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zoom RSS 箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男

<<   作成日時 : 2014/02/01 05:50   >>

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山口県の萩の指月城&吉田松陰の松下村塾に行ったのは
約30年前であろうか?
吉田松陰は教育者として有名である。
【蒼天の夢】〜松陰と晋作・新世紀への挑戦・・のDVDを見た。
明治維新前夜、日本の新しい夜明けに情熱のすべてを捧げた吉田
松陰と高杉晋作の青春時代を描いている。あらすじ・・元治2年
(1865)、倒幕に向け奇兵隊を率いて戦いを続けている高杉晋作
(野村萬斎)は、仲間達に師:吉田松陰(中村橋之助)の思い出
を語る形で展開されている。〜〜安政4年(1857)、高杉晋作は
黒船に乗り込もうと密航し投獄された。しかし、幽閉中の吉田
松陰が開いている松下村塾に興味を持つ。吉田松陰の価値
観と教育方針にうさん臭さを覚える高杉晋作だったが、次第に
吉田松陰の人柄が気になってくるのだった。
(★解説書より編集)
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吉田松陰の一族
 父:杉常道(1804~1865)&  
母:滝(1807~1890)
  長男:梅太→杉民治(1828〜1910)
 次男:本人・・・文政13年(1830) 8月4日(9月20日)〜
  長女:芳子(千代)(1832~1924)児玉祐之の妻
次女:寿(1839~1881)  小田村伊之助=楫取素彦の妻
3女:艶(1841~1843)  〜〜早世〜〜〜〜
4女:美和子(1843~1921)久坂玄瑞の妻→後、楫取素彦の妻
3男:敏三郎(1845~1876)

安政4年(1587) 初代群馬県令:楫取素彦は29歳で、吉田松
陰の妹:寿と結婚した。明倫館都講役兼助講→明倫館で教授&
吉田松陰の松下村塾の教育事業にも参加した。→初代群馬県令。
初代群馬県令:楫取素彦
箕輪初心★梶取素彦=群馬県令。吉田松陰の2人の妹:寿&文が妻
http://53922401.at.webry.info/201401/article_31.html



★★  吉田松陰の生涯 ★★
・文政13年(1830) 8月4日(9月20日) 萩城下:松本村(現山口県
萩市椿東椎原)で長州藩士:杉百合之助の次男として生まれた。
家禄26石。幼名は杉寅之助。
 父:杉百合之助、母:瀧
 しかし、叔父:吉田大助も杉家に同居していた。

・天保5年(1834) 叔父(父の弟):吉田大助の養子となる。
  吉田家に養子入り後、吉田大次郎と改める。
  通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。
  吉田大助は家禄は57石余。
  吉田松陰は山鹿流兵学師範:吉田大助から兵学を学んだ。
もう一人の叔父:玉木文之進は吉田大助の高弟であった。
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(★高杉晋作の家?)


・天保6年(1835) 6歳 吉田大助が死亡。
家督を継いだ。8代目当主となった。
   後見人は玉木文之進であった。


・天保11年(1840)11歳
 指月城の長州藩主:毛利慶親の御前講義で、『武教全書』
 戦法篇「三戦」を講義した。家老ほか数百人の家臣がいた。
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 藩主:毛利慶親から才能が認められた。
 藩校明倫館の兵学教授として出仕した。
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・天保11年(1840)〜2年間 アヘン戦争
  
・天保13年(1842) 叔父:玉木文之進が私塾:松下村塾を開いた。
吉田松陰は玉木文之進は第一期松下村塾で学んだ。

※アヘン戦争で清(中国)が西洋列強に大敗した。
  山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感した。

・弘化2年(1845) 山田亦介(村田清風の甥)から長沼流兵学を
学んだ。翌年には免許皆伝となった。

・嘉永3年(1850) 九州の平戸へ遊学。
藩主:毛利敬親から10ヶ月の許可と費用をいただいた。

 山鹿流兵学者:山鹿万介や葉山左内に学んだ。
 山鹿万介は藩儒であったが、年寄りだった。
 平戸藩家老:葉山左内は西洋の本を多く持っていたから
 である。
例・・・「近時海国必読書」・・・西洋の地理・歴史・国情など
     「西洋日本人記事」・・・キリスト教の伝道の歩みなど
「ナポレオンの伝記」
「慎機論」渡辺崋山著・・・発禁本だった。
などなど・・・
肥後熊本藩:宮部鼎蔵にを知った。
 『西遊日記』・・・25編の漢詩を書いた。

吉田松陰は危機感を持って帰ってきた。
  病気のため・・・4ヶ月の平戸滞在であった。


・嘉永4年(1851) 長州藩主:毛利敬親の参勤交代に従い
  江戸へ出た。
遊学生は20名・・・小田村伊之助(=楫取素彦)・中村百合蔵
   などがいた。
吉田松陰は教える立場であった。

  しかし、西洋兵学を学ぶために・・・・
  佐久間象山に学ぶ。
   ソウ竜軒:社交場兼私塾に出入りするようになった。
 肥後熊本藩:宮部鼎蔵に再会した。

7月 宮部鼎蔵らと東北旅行を計画した。
萩の杉家から10両用立てて貰った。
  長州藩からの過書手形(通行手形)の発行を待たずに
  脱藩した。
  東北地方へ遊学する際、通行手形の発行が遅れたため、
  熊本藩宮部鼎蔵・南部藩江幡五郎との約束を守るために
  通行手形無しで東北諸藩に赴くという脱藩行為を行った
  のだ。
※他藩の者に迷惑をかけるのは長州藩の恥と考えたよう
 である。
江戸
12月6日@水戸・・・会沢正志斎と面会

・嘉永5年(1852)
     A白河・・・
       B会津・・・日新館の見学
2月10日C新潟・・・
     D佐渡・・・金山見学
     E秋田の「相馬大作事件」の真相を住民に尋ねた。
     F弘前・・・
3月10日  G竜飛岬・・津軽海峡を通行するという
             外国船を見学しようとした。
H盛岡
     I仙台
J米沢
   K日光
L足利
4月10日 江戸に帰着〜〜〜
   長州藩桜田屋敷に行った。

12月9日 脱藩の罪に問われて士籍剥奪・世禄没収
  の処分を受けた。
杉家お預けとなった。

・嘉永6年(1853) ペリーが浦賀に来航。
吉田松陰は江戸にいた。
  佐久間象山と黒船を視察・・・★西洋の先進文明に心を
  打たれ、外国留学を決意。
  
 12月 吉田松陰と萩の金子重之輔と長崎に寄港していた
  プチャーチンのロシア軍艦に乗ろうと考えた。
  プチャーチンはパルラダ号等4隻の艦隊を率いていた。
  吉田松陰は乗り込もうと長崎に行った。
  しかし、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが
  参戦したので、4艦が予定を繰り上げて出航したためにロ
  シア船のは乗れなかった。
この後、プチャーチンはディアナ号に乗り換えたが、下田で
台風に遭い、故障・・・江川太郎左衛門の指揮で、西伊豆
戸田で船を修理した。



・安政元年(1854) ペリーが日米和親条約締結の為に再航。
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  金子と二人で伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ小舟で
  密航。・・・乗船して密航を訴えるが拒否された。
  ペリーが先のことを考えて断った。

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ポーハタン号は後に、小栗上野介達が乗船した船である。
 
◆◆箕輪初心★小栗上野介@「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介A「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介B「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介C「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介E「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介F「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介I「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介J「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介L「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

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吉田松陰は下田町隣村の名主に自首し、下田で取調べを受けた。
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 その後、下田〜中伊豆〜沼津〜江戸・・伝馬町の牢屋敷に送ら
 れた。

 密航事件で佐久間象山も投獄された。

 幕府の一部では佐久間、吉田両名を死罪にしようという動きも
 あったが、老中首座:阿部正弘が反対したため、助命された。
長州藩へ檻送され、萩の野山獄に幽囚された。
 
 獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に著した。

・安政2年(1855) 野山獄出獄を許され、杉家に幽閉の処分となった。
家族の薦めにより講義を行うようになった。

・安政4年(1857) ハリス江戸城で将軍と謁見

  吉田松陰は叔父:玉木文之進の松下村塾を引き継
  いた。杉家の敷地に松下村塾を開塾する。
 
  楫取素彦29歳は、帰国後、明倫館都講役兼助講。
    明倫館で教授。
  楫取素彦は吉田松陰の妹:寿と結婚。
久坂玄瑞は吉田松陰の妹:文と結婚。
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   吉田松陰の松下村塾の教育事業にも参加。。
 
「蒼天の夢」・・・
 長州藩の上士の子息として藩校:明倫館に通っていた高杉晋作
 は、ライバルで町民出身の久坂玄瑞が松下村塾に移ったことを
 知り、大いに興味を覚えた。
  松下村塾は、藩の兵学師範であった吉田松陰(中村橋之助)が、
 ペリーの黒船とともに密航を企て重罪人となり、幽閉された実家
 の萩・松本村の杉家で始めた私塾である。
 父・母・兄弟は罪人である松陰を慮っていた。
 高杉晋作は、罪人が教える塾など胡散臭いと思いつつも久坂のこ
 ともあり、様子を見もかねて松下村塾を訪れる。
(★蒼天の夢)
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※松下村塾
 ・久坂玄瑞
 ・高杉晋作
 ・伊藤博文
 ・山縣有朋
 ・吉田稔麿
 ・入江九一=前原一誠
 ・品川弥二郎
 ・山田顕義などの
  100人以上を教育した。
  松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、
  吉田松陰が弟子と一緒に意見を交わした。
  西洋兵学・文学・登山・水泳なども行なった。


・安政5年(1858) 日米修好通商条約を締結。
  吉田松陰は日米修好通商条約を非難した。
  老中首座である間部詮勝への要諫を計画した。
  しかし、弟子:久坂玄瑞・高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)
  らは反対して計画は成立しなかった。
  さらに、吉田松陰は江戸幕府の倒幕も考えるようになった。

  結果・・・吉田松陰は長州藩より野山獄に幽囚された。

安政6年(1859) 大老:井伊直弼による安政の大獄が始まった。
  幕命により江戸の伝馬町牢屋敷に送られた。
  老中暗殺計画を自供して自らの思想を語った。
幕閣の大半は吉田松陰の計画が実行以前に中止になったこと
  や吉田松陰自身が罪を認めていたことから、「遠島」にする
  のが妥当だと考えていた。

  しかし、間部への「要諫」が「暗殺」にすり替えられた。
  取調で口書が捏造されたらしい?
  調書が井伊直弼の逆鱗に触れた
  結果・・・吉田松陰は死罪を言い渡されることとなった。

・安政6年(1859)10月27日に江戸伝馬町の獄において斬首刑に
処される。享年30(満29歳)。
  
@『留魂録』・・・弟子達への遺書:辞世の句
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
  留め置かまし 大和魂」
取り調べのときの様子や捏造口書に署名させられた
 吉田松陰の無念さなども記されているそうである。

A『永訣書』・・・家族への遺書:辞世の句
 「親思う 心にまさる 親心
    けふのおとずれ 何ときくらん]


・処刑後、小塚原豊国山回向院(東京都荒川区)の墓地に葬られた。

・文久3年(1863) 高杉晋作ら攘夷派の志士達により
現在の東京都世田谷区若林に改葬された。
吉田松陰の墓

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・元治2年(1865)正月。高杉晋作(野村萬斎)は、幕府の長州攻撃
に対して恭順の意を示そうとする長州藩に対して、農民・町民か
  らなる奇兵隊を率いた。
  伊藤俊輔(後の博文)や山縣狂介(後の有朋)とともに戦った。
  いよいよ明日は、決戦。
 高杉晋作は、吉田松陰の形見の三味線を胸に、戦闘を知らぬ兵士達
 に、奇兵隊の成り立ちを話し始めるのだった。
(★ビデオより)
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※吉田松陰の「松陰」は寛政の三奇人の一人で尊皇家:高山彦九郎の
 おくり名にちなんでつけられた。
箕輪初心★高山彦九郎=群馬県新田出身

箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎A現代版「旅日記」
http://53922401.at.webry.info/201106/article_21.html

箕輪初心■大分:【日田豆田町】&【高山彦九郎&広瀬淡窓】
http://53922401.at.webry.info/201110/article_15.html


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