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zoom RSS 箕輪初心★「高崎の文化人19+α」江戸時代編

<<   作成日時 : 2013/10/19 06:27   >>

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江戸時代に、関東で最も賑わった宿に高崎がある。高崎藩主の教育
活動&高崎城下町の繁栄と文化交流とで、高レベルの文化が育って
いった。そして、高崎藩の家臣や町人の中に優れた文化人が出た。
高崎市史p635~p697や高崎人物伝:吉永哲朗著などに優れたな高
崎の人物が掲載されている。

画像



箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5〜7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html


箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
http://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html



箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介C「権田村での隠遁生活」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html




【1】松平輝貞
  「論語」を将軍:徳川綱吉の前で講義した。


【2】松平輝高
 ・宝暦年間(1753~ ) 藩校:遊芸館の開設。


【3】西田美英(よしひで):歴史地理学「高崎寿奈子(すなご)」
・宝暦5年(1755) 西田美英が「高崎寿奈子」を著した。
 @ 「 馬上宿(今城ノ二ノ丸南中門ノ内ナリ)、金井宿
  (今城ノ二ノ丸赤坂中門ノ内ナリ)・・・」

A 高崎城下に医師は17名いた。
  とか・・・


【4】羽鳥一紅(1724~1795) :女流俳人「あやにしき」
下仁田町の石井治兵衛の次女として生まれた。
下仁田の高橋道斎(★多胡碑を世間に知らせた学者)に学んだ。
 高崎の田町の絹問屋羽鳥勘右衛門に嫁いだ。
 夫は羽鳥麦舟と号す俳人であった。
 建部涼袋(★弘前藩家老の家に生まれた国学者)に学んだ。
 加賀千代女とも文通があった。
 ・宝暦5年(1758) 「あやにしき」を著した。
    『くさまくら』(1764〜72)がある。
 ・天明3年(1783) 『文月浅間記』は、浅間の大噴火の惨状を描いた。
 「天明三年水無月の末の九日、小雨降てをやみたれど、猶きりこめた
  るようにて、打ちるは何ならむと、硯にたあふぎなどに請て
  見れば灰なり。やがて草木の葉にかかりて霜の置きたるごとし。
  こは信濃なる浅間の嶽のもゆるたはいにしえよりいいふるし、
  此国にはたかさかにあることなれば、人もみておどろかす。・・・」

  運筆は俳諧以上に羽鳥一紅の名を不朽のものとした。
  「長うなる 夜を待ちかねて 星の恋 」
  延養寺の句碑 「植えてまてば げに長月や けふの菊」
 弟子には生方雨汁がいる。★私のお仲間じゃん?・・・
(★高崎人物伝:吉永哲朗著)



【5】大石久敬(ひさたか)1725~1794 地方凡例録」=地方の法令集
(★高崎市史)
筑後国(福岡県)久留米藩士:古賀貞房の第5子。
 久留米在城島村(三潴郡城島町)の大庄屋大石貞治紹久の養子。
 大庄屋役を継ぎ,勘治久敬と名乗った。
画像

 (★肥前、久留米城大手門)
・宝暦4(1754)30歳・・久留米藩の大一揆
   久敬は出奔,以後30年ほど諸国を流浪した。
・天明3年(1783)59歳・・・浅間山の大噴火
    高崎藩士山本勘十郎の推挙で100石金17両の馬廻格
    農村差配の郡方に配属された。
・寛政3年(1791) 高崎,藩主:松平輝和から郡奉行として地方農政の
   沿革の著述を命ぜら、 『地方凡例録』全16巻の著述にとりかかる。
・寛政6年(1794) 11巻分の献本を終えた。
   70歳で没した。・・・・残り5巻は未完のまま残された。



【6】宮部義正 (1729~1792) 将軍家歌道師範
※祖父:宮部兵右衞門義尚は高崎藩家老、父:孫八郎殷は番頭。
宮部義正は高崎藩の番頭から若年寄になった。
 歌道の大御所:藤原俊成・藤原定家の令泉(れいぜい)家の
 子孫:令泉為村に学び、門下の顔であった。
 諸大名からも声がかかった。・・・将軍:徳川家宣の歌道師範
 となった。
 『三藻類聚』・『相生の言葉』・『歌学指要』・『野辺のかづら』
 『同春集』・京都に行った『上京七度紀行』など多数。

※清水寺の飯野家の宝きょう印塔
「飯野氏の たてし 宝きょう印塔に かきつけ侍る歌」 
 ・・三首・・・
弟子に富岡正美・・・など。


【7】宮部万 ?~ 1788:女流歌人「源氏物語」の書写
高崎藩国家老?:浅井権右衛門直方の娘である。
  宮部義正の妻である。
  @「源氏物語」の書写
  A塙保己一の助手:群書類従の手助け。・・
B 「木草物語」・・・和歌
(★高崎人物伝:吉永哲朗著・高崎市史)



【8】永山義長() 和算
算額が清水寺や八幡八幡宮に掲載された。


【9】嶺 春泰(1746~1793)蘭学:「解体新書」の翻訳
   高崎の蘭学医。
   父は高崎藩大河内輝規の侍医。
   前野良沢の弟子である。
「蘭学事始」に嶺春泰の・・・という人々は熱心であったが、
もういない。」とあるそうである。
 (★高崎市史p652)
画像

 (★角館の石黒家のターヘルアナトミア)


【10】川野辺寛(1746~1793)@「高崎誌」A「癸卯災異記(きぼう
 さいいき)」やB「閭里(りょり)歳時記」などがある。

@井伊直政のつけた「高崎」の名の云われ。
「和田の地も箕輪に属す、慶長3年戊戌、中山道を開かれしに及びて
和田の緊要の地なればとて、直政の仰せ、城を築きしめてこれを賜ふ、
この時、直政地名を更め、松か崎と云わんと、竜広寺の住持持白あん
に語られしに、白あん曰く『尤も然るべく候、去ながら、諸木の栄枯
の時あり、物に■のあることはめつらしからすと候、公既に命を奉て
此城を築き玉へるは、所謂盛事大名也、されは成功高大に義に取て、
高崎とし玉はんはいかか(いかが)』と云ふけえは、直政大に悦びて
『高崎』となつけられ、且つ「高崎」の二字をもって竜広寺の山号
となすへきよしを命せらる、
里老の説に恵徳寺の開山英たん?なりと伝へたるは■誤也、今竜広
寺の古記に従ふ、又一説に直政命を奉て松枝(松井田)、安中、和田、
倉賀野の地を検するに、決定したかなりし故、試に鷹を放て此其集
る所を城地と定むへしとて、一もとの鷹を放さる、其鷹飛て今の本
城に地にとどまる。因て其地に定て鷹野城と名つけらる、後高崎と
改む、」
A高崎の町
「連雀町は、初箕輪にあり、慶長3年戊戌箕輪より此に移る、箕輪に
於て大手門前に在し町なるを以て此に移りても、亦城主より命じて
大手門前に置、旧名を不更と云、田町は、連雀町より北に続けり、
是も慶長3年此地に徒る、箕輪にては田宿と名つく、・・・」
箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html



【11】菅谷帰雲 1754~1823 「学事篇」碑の撰文
※書の分野のトップに君臨する。


【12】富岡正美1774~1859 「上野国名跡考」=地名研究
小泉城主:富岡秀高の8代の孫・・・
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 高崎藩主大河内氏に70余年、仕えた。
 ※宮部義正の弟子である。
@安蘇・・の地名とは
万葉集には「上野の安蘇の・・・」
   箕輪軍記「北は安蘇山相摩の麓・・・箕輪・・」

高崎市赤坂の「恵徳寺」に墓がある。
★高崎の市長さんと同じ姓であるが、・・・?


【13】木部白満(つくもまろ)( 1775~1841 )上毛三碑の研究
山名の葉タバコの豪農:木部善蔵の子として生まれた
文政2年(1819)「 上野三碑考」を出版した。
上野三碑として有名な多胡碑、山上碑、金井沢碑
の研究論文集で、三碑の研究書としては最初のものである。
本居宣長門下で常陸の古学者:岡庭真垣と木部白満の
共著である。
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木部白満は、手紙を通じて諸国の文人と親交を深めていた。
 ・文政10年(1827))「諸大家書簡集」・・・書簡を整理したのが、
「諸大家書簡集」である。
  主な相手は屋代弘賢(★千曲市の屋代城主の子孫)、富田永世、
  筥田茂嗣、岡庭真垣、小田又蔵、加部誠斎、清水浜臣、一宮照庭、
  狩谷掖斎(えきさい)、梶山伯彭、谷文晁、持田好古、市河米庵
 (★江戸三筆)、町田延陵、栗田国雄などである。
墓は山名の時宗:光台寺(★山名義範の館)である。
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弟は、黒沢明監督・主演:三船敏郎の「椿三十郎」のモデル
と、噂になった。
 (★高崎人物伝・吉永哲朗著・ウキペディアなどを参考に)
個人的には、戦国時代の武将:木部範虎の子孫だと思っている。
  遠祖は源範頼。・・石見国古河郡野々郷の能登守護吉見氏頼の孫
  吉見(木部)氏範といわれている。
  上野国三戸郡木部に移り住んだ。木部氏範から6代目の木部範虎
   は、箕輪城主長野業政の娘婿となり、箕輪衆の一員として活躍
  をした。箕輪城は武田信玄家臣に甘利昌忠に攻撃された。
  後に木部範虎は武田の家臣となる。武田勝頼が天目山で自刃した際
  に討ち死にをしたらしい。榛名湖に木部姫伝説が残っている。

箕輪初心◆上毛三碑&石上多重塔 ◆
http://53922401.at.webry.info/201310/article_4.html


【14】清水赤城(1776~1848):西洋砲術
高崎の並榎の医師の清水俊達の子として生まれた。
  江戸で儒学を学んだ。
剣は神道一刀流、槍は宝蔵院流、
  長沼流兵学を島田正脩、和合猶水に学んだ。
  さらに天文と暦算を本多利明から学んだ。
 ・文化3年(1806) ロシア帝国による千島列島の択捉島攻撃が起こ
ると、南蛮流、星山流、自得流などの和砲術と清国やオランダ式
の砲術を研究した。
・文化7年(1810) 「火砲要録」8巻を著した。
  また明末の「神器譜」を校正し翻刻した。
※坂下門外の変:大橋とつ庵の父である。


【●】長野弥八郎 ?~1825 マラソン侍


【15】志倉(惺庵)西馬(1808~1858):俳人「俳諧七部集」
  田町富所家に生まれた。
  母方の嘉多町の志村家を継いだ。
  俳人児玉逸淵に学んだ。
  江戸で惺庵を開き多くの門人を抱え活躍した。
  清水寺階段下に西馬が建立した松尾芭蕉句碑がある
  「観音の 甍みやりつ 花の雲」
  天保13年(1842) 清水寺で盛大な句会を開いた。
記念句集『花の雲』2冊を出版。
「残るかたけき 春の日のかけ」
(★高崎市史)


【16】武居与平(1798~1881) 歌人 松平輝声の和歌・漢学の師匠
武居世平は橘守部に歌道を学んだ後、宿屋飯盛に狂歌を学んだ。
  狂歌の「高崎水魚連社中」を結成。
  狂歌合わせには全国から700余人、3500余句が寄せられた。
  成田山境内の歌碑がある。
(★高崎市史P686)



【17】武居梅坡(ばいは)( ) 絵師
   「水墨雲竜の図」・・・九蔵町の大雲寺本堂の襖絵
   武居梅堤が雲の部分を補筆。
   梅坡の尊孫:武居仁子が屏風絵に修復した。
「堤金之丞下仁田戦争出陣の図」も描いた。
   武居梅坡は金井忠蔵の次男。
   宮崎竹坡・岡本秋暉に絵を学んだ。
   歌人武居世平の婿養子となった。


【18】一椿斎芳輝(1808~1891) 絵師
一椿斎芳輝は日本橋米山家の二男に生まれた。
  谷文晁に山水花鳥を学んだ。浮世絵師歌川国芳に師事した。 
  高崎へ来て旅籠「住吉屋」田中モヨの婿養子となった。 
  清水寺観音堂回廊の大絵馬が有名である。
  田村仙岳和尚の実姉菊池徳(国定忠次の妾)の肖像画がある。

  高崎の料亭など「宇喜代」「高崎館」「錦山荘」は、一椿斎芳輝の
  末裔が経営している。
(★高崎史志の会)

【19】矢島群芳(1798〜1869)絵師
高崎藩士矢島兵左衛門定善の子として江戸藩邸に生まれる。
大西圭斎・南画の椿椿山に師事した。
 高崎藩を出奔して諸国を行脚し、和漢の歴史・禅学など学識も深く、
 武芸に秀でていたため、藩主:松平輝貞が召喚した。
 花鳥画、特に鶴の絵を描いた。
(★高崎市史)

【●】馬庭念流:樋口定次
@遠祖・・・木曾義仲の育ての親:中原兼遠である。
駒王丸=木曾義仲は今井兼光や巴とともに木曾で
成長した。
樋口家は木曾から吾妻応桑(群馬県嬬恋村応桑=北軽井沢)
→現高崎市旧吉井の馬庭に転居した。
今井兼光から11代:馬庭兼重は念流の創始者:相馬四郎
=念和尚から剣法の奥義を伝授された。
・天正18年(1590) 子の 樋口定次は念流:友松氏宗に念流
を学び、馬庭念流を認可された。
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寛永の御前試合で、名を轟かせた。
(★漫画:吉井町の歴史)
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 (★山名八幡宮の太刀割石)


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箕輪初心★旧高崎の偉人伝:近代編
★旧高崎地区は「中曽根康弘」など大物政治家が多い。 ★吉永哲朗著「高崎偉人伝」の近代には、@宮部襄、A矢島八郎、 @内村鑑三、C原口鶴子、D茂木惣兵衛、E深井英五、 F桃中軒雲右衞門、G井上保三郎、H田村英太郎、I村上成之、 J羽鳥千尋、K村上鬼城、L橘外男、M吉野秀男、N八木保太郎、 O花柳徳兵衛、P&#34847;山政道、Q萩原恭平、R松本亨、S橋本一明、 21原口統三、22,金鶴泳、23、池田夏苗が掲載されている。 +αで個人的には、24山田昌吉、25尾崎行雄、26井上... ...続きを見る
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山名の写真の写真の掲載をお願いしたいとのこと。
この写真でよければ、どうぞ、お使いください。
kekuraのブログは画面がでてきませんでした。見られず、
すみません。
kekuraさんへ
2016/03/14 09:31

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