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zoom RSS 箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史

<<   作成日時 : 2013/10/12 07:47   >>

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天文20年(1551)頃〜 箕輪城主:長野業政は長野堰&十二堰=
早瀬川を開発した。天正18年(1590〜慶長年間頃、箕輪城主→高
崎城主になった井伊直政が長野堰の拡張工事完成させた。生活用水
のほか、高崎城の水堀の水となった。江戸時代いつかは不明である
が、烏川から榛名本郷の取水口から取り入れ、現高崎市沖町の榛名
白川の下に敷設した埋樋を通らせた。凄い工事であったと想像でき
る。
勤め先から1kmしか離れていないが、写真がない。今回は、
高崎市史を参考に加筆してみた。写真は長野堰土地改良組合
作成の下敷を複写させていただいた。
画像

 (★長野堰=関口コオ先生作)


箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路@」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路A「長野氏の開発@」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路B「長野氏の用水路編A」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html

箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html


【1】長野堰の歴史
(高崎沖町→我峰町高崎農業普及所南→高崎飯塚町→高崎大類
 →烏川合流)
 
・延長6年(928) 長野康業が長野堰を開発開始? 
       (★中島宏氏の「長野堰の水と光」より) 
 
・天文20年(1551) 箕輪城主4代目:長野業政は長野堰を開発。
  ★当時、榛名白川は高崎市沖町の繁華街の北:現在の取水口
  付近で烏川に合流していたため、本来の取水口は、高崎市沖町
  上沖の諏訪神社北付近であると想像できる
 
・永禄9年(1566)〜 箕輪城主は武田信玄家臣:甘利・浅利・内藤ら
   が水路整備?(資料なし)
 
・天正10年(1582)〜箕輪城主:北条氏邦・猪俣邦憲などが
   水路整備?(資料なし)
 
・天正18年〜慶長年間1600年頃・・・箕輪城主8年→高崎城主
   :井伊直政が拡張工事完成?



◆長野堰=生活用水+水田用水
 高崎城下は平地ではあるが、北西から東南に向けて下っている。
 現在の長野堰の取水口は烏川であるが、戦国時代には、榛名白川は
 現在の沖町の所を流れていたのではないだろうか。何故なら、
 住吉城は沖町郵便局の裏であるからである。
 早P川=十二堰も箕郷町のふるさと公園&箕輪城祭戸用水から流れて
 きている用水路である。
 長野堰は楽間130m→上沖120m→我峰110m→上並榎町100m
 →高崎城の堀&城下町95m〜90mに水路に流れていった。
 家臣・町民の生活用水となった。そして、高崎の南東部の水田の
 用水路になった。
(★高崎市史&個人データ)

・文政年間(1818〜)長野堰をめぐる水争い
・天保年間(1830〜)長野堰をめぐる水争い
・嘉永年間(1848)  長野堰をめぐる水争い
 


●慶応2年(1868) 埋樋の工事
1月28日 藩役人:山崎只左衞門から普請のお達しがあった。
2月    888両の費用の見積もりが出された。
2月3日〜 名主達が呼ばれた。
「西新波堰埋樋御普請仕様帳」・・・
40間の埋樋のうち、30間を新規に作り直し、10間を
造り直した。・・・」
(★高崎市史:近世p238)
 ★江戸時代のいつかは分からないが、既に、榛名白川の埋樋が
あったことになる。



●明治13年(1880)「西新波堰取り入れ口絵図」
取水口は群馬郡本郷村の標高120mの所にあった。
 「烏川本流に杭木を立て、それに横木を結び、蛇籠を積み上げて
  堰を作り、水を水門に向ける。・・・中略・・・・
  榛名白川と西新波村(現高崎市沖町)あたりで直交する。そのため、
榛名白川の底に埋樋を造り、流水を通過させた。埋樋は長さ40間
横幅25間、縦5尺であった。・・・・中略・・・・
我峰村で開口し、高崎藩領内を流れた。
(★高崎市史:近世p238)


・明治23年(1890) 長野堰組合が発足
 
・明治26年(1893) 上並榎に佐賀野川用水が開設。・・・水車4基。
 
・明治37年(1904) 榛名湖より天神峠トンネルから引水し長野堰へ
            補助用水を開設。
 
・大正3年(1914)  板紙製紙工場が長野堰の水を使用。
 
・大正12年(1924) 下小塙堰の完成。
 
・昭和2年(1927)  長野二段締め切り頭首口(高崎市金井淵町)
     →堰・・・烏川横断・高崎市我峰町→高崎市新井団地→
     環状線新井の信号東を横断→高崎市立北部小北面を東へ
     →真木病院西で本長野堰に合流・・・
       (後に、本長野堰+貝沢堰新築・・・・)
 
・昭和6年(1931)  長野堰の石積み工事開始。
 
・昭和28年(1953)〜昭和43年(1968)
長野堰の三面コンクリート工事。
     染色業の染色原料の芳流が長野堰・一貫堀川増加。
 
・昭和35年(1960) 上並榎に瀧谷不動近くにポンプ堰を建設。
 
・昭和37年(1962) 円筒形分水工事。
 
・昭和47年(1972) 高崎市旧榛名町本郷に長野堰頭首口が完成。
 
・昭和49年(1974) 〜昭和54年(1954) 水質汚濁解消工事。
 
・平成20年(2008) 長野堰の感謝祭イベント実施。 
    (★中島宏氏の本などを編集)

★参考文献
 ・「長野堰の水と光」中島宏著)
・高崎市史近世編p238~243






【2】長野堰サイクリングロードコース
画像

 (★長野堰組合の下敷より)

@高崎市沖町「長野堰頭首工」・・烏川から長野堰にへと取水。
最大時、6.797立法メートル取水。
 ※高崎市榛名町本郷・・・「頭首工竣工記念碑」 昭和47年
画像
 
 (★長野堰組合の下敷より)
○養魚場に給水。
 
A沖町の高崎信用金庫の横

B高崎市沖町郵便局・岡田邸・・長野堰が見える。
 ★戦国の長野氏時代は、住吉城であった。従って、当時、榛名白川は
  高崎市沖町の繁華街の北:現在の取水口付近で烏川に合流
  していたため、本来の取水口は、高崎市沖町上沖の諏訪神社北
  付近だと想像できる。

 
C現榛名白川を渡るサイフォン・・・水門とサイフォンの入り口
 榛名白川の手前で再びサイフォンが設置されており、
  川を伏せ越している。
 
D榛名白川左岸。。。長野堰の流れは新波橋を左岸の伏せ越の対岸
     フェンスの裏に水路がある。
  ★ボコボコと水がわき出ている感じが怖いほどである。
 
E県道26号を離れて200mほど暗渠。
  再び水路。石柱には「水神宮」。
 

F第一我峰堰・・・長野堰サイクリングロード。
     美しいカーブを描きつつ水路が続く。
          田んぼの中を自転車道が続いている。

 
G高崎市下小塙JA前・・水路沿いを行く。
画像

    長野郷中学校南を東に進む。
画像

    周囲の景色は一面の田んぼである。
    畑もあるけど・・・
画像


H高崎環状線と交差。・・・・歩行者用の地下道が整備。
    
I高崎市上小塙・下小塙の堺を進むと、流れはだんだんと
  高崎住宅街へと変わっていく。
画像

 西小学校南・・・
 
J長野堰改修記功碑・・信越本線と交差地点には歩道橋設置。
 
○高崎城のお堀にも分水している。
画像

 (★長野堰組合の下敷きより)
画像



K高崎市「サイク長野堰リングロード」の終わり。
  「高崎市総合文化センター」前である。

○高崎の文化センターの立体交差の北に堰が見える

画像

 (★長野堰組合の下敷より)  

●五万石義人堂五万石義人堂。
   明治維新の頃減税を訴えて蜂起した五万石騒動の際に、総代が
    処刑された場所。
 
L佐野堰へ分流
 
M「長野堰円筒分水堰」 ・・・長野堰最大の見所である。
  城南小学校の入り口前である。
  ※中央のサイフォンからあふれ出た水が、
   4水路に分かれる場所である。 
  地獄堰、矢中堰、倉賀野堰・上中居堰の4堰に分岐する。
    正確に受益配分される分水施設である。 
  ★分水堰の石碑には
 「恐ろしや 地獄の関と 思ひしが 悟ればここぞ 極楽能堰」
 かつての水利争いを地獄、分水堰ができてからは極楽と
   いう意味である(伝)。
★自分の撮った写真が見つからず、残念である。
画像

 (★長野堰組合の下敷より)



★明日は高崎藩主:安藤家かな?

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