備中国:水島(現岡山県倉敷市玉島付近)で平家本隊の平知盛
  重・衡&搦手軍の平通盛・教経ら率いる平氏軍と激突した。

  源義清の軍は船での戦さに慣れていなかった。
  平氏軍に大敗を喫した。
  源義清は海野幸広や同母弟:足利義長とともに戦死した。
  
  ※子孫は細川氏、仁木氏、戸崎氏の祖など・・・。

・治承・寿永の乱
足利荘の家人:足利荘下司職の藤姓足利氏が没落した。
  源頼朝の近親者:足利義兼=源姓足利氏が初めて獲得した。
 (★久保田順一先生説)
 源(足利)義康→源(矢田)義清の本領:梁田御厨は矢田義清が
 木曾義仲に与したために失って、足利荘を獲得した庶家筋の
 足利義兼の系統へ新田義重の有していた惣領権とともに
 移行した。
 (★久保田順一先生説)
★しかし、久保田順一先生は2014年11月29日の研究では、
 「もしかしたら、八幡荘矢田郷は・・・多胡荘矢田郷かも
  しれない。」
 と口走った。


【5】山名義範
山名義範は山名義節(よしたか)・矢田義範・矢田義節とも
 呼ばれている
通説は新田義重の次男である。
下野足利荘にいた足利義康の長男:矢田義清新田義重の娘との
庶長子という説もある。
●異母弟
・広沢義実
・矢田義房(頼長の父)
・矢田義頼(義縁とも、頼実の父)。


・1159年? 生まれた。
下野国足利荘梁田御厨ではなく、上野国多胡郡矢田郷
 (現在の群馬県高崎市の北部)に生まれ育った。
  外祖父:義重の養子となった。
  多胡郡山名郷(矢田郷と隣接する)を与えられ、
  山名氏を称した。
●久保田順一先生
「八幡荘矢田郷・八幡荘山名郷と呼んでいる。」
1175年〜1177年
  豊前国:宇佐八幡宮を勧請し、山名八幡宮を建てた。

・治承4年(1180) 8月 源頼朝の挙兵

 山名義範は叔父:足利義兼(義康の次嫡子) 
 母方の従兄弟:2代目:里見義成(里見義俊の子)とともに
 源頼朝の元に馳せ参じたた。
 源頼朝から
 「外祖父に似ず、まことに天っ晴れで殊勝である。」
 と褒められた。
 源氏一門の御連枝衆として優遇された。

・治承8年(1184) 平氏追討
2月 源範頼・義経兄弟の率いる平氏追討軍に従軍した。

・文治元年(1185) 8月 山名義範は伊豆守に任じられた。

・文治5年(1189) 7月 奥州の戦い
奥州藤原氏を討伐・・・源頼朝の奥州遠征に従軍した。
上野国:八幡荘で、八幡八幡宮で戦勝祈願をした。
・建久元年(1190) 源頼朝の上洛に供奉。

・建久6年(1195) 源頼朝の2度目の上洛
  東大寺供養・・・山名義範は嫡子:山名頼家源頼朝に近侍
  し、同伴した。

・建保7年・承久元年(1219) 2月 山名義範は没した(伝)。
61歳

-
■山名一族の歴史
 新田一族の中では、異端的な存在で、独自の動きである。
@源頼朝が伊豆で挙兵した時、
  父:新田義重が寺尾城(高崎市寺尾町)に立てこもった。
  山名義範は新田一族の中で一番早く源平合戦に参戦した。
  源義経の下、一の谷の合戦で功績をあげた。 
  →鎌倉幕府から「伊豆守」称号を恩賜。

A南北朝争乱における新田義貞と足利尊氏の対立の時、
  山名時氏は、新田義貞ではなく、足利尊氏に追従。
  →足利尊氏の信頼を得た山名時氏は、
   山陰を中心に最盛期11か国の守護職を補任。
 (当時全国でも66か国であったので「6分の1殿」と呼ばれた。)

B室町幕府成立した時、
   山名郷は所領を温存。
  遠く離れた西国の地で、山名八幡宮の維持管理した。
  山名一族にとって、山名八幡宮は精神的なつながりの地だった。

B応仁の乱(1467)
  西軍の大将・・・山名持豊=宗全(山名一族)である。
  東軍の大将・・・細川勝元である。 

★山名一族の栄華は凄すぎる。
 南北朝争乱で華々しく散っていった新田義貞をはじめとする新田
  一族の衰退とはまったく対照的である。




【6】里見一族は新田義重の庶長子:新田義俊=里見太郎義俊
が里見家の初代である。
里見の姓は新田義俊が上野国碓氷郡里見郷(現群馬県高崎市里見)
に移り、里見の地名を苗字としたことによる。
「里見氏」:里見義成著をベースさせていただきました。


箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版
http://53922401.at.webry.info/201309/article_29.html

箕輪初心●里見一族@「新田から里見へ」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

箕輪初心●里見一族A「初代:里見義俊→2代・義成
〜3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心●里見一族B「4代義秀〜10代家基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_35.html

箕輪初心●里見一族C「安房里見前期5代J〜N」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_36.html

箕輪初心●里見一族D「後期安房里見」O〜S
http://53922401.at.webry.info/201102/article_37.html

箕輪初心●里見一族E「南総里見八犬伝&群馬」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_38.html

箕輪初心●里見一族F「日本ハム:斉藤佑樹投手も子孫?」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_39.html

箕輪初心●里見一族G「高津戸城」=桐生仁田山で114年
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

箕輪初心●里見一族H「里見城&上里見城など」
 (高崎榛名)」=武田信玄に抵抗。
http://53922401.at.webry.info/201102/article_46.html

箕輪初心●群馬【仁田山城&谷山城&皿窪砦】&『里見一族』
http://53922401.at.webry.info/201205/article_16.html

箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html


箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html


〜〜〜箕輪初心★新田氏関係〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞1「楠木正成への攻撃」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞2「鎌倉の攻撃1」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞3「鎌倉の攻撃2」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201202/article_2.html
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞4「足利尊氏との対立」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞5「福井:金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞6「福井:そま山城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞7「福井:新田義貞の最後」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

箕輪初心●群馬「旧尾島町の城9城」=新田一族の遺構
http://53922401.at.webry.info/201302/article_28.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

◆◆ 箕輪初心★新田一族「千利休」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_27.html

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箕輪初心★人形劇ミュージカル『里見八犬伝』
in2013榛名初演
http://53922401.at.webry.info/201309/article_28.html

箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版
http://53922401.at.webry.info/201309/article_29.html

箕輪初心●里見一族@「新田から里見へ」
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箕輪初心●里見一族A「初代:里見義俊→2代・義成
〜3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心●里見一族B「4代義秀〜10代家基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_35.html

箕輪初心●里見一族C「安房里見前期5代J〜N」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_36.html

箕輪初心●里見一族D「後期安房里見」O〜S
http://53922401.at.webry.info/201102/article_37.html

箕輪初心●里見一族E「南総里見八犬伝&群馬」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_38.html

箕輪初心●里見一族F「日本ハム:斉藤佑樹投手も子孫?」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_39.html

箕輪初心●里見一族G「高津戸城」=桐生仁田山で114年
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

箕輪初心●里見一族H「里見城&上里見城など」
 (高崎榛名)」=武田信玄に抵抗。
http://53922401.at.webry.info/201102/article_46.html

箕輪初心●群馬【仁田山城&谷山城&皿窪砦】&『里見一族』
http://53922401.at.webry.info/201205/article_16.html

箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html

箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html

****************************************************


箕輪初心●里見一族の歴史    
@平安時代・・・清和源氏→新田一族→里見一族〜〜。」
A鎌倉時代・・・御家人。
  嫡流は新田→八幡庄(高崎)・越後波多岐庄&妻有庄&美濃平野庄
鎌倉時代末の動乱では新田義貞と行動をともにした。
A南北朝時代・・新田義貞の家臣=Best8の発言力を持つ里見。
里見一族は南朝方・北朝方に別れ戦った。
B室町時代・・・・里見郷→陸奥:山本郷・・・仁田山
C戦国時代・・・・分家:上野里見:長野業政と姻戚。
   本家:安房里見→千葉2/3を制覇。
   ※「南総里見八犬伝」のモデルになった安房里見・・・        
D江戸時代・・・・安房里見12万石→伯耆倉吉4000石




■▲●  里見歴代当主の概略  ●▲■

@里見義俊・・・新田義重の長男。
【6】里見義俊(生年不詳〜嘉応2年(1170)
事績などは不明
里見氏に伝わる家系図に、里見義俊の名が記されている。

新田義重の庶長子。
 新田義重の長男だったが、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の
 新田義兼に譲って分家した。
新田荘竹林郷=高林も領したため竹林六郎太郎とも呼ばれていた。

・久寿元年(1154)〜2年(1155)頃
上野国碓氷郡八幡荘里見郷(現群馬県高崎市里見)付近に
  上里見城=神山を築き、居を構えた。
  嫡男ではないため、分家し「里見義俊」と名乗った。

・建仁4年/元久元年(1204) 没した(伝)。
(★里見山光明寺『光明寺縁起』)
  父:新田義重に先立ちこの世を去った。
  ※墓は天台宗・里見山光明寺
  ●長男:里見義成(高崎市旧榛名町里見在住)
  ●次男:里見千代丸→碓氷貞次の養子→碓氷三郎里見義雅
        →塚越氏の祖(私:箕輪初心の母方先祖?)
  ●3男:田中義清(太田市新田町田中)
   田中氏・・・庶家は大島氏・糸井氏・篠原氏など
  ●4男:中里見政氏(高崎市旧榛名町猪毛・現在10軒)
   ★友達の中ちゃん先祖である。

A里見義成・・・京都大番役。
  平家追討の挙兵に京都からいち早く参加。
 源頼朝の側近として活躍。「伊賀守」
  里見一族は上野国の里見郷〜榛名山付近を拠点として
  越後国まで勢力を拡大した。
 ●長男:B里見義基
 ●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)・→○→○→
            └●大井田氏継(越後十日町在住系)→○→
    大井田氏の庶家は羽川氏・矢島氏・大岡氏など

 ●3男:鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→・・・・・
          ●鳥山頼成(越後十日町在住系)→○→○→→
 
 ●4男:美濃義直→○→○→○・・安房里見初代?(★峰岸純夫説)
   里見義直(『承久の乱』で戦功を挙げ、美濃国円教寺の地頭と
  なった。
 『観応の擾乱』で滅亡・・・
 しかし、子孫は安房里見の里見義実になった。(★峰岸純夫説)
●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×?


B里見義基・・・親の七光りで鎌倉幕府御家人。
  ○長男:里見氏義・里見郷に居住
   →宮田不動尊(渋川市:旧赤城村)を建立。
      ★財力を相当持っていたはずである。
  ○次男:里見義秀・・新田庄高林郷に居住? 
      別名:竹林二郎・・・刑部少輔。
  ○3男:牛澤重基・・新田庄高林郷隣の牛沢郷住
       →子孫は越後中沢郷(長岡市中沢・新潟市中沢)
  ○6男:太田義宗・・
  ●里見義秀の娘・・・新田朝氏の妻(新田義貞の母)?

・牛沢氏・太田氏・山本氏・仁田山氏・堀内氏などの
   庶家が出ている。
 ※里見一族の中には、源頼朝の御家人になり、新田本宗家:
  新田義兼流を凌ぐ程の存在となった。


C里見義秀・・・新田義貞の祖父?
 ○長男:里見義忠・・新田の庄:高林郷・里見郷を継ぐ?
○次男:竹林基秀・・★新田次郎の小説「新田義貞」では、
             新田義貞の傳役(=教育係)である。
○3男:竹林時秀・・・・
○4男:竹林義綱・・・・


D里見義忠・・・★新田義貞の父か?
  ○長男:里見義胤
  ○次男:里見時義
  ◆3男:里見義貞→新田朝氏の養子:新田義貞
   (★新田正伝・里見???)    


E里見義胤
 里見義胤の新田義貞の兄説・・・・
   里見小五郎義貞が新田朝良の養子へ
(★小五郎砦)
(★主に榛名町の方々の説)・・・
    新田義貞は里見から新田朝定に養子か?
 ※里見義胤の新田義貞の叔父説・・・
 ※里見義胤の新田義貞の叔母の子説・
   ○長男:里見義連
  ○次男:里見義宣 

 惣領家:新田義貞に従軍し、鎌倉幕府の得宗執権の北条高時を滅ぼ
 した。
 ※北条得宗家の子孫は、熊本の横井小楠である。
  「八重の桜」の横井時雄・コ富蘇峰・徳冨蘆花・
  湯浅治郎などはみんな新島襄の身内になったのだ。

 里見義胤は戦功により、新田義胤は後醍醐天皇から伊賀守に
 任ぜられた。
 しかし、1338年7月に越前国藤島で新田義貞が戦死を遂げた。
 里見一族に足利尊氏に従う者が続出して里見氏は没落を免れた。
 鳥山3名・里見2名・・・・
 新田義宗(★ウキペディア・榛名町誌では美濃の里見義宗。)
 は『観応の擾乱』で足利直義(足利尊氏実弟)に従ったが、
 薩た山で対峙委し、竹之下の戦い(静岡県御殿場市)で足利直義
 が兄に敗北した。新田義宗?里見義宗・・・・
 『承久の乱』以降の美濃国の所領を没収され、没落した。
 ★とすれば、峰岸純夫先生の「美濃:里見氏のからの
  安房:里見義実説が苦しくなる。 


F里見義連・・・陸奥守。現福島県山本に在住。
  ○長男:里見基義
  ○次男:山本胤幸・・・・里見系山本氏の祖
  ■3男:里見氏連       



G里見基義・・・里見郷に戻って、地固め。
  ○長男:里見家兼
  ○次男:里見満俊       


H里見家兼・・・常陸國小原に在住。
  ○長男:里見家基・・・新田庄:高林郷・里見郷
  ○次男:里見満行・・・
  ○3男:里見家成・・・・
  ○4男:里見氏兼・・・・



I里見家基・・・結城の乱で戦死。
 里見家基は関東公方の足利持氏の傘下となり、将軍:足利義教と
 上杉憲実と対決して、破れた。
 里見家基は常陸国の結城氏朝を頼っった。
 しかし、上杉憲実の軍勢に包囲され、里見家基は子:家氏ととも
 に自害し、里見氏宗家は(庶家の一部は除く)は滅亡した。         
★3男:里見氏義・・・結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を称する。
  安房里見義実の可能性がある。   





★鎌倉時代から室町時代にかけて諸国に分かれた里見氏がある。
 出羽里見氏、美濃里見氏、越後里見氏などである。
●出羽里見氏・・・・天童氏・東根氏・延沢氏など
  

  (★山形「天童城」)
箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
  里見氏のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html

●美濃里見氏・・・・里見氏
●越後里見氏・・・・里見氏・大井田氏・羽川氏など
  ★新潟県十日町市の城は来年掲載しようかな?


●●〜〜後里見氏〜〜●●●
安房里見氏は戦国大名として成長した。房総に割拠し、江戸時代初頭には
里見一族は安房・上総・下総の一部を治める館山藩主となった。

J里見義実・・・白浜城(安房郡白浜町)を居城。

※説@・・・里見家基の長男:里見義実説
      里見氏の嫡流である里見義実が安房に入国した。
     (★安房里見氏の家伝)
      ★系譜関係は定かではない。

※説A・・・里見家基の遺児説
      義実(大隅守氏義)・義通(義成・成義)父子は遺児(★通説)

※説B・・・里見家基3男:里見氏義説=海保氏→里見氏説
   坂東八氏の上総氏の系統であるが「里見氏」と自称した可能性
  がある。
  海保氏は里見家基3男:里見氏義が結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を
  称した。後に末裔が千葉家執権・後北条氏家臣・井伊家家臣・板倉家家臣
  ?で末裔に海保丹後守(千葉勝胤四天王の一人)
   (★ウキペディア)

※説C・・・美濃里見からの養子説(★峰岸純夫先生説)
  ★観応の擾乱で、美濃の里見義宗は領地を
   没収されたという通説からすると、結構苦しい。
  しかし、2012年9月の里見の郷の講演会では
   一部、峰岸説を信じる人も出て来ていると
   千葉県館山の方がおっしゃっていた。

※説D・・・里見3代:里見義基の次男:義秀の子孫説
  (★尊卑分脈・妙本寺蔵の源氏系図・群書類従→
   榛名町誌:久保田順一先生執筆)
※滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデル。
  史実と伝説が入り混じる謎の一族である。
 
 安房には東条・丸・神余・安西の「安房四氏」が割拠。
 神余氏家中の下剋上平定を機に里見義実が瞬く間に安房統一(伝)。
   
K里見成義・・・稲村城を本拠。上総一部まで領土拡大。

L里見義通・・・平穏無事。早死に。長男:義豊は5歳。
L里見義通→N里見義豊
     └M里見実尭→O里見義堯


M里見実尭・・・里見義通の弟


N里見義豊・・・小弓公方・足利義明を支持。
  古河公方:足利高基を支持する相模北条氏や下総千葉氏と交戦。
・天文2年(1533) 義豊は叔父の実堯を誅殺したことから
    内乱が発生・・・ (★天文の内乱)。
    実尭の子:義堯が勝って里見氏嫡流は滅亡。


O里見義堯・・・・第一次国府台合戦
  小弓公方滅亡後は、北条氏と40年にわたる抗争。


P里見義弘・・・北条氏と和睦。

Q里見義頼・・・里見義弘の死後、嫡男梅王丸と義弘弟:義頼の間で
        抗争が勃発。
       →里見義頼が勝って里見氏を相続。

R里見義康・・・・「小田原の役」で豊臣軍に味方。
  鎌倉などを攻撃したが、「関東惣無事令違反」に問われ、
   安房一国以外を没収。
 ※上野国:板鼻藩が成立。・・・弟が藩主


S里見忠義・・・徳川配下の小田原城主:大久保忠隣の娘を妻に
  迎えていた。
・慶長20年(1614)大久保忠隣改易のあおりを受けて
伯耆倉吉に配流。お家断絶。
   大名としての里見氏は滅亡。
  里見忠義の代で改易された。。





●▲■ 桐生仁田山の里見一族 ■▲●
  三代将軍足利義満の頃・・・

 (★仁田山館)

 (★仁田山城の二の郭)


8)里見氏連(里見義連3男)・・・現桐生市仁田山城
   桐生氏との婚姻説・・・桐生国綱の娘が妻。
  
9)里見成義・・・仁田山八郷の支配。仁田山紬の生産。

10)里見時連・・8代将軍足利義政が二階堂行旨を城主に
   嫡子:二階堂政行を暗殺?・・・
  @里見時連の返り咲き説
  A安房の里見勝広が赤萩城主として仁田山をおさめた説。
  
  里見勝弘は同族の里見氏を頼って安房から桐生へ(伝)。
  里見勝弘は16代安房里見義弘の甲州後胤説
  里見勝廣は安房里見実堯(★関八州古戦録は変?)
  
  「桐生搦手の赤萩に在城せしめ」(関東庭軍記)
   「赤萩の塁を構えて差置けリ」(桐生家本末記)
  桐生助綱が里見勝広に赤萩を守らせた。

11)里見国義・・・高津戸城を強固に〜〜?

12)里見宗連(家連)・・・
 ・永禄3年(1560) 長尾景虎の第一次関東出兵。
   @長尾景虎の仁田山城攻撃。→自刃説。
     (関八州古戦録)(上杉文書)
   A長尾景虎への寝返り→桐生氏への攻撃。
     桐生氏の反撃説→自刃。
   →長尾景虎(=上杉謙信)は桐生氏と和睦。
 ・永禄9年(1566) 由良の援助で、古河公方配下。 




◆◆◆ 榛名里見の里見一族 ◆◆◆
13)里見宗義(河内)・・・114年の仁田山を捨て、
 ・天文24年(1555) 現高崎榛名に手勢30騎で逃亡。
  長野業政の娘?を妻とする。
    ※長野一族の有力家臣の娘説(★里見義弘氏説)
 ・永禄5年(1562)雉郷山城を修築。

 ・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻撃
   @高浜城攻撃。
   A雉郷城攻撃・・・高橋隼人正勝則が城代が守り。
   B長谷砦・・
   C箕輪城総攻撃→落城。
     ・・・里見宗義は自刃・討ち死に?

★★里見繁美先生の説家
  里見家→長野業政の養子・・長男:氏業=業盛の誕生
群馬富士見の所領で、
@長野業政は長男:吉業が死んだ。
   長野業政には12人の娘がいたが、男の子はいなく
   なった。
   A長野業政は養子として、2男:里見義樹(里見義光
   の子)を迎えた。・・しかも、
   系図@安房里見の実堯→義堯→義弘の弟:義樹
   長野業政の嫡子:長野吉業=福田吉業(菅谷)・・死亡
   長野業政の養子:里見義樹が成立した。
   (★長年寺系図
    長野正弘氏の系図
  里見義樹系図
  B里見義光の娘と結婚=妾とし、3男:長野氏業=業盛を
   産んだ。(系図は長野正弘氏蔵)
  長野業政の次男:長野氏業=義盛が産まれた。
   C養子の里見義樹(長野義樹)は、長野業盛が生まれたので、
   一時、養子を離れ、前橋市旧富士見村に、石井城を築城し
    住んだ。里の青柳・木暮・小沢を家臣とした。
   D石井左京太夫讃岐守信房・・鷹留城主に抜擢した。
  ※里見義樹→長野義樹→石井義樹?・・
   →石井左京太夫讃岐守信房と名乗った。
  石井左京太夫讃岐守信房・・勢多郡旧富士見村石井
  青柳金王丸忠家…・・・勢多郡現前橋市青柳村
  木暮丹後守直政・・・・勢多郡現前橋市木暮村
  小沢治郎兵衛亮信縄・・勢多郡現前橋市小沢村
   などを、家臣とし、箕輪城に
   永禄3年(1560)に行った。
   ※里見繁美氏は、近藤義雄氏の考えを否定した。
    近藤先生の「箕郷町誌P989」家臣一覧表2つ
    近藤先生「石井信房を鷹留城主にしていること、
    青柳・木暮・小沢を重用しているのが疑問である。」
    と書いているが・・・。
   「石井信房を懸念していて、信憑性に欠ける。
    これは、里見義樹は長野業政の妻の甥に当たる
    ので、石井信房が身内であった証拠である。」と述べた。
(★里見繁美先生の説)

箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html

14)里見義宗(宗義の弟)・・・榛名里見の祖
  ※安中氏の庇護・・帰農
  ●里見家代々??・・・帰農
  ※武田16年支配→滝川一益2ヶ月支配
    →北条8年支配
  ※井伊直政支配

15〜??代)・・・帰農
  
・元和年間・・・大部分は酒井忠清の支配地


・現在・・・●榛名里見に7軒・中里見に5軒。
  ★現在の里見家御当主:里見??氏・・・御免なさい。
  名前が違っていると失礼なので、書きません。
  背広を着ている方です。

 (★里見の郷事務局:中嶋氏と一緒)


●▲■ 里見氏の支流 ■▲●
斯波氏、船田氏、大井田氏、正木氏、尾崎氏、竹林氏、山本氏、小原氏、
粟屋氏、竹林氏、山本氏、小原氏、仁田山氏、太田氏、古山氏、牛沢氏、
大島氏、鳥山氏、蜂須賀氏、伊賀氏、堀内氏、海保氏、豊岡氏、富岡氏、
田中氏、今西氏、小沢氏、真崎氏、久永氏、田井氏、木戸氏、木部氏、
金野氏、北角氏、西塚氏、馬場氏、木山氏、中屋氏、吉野氏、中村氏、
藤沢氏、東条氏、天津氏、中里氏、中沢氏、小谷氏、鍋田氏
 (★ウキペディアより転載)


◆◆◆ 群馬県下仁田町の里見氏 ◆◆◆
箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

 



◆参考文献&資料
@「里見氏」(里見義成著)あさを社1300円がベース・・・
  ※群馬の地方会社なので、群馬のみ販売。
A新田町史+群馬県県史ベース
B上州風VOI29・・2008年「里見氏のルーツをたどる」
               「南総里見八犬伝と群馬」
C館山城博物館の資料・出版物
D河内源氏:元木泰雄著
E榛名町誌の通史編上巻・・・中心は久保田順一先生。
F新田義重:久保田順一著
G『群馬県史 資料編4』
H『上杉憲顕』:久保田順一著


〜〜〜など多数。


◆参考サイト
 ウキペディア



★明日は長純寺2回目かな?

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