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zoom RSS 箕輪初心★山内上杉16代@「初代〜7代」=足利尊氏の母方系

<<   作成日時 : 2014/05/21 07:11   >>

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初代:藤原重房は将軍のお供をして鎌倉入りした。上杉氏を
名乗った。上杉氏@重房→A頼重→A憲房→C憲顕・・・・
足利尊氏&直義兄弟の母方の叔父:上杉憲房の子:上杉憲
顕が山内上杉氏を名乗った。→D憲方→E憲定→F憲基→
G憲実→(清方)→H憲忠→I房顕→J顕定→ K顕実→
L憲房→M憲寛→N憲政→ O長尾景虎=上杉政虎=
上杉輝虎=上杉謙信と続いた。今回は@重房→A頼重→
B憲房→C憲顕→D憲方→E憲定→F憲基についてまと
めてみた。

画像

 (★鎌倉八幡宮:銀杏が倒れる前)

山内上杉氏は関八州の@伊豆・A相模・B武蔵・C上野・
D安房・E上総・F下総・G越後の守護を兼ねていた。
鎌倉の山内(鎌倉市山之内=管領屋敷)に居館を置いた
ので、山内上杉家と言われた。
上杉家の中では【8】上杉憲実 ・【11】上杉顕定・【15】
上杉憲政・【16】長尾景虎→上杉政虎→上杉輝虎→上杉謙信
が有名である。


***************************************************
箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html 

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向  
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箕輪初心●新田義貞@「誕生〜楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

箕輪初心●新田義貞B「2度の鎌倉攻撃」
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箕輪初心★新田義貞「生品神社挙兵〜鎌倉進軍コース」
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http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_43.html


*******猪俣邦憲の関係********************************    
箕輪初心●埼玉【猪俣4城】&猪俣邦憲=北条氏滅亡へ?
http://53922401.at.webry.info/201405/article_18.html

箕輪初心■箕輪城シリーズ21「第13代:猪俣邦憲」
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箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城
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箕輪初心●岩櫃城探検隊第8弾【中山城2回目】
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箕輪初心■箕輪城シリーズS「第12代:北条氏邦」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_34.html

*******鉢形城の関係*****************************
箕輪初心●埼玉【第53回寄居北條まつり後編:攻防戦】&
『鉢形城の歴史詳細』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_15.html

箕輪初心○埼玉【第53回寄居北條まつり前編@準備〜パレード】
http://53922401.at.webry.info/201405/article_14.html

箕輪初心●埼玉:鉢形城4回目:外曲輪〜三の曲輪〜
二の曲輪〜本曲輪
http://53922401.at.webry.info/201311/article_30.html

箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
http://53922401.at.webry.info/201305/article_16.html

箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_15.html

箕輪初心◆埼玉『第52回寄居北條まつり2013鉢形城』
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201305/article_14.html

箕輪初心●箕輪城115【赤備え】&北条三鱗会の井伊直政
手作り甲冑@」
http://53922401.at.webry.info/201311/article_29.html

******鉢形城の支城***********************************
箕輪初心○埼玉【花園城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_17.html

箕輪初心●埼玉【天神山城】=鉢形城の支城
http://53922401.at.webry.info/201405/article_16.html
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箕輪初心◆埼玉県の歴史
http://53922401.at.webry.info/201405/article_22.html


◆◆ 山内上杉家16代の歴史:初代〜7代 ◆◆
【1】上杉重房・・・鎌倉に下向&足利氏と縁組
???? 京都の中級公家であった勧修寺流藤原氏の一族
     :左衛門尉藤原清房の次男として生まれた。

・建長4年(1252) 執権:北条時頼により鎌倉第5代将軍:
   藤原頼嗣が京都に追放された。
   北条時頼は新たな将軍として後嵯峨天皇の皇子:宗尊
   親王を擁立した。
   藤原→親王将軍の始まった。
  宗尊親王が鎌倉幕府第6代征夷大将軍に就任した。
  藤原(上杉)重房は介添えとして鎌倉へ出仕した。
  
  藤原重房は丹波国何鹿郡上杉庄(現京都府綾部市上杉町)
  を賜った。〜〜〜〜上杉重房を称した。
   (★『続群書類従』所載「上杉系図」)

・文永3年(1266) 宗尊親王は謀反の疑いにより帰京させられた。
  上杉重房は鎌倉に残り、鎌倉幕府に仕えた。
  やがて有力御家人:足利泰氏に仕えた。
  足利氏は代々北条氏から正室を迎えるのが通例であった。
そうして、新田一族より高い地位を得てきた。
  上杉重房の娘(妹?)が足利頼氏の妻となった。
  ※この婚姻は、足利氏が公家で朝廷とのつながりがあった
  上杉氏を重要視したことによると考えられている。
  足利頼氏と上杉重房の娘(妹?)の間に生まれた足利家時
  は足利家の当主となった。
  以後、上杉氏は姻戚関係を通じて足利家の中で権勢を得る
  ようになった。
   (★『尊卑分脈』)
  ○鎌倉明月院に木造上杉重房坐像(国重文)

  ※上杉重房の孫娘:清子は、足利家時の子:貞氏の
  妻になった。
  征夷大将軍足利尊氏や弟:直義を産んでいる。
 
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箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html 
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【2】上杉頼重
???? 上杉重房の子として生まれる。

 上杉重房の娘(上杉頼重の姉妹)・・・山名政氏の妻
   (山名時氏の母)
 上杉重房の娘(上杉頼重の姉妹)・・・足利頼氏の側室。
   足利頼氏と上杉重房の娘の間に足利家時を産んだ。
 上杉頼重・・・・足利頼氏より偏諱(「頼」)を受けた。
 
 ※上杉頼重の子ども・・・
  上杉重顕・・・・・・・・扇谷上杉家の祖
  上杉頼成(頼明、顕成?)・・・
  上杉憲房・・・・・・・・山内上杉氏3代目
  加賀局・・・・・・・・・勧修寺道宏の正室
  上杉重能・・・・・・・・上杉重顕・憲房の養子
  上杉清子・・・・・・・・足利貞氏の側室
   ※上杉頼重は娘:清子を甥:家時の子:足利貞氏
   に嫁がせた。  
  日静・・・・・・・・・・高師直の正室

  娘:清子&甥:家時の子:足利貞氏の子は
  足利尊氏・直義の兄弟であった。
  ※上杉重房の嫡子で、足利尊氏の外祖父にあたる。
 
・元弘3年・正慶2年(1333)5月22日 鎌倉幕府が滅亡。
  新田義貞・足利高氏は鎌倉幕府を滅ぼした後は
  足利貞氏・高氏の家宰として、娘婿:高師直などと
  政務の中心になった。


【3】上杉憲房
・元弘3年・正慶2年(1333)5月22日 鎌倉幕府が滅亡。

鎌倉幕府最後の執権:北条高時は鎌倉東勝寺にて一族ともども
自刃した。
「いい国作ろう鎌倉幕府1192」〜鎌倉幕府1333が滅亡。
上杉憲房は鎌倉幕府の打倒に功があった。
上杉憲房は伊豆の地頭職と上野の守護職を与えらた。
上杉憲房は新田義貞を牽制する役を担っていた。

6月 建武の新政=建武の中興
  後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始した。
 
  後醍醐天皇は天皇親政によって朝廷の政治を復権しようと
  したが、武士層を中心とする不満を招いた。

  
・建武2年(1335)  
  上杉憲房は足利尊氏が建武の新政に反乱に加わった。
  上杉憲房・足利尊氏は上洛した。
河内源氏:足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊した。

・建武3年(1336)1月、父:上杉憲房は戦死。
  北畠顕家・新田義貞の反撃を受けた。
  上杉憲房は京都四条河原で南朝方の北畠顕家・新田義貞
  と戦って足利尊氏を逃がすために戦死した。
足利尊氏は京都から九州へ逃走。
  

※上杉憲房の子
上杉憲顕・・・山内上杉家の祖
上杉憲藤・・・犬懸上杉家の祖
娘・・・・・・高師泰正室
上杉重行・・・
上杉重能・・・宅間上杉家
上杉重兼・・・
※従兄弟:上杉朝定(二橋上杉家→扇谷上杉家)、
弟:憲藤(犬懸上杉家)などを祖とする上杉諸家が足利
将軍家との姻戚関係を背景として室町時代を通し関東で
勢力抗争を展開することになる。

  

【4】上杉憲顕・・・山内上杉家の始祖。
上杉憲房の子。足利尊氏・直義兄弟の母:清子は父方の叔母
であり、尊氏・直義とは従兄弟の関係であった。

・元弘3年・正慶2年(1333)5月22日 鎌倉幕府が滅亡。
 建武の新政・・・足利尊氏の弟:直義が後醍醐天皇の
 皇子:成良親王を報じて鎌倉に鎌倉将軍府を成立させた。

・元弘4年(1334) 1月
  成良親王の護衛として関東廂番(ひさしばん)が
 置かれた。関東廂番は六番39名が二番番衆の一人
 として憲顕の名がある。
(★『建武記』)
 
・建武2年(1335) 足利尊氏が後醍醐天皇に反乱。
  上杉憲顕は足利直義(ただよし)に属した。
  
・建武3年(1336)1月、父:上杉憲房は戦死。

・延元3年/暦応元年(1338) 弟:上杉憲藤も摂津で、
  北畠顕家と戦って戦死した。
  
 ※4代・上杉憲顕が父の跡を継ぎ、山内上杉氏となった。
 
・延元3年/暦応元年(1338) 足利尊氏の命により斯波
 家長の後任として鎌倉府:足利義詮が首長の執事
 を任じられた。高師冬と2人制を取ることになった。

・興国2年/暦応4年(1341)越後の守護なった。
 上杉憲顕の守護代:長尾景忠が入国し、平定に尽力
  した。

・正平4年/貞和5年(1349) 観応の擾乱
 足利直義に代わって足利義詮が鎌倉から呼ばれた。
  足利基氏が鎌倉公方となって京都から下向した。

 上杉憲顕は高師冬と共に足利基氏を補佐した。
 足利直義方の弟:上杉重能が高師直の配下に暗殺
 された。
 足利直義方の上杉憲顕は足利尊氏方:高師冬と争うこと
 になった。

・正平6年/観応2年(1351)
  上杉憲顕は上野で挙兵した。
  子の上杉能憲は常陸で挙兵した。
  高師冬を鎌倉から追い出した。足利基氏を奪取した。
  甲斐の高師冬を信濃諏訪氏に攻めさせ自害に追い込ん
  だ。
  
  しかし、上杉憲顕は足利直義を鎌倉に招こうとしたため、
  足利尊氏の怒りを買って上野・越後守護職を剥奪された。
上杉憲顕は上野・越後守護の地位を奪われて一時没落
  した。

・正平7年/文和元年(1352) 足利直義が死去。
  観応の擾乱は終結した。
  上杉憲顕は信濃に追放された。

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箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向  
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html
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・正平7年(1352)  南朝の一斉蜂起。
@畿内
 北畠顕信・千種顕経・楠木正儀+足利直義派残党
A上野国
 新田義宗・新田義興と脇屋義治は宗良親王を奉じて上野国
 で挙兵した。
B信濃国 
 征夷大将軍:宗良親王も挙兵。
C北条時行の残党 
D足利直義派残党
E上杉憲顕
→鎌倉に進撃。鎌倉を一時的に占拠。

最終結果・・足利尊氏軍が勝利。
新田義宗・脇屋義治軍が敗れた。
・南朝:正平7年・北朝:文和元年(1352)から2年間
 相模:河村秀国・河村秀経らは新田義興・脇屋義治ととも
 河村城に籠城した。
 新田一族同族:畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃
をしのいだ(伝)。
しかし、南原の戦いで敗れ、河村城は落城し河村一族の多くは
 討死した。
@宗良親王は信濃に逃亡。
A新田義宗&義興、脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れた。
 その後、越後で小国で挙兵した。・・・山形へ
B北条時行は捕縛されて処刑された。


・正平13年/延文3年(1358)4月30日 足利尊氏が死去。
  先の足利直冬との合戦で受けた矢傷による背中の腫れ物が
  原因で、京都二条万里小路(現京都市下京区)で死去した。
  享年54歳。
  墓所・・・京都の等持院。   
       鎌倉の長寿寺。

 2代将軍:足利義詮&鎌倉公方:足利基氏兄弟は、幼少時に
  執事として補佐した上杉憲顕を密かに越後守護に再任した。
足利基氏の懇願で関東管領に復帰した。
  罪を許されて上野・越後守護の地位を回復した。
  越後国の国衙領の半分=上田荘・五十公郷などの所領が
  上杉憲顕のものとなった。
  

・正平17年/貞治2年(1362) 関東管領:畠山国清を罷免した。
   伊豆に籠った畠山国清を討伐した。

・正平18年/貞治2年(1363)
上杉憲顕を関東管領に召還しようとした。
 上野・越後守護代:宇都宮氏綱の重臣:芳賀禅可は鎌倉に
 上った。
 上杉憲顕を上野で迎え撃とうとした。
 
 武蔵苦林野の戦い
 足利基氏 VS 宇都宮・芳賀
  宇都宮・芳賀が敗退した。
 
 足利基氏は軍勢を宇都宮城に差し向けた。
 小山義政の仲介で討伐は中止された。

 結果・・畠山国清・宇都宮氏綱が務めていた関東管領職
  &越後・上野守護職→上杉憲顕になった。
  「関東の政変」と呼ばれている。
  そして、上杉氏は代々関東管領職に就くことになった。
  
 足利尊氏の次男:足利基氏が鎌倉に下向して鎌倉公方
 となった。
  上杉憲顕は鎌倉公方の執事=関東管領となり、鎌倉公
  方を補佐して越後を含む関東の政務を取り仕切った。

・正平22年/貞治6年(1367) 足利基氏が死去。

・正平23年/応安元年(1368) 武蔵平一揆の乱
  河越直重らが反乱を起こした。
  
  上杉憲顕の甥で婿:上杉朝房が幼少の足利氏満を擁し
  て河越に出陣した。
  上杉憲顕は鎮圧するのを助けた。
  
  結果・・武蔵など鎌倉公方の直轄領を上杉氏が代々
  守護職を世襲することになった。

  上杉憲顕は新田義宗や脇屋義治などの南朝勢の鎮圧に
  当たった。


9月19日 上杉憲顕が足利の陣中で死去。
墓所・・・伊豆の国市奈古屋の「国清寺」。

 関東管領は上杉朝房と上杉能憲が就任した。
 鎌倉公方:足利氏満の補佐を務めた。

  上杉憲顕の子ども
  上杉能憲・・・宅間上杉家
  上杉憲方・・・山内上杉家を相続、
  上杉憲英・・・深谷上杉家
  上杉憲栄・・・越後上杉家の祖となり、
         憲顕の子孫も関東に土着した。




【5】上杉憲方(のりまさ:のりかた)
   
・天授2年/永和2年(1376 ) 病気の兄:能憲から家督を譲られた。

・天授4年/永和4年(1378)
4月 上杉能憲の死の直前に上杉憲春が務めていた上野守護職
   や上杉憲春の所領も上杉憲方が知行すべき分として譲ら
   れた。
   上杉能憲の死後、関東管領には上杉憲春が任じられた。
   山内上杉家の家督は上杉憲方になった。

・天授5年/康暦元年(1379)
   3月7日 上杉憲春が自害した。
   康暦の政変に対する鎌倉公方:足利氏満に対する諌死
   だったという。
   3月21日 上杉憲方は関東軍の大将として派遣された
   が、上洛はせずに伊豆三島に留まった。
   4月15日 関東管領に任じられた
   4月28日には鎌倉へ戻った。
   5月 上杉憲春の上野守護職も上杉憲方に安堵された。

・弘和2年/永徳2年(1382)
 1月 管領職から退いた。

6月 上杉憲方が再任された。
小山義政の乱
小山義政・若犬丸父子の反乱鎮圧に功を挙げた
上野・武蔵・伊豆・安房・下野の守護職を与えられた。

・元中9年/明徳3年(1392)
  4月 老齢と病身を理由に管領職から退いた。
 
・応永元年(1394)上杉憲方が死去。享年60歳。
  墓所・・・鎌倉に建立した明月院。
画像

画像

画像

※上杉憲方の子ども
 上杉憲孝
 上杉房方
 上杉憲定・・・山内上杉3代目
 上杉憲重・・・




【6】上杉憲定 (1375〜1413)
・天授元年/永和元年(1375) 山内上杉憲方の3男として
生まれた。 
  
・応永元年(1394) 父:上杉憲方の死。
  上杉憲定が家督を継いだ。
上野・伊豆の守護となった。

・応永6年(1399) 応永の乱が勃発。
鎌倉公方:足利満兼が大内義弘に呼応しようとした。
 上杉憲定は足利満兼を思い留めさせた。
 上杉憲定は今川泰範と泰範の叔父:了俊の助命嘆願した。

・応永12年(1405) 関東管領となった。
  鎌倉公方:足利満兼とその子:足利持氏を補佐した。
 
  上杉憲方は室町幕府との関係改善に努めた。

・応永17年(1410) 足利持氏の叔父:満隆の騒動

・応永18年(1411) 関東管領職を上杉氏憲=禅秀に譲った。
 

・応永19年(1413) 上杉憲方が死去。享年38歳。

※上杉憲方の子ども
 長男:上杉憲基・・・・家督を継いだ。
次男:佐竹義人



【7】上杉憲基 (1392〜1418)
・元中9年/明徳3年(1392)上杉憲方の長男として
  生まれた。

・応永23年(1416) 上杉禅秀の乱
  4代:上杉憲顕の兄弟から出た宅間上杉家、犬懸上杉家
   が相次いで没落した。
  
 ※山内上杉家は上杉氏宗家となり、関東管領の職を
  ほとんど独占していくことになった。
  上野を本拠に武蔵、伊豆に勢力をふるった。

・応永19年(1412) 父:上杉憲の死。
  上杉憲基が家督を継いだ。

・応永22年(1415) 上杉禅秀が関東管領に任じられた。
  しかし、上杉氏憲=禅秀が管領を罷免された。
 鎌倉公方:足利持氏と対立した。
  

・応永23年(1416) 上杉禅秀の乱
上杉禅秀が反乱を起こした。
  
上杉憲基が敗れた。
  伯父の越後守護:上杉房方を頼って落ちのびた。

・応永24年(1417)上杉憲基が復活。
4代将軍足利義持や房方&今川範政らの力を借りて
再起して、上杉禅秀を滅ぼした。

 4月 関東管領職を辞任した。
上杉禅秀の乱の責任をとった。
  仏門に入って伊豆三島に隠棲した。

  6月 関東管領職に再任された。


・応永25年(1418) 上杉憲基が死去。 享年27歳。

※関東管領は従兄弟:房方の子:上杉憲実が継いだ。



★参考資料・図書
・上杉家:久保田順一先生の資料
・足利尊氏と直義:峰岸純夫著
  など多数。


★参考サイト
・ウイキペディア
・上杉家の系譜
http://www.geocities.jp/yosinonoyamame/keifu/uesugi2.html




★明日は上杉憲実かな?

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