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zoom RSS 箕輪初心●栃木【伊王野城】=那須家分流:伊王野氏の城

<<   作成日時 : 2014/01/24 06:08   >>

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★律令時代〜奈良時代〜平安時代、東山道の「伊王野」は宿駅
であった。治承4年(1180)、源義経は兄:源頼朝の平家追討の
挙兵に呼応して、奥州平泉から鎌倉へと向った道である。
鎌倉時代、「義経街道」とも呼ばれる東山道は、那須家の伊
王野氏の城下として発展した。伊王野城は長享元年(1487)頃、
伊王野資清によって築かれた(伝)。寛永4年(1627)廃城に
なるまでの約150年間、伊王野氏の居城として使用された。

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*****那須一族関係*********************************

箕輪初心★那須一族の歴史=〜2代:那須与一宗隆〜31代
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箕輪初心★栃木:【那須与一伝承館】&与一の信憑性
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*******益子焼*****************************

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〜〜〜栃木県の城シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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〜〜〜〜以上が宇都宮一族系〜〜〜〜〜〜〜〜

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■訪問日・・・平成19年(2007)5月26日  
日光からの奥の細道コース散策の一環・・・
@日光  A塩谷 B矢板の川崎城 C大田原の霞城 
D黒羽に黒羽城+大雄寺+芭蕉館+雲願寺  E高館城  
F伊王野城 G芦野城・・・一日コースである。


【1】道の駅【伊王野】
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(道の駅からの伊王野城遠望)

・でっかい水車が回っていた。
三蔵川に沿った山里にひっそりと息づいている村って
感じと思っていたが、・・・・
道の駅伊王野だけは繁盛しているようだ。
そば、食いでえ〜なあ。と思いつつ・・・
今日も昼飯はなしだ。先を急いだ。



【2】伊王野城
●伊王野集落の北にある。
 伊王野城は北から南へ伸びた山塊の先端頂部に築かれていた。
 
 芦野方面へ向かった。
 

●看板・・・
画像

画像

画像


●西の国道294号線沿いの道から車で山頂へ向かった。


●西の山腹にある竪堀と横堀の遺構は壮大である。


●「逆コの字」に行くと
 山頂近くまで登ることができた。


●駐車場2〜3台・・三の郭下で五の郭との間
▲標高290~300m付近。
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・現在は南西尾根の広大な郭の部分が公園として整備されて
 いる。


●案内板
「歩いて登る場合は伊王野小学校の南側に駐車場があり、正福寺
 の隣から遊歩道がある。また学校の北東側の民家の脇から登る
 道は大手口である。馬頭観音堂を経由して、九十九折りの道を
 行くのが、大手道である。」
※栃木県那須郡那須町大字伊王野字河原町・・・
★本来は、こちらはなかった道である。
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@下に五の郭は見える。

A三の郭の南西端の虎口
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B三の郭・・・土塁が巡る一番広い郭である。
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・三の郭を歩いた。
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・北へ登っていく
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C二の郭下段
D二の郭上段

・北東の隅に櫓台状の高台が残っている。

E堀切

F主郭


G横堀〜堀切



◆◆ 伊王野城&伊王野氏の歴史 ◆◆
・律令時代〜   東山道

・治承4年(1180) 源頼朝挙兵
源義経は馬頭観世音で祈願した。
愛馬が病気になった。・・・

・鎌倉時代
 那須氏4代:那須資頼→頼資(宇都宮朝綱の関係者)
 源頼朝から一字を与えられて那須頼資と名乗った(伝)。
 当主として活動した時期は短期間であったと推測される。
@那須光資
A伊王野資長・・・那須七騎の伊王野氏の祖である。
 那須氏の家督は光資の弟:那須資長との系統が継承した
 説もある。


・延応元年(1239)那須資長は伊王野を分知され伊王野館を
  構えて居城とした。
東西126m×南北111m・・・現伊王野小学校。
  伊王野次郎左衛門尉資長と名乗ったことに始まる。
 

B荏原朝資
C味岡広資
D稲沢資家
E河田資氏
河田資氏は現大田原市川田=高館城の南・・・

F矢田治資
○娘の一人・・・小栗頼重に嫁いだ。
 侍女と小栗一族との間に生まれた子の末裔が那須七騎大関氏と
 なった(伝)。


2男:伊王野資長・・伊王野氏
※7男:稲沢資家
※8男・河田資氏・・・川田大輪高館は高館城である。
3兄弟が伊王野の支配に当たった。

・伊王野資長→嫡男:高頼→資宿(すけやど)




・南北朝時代
 伊王野資宿(すけやど)&資直父子は那須氏の家臣として
 北朝に属した。奥州の遠征にも参陣した。


・応永23年(1416)上杉禅秀の乱
那須資之は義理の父舅:上杉禅秀につき、鎌倉公方:
 足利持氏の討伐を受けた。
 弟:沢村資重は足利持氏を頼った。
 
  那須資之の上那須家・・・福原城が本拠。
  沢村資重の下那須家・・・沢村城→稻積城→烏山城

・※以後、約100年、2家が併存することになった。

・永正13年(1516) 上那須家滅亡まで続くことになる。

*******上那須家************
【13】那須資之
【14】那須氏資
・享徳2年(1441)享徳の乱
 沢村資持が足利成氏に味方し、結城氏と協力して足利成氏の
 古河城入城を支援した。
 那須氏資は反足利成氏の上杉氏や宇都宮氏に味方した。 
@那須明資
A那須資親
B娘・・・・・宇都宮等綱の妻
【15】那須明資
・享徳3年(1455) 享徳の乱
・文明4年(1472) 結城直朝の仲介で和解。
  沢村資実に娘を嫁がせた。
 〜〜〜〜これを機に古河公方側に寝返った。
 ※那須資房、那須政資の那須家統一のきっかけとなった。
・その後、足利成氏+長尾景春や千葉孝胤と組んだ。
・文明11年(1477) 長尾景春の乱を支援した。



【16】那須資親
 16代目を那須明資の弟:那須資親が継いだ。
 ○長女は宇都宮成綱の妻・・・
 ○次女は那須資永の妻・・白河結城政朝の子:資永を養子に迎えた。
 @那須資久・・・晩年の子
 ※上那須家の地位の安泰化を図った。
 


【17】那須資永・・・那須資親の養子。実父は結城義永。
養子:那須資永 VS 実子:那須資久
 後継者争いが勃発。
 那須資親の死・・・上那須家は断絶、滅亡。

伊王野氏は白河結城氏の一族:小峰弥太郎を養子にしたが、
 上那須家&下那須家の争いで、伊王野氏の家督は継げなか
 った。



・長享元年(1487)頃までには 伊王野資清によって築かれた
 (伝)?。


 ※伊王野氏館(現伊王野小学校)→伊王野城に移った。

・永正17年(1520) 白河の結城義永(顕頼?)&岩城常隆の
  連合軍1500騎が那須に侵入。
  那須資房500騎は山田城で籠城した。稲沢・伊王野の
援軍120騎が来た。
さらに、烏山から150騎・茂木200騎
など合計1800騎?が合流した。
  縄釣台の戦い・・・
  那須資房を中心とした那須軍が連合軍を打ち破った。

・永正18年(1521)岩城常隆+結城+宇都宮+小田+喜連川
  連合軍が那須に再侵入。 
  大田原資房は上川井城で籠城した説
上川井氏300騎の籠城説
  那須資房&政資が上川井城に援軍に行った。

〜〜〜中略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・天正18年(1590) 豊臣秀吉による小田原攻撃
 大田原綱清は病に倒れたために嫡男:晴清に家督を譲って
 豊臣秀吉の小田原征伐に参加させた。大田原晴清は豊臣秀
 吉に従った。3月27日のことだった。
 ★小田原攻めの3ヶ月前だった。
 3月27日那須七騎の2家:@大関晴清・A大田原綱清は
  沼津まで豊臣秀吉を迎えに行き従軍した。
★小田原攻めの3ヶ月前だった。

那須七騎のB福家資高(大関弟)&C伊王野資信は、主家:
 烏山城主那須資晴には従わず、那須衆として豊臣秀吉の
  小田原城攻めに少し遅れて参陣した。

 
那須宗家はさらに遅れて小田原に参陣しただけであった。 
D8代目:那須資晴は「時期尚早。」として豊臣秀吉に従わな
 かった。・・・那須資晴は小田原攻めに遅刻した。
★那須資晴の遅参理由(★那須烏山町史)
・理由@状況判断の甘さ・・
  北条氏に組した安心感や過信
豊臣秀吉の実力を理解していなかった。
・理由A戦争に明け暮れた半生への疑心暗記
家臣団との意思統一ができなかったこと
大田原綱清を信用していない・・・頑固一徹?
 ・理由B那須烏山を離れられなかったこと
佐竹や宇都宮の反撃からの怖さ・・・

※豊臣秀吉の仕置き&裁断 
大田原一族3兄弟
@長男・・大関高増
  豊臣秀吉の小田原征伐に参陣
  大関資増は東軍に与して下野小山に参陣した。
豊臣秀吉から大田原晴清は7,115石の本領を安堵された。
 黒羽に戻って会津の上杉氏(西軍)の動きに備えた。
  戦功により、徳川家康から7000石を加増され
  10,000石の所領を安堵+息子:晴増が3,000石が
  与えられた。大関氏は13,000石・・合計2万石の
  大名となった。
※大田原晴清は那須氏から認められていた領土をそのままに
  近世大名へと脱皮を果たした。

A次男・・福家資孝
  兄:大関高増&弟:大田原綱清より、豊臣秀吉に謁見す
  るのが遅かった。所領安堵の石高は2,610石に留まった。

B3男:大田原綱清は病に倒れたために嫡男:晴清に家督を
  譲って豊臣秀吉の小田原征伐に参加させた。大田原晴清は
  豊臣秀吉に従った。3月27日のことだった。
  ★小田原攻めの3ヶ月前だった。
 結果・・・1万3000石の所領を安堵された。

C甥:8代目:那須資晴は「時期尚早。」として豊臣秀吉に従
  わなかった。・・・那須資晴は小田原攻めに遅刻した。
 豊臣秀吉の怒りを買って、那須家は所領没収=改易。
 しかし、重臣:大田原晴清の陳謝により、旧領福原左良土
 5000石が資晴の子:那須資景に所領が与えられ、那須氏の
 存続は許された。
 奥州における一揆勢力と那須氏再興の動きが連携することを
 恐れたからだとも言われている。(★ウキペディア)
→那須家は没落。
・その後、豊臣秀吉より罪を許され、那須資晴は5000石が
 与えられた。

D伊王野氏の所領は本領のみ安堵(1万3000石→700石余)
となった。



・慶長5年(1600)関ヶ原合戦
  伊王野資重は徳川家康に属して上杉景勝の南下
  に備えた。

  
会津の関山の戦い・・・・
伊王野氏家臣39人が死亡。

  
 
伊王野資重は戦功があり2000石の加増を受け、旗本となった。
2530石になった。

  (700石→2530石)・・・江田郁夫氏では。
  徳川家康の奥羽の憂いをなくした那須衆に多くの褒美
  が出たのだった。


・寛永4年(1627)伊王野資友が伊王野陣屋を築いて
  居城を移った。

 伊王野城は廃城となった。

・寛永10年(1633)伊王野資房が嗣子なく没して、伊王野氏は改易
  となった。


★参考文献
・那須烏山町史
・関東の名城を歩く:文責:江田郁夫著

★参考サイト=Hp
・ウキペディアなど





★明日は芦野城かな?

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