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zoom RSS 箕輪初心★高崎偉人伝「高崎五万石騒動」

<<   作成日時 : 2013/10/22 05:33   >>

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高崎五万石騒は動明治2年(1869)〜3年(1870)高崎藩城付5万石領
地で発生した農民一揆である。高崎藩領8万2000石の内、城付領5
万石で発生したことから五万石騒動と呼ばれている。一揆を主導し
たのは大総代として選出された佐藤三喜蔵・高井喜三郎・小島文治
郎の3人であった。リーダーの3人が処刑され、牢死者、入牢者もい
た。小島文治郎の家には17点の傘連判状など五万石騒動の資料が
残されているそうである。傘連判状は誰が首謀者が分からないよう
にしてあったが、すぐにばれちゃったのだ。高崎の暗〜い歴史であ
る。高崎の夜明け前という考えもあるが・・・・・。

画像



箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5〜7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html


箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
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箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
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箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
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箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
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箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html


箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編
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箕輪初心◆高崎藩の中山道&三国街道・倉賀野宿&高崎宿
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五万石騒動の経過
【1】起の章
事件の発端は明治維新後の東山道鎮撫総督が行った「農商工布告」
により、大河内輝声は「苛政に苦しむものは申し出よ。東山道鎮撫
が困っている者を善処する。」という内容であった。★しかし、
岩鼻県知事:大音龍太郎は、一揆は武力鎮圧せよと言ったが・・・。
その後の岩鼻県知事:小室信夫は
「不満があれば、目安箱に投書してよい。」と言った。

高崎藩は徳川四天王:井伊直政以来、酒井家次・・安藤家・間部詮房
・大河内松平家など代々徳川幕府とは親密な関係を保ってきた。高崎
は若年寄・老中クラスに人気があったのだ。
最後の藩主:大河内輝声は水戸天狗党の追討に係る戦費・東山道鎮撫
総督に献上した10000両などで、農民に重税をかけざるを得なかった。
ここに五万石騒動のきっかけとなる大きな要因があった。
高崎藩領は「古領=本領:高崎城付領5万石」&「新領」の2つあっ
た。高崎藩領8万2000石のうち、古領:高崎城付領5万石である。
新領は下総銚子、武蔵野火止、越後蒲原郡一之木村であった。高崎
藩は古領:高崎領の農民には「八公二民」(田に73%の税)という
高率の年貢を課した。 高崎藩の城付領地5郷56村の農民達は、他
藩の年貢より高い年貢に苦しめまれていたのだ。ちなみに岩鼻県は
「五公五民」で籾1升に付き米5合の年貢=50%納税であった。
現在、8%の消費税が実施されようとしているが、・・・。

5月上旬には季節はずれの北風で農作物被害。
7月13日の集中豪雨は高崎の大きな被害をもたらした。
冷気の影響でさらに農民の不安は増大した。〜〜〜〜


明治維新にもかかわらず、旧態以前たる封建的な藩政を行い続ける
高崎藩に対して、ついに高崎領古領五万石の農民が年貢の減免を求
めて立ち上がったのだった。




【2】承の章
明治2年(1869)
8月中旬 
 上大類村など5ヶ村が年貢減免を岩鼻県に要求した。
 岩鼻県は今年限り3割引きにすると解答した。

9月2日 
上中居村の正観寺に佐野村下中居村の佐藤造酒之助(造酒蔵=三喜
  蔵)・大類村柴崎の高井喜三郎・六郷村下小塙の小島文治郎ら
十数人が年貢問題について話し合った。
結果「60歳以上の男子全員を総動員して城下に押し寄せ、
藩役所に年貢減免をと税制改正を直訴する」と決議した。

9月7日夜
 下之城村(現高崎市下之城町)の如意寺に、城付五万石領の5郷56村
の代表が集まった。 
※会議は紛糾を極めた。組織、要求内容、直訴の戦術などが決定された。 
「大惣代3人委任・組織・役員・費用分担・出動心得等決定。」
(★高崎市史の中村茂先生・・村の仲間:長さんの親戚)
@組織として、まず大総代3名が選ばれた。
 大総代3名は佐野村下中居の佐藤三喜蔵・大類村柴崎の高井喜三郎
 ・六郷村下小塙の小島文治郎である。

A村々の要求を書いた願証文、傘連判状、誓約書などが大総代に渡された。
 大総代は受け証を各百姓代に返した。・・誓約書である。 

B直訴の戦術・・・打ち壊しではなく、農民が全員で高崎城に行き、
 大総代3名は請願書を渡すというものであった。決行日時も決まった  

10月上旬
@傘連判状を作成すること。
  傘連判状は誰が首謀者が分からないようにしてあった。
  小島文治郎の発案であった。
A2〜3日の食料を持って集合すること
召集のふれは100ヵ村にも及んだという。


【3】転の章
直訴=蜂起か分かりませんが、中村先生、中島明先生など、
高崎市史を書いた先生で、解釈が微妙に違っているのだ。



10月15日昼〜夕方
 五霊神社に3000人余りの農民が集結した。
役人が来たので、偽装解散をした。
(★高崎市史)
10月16日夜
  柴崎村(現高崎市柴崎町)天王森に農民約4000人が終結した。
  約4400人と記録されている資料もあるそうである。
  全員、百姓の身分を著す蓑笠で身を固めていた。 

10月17日夜明け
 柴崎村の天王森に集まった農民は、村旗を押し立てて、嘆願を行う
 べく高崎城にむけて行進を開始した。行列は先頭が城下通町木戸に
 達しているのに、最後尾は天王森にいたという。約6kmの行列に
 達していたのだ。
 やがて行列の先頭は、通町木戸を突破した。連雀町門を突破し、高崎
 城大手門の前までせまった。直訴は整然と行われ、城下は百姓で埋め
 尽くされた。
高崎藩は木戸を閉鎖して阻止しようとした。
 
 3人の大総代は請願書を高崎城の役人に手渡した。
 大総代や農民は安国寺で待機して高崎藩の返事を待つことにした。

 高崎藩は「畑の金納」「田の税金を岩鼻県と同じにすること」
 については、維新政府の指示を仰ぎたい。と返答した。
  
 城下町では焼き討ちの噂が広まった。
 しかし、農民は打ち壊し・略奪などの暴挙には出なかった。
 城下町の町民は不安・恐怖心から同情に変わった。
 城下町の町民は無料で炊き出しをし、食事をふるまったという。
 
10月17日
高崎藩は明治新政府:太政官に相談しに行かせた。

10月28日
 高崎藩が返答・・・
 @「田方新領並・・田の税率は50%にする。
 A畑方永納・・・・畑の納税は金銭で行う。
 Aただし当年かぎりとする。
 と回答した。
農民は、永年減税を直訴していたことから、回答に納得しなかった。
大事件の後も、農民は明治政府に訴えた。
 しかし、請願はいっこうに聞き入れられなかった。

11月1日
 高崎藩は明治政府の「今更、減免は容易ではない。
 今年の不作は高崎藩の裁量で減免すること」と回答をえられた。
 
11月上旬〜
3人の大総代など10人程を逮捕した。




【4】結の章
明治3年(1890)2月4日
大総代3名、佐野村下中居の佐藤三喜蔵・大類村柴崎の高井喜三郎
 ・六郷村上小塙の小島文治郎が直訴の罪で斬首されることになった。

大総代3名は裁判を経ずして斬首刑となってしまったのである。
※懲役10年・・・2人
※懲役3年・・・3人
※懲役2年半・・・3人
※懲役2年・・・・・・9人
※遠島・・・・・・・・・1人
※不明・・・・・・・・・1人
 計22人も犠牲者を出した。




 明治維新直後の高崎の暗〜い歴史である。


 
農民達の要求は、廃藩置県後の地租改正に認められたのだった。
「10分の1に減額された。・・」
   (★「五万石騒動:細野格城著)

・昭和38年(1925)
 年貢減納運動のために身を投げ出した義人:大総代3人・牢死者・入
 牢者のために、農協が中心となって、処刑場跡に慰霊碑を建立した。
 高崎市東町の「五万石義人慰霊堂」である。




◆参考文献
・高崎市史
・「上州の明治維新」中島明著など
・「五万石騒動」 利根川著
             
◆参考サイト
高崎学プレ講座:中村茂先生(村の仲間:長さんの親戚)
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/ky-shakyou/center/documents/rezyume.pdf
★詳しい説明ですよ。





★明日は、内野秣場騒動&中野秣場騒動かな?

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