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zoom RSS 箕輪初心◆下野:古代都市【@琵琶塚古墳・B国府跡・D国分尼寺等】

<<   作成日時 : 2013/12/17 06:50   >>

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栃木市・下野市・小山市北部は古墳時代〜律令時代〜平安時代にか
けて下野国=現栃木県の最も重要な地点として発展した場所であり、
古代下野の中心的な地域であった。古墳時代は栃木県小山市の琵琶
塚古墳&摩利支天塚古墳などを中心とした古墳群=下毛野氏の本拠
地であった。律令時代は思川の右岸の栃木市の下野国庁跡=国府跡、
東山道の宿駅、奈良時代は下野市西部、姿川と思川に挟まれた台地
上に残る国分寺・国分尼寺跡がある。

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 (★看板より)

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(★下野市の地図より)



【1】琵琶塚古墳&摩利支天塚古墳(小山市)国指定史跡
小山市の北西部・・思川と姿川の合流点の北にある。下野市の
下野国分寺や国分尼寺のからすぐの場所にある。
琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳は前方後円墳で、全長は100m以上
で栃木県内最大である。東国でも10番目位であろうか?
6C前半から中頃の築造と考えられている。
下野市方面にも大きな古墳が散在している
大和朝廷の時代に下毛野国を代表する首長が存在したことが想像
できる。円筒埴輪などの出土品も多い。

1)琵琶塚古墳
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2)摩利支天塚古墳
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 ★違っているかもしれない?


【1】下野国庁跡(栃木市田村町宮ノ辺)
律令制下の地方国庁跡である。現宮野辺神社周辺
・昭和51年(1976) 〜 下野国府跡の発掘調査開始。
・昭和54年(1979)国庁跡=国衙(こくが)政庁跡を確認
・昭和57年(1982)国指定史跡。

★国庁跡は、田村町の宮目神社境内付近である。
国庁跡復元模型(資料館内展示)
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  政庁の大きさ・・・約108m×108m、
  8C〜10C・・・4回の建て替えが行われているそうである。
外周の掘
正殿・東西の脇殿・西側の建物群
塀・・・四周の各辺の中央に門を設けていた。
南大路・・・南門からは幅9mの大路が南にある。

前殿(復元)・・・中央にある。
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 前殿は正面22m・側面4.8m
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・藤棚?
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●東山道
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【4】下野国分寺跡(国指定史跡)
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・天平13年(741) 聖武天皇の詔によって全国60数か所に
建てられた寺院の一つである
規模・・・東西413m×南北457m 
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 (★パンフレット)
伽藍配置・・・東大寺と同じ形式で南北一直線上に南から、
南大門、中門、金堂、講堂が並んでいる。
中門と金堂は回廊につながっている。
七重塔(推定)・・回廊の外側東
東西には鐘楼、経蔵が置かれていた。


【5】下野国分寺尼寺跡(国指定史跡)
■訪問日・・平成19年(2007)5月27日:かみつけの里栃木研修
■訪問日・・平成20年(2008)10月17日:奧の細道散策
・天平13年(741) 聖武天皇の詔によって全国60数か所に
建てられた寺院の一つである
下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東約600mにある。
規模・・・南北約270m×東西約145m
     東に南北約211m×東西約52mの張り出し部分がある。
 

伽藍配置
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(★公園内説明板より)
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 伽藍配置・・東大寺式。塔はない。
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下野国分尼寺跡の主要伽藍の基壇と礎石が復元表示されている。
金堂跡
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講堂跡

鐘楼跡
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経蔵跡
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中門跡

その他
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●博物館
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※現在は下野市天平の丘公園として整備されている。

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