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zoom RSS 箕輪初心▲埼玉所沢【滝の城=「本郷城」】:遺構が凄い城

<<   作成日時 : 2014/07/12 06:02   >>

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「寄居の北條まつり」に「滝の城」の旗を持った方々が我々
箕輪城の隊の隣にいたので、興味を持った。
滝の城は、埼
玉県所沢市城23-1にあった城郭である。東京都清瀬市との
都県境にある。柳瀬川の北岸に位置している。大石定久→
北条氏照の城になった。

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■訪問日・・平成26年(2014)6月28日(土)
●前橋IC〜東松山ICで降りた。@「青鳥城」を観察した。
A狭山市の「入間川御陣」&所沢の「小手指ヶ原の古戦
場」。所沢の根小屋城・「山口城」に行った。

○滝の城=埼玉県所沢市 城23-1にナビをセットした。
東京都清瀬市に入った。

●再び所沢市に入った。梁瀬川の橋を渡った。
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○滝の城=埼玉県所沢市 城23-1に着いた。

●城山神社の鳥居が見えた。
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●井戸前〜急カーブの搦め手口に車を駐めた。
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●階段を登った。
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●空堀
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●階段
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●本丸=城山神社
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●横穴
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●景観
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●石柱
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●案内板
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「滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる急峻な
 崖を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城
 で、その敷地は66,000平方メートルである。現在で
 も本丸を中心とした遺構がよく保存されている。本丸は柳
 瀬川を眼下に見下す城の東南部に位置し、現在の社殿は櫓
 台の上にある。本丸の北西には空堀をへだてて二の郭的な
 曲輪があり、城はこの方向にいくつかの曲輪を配したよう
 で、部分的に遺構が残存している。また、大手はさらに北
 方に所在していたとみられている。
  この滝の城は北条氏照の持ち城と考えられ、滝山城
 (永禄13年の戦いの後、八王子城に移る)の支城といわ
 れている。
 永禄7年(1564年)の北条氏の清戸番衆交代命令状を
 見ても、清戸下宿に番所があって固めており、城の防備と
 密接な関係があったと推定される。
 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、
 落城したものと考えられている。
 大正14年3月31日付けで、埼玉県指定史跡となって
 いる。
   昭和60年3月 埼玉県 所沢市

●東から本丸を一回り
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●本丸の急な崖
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●四脚門・・・本丸の神社裏の土橋
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●祠
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●二の丸へ
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●二の丸にある社務所
 パンフレットをいただいた。
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●写真集
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●二の丸
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●二の丸&本丸の空堀
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●二の丸&馬出しの間の畝堀
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●馬出し
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●四脚門・・・本丸の西&馬出しの間。
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  土塁の切れ目に格式の高い門がある。
  白い玉石も敷いてあった。
 空堀を越えて「馬出」まで橋が架かっていた。

●本丸&三の丸の間の畝堀
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●三の丸
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・井戸跡
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●三の丸の空堀
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 昭和61年(1986)の発掘調査では
  三の丸跡などから障子堀跡も発見されている。
 (★パンフレット)

 昼間でも薄暗い。
 「まむし」が出そうな怖い場所である。

・土塁も明瞭に残っている。
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●三の丸&馬出しの間
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●物見櫓

▼戻った。馬出し〜二の丸
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▼下山





●車移動〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

●二の丸南東の二重堀

●東所沢病院の方から
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●案内板
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●二重堀
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◆◆ 滝の城の歴史 ◆◆
・奈良時代・・・横穴式墓群
  昭和51年(1976) 崖崩落防止の補強工事の際に本丸跡の
  崖付近から横穴式墓群が発見された。
 出土した須恵器から古墳時代後期の7世紀頃の物と推定
  されている。 全9基の横穴墓群が確認された。
  金環、ガラス小玉、須恵器 などが出土した。
  調査後埋め戻された。

・治承4年(1180) 源頼朝の挙兵
土豪が築城したものと言われている(伝)。
 


・長禄2年(1458) 大石顕重(信重の玄孫)が高月城(現八
王子市高月町)を築城し、二宮から本拠を移した。

・1500年頃 禅僧・万里集九の著:『梅花無尽蔵』巻六の
   「万秀斎詩序」
  「武蔵国守護の家臣に木曾義仲十代の子孫・大石定重が
   おり、武蔵国20余郡を掌握している。」
  
・大永元年(1521) 大石定重は高月城の北東1.5kmに滝山城
    (現八王子市丹木町)を築城し本拠を移転した。


○○○○年 大石定重が滝の城を築城した。 
  関東管領上杉氏の家臣:武蔵国守護代:大石氏の滝山城
  の支城として築城された。
  対岸の清戸番所との関係もあった。

・天文6年(1537)北条氏綱は川越城を攻略。
扇谷上杉朝定が松山城に逃亡した。
  

・天文15年(1546) 河越夜戦(かわごえよいくさ)
北条氏康軍
   VS  
上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合軍
 山内上杉軍も扇谷上杉軍も北から河越城を攻撃した
@山内上杉憲政6万5千は河越城の西の柏原に本陣を置いた。
  南・砂久保にも陣を置いた。大堀山城が含まれていない。
A扇谷上杉朝定は河越城の北:東明寺に本陣を置いた。
B古河公方・足利晴氏は東の伊佐沼近くに本陣をおいた。

武蔵の川越城(現埼玉県川越市)の付近で戦闘。
   →北条軍が勝利
川越城の奪回を図った両上杉氏であったが、・・・・・
@扇ヶ谷上杉朝定は戦死。扇ヶ谷上杉氏は滅亡。
A山内上杉憲政は上野(群馬)平井城に逃亡。
B古河公方:足利晴氏は古河に逃亡。
 
 北条氏綱は大勝した。
 結果・・・関東管領山内上杉氏は武蔵国から排除された。
 最終的には、越後国の長尾景虎を頼って没落した。

 滝山城主:大石定久は北条氏康の3男:氏照を娘:比佐
 の婿に迎えて、大石定久はは戸倉に隠居した。
 ※北条氏照は大石定久の養子となったのだ。
 
 滝の城は滝山城の支城になった。

・永禄7年(1564) 〜天正5年(1577)
北条氏による下野への遠征の際には滝の城は
 陣揃(じんぞろえ)が行われた。
北条氏照は滝山城(八王子)から北関東(上野・下野)
 に度々出陣した。
 滝の城は下野に向かう途中にあったので、
 軍勢集結場所になったのだ。

・永禄13年(1569) 武田信玄の滝山城攻撃
  北条氏照は戦いの後、八王子城に移した。

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
   滝の城は浅野長政率いる豊臣方に大手方面から
   急襲された。
   八王子城と共に落城した。
   後北条氏が滅亡。
   滝の城は徳川家康の関東入国の領内整備の頃には
   廃城となったと推測されている。
 
  元武田家臣:大久保長安が八王子の支配になった。
  



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