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zoom RSS 箕輪初心◆【足利初代〜8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目

<<   作成日時 : 2013/12/06 05:41   >>

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源義国は源氏の源義家の子ではあるが傍流であった。孫の足
利義兼と源頼朝が縁戚関係にあって従兄弟となった。つまり、
足利義兼は北条時政の娘を妻にした。以後、足利氏は前半は北
条得宗家と後半は北条氏の庶流の有力な一族と縁戚関係が幕末
まで続いた。鎌倉幕府幕末の後醍醐天皇の挙兵に際して、足利
高氏(尊氏)が新田義貞ともに、鎌倉幕府を倒した。結果とし
て足利尊氏は足利幕府を開くこととなった。

鑁阿寺(ばんなじ)は鎌倉時代の足利氏の館であり、足利8代目
の足利尊氏を輩出した本領の館である。足利氏の館は四方に門
を設け、館=寺の境内の周りには土塁と堀を巡らした館である。
鎌倉時代の武士の館の面影を残している。
★平成25年(2009)11月7日、かみつけの里「栃木歴史散策」
で3回目の足利学校&足利氏館跡を訪問はガイド付であった。
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(★足利市の足利尊氏像)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心●足利氏館跡:足利尊氏を輩出した城&100名城   
http://53922401.at.webry.info/201311/article_5.html

箕輪初心◆栃木:鑁阿寺&板東17番:満願寺
http://53922401.at.webry.info/201311/article_6.html

箕輪初心◆栃木:【足利学校】3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_5.html

++++++++++++++++++++++++++
箕輪初心●新田義貞@「誕生〜楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞2「新田〜鎌倉進軍」  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

箕輪初心●新田義貞B「2度の鎌倉攻撃」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

箕輪初心★新田義貞「生品神社挙兵〜鎌倉進軍コース」
http://53922401.at.webry.info/201303/article_18.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞4「足利尊氏との対立」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞5「福井:金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞6「福井:そま山城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞7「福井:新田義貞の最後」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

◆◆ 箕輪初心★新田一族「千利休」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_27.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

■訪問記@・・平成20年(2007)2月7日
★個人で
【1】足利氏館跡=鑁阿寺(ばんなじ)
【2】足利学校
【3】法楽寺
【4】足利の八幡神社



■訪問日A・・・平成21年(2009)1月1日初詣
★マーちゃん・中ちゃんと
【1】足利氏宅跡(鑁阿寺)    
【2】足利学校
【3】満願寺


■訪問日B・・・平成25年(2013)11月7日
★かみつけの里のバス旅行
【1】足利学校(日本最古の総合大学)・・・3回目
【2】足利氏宅跡=鑁阿寺・・・3回目
鑁阿寺(ばんなじ)は鎌倉時代の足利氏の館であり、四方に門を設け、
寺の境内の周りには土塁と堀を巡らした館である。鎌倉時代の武士の
館の面影を残している。足利6代目:足利尊氏を輩出した館である。
現在、鑁阿寺は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山であ
り。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている。
★見所・・・水堀と土塁によって防御された館武士の屋敷の
 遺構・門・寺の建物群
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・行ってない西門から出た。
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・南門・・・正門
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 (★織物の町パンフレット)
・南東の堀
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◆◆足利氏初代〜8代目足利尊氏 ◆◆
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※河内源氏:源義家(八幡太郎義家)の4男:源義国(足利式部
 大夫)は下野国足利荘(栃木県足利市)を領した。
@源義国の長男:新田義重である。
 ★源義家(八幡太郎義家)の嫡流は俺であるという意識が
強かったらしい。
A源義国の次男:足利義康=源義康である。
  以降の子孫が足利氏を称する。
※源義康(足利義康)は鳥羽上皇の北面武士となり、保元の乱で
 平清盛、源義朝と共に戦った。
 藤原季範長男:範忠の娘=源頼朝の母の姪を妻にしている。

源義康(足利義康)は鳥羽上皇の北面武士となり、
保元の乱で平清盛、源義朝と共に戦った。藤原季範長男:範忠の娘
=源頼朝の母の姪を妻にしている。


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・治承4年(1180) 源頼朝挙兵
足利氏2代目:足利義兼は参加〜〜〜
 鎌倉幕府の有力御家人として源氏将軍家の一門的地位にあった。

★新田義重は源頼朝からの「娘を妾に」という依頼を断り、
 さらに、現高崎の寺尾で、独立態勢をとった。
 息子の山名義範や里見義弘は、足利義兼同様に、いち早く
 参陣した。木曾義仲も源頼朝に人質を出し、北陸道から
 京都に入った。
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心●里見一族シリーズ@「新田から里見へ」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html

箕輪初心●木曽義仲(1154〜1184)=征夷大将軍になった人物。
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

・文治5年(1189) 足利義兼が樺崎寺の建立。
足利義兼は奥州合戦の戦勝を祈願して寄進し、伊豆走湯山の
 「理真朗安」を開山として創建した(伝)。

・建久6年(1195) 足利義兼は出家した。


・建久7年(1196)源姓足利氏2代目:足利義兼の居館
   堀内御堂が足利氏館となった。
   中世の武士の邸宅:館の中に持仏堂を建立。
   ・・大日如来を祀った。
   足利義兼の妻は北条時政の娘である。
   つまり、源頼朝の妻:北条政子の同母妹である北条時子
   を妻に迎えたのである。


  ★鎌倉:浄妙寺・宝戒寺を菩提寺にした。
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・正治元年(1199) 足利義兼は没した。
樺崎寺には義兼の廟所がつくられ、赤御堂と称された。
以後、樺崎寺は足利氏の菩提寺となっている。
 (★「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」=室町時代の成立。)
(★足利尊氏と直義:峰岸純夫著)



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・正治元年(1199) 足利義兼は没した。
足利3代目:足利義氏が継いだ。


・天福2年(1234) 足利義氏が追善供養のため
   大御堂(現本堂)を建立。
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  堂塔伽藍を整備して足利一門の氏寺とした。
  →鑁阿寺となった。
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  東光院・普賢院・不動院など12院が6院ずつに分かれた。  

  足利義氏の妻は北条泰時の娘である。
検非違使であり、従4位の下で、鎌倉幕府の
 重要人物であった。
※法楽寺・・・3代足利義氏の創建。
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※足利義氏が上総・三河の守護職を務めた。
  細川氏、斯波氏、渋川氏、一色氏、畠山氏、吉良氏、今川氏、
  仁木氏、上野氏、戸崎氏などの庶流を分出し、全国に
  広がった。


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・嘉禎3年(1237) 第4代目:足利泰氏は宮内少輔になった。
  鎌倉幕府4代将軍藤原頼経に近仕した。宝治合戦の直前、
・宝治元年(1247) 足利泰氏の正室が死去。

・宝治2年(1248)    宮騒動→宝治合戦
  執権:北条時頼による得宗家専制体制強化
  有力御家人の勢力が削がれていった。
  父:足利義氏は幕府宿老として重んじられていた。
(※足利義氏の妻が北条時頼の娘で源頼朝の妻:政子の妹)

・建長3年(1251) 足利泰氏は36才で無断出家。
  →鎌倉幕府の無許可で出家したことを咎められて足利の本領
  に蟄居した。
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  第5代目:足利頼氏が足利泰氏の後を継いだ。

・天喜4年(1256) 足利頼氏が執権:北条時頼の長男:北条時輔
  の元服の烏帽子親を務めた。

・天喜5年(1257) 鎌倉幕府6代将軍:宗尊親王の近臣となった。

・康平2年(1259) 京都大番役を務める。

※第5代:足利頼氏&上杉重房の娘の間に生まれたのが
 第6代目:足利家時であった。


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・文永6年(1269) 第6代目:足利家時は鑁阿寺の興隆に力を注いだ。
★もちろん、家臣のだれかが中心になってである。

・文永9年(1272)足利家時は常盤時茂の娘と結婚した。
  北条常盤時茂は北条重時の3男で母は正室の平基親の娘。
  常盤流の祖で、六波羅探題北方。
  執権:北条時頼の命を受けて摂津と若狭の守護職を務めた。
  建長8年(1256)、同母兄北条長時が評定衆に任じられ、
  六波羅探題北方にとなった。
  文永7年(1270年)まで、14年間に渡って探題職を務めた。
  ★後に六波羅を滅ぼす足利尊氏は曾孫にあたる。


・文永10年(1273) 14歳 嫡男:足利貞氏を儲けた。

・弘安4年(1281) 足利鑁阿寺大御堂が落雷で焼失。
  →足利鑁阿寺大御堂の再建も行っている。

・弘安7年(1284) 足利家時が死亡。
※弘安8年没説・・・霜月騒動に関連して自害した。
 安達泰盛の北条時国(義理の外叔父)の失脚に
 関連して自害した説もある。
 (★ウキペディア・・・)


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・弘安7年(1284)か弘安8年(1285)
父:足利家時の死去→
第9代執権:北条貞時の一字を賜り、「貞氏」を名乗った。
 足利貞氏が第7代当主に10歳?当主となった。
 足利貞氏の補佐は執事北条高氏であった。
 
・弘安8年(1285) 霜月騒動
執権:北条時宗の公文所執事:平頼綱
    VS
上野国:板鼻や玉村の有力:御家人:安達泰盛
足利家時や足利系吉良氏の足利上総三郎が安達泰盛に参陣。
 結果・・安達泰盛は敗北。

 第7代当主・足利貞氏は北条一族の金沢顕時の娘
 :釈迦堂殿を正室に迎え、北条氏との関係を保持した。

 正室との間に長男・足利高義をもうけた。

・正安3年(1301) 執権:北条貞時が出家。
  長男:足利高義は早世した。
足利貞氏が家政機関の活動を充実させた。
  足利氏被官に数多くの足利貞氏発給文書が残されている。
 
  足利氏の菩提寺:浄妙寺を再興した。
 ★写真が見つからない。


  
・嘉元3年(1305) 嘉元の乱
足利貞氏は北条時方を討った罪人の預かりを務めた。

・嘉元3年(1305) 7月27日 足利貞氏の次男として
足利尊氏が生まれた。  
 @上杉重房の子:上杉頼重の娘:上杉清子との間にもうけた
  足利尊氏(高氏)をもうけた。
  ※7月27日、母は貞氏側室の上杉・・・・ 

  
 A足利貞氏の正室:金沢清子との間には足利直義をもうけた。

★この二人が骨肉の争いを誰が予想できたであろうか>



・応長元年(1311) 出家した。(★『尊卑分脈』)

・元弘元年/元徳3年(1331) 足利貞氏が59歳で死去。

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・元弘元年/元徳3年(1331年)足利貞氏が死去。
 足利貞氏の側室:上杉頼重の娘:上杉清子との間にもうけた
 足利高氏(尊氏)が足利氏第8代当主を継いだ。

 

・正慶2年(1333) 後醍醐天皇の挙兵
  足利尊氏が北条氏の鎌倉幕府に反旗を翻した。
足利高氏(尊氏)は新田義貞ともに、鎌倉幕府を倒した。


結果として、足利尊氏は足利幕府を開くこととなった。

 ★足利尊氏は京都の等持院を菩提寺とした。



・鎌倉時代〜南北朝時代 
東光院・普賢院・不動院など12院が6院ずつに分かれ法会 
  
・南北朝時代末期 鎌倉の鶴岡八幡宮の支配下

・室町時代    室町幕府:足利氏が鑁阿寺厚い保護をした。

・戦国時代    足利長尾氏の居城:両崖山城+足利支配
【5】両崖山:足利城&行道山浄因寺・・・「関東の高野山」。
和銅7年行基上人の開創(伝)。
参道→寝釈迦→ 断崖の上に「清心亭」=両崖山:足利城。
巨石から巨石に架けられた空中橋 「天高橋」は葛飾北斎に
よって「足利行道山雲のかけ橋」として描かれた。
 栃木県足利市月谷町1579    0284-42-4464

・江戸時代    歴代将軍から朱印地を賜る。
         徳川綱吉の生母桂昌院の保護。
【6】八木宿(栃木県足利市福居町)
八木宿は多くの旅籠が軒を連ねていたが、一般庶民を対象とする
宿場町であった。
・弘化2年(1845) 96戸542人。
★例幣使街道の宿場町の中では極小規模であった。
・宝性寺
・本陣:寺山家
・脇本陣
・廓街道
※飯盛女達が歌った「新保広大寺くずし」が八木節の原型と
 いわれている。明治時代に山辺村(現堀込町)の渡辺源太郎
(初代堀込源太)が編曲し、現代の八木節となった。

【3】足利織姫神社  
・明治12年(1879)八雲神社境内から遷宮。
朱塗りの社殿は織姫山の緑に映えていた。
・栃木県足利市西宮町3883  0284-22-0313

・大正11年「足利氏宅跡」国の史跡に指定。
・現在   四方に門・境内の周りに土塁と堀がめぐっている。
  足利氏の館は鎌倉時代の武士の館の面影が残っているのだ。    
*所在地:栃木県足利市家富町2220

★お菓子の町
香雲堂本店・・最中で有名な老舗菓子店。
「古印最中」つぶあんの最中は美味しい。

★ソースカツ丼の町


●織物の町
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 (パンフレット・・・)



★明日は唐沢山城か足利尊氏か?

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