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zoom RSS 箕輪初心★「2代目里見義成」=源頼朝の側近

<<   作成日時 : 2013/09/30 07:49   >>

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平成25年(2013)9月28日、高崎の里見で久保田順一先生の講演
会「里見氏と長野氏」があった。以前、書いた「里見義成」につい
て、久保田先生の講演会で教えていただいたことを加筆してみた。

初代里見家:里見義俊が35歳でなくなり、里見家の跡目を継いだ。
上野国碓氷郡里見郷(現高崎市里見)を本拠とした。治承4年(1180)
8月、源頼朝が挙兵した時、祖父:新田義重は寺尾城(高崎市寺尾)
に軍勢を集めて自立の姿勢を示した。その後も優柔不願な態度を続
けた。しかし、京都大番役で京都にいた里見義成は源頼朝に従う決
意をして、京都を脱出し鎌倉に馳せ参じた。源頼朝の信頼を得て、
鎌倉幕府成立後、祖父新田義重・叔父新田義兼が冷遇される中、
里見義成は山名義範らとともに御家人として重用された。里見義成
は吾妻鏡に50回以上登場する。

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 (久保田先生)
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〜〜〜〜里見義成の生涯〜〜〜〜〜
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 (★久保田先生の作成資料)

・保元2年(1157) 里見義俊の長男として生まれた。

・治承年間(1177)〜京都大番役。・・・皇居の警護&洛内外の警備。
  高倉天皇の御代で、外戚:平清盛が隆盛中であった。

・治承3年(1180) 平教盛が延暦寺を焼き討ち。
         平清盛が関白の交代や貴族39人の更迭。

・治承4年(1181) 
 4月9日  源頼政の平家追討の挙兵。
 6月    宇治川の合戦・・・源頼政の戦死。
 8月17日 源頼朝が伊豆:蛭が小島(静岡県長岡市)で挙兵。
 8月22日 石橋山の戦い(神奈川県小田原市) 敗北。
       →土肥(湯河原町岩)から船に乗って、
安房に逃亡。
 9月7日  木曾義仲が挙兵。
 9月30日 新田義重(里見義俊の祖父)は源頼朝に呼応せず。
   ※新田義兼は父義重とともに参陣せず「自立」を目指した。 
     寺尾城(高崎市寺尾茶臼山城・・城山団地奥)の籠城。
    (理由@・・・足利俊綱が上野国府を焼き討ち。)
    (理由A・・・木曾義仲は上野:多胡庄に進出。)
    (理由B・・・先祖源義国の3男で、俺は嫡流である。
              頼朝先祖:源為義は6男。)
 
  10月     源頼朝が鎌倉入り。
 10月20日 富士川の合戦   
 12月12日 山名義範が源頼朝に所属。
  12月20日 里見義俊は源頼朝に呼応。(安達盛長の説得で)
  里見義成は京都で、源頼朝に従う決意をした。
  「祖父:新田義国とともに頼朝を討つため、上野に帰る。」
  と偽って京都を脱出し鎌倉に馳せ参じた。

12月22日 里見義成が京都より源頼朝に呼応。
里見義成は源頼朝との対面の後、源頼朝や政子の警護役となった。
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→結果は、源頼朝が早々と関東を制圧。
  ★新田義重・新田義兼の野望が粉砕された。
  が挫折し、父とともに頼朝に仕えた。鎌倉の源頼朝の元に駆けつけた。
  →源頼朝の不信感。安達盛長の取り成しで傘下へ。
    安達盛長の身内は後に新田義貞の妻になった。
  ※新田義重・新田義兼は源頼朝の軍下に入るが、時すでに遅し・・・
  
  源頼朝が新田義重の未亡人となっていた娘:祥寿姫を側室への
  要望した。祖父:新田義重には、源頼朝の死んだ兄:源義平の妻
  だった娘がいたのだ。
  源頼朝は北条政子が源頼朝の子を妊娠している時に、兄嫁を妾に
  ほしいと言った。祖父:新田義重は娘を別の人と再婚させた。
  ★新田義重は拒否したのだ。
  祖父:新田義重は政子のためを思ってのことだろうか?
  源頼朝の妻:北条政子は新田義重を大切にした。北条家の隆盛に
貢献したからからである。もし、源氏の頭領「源頼朝」と祥寿姫
が側室となり、子どもを産んだら、新田義兼や里見義俊・山名義
範は、もっと高官の地位にいたことになる。


しかし、源頼朝は怒った。・・・・。
  →源頼朝の不興・不信感が増大(伝)。
  ※新田義重は冷遇された。〜〜〜〜。 
  新田義重自身は源家の最長老であり、幕府成立時点で八幡太郎
  義家に最も血統が近い者として敬意を受けていたようである。
  しかし、新田義重の鎌倉政権内における立場は常に微妙であっ
  た。足利・新田両氏の処遇の差となって表れた。末代まで尾を
  引いていくことになる。晩年は、嫡男の新田義兼とともに曾孫
の世良田政義の後見役を務めた。
  (★ウキペディアでは)
  →新田義重の甥:足利義兼は源頼朝の軍に早く参陣し、
  活躍し、優遇された。
  新田義重の娘が足利義兼の庶長子:足利義純と結婚し、新田荘内
  の岩松郷に住んだ。しかし、畠山重忠が殺された後、足利義純は
  新田の娘を離婚し、北条時政の娘で畠山重忠の妻と再婚した。
  以後、足利氏は代々北条氏と姻戚関係を持ち、鎌倉幕府内での
  地位を保った。 

足利氏・・・鎌倉幕府での従4位の下
新田氏・・・鎌倉幕府での従5位の下

・治承5年(1182)     平清盛が死亡。
  
・文治3年()      源頼朝の側近=御家人:里見義成

・文治5年    奥州藤原氏征伐・・・
   源頼朝 VS 源義経+藤原泰衡
   源頼朝・新田義兼・山名義範・里見義成・佐貫広綱達
※新田義兼自身の幕府内での立場が微妙で、戦功もなく、
   官位を受任されることもなかった。

・建久元年(1189)  源頼朝が入京。
  +新田・山名・里見・佐貫・沼田・大胡・倉賀野・那波
  ・小林など上野勢として、参列。
世良田義季(得川義季)と山名義範とともに同伴した
(★『吾妻鏡』)

・建久3年(1192)  源頼朝が征夷大将軍。鎌倉幕府を開く。

・建久4年(1193) 源頼朝の巻き狩り・・ 
    里見義成は22人の中の一人に選ばれた。
鎌倉上道〜新田義重領寺尾→里見義成里見郷→
信州街道〜
   @上野三原野(★群馬県吾妻郡三原では)で巻き狩り
          で巻き狩り。
新田一族・里見一族・滋野系海野・望月・禰津が参加。
(★「吾妻鏡」・榛名町誌上巻など)
    ★源頼朝は巻き狩りはコの字型で獲物を追い戦の小型版
      なので、武士団の結束力をみていた。

          
    草津温泉で休憩?。
   ※草津温泉も頼朝の湯
信州街道〜東山道〜下野国
   
  A那須で巻き狩り。
那須与一を家臣団に重用。

B富士の裾野の大巻き狩り
里見義俊は「遊君別当」に任じられた。
 (【吾妻鏡】)

・建久5年(1194) 里見義成が源頼朝の側近として活躍。
   ●新田の庄:高林郷・里見郷・大島郷・鳥山郷
   ・八幡の庄

・建久8年(1197)  源頼朝が信濃善光寺を参詣。
         新田義兼・里見義成・海野幸氏?らが随行。

・建仁2年(1201) 4男:里見義直が美濃進出。
京都守護に任じられた。
(★鎌倉年代記)

・元久元年(1204) 里見義成が「伊賀守」、従五位下に任じられた。
      (★明月記)

・承久の乱(1221)・後鳥羽上皇敗退。
  里見義成は恩賞で所領を2倍に増加。
   ★新潟県十日町市史等によると、
   →越後:波多岐庄(新潟県十日町)・・・次男:大島義継
   →越後:有妻庄(新有庄潟県津南町)・・三男:鳥山時成
      波多岐庄(★久保田順一先生)
   →美濃:平野庄(岐阜県大垣市平野町)・四男:里見義直
里見義直は里見義成の弟(★北酒出本系図では)

新田総本家をしのぐ勢いになった。
  新潟県十日町の城:7城は来年になろうか?


・分暦元年(1234) 里見義成が78歳で死亡。
 「これ幕下将軍家(頼朝)の寵子なり。親疎惜しまざる者なし」
            (★『吾妻鏡』)

・寛元2年(1244)長男:新田義基の子:氏義(里見義成の孫)は
    掃部権助に補任。(★平戸記→久保田先生)
    ★・・守・助・丞・さかん・・結構、位が高い。


・宝治2年(1248) 次男:里見義継が源頼朝に随兵として出向く。
8月15日・・・後陣随兵
閏12月11日・・偉い人(天皇)への贈り物の警護役
足利頼氏・足利次郎・・里見弥四郎・里見蔵人三郎
    
・建長3年(1251) 長男:新田義基の子:氏義(里見義成の孫)は
赤城不動尊(現群馬県渋川市旧赤城村)を建立。
「願主里見掃部権助源朝臣氏義」


・建治2年(1257) 京都六条八幡宮の造営
   「里見伊賀入道跡 七貫文」・・・金を集めて、寄付した。
★この里見伊賀入道跡は里見義基ではないだろうか?
山名・小野・桃井・佐貫・大胡12貫・高山三郎&五郎
和田・長野刑部丞・寺尾・倉賀野・・


●▲■ 里見義成の子孫 ■▲●
里見義成→●長男:B里見義基→里見氏義
→里見(竹林)義秀
安房里見義実の先祖(久保田先生)
   └●次男:新田大島義継(上野新田在住系)→
            →●大島時継
            →・・・・・・・→○→○→○→○→
            └●大井田氏継(越後十日町在住系)
              →○→○→○→○→
   └●3男:新田鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→
              ・・・・・・・・・
               ●鳥山頼成(越後十日町在住系)
               →○→○→○→○→
   └●4男:美濃義直→○→○→○・・・・
      円教寺地頭 
      ※子孫は安房里見初代:里見義実(★峰岸純夫先生説)
  └●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×? 
(★【尊卑分脈】・・・久保田順一先生)


★参考文献
 里見氏:里見義成著

 河内源氏:
 榛名町誌通史上巻(中世は久保田順一先生が中心)
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 久保田順一先生講演会資料
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  (★久保田先生作成)




★参考サイト
  ウキペディア





★明日は、佐野源左衛門常世かな?

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