城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」

<<   作成日時 : 2014/11/06 05:22   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

豪徳寺は東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある曹洞宗の寺院である。
豪徳寺付近は、鎌倉時代の武蔵吉良氏が居館としていた。文明12
年(1480) 世田谷城主:吉良政忠が伯母:弘徳院のために「弘徳院」
と称する庵を結んだ。豪徳寺は世田谷城の主要部だった?
天正12年(1584)臨済宗→曹洞宗になった。
画像

  (★豪徳寺)



■訪問記・・・平成22年(2007)4月7日

●渋谷
画像


●世田谷線
画像



●豪徳寺の山門までは長かった。
画像


●豪徳寺境内
画像

画像

画像

  井伊直弼の墓?・・・何のことだ。 
  江戸時代、井伊氏は世田谷をの菩提寺だったことが、境内
  の説明書きでわかった。。
画像

●初代:井伊直政の墓はなかった。
画像

※2代井伊直孝〜15代井伊直憲までの墓があった。
画像

画像

※彦根藩主井伊家墓所(国史跡)
 ※清凉寺(滋賀県彦根市)・永源寺(東近江市) 

●井伊直弼墓・・・東京都指定史跡
画像

 「安政の大獄」「桜田門外の変」で有名な井伊直弼の墓もあった。
画像


●岡本黄石の墓
  ★武田信玄の家臣:群馬県小幡信貞の家老:熊井土
  →井伊家に仕え、軍鑑・・・岡本姓になった。
  井伊直政の桜田門外の変の後、井伊家の中枢とな
  った。



●「招猫殿」
画像

※招き猫伝説・・・招き猫発祥の地とする説がある。
井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談
を聞くことができたことを喜び、後に井伊家御菩提所とした(伝)。

●仏殿・・・世田谷区指定有形文化財
画像

 :井伊直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うため、延宝5年
 (1677年)に建立。
画像


●三重の塔
画像




●梵鐘・・・世田谷区指定有形文化財:延宝7年(1679)作。


●山門
画像







◆◆ 井伊直政&井伊氏の歴史 ◆◆
箕輪初心●静岡【井伊谷城】=井伊直政先祖発祥の居城
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html



★井伊直政 (1561年2月19日〜1602年)
・永禄4年(1561)  井伊直政が誕生     

・永禄5年(1562) 2歳の時、父死亡
        (今川氏真の懺により殺害)

・元亀3年(1572) 「三方ヶ原の戦い」(現在の浜松市付近)
   武田軍は三方ヶ原で家康軍を撃退。
   武田信玄が三河地方に侵攻する途中、発病のために
    上洛は中止。
       井伊直政は今川家家臣で、2000石。

・天正元年(1573) 武田信玄が甲斐国へ帰還中に信玄は病死。
        井伊直政が今川家家臣→徳川家康家臣。
・天正3年(1575) 「長篠の戦い」 
    武田勝頼に落ちた城を取り戻す
    「高天神城攻略」戦いで戦功
        22歳で旗本先手役に任命。
 
・天正4年(1576)  3000石加増
 
・天正10年(1582) 織田信長により武田氏が滅亡。
         →6月「本能寺の変」
         徳川家康が甲斐国が平定。
         井伊直政は武田家臣の招聘で活躍。
       10月 家康は 
   @直臣の木俣守勝・西郷正友・椋原政直らを井伊直政の家臣へ
   A武田侍大将の山県昌景・1条信龍・土屋昌恒・原昌勝らの
       家臣74名
   B関東の浪人43名(群馬県史)
     →井伊直政に武田家の山県隊が配下。部隊を赤備え隊編成。
 
箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会
の井伊直政
手作り甲冑@」

http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_29.html



・天正12年(1584)「小牧・長久手の戦い」
    井伊の赤備えは対秀吉の先鋒を務めて奮戦。
       →豊臣秀吉から従五位の下侍従を賜る。
 
・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
    先鋒で、小田原城入城。
    徳川家康が関東に入封。
     *秀吉の命令で、井伊直政と本多忠勝が所領の指定で、
     井伊直政・・・・上野国箕輪城12万石。
      徳川筆頭家老の最高石高・・・上杉・真田対策。 

箕輪城時代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜7
・天正18年(1590)
  7月 井伊直政8年・・箕輪城は直政の居城跡説が有力。 
    {箕郷町教育委員会の冊子}
   徳川筆頭家老の最高石高12万石
  (箕輪城の城付き5千石と周辺で箕輪6万石・安中6万石)で入城
   私見・・・「特に真田・上杉対策ではないだろうか?」
   私見・・・「井伊氏の時代には城の拡張工事
   (堀の深さ10m・3の丸と本丸への橋・二の丸と大堀切
   ・3つ本丸門・郭馬出・木俣・水曲輪・法峰口など)を
    したのでは?・城下町が箕輪小の南に細長い。」
   
  中川先生(2009年2月8日シンポジウム)・・・
   「豊臣秀吉の命令で入城。」説を強調。  
  私見・・・城下町の人口推定最低でも22000人。
   最高人口3000人規模「当時、関東最大では?」
  秋本先生「関ヶ原の戦いで5000人」・・・
   馬1250騎+歩兵3750人」
  1250×4=5000人の家族+歩兵3750×4=15000人
  ・・・・(5000×4=20000)
  +武具関係家族200〜500人   
  /商人家族は200〜300人
  +長野の生き残り+武田の生き残り+北条の生き残り・・
   ・100家族500人?〜????


・天正18年(1591) 陸奥一揆の平定(蒲生氏郷の加勢)

・天正19年(1591) 井伊直政が九戸一揆の蒲生氏郷と鎮圧に向かった。 
      (★彦根藩井伊家文書)  

・文禄元年(1992) 朝鮮出兵
    江戸城留守居役で、江戸城普請。

・文禄5年(1596)  井伊直政が箕輪12万石の検地を実施。    
          (★彦根藩井伊家文書)
       榛名町神戸(高浜北の新幹線出口の上)に検地。
       「扶20万貫都合、あらたむべきこと。」                        
         (★高井家文書)

・慶長元年(1596) 大八木(高崎市)の検地

・慶長3年(1598)3月 箕輪城廃城・・・・
   井伊直政は箕輪城の堀を半分程度、埋める。
  「箕輪城が後で前田・真田等の元外様大名に使われないように。」


高崎城時代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・慶長4年(1599) 井伊直政は高崎城に転居。

・慶長5年(1600) 小山評定
9月 徳川秀忠は関ヶ原の戦いに備え、榊原康政・大久保忠隣と
    高崎城に3泊
    →上田で、真田昌幸・幸村親子を討てず、関ヶ原の戦いに
     遅刻。



・慶長5年(1600) 「関ヶ原の戦い」
   徳川家康の本軍に随行。
     山内一豊など諸大名を東軍工作を実行。
    本戦で家康の4男・松平忠吉(直政の娘婿)を補佐。
     西軍に一番槍の戦功。
      石田三成の佐和山城を攻略



佐和山城時代〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜            
 高崎城から石田三成の旧領近江佐和山城に18万石(滋賀県彦根市)
    で入封。
   →彦根城(35万石)の築城開始。
   関ヶ原の戦いの戦後処理と江戸幕府の基礎固めに奔走。
 
・慶長6年(1601)  家臣の系図一覧表の作成
      長野業政の末裔??長野業親
   (1580年?に井伊家に3000石で召し抱えられる。)
     ・・・・長野十郎左衛門(井伊家中老)・・
     ・代々中老・家老職・・・・。自己申告制の系図
     *2007年11月23日彦根城博物館の学芸員・・・
      幕末の井伊直弼の江戸家老長野主膳は伊勢出身。 
 
・慶長7年(1602)2月1日 過労と島津義弘軍の追撃で受けた鉄砲傷
     の破傷風が元で死去。彦根城完成。

・寛永10年(1633) 彦根藩主:井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を
  創建し整備した。
 寺号は直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」による。

 


****井伊直政シリーズ*******************************
◆◆ 箕輪初心●箕輪城「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_40.html

http://53922401.at.webry.info/201011/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●井の国千年物語前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●井の国後編:「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の箕輪城時代の家臣団 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●静岡:井伊直政の井伊谷城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●井伊直政の造った町:高崎&彦根 ◆◆
高崎高校 VS 近江高校
http://53922401.at.webry.info/201203/article_28.html

◆◆ 箕輪初心●中村達夫氏の「井伊軍志」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_14.html

◆◆ 箕輪初心●小和田哲夫氏の「井伊直政」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_13.html

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html
***************************************************



・1590年 井伊直政
  (群馬の箕輪城8年
・1598年→高崎城)
    
・1600年 井伊直政は佐和山城を拝領。

彦根城歴代城主〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

@初代 井伊直継(なおつぐ)
・1603年 井伊直継藩主 18万石
・1603?4年  築城を開始。
・ 1606年 本丸天守完成
        佐和山城から移る。
 1615年3万石を分知された。
 ★井伊直政の長男:直継は安中藩主になった。



A2代 井伊直孝(なおたか)
  大坂冬・夏の陣の功績等により10万石加増
・1615年 井伊直孝 彦根藩主 30万石  
     *世田谷の豪徳寺付近を飛び地として領有  
        →上野の安中城主。
・1622年 表御殿・石垣・城下町の町割が完成
・1633年 下野国:佐野の一部を領有。
 ※寛永10年(1633) 佐野の一部が彦根藩の領地となった。
     徳川の名門井伊家15代により235年間治めらた。
     天応寺の高台に
      2代藩主井伊直孝とその子直澄、
      大老井伊直弼の遺髪を納めた3基の墓碑がある。




B3代 井伊直澄(なおずみ)

C4代 井伊直興(なおおき)
   

D5代 井伊直通(なおみち)

E6代 井伊直恒(なおつね)
   約50日で没した。

F7代 井伊直興(なおおき)→ 直該(なおもり)と改名。
  4代直興が再び城主。幕府の大老職。

G8代 井伊直惟(なおのぶ)

H9代 井伊直定(なおさだ)


I10代 井伊直(なおよし)
   約60日で没した。


J11代 井伊直定(なおさだ)
  9代直定が再び城主になった。


K12代 井伊直幸(なおひで)
    幕府の大老職。

L13代 井伊直中(なおなか)



M14代 井伊直亮(なおあき)
   幕府の大老職。


N15代 井伊直弼(なおすけ)
・1850年 井伊直弼藩主:幕府の大老職    
桜田門外の変で直弼暗殺



O16代 井伊直憲(なおのり)
    1871年廃藩置県により城主ではなくなる。

   (★彦根城博物館の資料より抜粋)



       
    
箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html






★明日は世田谷城かな?

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる