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zoom RSS 箕輪初心●栃木【川崎城】宇都宮氏分流:塩谷→群馬中之条の塩谷

<<   作成日時 : 2014/01/12 08:20   >>

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川崎城の南西には、館の川=弁天川の沢が急な崖となって
いて、宮川に合流するので、東も急な崖になって、いる。北は
峰続きであるが、深い空堀:二&三の堀になっている。本丸は
南東部を見渡せる高い場所にある。本丸を囲むように土塁・
空堀・曲輪が築かれ、敵が攻めにくい構造になっている。
「カタツムリ状の城」で、蝸牛城とも呼ばれているそうである。

 (★パンフレットより編集)
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箕輪初心●群馬:中之条:【和利宮城&伊勢宮城】
http://53922401.at.webry.info/201202/article_11.html
群馬に移り住んだ塩谷一族の城である。

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〜〜〜栃木県シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心●栃木:『宇都宮一族の歴史』&【宇都宮城&多気山城】
http://53922401.at.webry.info/201312/article_23.html


箕輪初心★栃木【益子焼】=濱田庄司・島岡達三などが発展に貢献
http://53922401.at.webry.info/201312/article_26.html

箕輪初心●栃木【壬生城】=小田原で滅亡した壬生5代の城 
http://53922401.at.webry.info/201312/article_18.html

箕輪初心●栃木【児山城】=宇都宮氏の南を守る城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_19.html

箕輪初心●栃木【上三川城】=近世城郭のような中世古城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_20.html

箕輪初心●栃木【飛山城】=宇都宮一族の芳賀氏築城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_22.html


箕輪初心●栃木【益子城】&益子そば祭り
http://53922401.at.webry.info/201401/article_9.html

箕輪初心●栃木『板東20番:西明寺』&【西明寺城】=益子氏の詰め城 
http://53922401.at.webry.info/201401/article_10.html

箕輪初心●栃木【真岡城=芳賀城】=後北条氏と戦った芳賀氏の城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_21.html

箕輪初心●栃木【茂木城】=佐竹についた宇都宮一族
http://53922401.at.webry.info/201401/article_11.html

〜〜〜〜以上が宇都宮一族系〜〜〜〜〜〜〜〜

箕輪初心●栃木【中村城】:伊達政宗の先祖が築いた城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_25.html


箕輪初心●足利氏館跡:足利尊氏を輩出した城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201311/article_5.html

箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html

箕輪初心●栃木【唐沢山城】佐野氏→上杉謙信→北条氏→佐野氏
http://53922401.at.webry.info/201312/article_8.html

箕輪初心●栃木【佐野城】&佐野厄除け大師&佐野信吉
http://53922401.at.webry.info/201312/article_9.html

箕輪初心◆栃木:【例幣使街道の宿場町&水運蔵の街:栃木】&レイテ島
http://53922401.at.webry.info/201312/article_16.html

箕輪初心◆下野:古代都市【@琵琶塚古墳・B国府跡・D国分尼寺等】
http://53922401.at.webry.info/201312/article_17.html

箕輪初心★栃木【祇園城=小山城】&小山一族の栄枯盛衰の歴史  
http://53922401.at.webry.info/201312/article_10.html
  
箕輪初心○栃木[小山氏城跡A]=【鷲城】&小山義政
http://53922401.at.webry.info/201312/article_11.html

箕輪初心●栃木小山【中久喜城】=鉄道で真っ二つの城
http://53922401.at.webry.info/201312/article_12.html


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■訪問日・・・平成19年(2007)5月26日  
日光からの奥の細道コース散策の一環・・・
@日光  A塩谷 B矢板の川崎城 C大田原の霞城 
D黒羽に黒羽城  芭蕉館  ・・・の一日コースである。

●塩谷から矢板の町の手前を南下すること約5km?の所に
川崎城はあった。矢板市・・・

●大きな「川崎城」の看板があった。

●東北自動車道手前に登り口があった。
現在は、西側を東北道が通り一部城跡が破壊されている。
●看板もあった。
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「川崎城は、宮川西岸の東西にのびる丘陵に築城されている。」
「城の縄張りは、山頂部の本丸を空堀が取り囲み、その外側に
 帯曲輪と二の丸、更に西に三の丸を配置。・・・・」

●南曲輪・・・川崎城址公園の入口だ。

●本丸と三の丸の境の空堀がでかい。
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●本丸の虎口は、階段で整備されていた。
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●本丸には、碑があった。
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●二の丸の景観
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もっと写真があるはずだが、見つからない。



■見所・・・主要部分は城址公園として整備。構造が残存。
 土塁の高さや空堀の深さ、曲輪の配置などが立派で、
 流石、塩谷氏の本城???。




◆◆ 川崎城&塩谷氏の歴史 ◆◆
源氏姓塩谷氏 
 源義家→義親→@頼純→A惟純→B惟頼→C正義→
D朝義→養子:朝業

宇都宮氏岨:藤原宗円→B宇都宮朝綱→C業綱→綱頼
の弟:朝業

・正治・建仁年間(1199〜1203) 塩谷朝業が築城。 
   塩谷朝業は宇都宮宇都宮業綱の子で塩谷朝義の養子
   となって家督相続した。
   兄宇都宮頼綱の出家。
   塩谷朝業は宇都宮氏を代表して鎌倉幕府に出仕した。

  ※塩谷朝業は3代:将軍:源実朝仕えた。
歌人としても有名だった。

・承久元年(1219) 源実朝が公暁の殺された。

・承久2年(1220)塩谷朝業が矢板に帰国。
  出家して、信生と名乗った。
「うれしさに にほひも袖に あまりけり
 わがためを 梅の初花 」

(★信生法師集)
「あわれみよ われもあらしに なりぬべし
    母散り果てし もりの木の元  」

と、川崎城で呼んだ。

・長禄2年(1548) 塩谷教綱が宇都宮城内で謀殺。
    塩谷氏は断絶。
   →宇都宮17代成綱は4男:孝綱を塩谷氏の家督相続
    させ、再興した。
    塩谷氏は、孝綱→由綱(義孝)→継承。          

・天正13年(1585) 沢村城の戦い
塩谷由綱の継嗣問題で対立。
※塩谷孝綱の嫡男:由綱 VS 喜連川塩谷氏を継いだ弟:孝信
   
   宇都宮・佐竹・那須氏も巻き込んで沢村城をめぐって攻防。 
   
  薄葉ヶ原の合い
   宇都宮氏 VS 那須氏
   那須氏が勝利。・・・沢村城は那須氏が完全に掌握した。
        
   
・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
   塩谷由綱は豊臣秀吉に背いたため、所領を没収。  
   →塩谷由綱は川崎城を立ち退いた。
〜〜〜川崎城・御前原城は廃城。〜〜〜〜〜

    塩谷由綱は常陸の縁戚:佐竹義宣を頼った。

・慶長7年(1602) 佐竹義宣と秋田へ移った。

・慶長9年(1604) 佐竹義宣は久保田城を築城。
   塩谷義綱は久保田藩初代藩主:佐竹義宣に仕えた。
   塩谷氏は佐竹氏の家臣として存続した。
    

★参考資料
・パンフレット
・宇都宮氏&芳賀氏




◆◆ 群馬の塩谷氏〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【1】和利宮城・・中之条町伊勢町和利宮 
■訪問記・・・平成24年(2010)02月04日
 宇都宮一族の分家:塩谷=塩野谷氏の居城は中之条町の
 吾妻神社辺りであったらしい。「和利宮城」あるいは、
「和利宮館」と呼ばれている。
 東に名久田川の崖が30m程ある。西は水量の少ない
 桃瀬川が流れている。平地にあることから、平時の館
 であると思われる。しかし、伊勢宮を詰め城と考えると
 平時の居館は南麓にあったのではないかと推測される。
  
【2】伊勢宮城・・・中之条町伊勢町の伊勢宮
★塩谷氏の詰め城であろう。
■訪問記・・・平成24年(2010)02月04日
・中之条高校の東500m。中之条駅の北の山腹にある。
・和利宮=吾妻神社の国道145号を挟んだ反対側に城郭がある。
 伊勢町公民館の向かいの「伊勢宮」である。
○鳥居下に路上駐車。
 ○参道下の堀ないし
 ○土塁
 ○池・・・・水の手郭?
 ○急な斜面
 ○伊勢宮本殿
 ★元来の吾妻神社は伊勢宮のあった場所であると推測できる。
 そして、現在の場所つまり、東へ500mほどの平地に移され
 たのではないだろうか?



◆◆ 塩谷一族の歴史 ◆◆
・平安末期〜鎌倉時代 
  ・「吾妻太郎」が岩櫃城の周辺(現高山村・中之条町
   ・吾妻町)を治めていた。
  ・吾妻四郎助光が天下。

・承久元年(1219)1月、3代将軍源実朝が甥:公暁に暗殺。
        吾妻四郎助光が戦死。
         吾妻助光死後→吾妻氏が衰えた。
  源実朝の急死→源頼朝の正室:北条政子が代行。
  執権:北条政子:弟の義時が補佐。
 
塩谷朝業の子孫の一部は、鎌倉時代〜戦国時代
  の中期まで群馬の中之条町に在住した。


塩谷氏は吾妻四郎助光の娘を貰った可能性が
  高い(私見)。


・室町時代


・戦国時代
・吾妻家の子孫斉藤家の配下の「大野家」「塩谷家」「秋間家」
 の3家が台頭し、領地を3分割した。
ちなみに、
 @大野家=斉藤家の分家は稲荷城に居住。
 A塩谷(しおのや)家=宇都宮一族の分家→栃木塩谷
   →中之条の和利宮館&伊勢宮の丘に居住していた。

 B秋間家=斉藤家家老は川戸内出城に居住していた。
 吾妻三家は中之条周辺の領地を三分した。

 3家は領地を巡って争った。
 ・塩谷氏は原町・中之条の3勢力の一つだった。
  一時は、中之条町の城にいて、斉藤一族との血縁もあり、
  中之条・原町の覇者になった。


・文明5年(1473) 岩櫃城主:大野義衡に塩谷秀治は滅ぼされた。
  やがて、「大野家」が勝利し、
 岩櫃城に居住して吾妻を治めることになった。

  
和利宮城主塩谷掃部介秀治には、娘が1人しかいなかった。
 甥の仙蔵城主:折田源二郎元清に嫁がせた。しかし、夫婦仲が
 悪く、娘は身ごもったまま父の元に帰って来た。
 塩谷秀治は娘の行動に怒り、和利宮館に入れなかった。
 娘は仕方なく大野義衡を頼った。大野義衡が喜んで匿った。
 娘は岩櫃城(←稲荷城から)で男児を出産した。
 塩谷秀治は娘と孫を人質に取られた形であった。
 大野義衡に降伏した。その後、大野義衡は塩谷氏一族:蟻川・
 池田・尻高および塩谷秀治の家臣:割田・佐藤・中田らを
 味方につけ、塩谷秀治を殺害した。
 塩谷秀治の孫は大野義衡によって一場二郎と名付けられ、
 大野義衡の二男として養育された。
 その後、岩櫃城主:大野憲直(義衡嫡子)は岩下城主:斎藤
 憲次に「植栗城主:植栗元吉を討て。」と命令されたが、逆に、
 斎藤憲次は植栗と手を結び、大野憲直にを滅ぼして、
 岩櫃城主となった。塩谷氏も斉藤憲次に従ったとされる。



・天文年間  母が上野国(群馬)安中出身の斉藤憲広が
  中之条を支配した。

・永禄3年(1560)に羽根尾城主:羽尾幸全は斎藤憲弘に頼ん
 で、鎌原城主:鎌原幸重を攻めた際には、塩谷将監が斎藤
 憲弘の将として鎌原城へ攻めている。
         (★上毛古戦記P46『加沢記』)

・永禄3年(1560) 斉藤憲弘は岩下衆として長尾景虎の関東出兵
 に参加した。
 ★塩谷一族も参加した可能性が高い。(★私見)
  岩下衆は斉藤憲弘&山田しか出ていない。
  関東幕注文が切れてしまっているからである。



・永禄6年(1563)に真田幸隆・昌幸(幸村の父)に岩櫃城主:斉
  藤憲広は滅ぼされた。
真田幸隆の侵略で塩谷一族は分散して
 しまったらしい。
 




    
★明日は、栃木:那須一族関係かな?

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こんばんは塩谷(しおのや)家の記事、興味深く読ませていただきました。現在のところ僕の世代で塩谷家は途絶えそうですが、代議士だった塩谷五十足を含む先祖の墓は吾妻に残っております。加沢記にあるしおのや家は僕の先祖かと推測できますが、栃木の塩谷家との連続性ははっきりしません。ただ、家紋が同じ左三つ巴であったり先祖が神主であったりした点を見て関連あるのかとも思ったりしております。中之条あたりに塩谷姓は他家にもけっこうあるのですが、調べてみると左三つ巴とは家紋が異なりました。分家したと思われる一場姓は同じ左三つ巴ですが、左三つ巴の塩谷家は僕だけしか残っていないようです。
塩谷の末裔?
2016/10/05 20:41

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