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zoom RSS 箕輪初心◆三国街道B:17浅貝宿〜20湯沢宿〜22塩沢宿〜25浦佐宿

<<   作成日時 : 2013/11/18 06:43   >>

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三国街道は、中山道の高崎(群馬県高崎市)から分かれ、北陸街道の
寺泊(現新潟県長岡市寺泊)へ至る48里=約192km街道である。
奈良・平安時代に三国峠は関東と越後を結ぶ交通路として利用され
ていた。鎌倉時代には、はたき庄・妻有庄(十日町市)・上田庄(六
日町)・府内(現上越市)に行く道であった。高崎〜寺泊間は中山道
経夕の江戸と日本海を結ぶ最短路であった。戦国時代には上杉謙信も
当然、関東出兵の際に利用した。江戸時代には長岡藩、与板藩、村松
藩などの諸大名9藩の大名が参勤交代をした。佐渡からは金が送られ、
佐渡へは罪人を送った。越後からは米や越後縮みがもたらされた。そ
して、佐渡奉行の道=つまり、佐渡島を結ぶ関越佐渡街道でもある。
新潟港巡検の関八州取締出役が利用し、さらに重要視された。


箕輪初心◆三国街道1:高崎〜金古〜渋川〜金井〜北牧〜横堀〜中山峠
http://53922401.at.webry.info/201311/article_16.html

箕輪初心◆三国街道A【中山宿〜須川宿〜猿ヶ京〜永井宿〜▲三国峠】
http://53922401.at.webry.info/201311/article_17.html


▲三国峠
○番所跡
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【17】浅貝宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)      
▲浅貝スキー場
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・戦国時代・・上杉謙信は浅貝・戦国時代・・・上杉謙信は浅貝宿周辺を軍事的拠点の一つとして
  浅貝寄居城や関所を設けた。
・江戸時代・・・三国街道が整備され、越後に入っての最初の宿場町
  が浅貝宿となった。
・慶応4年(1868) 戊辰戦争で、多くの家屋が焼失した。
・明治時代に入って参勤交代がなくなると衰退した。
・昭和時代〜苗場スキー場を中心とする行楽地となった。
○浅貝宿本陣:綿貫家・・・★風呂には2回入った。父は3回泊まった。
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 旅館。玄関は当時の建物を移築した。
 長岡藩、村松藩、与板藩などの諸大名や佐渡奉行などの上役が定宿
 としていた。 
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○浅貝寄居城
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▲苗場スキー場・・・400日位は滑って居るだろう
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●元橋「越後三国街道元橋茶屋跡」の案内板。


▲平標登山・・・・2回


【18】二居宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
○本陣:富沢家
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・慶長14年(1609) 庄屋・問屋・本陣役を勤めた。
・慶応4年(1868) 戊辰戦争で焼失。
・明治2年(1869) 本陣が再建された。
○ひっそりとした二居宿の道を歩いて行く。
○Y字路につきあたる。
○「見晴屋旅館」・・・★かつて泊まったことがある。
  昔は二居スキー場があったのだ。

○旧道は「トレッキングコース 二居峠」の標識がある。

※二居宿「宿場の湯」・・・★2回入った。


【19】三俣宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
宿場には本陣1、脇本陣は2=池田家と越後屋があった。
○三俣宿脇本陣:池田家(新潟県指定文化財)
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池田旅館は2011年に廃業。
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※旅館「山清」にかつて泊まって、神楽スキーをしたこともある。

▲神楽スキー場・・・・200日は滑っているだろう。
箕輪初心◆2013スキー15新潟【神楽】&湯沢温泉:高半旅館
http://53922401.at.webry.info/201305/article_33.html

○芝草集落

▲芝草峠

○芝草峠をおり始める。
○荒戸城跡の標識が・・・案内板が立っている。
●荒砥城・・・・★上杉謙信の造らせた城。


  ・天正6年(1578) 上杉謙信の死→御館の乱
  上杉謙信の養子:上杉景勝(長尾政景&謙信姉の子
   VS
  上杉謙信の養子の上杉景虎(北条氏康の6男?)
 ※長尾政景が小田原北条軍を阻止するために芝原峠に築かせた
  城である。空堀・土塁などの遺構が非常によく残っている。
  小規模ながら堅固な山城であったらしい。
 ★雪解けシーズンが最高によい。BESTが5月上〜末が最高。

▲神立スキー場・・・・100日位滑ったかな?
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※車では坂を下りきると、湯沢の温泉旅館街に入る。



【20】湯沢宿(新潟県南魚沼郡湯沢町)
・江戸時代・・・古くからの宿場町・温泉街として発展した。
・昭和時代・・・川端康成がノーベル文学賞を受賞した「雪国」
        の舞台になった。
・昭和時代・・・スキーやトレッキングの観光地として発展した。
・平成時代・・・高層のリゾートホテルやマンションの建設が増加。
うんこ問題・ゴミ問題で、湯沢町がパニック。


※関口コオ先生の美術館・・スパ???
※ライオンズマンション・・・★15回程入っているだろうか?
※酒屋
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※湯沢駅・=グルメ最高の駅・・・★旨い店が乱立する。
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○湯沢宿は上宿と下宿に別れていた。半月交代で宿役を勤めていた。
○湯沢駅前交差点・・・上宿の中心。
○湯沢上宿本陣跡:旅籠村松屋の高橋助右衛門が本陣、問屋、庄屋を
 兼ねていたという。現在の湯沢町公民館の敷地である。
 
※湯沢駅前交差点
○「白滝酒造の上善如水」・・・★20本位飲んだ。
 安政2年創業。
※楽町交差点〜湯沢小学校の

○主水公園= 樋口主水助の居館跡
★直江兼続の父:樋口主水助(★高島さんが役者だった。)
 ・川端康成の文学碑が建っている。

○公園前を右折し線路を潜り、県道462号にでる。
 旅館、ホテル、商店などが立ち並び活気がある。

※歴史民俗資料館・・・「駒子の部屋」

○諏訪神社・・★川端康成&駒子=???の逢い引き場所。

○高半旅館・・・800余年前、越後新発田の高橋半六が偶然
 温泉を発見した。以来、代々高橋半左エ門を襲名する老舗旅館は
 多くの文人墨客を受け入れてきた。
 昭和9年から昭和12年、川端康成が「かすみの間」で『雪国』
 を執筆した。
 昭和31年秋から翌春まで、高半を舞台に映画「雪国」が撮影さ
 れた。配役は島村(池部良)、駒子(岸恵子)、葉子(八千草薫)
 であった。

箕輪初心★川端康成『雪国』&湯沢温泉:高半旅館
http://53922401.at.webry.info/201306/article_1.html

箕輪初心■新潟:◆川端康成の『雪国』&「湯沢温泉」雑感
http://53922401.at.webry.info/201106/article_1.html

※妹仲間の集団合宿は20人近くいた。
 布場スキー場で子ども達の面倒を見た。

▲湯沢スキー場・・・5回

○国道17号〜〜〜
○「ゆざわ健康ランド」・・関越自動車道ができる前には必ず寄った。

・右の旧道へ入る。
・上越線の線路をくぐりぬる。
○堀切集落


【21】(新潟県南魚沼市)
※石打駅前交差点から北に向かって数百mの小さな宿場である。
「ホワイトイン茶屋」の先で左の旧道に入った。
「赤坂の難所」

▲石打丸山スキー場・・・3回
○民宿街へ。街道の両側はスキー宿が軒を連ねている。
 モダンなロッジも多い。
○石打駅

▲関興寺
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箕輪初心◆2013群県博:新潟県「上杉氏」関興寺・瀧澤寺・雲洞庵・坂戸城・管領塚
http://53922401.at.webry.info/201310/article_21.html


○田園が広がっていた。左手には山並みが見える。

▲「上越国際スキー場」・・・・3回

○元屋敷跡の石標。
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▲滝沢寺・・・2回
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応永27年(1420) 開創。
  上杉景勝の母(謙信の姉)母:仙桃院が帰依した。
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  境内に「上杉景勝公生誕之地」碑がある。


▲樺沢城
大手道→虎口→三ノ丸跡→二ノ丸跡→胞衣塚→本丸跡
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★上田庄の眺望がすばらしかった。
 巻機山・中ノ岳・八海山・・・。列車撮影ポイントである。
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・南北朝時代・・・鞠子城
・戦国時代・・・・樺沢城。
  長尾景虎(=上杉謙信)が越後を平定。
  姉婿坂戸城主:長尾政景に樺沢城の改築を命じた。
  城下町には家臣:上田衆の屋敷を造らせた。
・弘治元年(1555) 卯ノ松(上杉景勝)を生んだ。
・永禄3年(1560)〜越山の際、樺沢城で謙信が宿泊した。
春日山城〜直峰城〜松代城〜樺沢城・・多くは清水峠・・・
・永禄7年(1564) 父長尾政景が死去。上杉謙信の養子となった。
・天正6年(1578)上杉謙信の死→「御館の乱」
  上杉景勝 VS 上杉景虎+小田原城の北条軍
         ※「景虎」は北条氏康七男の氏秀である。
  兄北条氏照・氏邦は三国峠を越え樺沢城を攻略した。
・天正7年(1579) 上杉景虎を鮫ヶ尾城?で自刃に追い込んだ。
  樺沢城も奪回。上田衆の一人:栗林政頼が樺沢城代になった。


【22】塩沢宿(新潟県南魚沼市)
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 (★パンフレット)
・江戸時代・・・最も盛んな宿場町として発展した。
鈴木牧之(ぼくし)・・・「北越雪譜」
・現在・・「雪国の歴史と文化の街」 
  2003年より市、県、国が一体となって街づくりを進め、
  2009年に三国街道塩沢宿「牧之通り」として完成した。
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 (★パンフレット)
○宿場商店街
○鈴木牧之の記念館
・塩沢駅
○「塩沢つむぎ記念館」

※道の駅
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・竹ノ俣交差点で国道を斜めに横切って六日町に入った。
「南魚沼市温泉郷」の看板

道は右からきた清水街道と合流する。
※清水街道(清水峠越往還)は沼田〜峻険な清水峠(1448)〜越後
六日町の間に開かれた上越をむすぶ最短ルートの古道である。
▲雲洞庵・・・4回訪問
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南に4kmほど行った所に曹洞宗の名刹雲洞庵がある。
越後一の禅寺といわれ上杉家の菩提寺である。
「雲洞庵の土踏んだか」
大方丈で上杉景勝と直江兼続の二人が学んだ絵がある。

箕輪初心◆新潟:【雲洞庵】&【関興寺】
http://53922401.at.webry.info/201106/article_2.html

▲巻機山・・・・・・1回
▲直路城=清水城・・1回
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▲謙信尾根


【23】六日町宿(新潟県南魚沼市)
※鎌倉時代・・上田庄と呼ばれた魚沼地方の中心部である。
 魚野川の右岸にある坂戸山にはから山城が築かれていた。
 戦国時代・・・上田長尾氏の居城として改修整備された。
 上杉景勝が坂戸城で幼少時代を過ごしていた。
 滝沢寺の和尚様は「湿地帯で城下町はなかった。」と
 おっしゃっていたが、・・・
 城下町に樋口与六(=直江兼続)がいた。
 兜に「愛」の一字を掲げ、義を重んじた魚沼の英雄である。
林泉寺の和尚様は「愛染明王の愛であり、上杉景勝が謙信の
 「昆」=不動明王に対して、付けさせた。」とおっしゃって
 いた。直江兼続は湯沢生まれなのだ。
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○八坂神社
○宿場町&魚野川舟運の町 
 長岡〜六日町間の魚野川舟運の拠点としても栄えた町である。
 参勤交代の大名も六日町〜長岡まで15里を下り船を利用した。
○六日町駅
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 銀行や郵便局、旅館、食堂が軒を連ねる六日町商店街
※「天地人」の博物館
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・六日町大橋で魚野川をわたる

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▲長尾政景の墓
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▲坂戸城の御館跡&水堀・・・3回
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 実城までは・・・・・・・・1回
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※五十沢温泉「湯本館」・・・1回。混浴大露天風呂

※上杉顕定供養塔
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▲八海山スキー場〜〜〜20回以上
▲八海山・・・・・・・3回
箕輪初心▲新潟:2013秋の八海山&五十沢温泉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_20.html


▲六万騎城
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○旧街道にもどる。
○遠藤本陣
 
○広大な田園地帯・・・★魚沼産の米か?
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【24】五日町宿(新潟県南魚沼市)
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【25】浦佐宿(新潟県南魚沼市)
○毘沙門堂
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 (★パンフレットより)
▲浦佐城
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26】堀之内宿(新潟県魚沼市)


【27】川口宿(新潟県長岡市)

【28】妙見宿(新潟県長岡市)

【29】六日市宿(新潟県長岡市)



★明日は三国街道の最終回かな?

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