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zoom RSS 箕輪初心◆高崎藩の中山道&三国街道・倉賀野宿&高崎宿

<<   作成日時 : 2013/10/18 07:00   >>

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中山道69宿の内、高崎藩の関係する中山道の宿や街道は倉
賀野宿、高崎宿、豊岡宿である。高崎で中山道&三国街道が
分岐した。高崎藩の三国街道の支配地は、金古宿・杢ヶ橋関
所であった。
高崎城の城下町:高崎宿は「お江戸みたけりゃ、
高崎田町紺の暖簾がひらひら〜〜」と歌われるほどの賑わい
だったという。町ごとの六斎市、田町は5のつく日に市が立
った。高崎絹が有名であった。天明8年(1788)、町屋数1411
軒、人口6455人いたという。

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箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5〜7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html


箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

箕輪初心★高崎藩主11代〜18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
http://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html



箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介C「権田村での隠遁生活」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

箕輪初心◆水戸天狗党3−1『水戸〜下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html



【1】高崎藩の管轄下の中山道
@中山道 江戸時代の五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ街道で、
六十九宿
1板橋宿→2蕨宿・・・3浦和宿・・・・4大宮宿・・・5上尾宿・・・
6桶川宿・・・7鴻巣宿・・・8熊谷宿・・・9深谷宿・・・10本庄宿→


→神流川
11新町宿(最初28戸→天保14年407軒1437人
  ・本陣2・脇1・旅籠43・茶屋33軒
  +女郎屋7軒で女郎250人位)
  江戸から数えて十一番目の宿場。
  神流川を渡った上州最初の宿場町。
  江戸時代前期に落合村と笛木村が合併し誕生→新町と改称。

・神流川合戦の碑・・川の辺に天正十年(1582)織田信長の死直後、
       北条氏5万? VS 滝川一益1万6千が戦った。
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(神流川合戦の碑)


(新しい新町宿)
*埼玉の碑・・・少し小さい感じ・・・? 
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・常夜灯・・・・・・夜、神流川を渡る旅人の渡河の目印「見通し籠」
               (常夜燈)は復元されたもの。
*常夜灯復元「新町宿」・・・神流川から500m
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・八坂神社の芭蕉の句碑・・「傘におし わけて見たる 柳かな」
・諏訪神社・・・・・・・・元禄十五年(1702)の鳥居
・専福寺・・・・・・・・山門脇に元文五年と寛政十二年の庚申塔、
            四国・秩父
・坂東供養搭と馬頭観音
・旅篭高瀬屋の跡・・・・(現第二公民館の隣)
・小林家の本陣跡・・・・(今は小さな標識が有るのみ。)
・弁財天・・・・・・・・天明三年に温井川の中ノ島建立。
・温井川の弁天橋→立石新田
・伊勢嶋神社・・・常夜燈や道祖神・庚申搭など。
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(観音寺は新築)


→中島集落
・御堂・・・・境内に寛政十年の二十二夜供養塔などの石仏
・中島神社・・・御岳山坐王大権現と保食神の2つの板状碑。道祖神
→柳瀬の渡しで烏川を渡る
→岩鼻集落。
・岩鼻陣屋(代官所)
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・観音寺。



12倉賀野宿(天保14年297戸2032人
  本陣1・脇本陣2・旅籠32)

・・倉賀野河岸を持つ宿場町で日光例幣使街道の分岐でもある。
  中山道と日光例幣使街道との分岐点。・・・

(★烏川から利根川を経て江戸に行く川舟が出て、
 多くの蔵があった=倉賀野)
・旅籠・・・諏訪神社・・・池鯉鮒神社
・養報寺・・倉賀野城主:金井淡路守景秀の建てた山門
・倉賀野町元標(中町交差点)
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(分岐の常夜灯)
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(分岐例幣使)
・九品寺・・・・1つの光背の前に三尊を置く善光寺式の本尊。

・倉賀野河岸の船着場・・・・共栄橋。
  周囲には往時をを偲ぶ物はない。
※永禄4年(1561)開設・・江戸中期に盛んになった。
 陸上輸送の2分1の値段であった。多いときには150艘
 の舟があったという。常時。9軒以上の問屋があった。
 江戸からの急行便で12日かかる。約1ヶ月で1往復した。
(★漫画:高崎の歴史)
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・倉賀野城の三ノ郭の井戸・・正保三年(1646)廃城
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箕輪初心★倉賀野城
http://53922401.at.webry.info/201012/article_23.html

・大神井戸八幡・・・裏には三猿が彫られた数基の庚申塔。 
・中町の御傳馬人馬徒立場跡の碑・・・須賀喜脇本陣。
・上町問屋場(現須賀医院)の高札場跡
 (高さ2間、幅3間、奥行き1間に8枚の高札)

・脇本陣・・・・古い家
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(脇本陣)
→粕沢川 享和三年の粕沢橋

●古墳群
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箕輪初心◆群馬の古墳A浅間山古墳172m=東日本bR
http://53922401.at.webry.info/201103/article_22.html

→佐野
・定家神社
・常世神社・・・北条時頼が一夜の宿をかしたとき、
        秘蔵の盆栽の梅の木を焚いてもてなしたと
        いう佐野源左衛門常世の家。

箕輪初心★佐野源左衛門常世「鉢木の謎」★
http://53922401.at.webry.info/201310/article_1.html


→和田多中    
・観音・・・台座に「左 婦ぢおか ちちぶみち 右 高崎」

(高崎の町並:市庁舎より)


13高崎宿(天保14年837年戸3235人/
   本陣0・脇0・旅籠15)

 「慶長3年1590年)、井伊直政が和田を
  「高崎」と改称。松崎の予定を変更。
   連雀町・田町・紺屋町、鍛冶町などの地名が残存。」
・高崎城・・・城門が16、、城は中仙道一の城。 
  現存は一部の石垣、東の乾門など
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・大信寺・・・・徳川家光の弟忠長の墓(家光にねたまれ28歳で自決)
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・高崎神社・・・・珍しい鰐口。鋳金した後に黒漆を塗ったもの。
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・赤坂宿・・・・・・ここは、飯盛女がたくさんいた。
・赤坂の渡し


●烏川・・・・昔は、船をつなげて渡らせた。大水でよく流された?

・八幡神社・

烏川→豊岡

・万日堂・・・・「みかえり阿弥陀仏」は全国でも五体しかない。
→ 中山道と草津道との分岐の「下豊岡の道しるべ」
  ・・・一つは「右 はるなみ  ち くさつみち」と刻まれ、
    一つは左に「左中仙道 安中 松井田 横川」、
       右に「榛名山 草津温泉 かわなか かわらゆ はとのゆ 温泉」

→中山道の豊岡南道。
・千日堂・・・島方滄洲の墓や享保四年の地蔵尊。
・薬王寺・・・比叡山より不滅の法燈を継承している寺。
→中豊岡
・二十二夜搭や庚申塔などが並ぶ一角。   ・畑・・・道祖神。
→上豊岡
・豊岡の一里塚:高崎市上豊岡町の国道18号線沿いにある一里塚。
 28里=112km
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・少林山達磨寺・・・黄檗宗(1/6.7は達磨の初売り。達磨は全国の95%生産)
      黄檗宗の総本山は宇治の「萬福寺」で群馬に7つの寺
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●豊岡の本陣
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・八幡神社・・・957年創建。当時は上野の国一の社で勢力有り。
      関孝和の弟子小野永重(伊能忠敬と地図づくり)の算額
      (円の面積の出し方を積分で説いた額・・・今は公開していない)
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・堰川・・・昔は寒念仏橋(かねつばし)という石橋が架かっていたそうだ。


→板鼻宿手前の橋供養・・享和二年(1802)石橋の改修時に建立。


14板鼻宿(天保14年311戸1422人/
      本陣1・脇1・旅籠54)

(本陣跡と用水路)
(本陣:和宮宿泊の看板)
 ・・・大河内輝声が警護した。




【2】高崎藩の三国街道街道(高崎〜〜渋川金島杢ヶ橋関所)
◎高崎宿   
・高崎市本町一丁目、中山道と別れる三国街道の起点。
 道しるべは慈光通りの交差点

○高崎・・赤坂

○下小鳥
・道祖神・・・安永9年(1780)の文字道祖神(第一病院裏)
・首塚の供養塔(フレッセイ前)・・・
     江戸時代の初期の一揆で村人の大半が処刑
・筑縄の道標(環状線戸田書店北西150m・バス通り北50m)
   道しるべに「右 越後」と書かれている 。
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○大八木→井野川
・諏訪神社入り口に立つ常夜灯・・新町から譲り受けたらしい?(本)

・妙音寺と二十二夜塔
・道祖神・・・・書家角田無幻の書。
     台座には「右 玉村 いせさき道 左 まえはし道」

○福島    
・金剛寺・・・・門前には多くの石塔・祠・石仏。

○中泉   ・曲がり角に道祖神→白い塀を廻らした大農家
       (飯塚家・畦見家など)
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 ・稲荷神社・・・・鳥居脇に庚申塔
 ・棟高の山村暮鳥・・・生家(堤小近く)
 ・菅谷の飛行場・・・旧新潟鉄鋼の敷地南に零戦の格納庫が。
      機銃掃射で2人死んだ。

○三ツ寺・・・
・諏訪神社・・・・・・蚕影神の石碑があり、養蚕の産地を証明。
   (★近藤義雄先生の言)
・真塩紋弥翁之碑・中野秣場騒動
  高崎市松の沢に官有地払い下げに対する反対運動の指導者

近日、中野秣場騒動を掲載予定。

〜〜〜〜脇道の井出(おまけ)〜〜〜〜
・井出地区のバス停「秋葉前」付近に、
    双体道祖神と歌碑がありともに道しるべ
・三寺のT遺跡(南中西の新幹線下)
・大円寺・長野業成(なりまさ)の墓
・かみつけの里博物館、
・保渡田古墳群
・保渡田の土屋文明・・・土屋文明文学記念館
〜〜〜戻る〜〜〜〜

・三ッ寺の道祖神
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・三ツ寺堤・・・・安藤対馬守の事業
  安藤対馬守が作らせた用水用の池で、旧群馬町トリセン横に供給。
    (現在は旧群馬町の整備で三ツ寺公園の一部、総合グランド)
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・石上寺・・・・・・・・・・・3寺の一つ。

○棟高〜観音寺
・観音寺・・・平安時代末期の天台宗の修験場。
      元弘三年(1333)の中世の板碑が11基。

○足門
・道しるべ(本来は旧群馬町警察署20m西)・・・
      現在群馬町中央公民館の敷地内。

・国分寺跡・妙見寺
*県史監修の近藤義男先生の説明+α

(神保家・・木戸) 染谷川・・・橋    深かった
金古宿木戸(南門)・・・現在の南から染谷川を渡ってすぐの
  佐藤石油辺り?

@金古宿(本陣1・脇本陣1・旅籠21?・茶屋2・問屋2など
      ・・・約30軒)
      池川から用水を引いた。飲み水は基本的には、井戸。
*下宿
・金古宿の入り口・・・双体道祖神
・馬頭観音・・・・・・・・・杉並木(現在は明治中期の桜並木。)
・(昔は木戸が有り)・・・(トリセンの前)
・二十三夜堂・・・・・・(セブンイレブンの西50mの所)
*中宿(金古の信号付近)
・諏訪神社・・・神楽
・土俵・・・牛池川の氾濫を防ぐ土を入れた俵(牛池川の下流)
*上宿
・牛池川
・双体道祖神と庚申塔
・常仙寺・・・・・門前にある常夜燈と二十二夜塔。
・湯屋・・・・・・・常仙寺の先
・旅籠・・・・・・・山城屋など17軒? 22軒?
・脇本陣・・・・・今成屋
・本陣・・・・・・・今は空き地
・代官所・・・・・ 旗本松田氏の代官を務めた名主神保氏
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(本陣横旅籠山城屋)
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(神保家:代官所)

・上の問屋の蔵・・・・明治期に金古駅(神保家)
・金古宿の木戸際(北門)の脇の妙義社の石祠。
   (新しいバイパスと高碕渋川線の交差点・・・柳澤家の横)

→青梨集落   ・二十二夜塔

○野良犬集落(現在の地名清野町の旧地名は野良犬)
・双体道祖神と天王様。   ・神宮寺

○陣場集落
八幡川     
・双体道祖神。   
・小出神社・・・・文化五年(1808)の常夜燈と、
         関学者の石関黒山の顕彰碑。
○下集落     
・地蔵尊と道しるべ

○野田集落   
・双体道祖神・・・・「上州群馬郡上野田村」
・高崎の起点から四里の野田の一里塚    
・庚申塚

○有馬集落   
・馬頭観音と双体道祖神   
・大庚申塔    
・有馬の延命地蔵

○行幸田
○石原     ・双体道祖神。   
○豊秋     ・児童公園の石造物
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A渋川宿
・大石・・・・南小学校の南西の隅、平沢川の上流にあった
      夫婦石が、大水で押し流された。

○元町
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(関所跡) 金井南
・道祖神と阿弥陀坂の道しるべ・「右 水沢道、左 江戸道」

○下ノ町
・金井の延命地蔵

B金井宿
・本陣 
   
・本陣の地下牢・・・・現在は金井仲之町児童公園
   佐渡に流される罪人も通る街道で、川止め時に、
   佐渡金山水替え人足の逃亡防止に使用。
・脇本陣・・・現存。
・金蔵寺・・・・杢の関所の門を移築したと言われる山門

○渋川の金島:杢ヶ橋の関所跡・・・吾妻川の関所
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 ※木ヶ橋関所は高崎藩の支配であった。
 ★佐渡送りの囚人の入る水牢があった。

〜〜〜〜〜○吾妻川〜〜〜〜〜
○杢ヶ橋があった。・・・松平輝貞・間部詮房が建てかえた。
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南牧
・宝篋印塔・・・鎌倉時代の康永二年作、高さ150センチ
・「柿薬師」   
・「このあたり 目に見えるもの みなすずし」
   と詠んだ芭蕉の句碑。
・五輪塔?
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★明日は、高崎の文化人:江戸時代編かな?

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