城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版

<<   作成日時 : 2013/09/29 08:11   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

★平成25年(2013)11月3日、【高崎学検定】があるという。私自
身は高崎に関しては、一番が箕輪城が最大の関心事である。
10月は、北条氏関係の静岡の50城を止めて、できるだけ
高崎の情報を提供しようと思う。高崎に恩返しはこの位しかない
かもしれない。そこで、里見一族は新田義重の庶長子:新田義
俊=里見太郎義俊が里見家の初代である。里見の姓は新田
義俊が上野国碓氷郡里見郷(現群馬県高崎市里見)に移り、里
見の地名を苗字としたことによる。「里見氏」:里見義成著をベー
スさせていただきました。

画像

 (★高崎:旧榛名町の里見の館=光明寺)



箕輪初心●里見一族@「新田から里見へ」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

箕輪初心●里見一族A「初代:里見義俊→2代・義成
〜3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心●里見一族B「4代義秀〜10代家基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_35.html

箕輪初心●里見一族C「安房里見前期5代J〜N」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_36.html

箕輪初心●里見一族D「後期安房里見」O〜S
http://53922401.at.webry.info/201102/article_37.html

箕輪初心●里見一族E「南総里見八犬伝&群馬」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_38.html

箕輪初心●里見一族F「日本ハム:斉藤佑樹投手も子孫?」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_39.html

箕輪初心●里見一族G「高津戸城」=桐生仁田山で114年
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

箕輪初心●里見一族H「里見城&上里見城など」
 (高崎榛名)」=武田信玄に抵抗。
http://53922401.at.webry.info/201102/article_46.html

箕輪初心●群馬【仁田山城&谷山城&皿窪砦】&『里見一族』
http://53922401.at.webry.info/201205/article_16.html

箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html


箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html




箕輪初心●里見一族の歴史    
@平安時代・・・清和源氏→新田一族→里見一族〜〜。」
A鎌倉時代・・・御家人。
  嫡流は新田→八幡庄(高崎)・越後波多岐庄&妻有庄&美濃平野庄
鎌倉時代末の動乱では新田義貞と行動をともにした。
A南北朝時代・・新田義貞の家臣=Best8の発言力を持つ里見。
里見一族は南朝方・北朝方に別れ戦った。
B室町時代・・・・里見郷→陸奥:山本郷・・・仁田山
C戦国時代・・・・分家:上野里見:長野業政と姻戚。
   本家:安房里見→千葉2/3を制覇。
   ※「南総里見八犬伝」のモデルになった安房里見・・・        
D江戸時代・・・・安房里見12万石→伯耆倉吉4000石




■▲●  里見歴代当主の概略  ●▲■
○清和源氏→河内源氏→源義国→※源義国長男:新田義重(新田の祖)               
※源義国次男:足利義康(足利の祖)
○新田義重
  新田之庄(太田市)・・・★ここが領地であったであろう。
   ★新田は足利俊綱に占領されていたので、寺尾での蜂起は疑問?
  寺尾(高崎市)・・・・・・・源の頼朝の蜂起に合流せず。
  ●長男:@里見伊賀守義俊・・・現高崎市旧榛名町在住
     (光明寺の里見供養塔)
  ●次男:山名義範・・・・・・・・・・・現高崎市山名の光台寺在在
  ●3男:岩松次郎義兼・(岩松の祖)・岩松の子孫・・足利??の娘
   :→→→(岩松館)
  ●4男:額田三郎経義・・・・
   ●5男:世良田義季「得川」・・子孫:徳川家康(捏造?)
     (満徳寺の北200m)
  ●?男:新田冠者:新田義光・・・・・新田一族の本流。
  ●?男:新田小四郎:新田義佐  


■▲●  里見一族の概略  ●▲■
@里見義俊・・・新田義重の長男。
  嫡男ではないため、分家し「里見」を名乗る。
  ●長男:里見義成(高崎市旧榛名町里見在住)
  ●次男:里見千代丸→碓氷貞次の養子→碓氷三郎里見義雅
        →塚越氏の祖(私:箕輪初心の母方先祖?)
  ●3男:田中義清(太田市新田町田中)
   田中氏・・・庶家は大島氏・糸井氏・篠原氏など
  ●4男:中里見政氏(高崎市旧榛名町猪毛・現在10軒)
★友達の中ちゃん先祖

A里見義成・・・京都大番役。
  平家追討の挙兵に京都からいち早く参加。
 源頼朝の側近として活躍。「伊賀守」
  里見一族は上野国の里見郷〜榛名山付近を拠点として
  越後国まで勢力を拡大した。
 ●長男:B里見義基
 ●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)・→○→○→
            └●大井田氏継(越後十日町在住系)→○→
    大井田氏の庶家は羽川氏・矢島氏・大岡氏など

 ●3男:鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→・・・・・
           ●鳥山頼成(越後十日町在住系)→○→○→→
 ●4男:美濃義直→○→○→○・・安房里見初代か?(★峰岸純夫説)
   里見義直(『承久の乱』で戦功を挙げ、同国円教寺の地頭となった。
『観応の擾乱』で滅亡・・・
しかし、子孫は安房里見の里見義実になった。(★峰岸純夫説)
 ●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×?


B里見義基・・・親の七光りで鎌倉幕府御家人。
  ○長男:里見氏義・里見郷に居住
   →宮田不動尊(渋川市:旧赤城村)を建立。
      ★財力を相当持っていたはずである。
  ○次男:里見義秀・・新田庄高林郷に居住? 
      別名:竹林二郎・・・刑部少輔。
  ○3男:牛澤重基・・新田庄高林郷隣の牛沢郷住
       →子孫は越後中沢郷(長岡市中沢・新潟市中沢)
  ○6男:太田義宗・・
  ●里見義秀の娘・・・新田朝氏の妻(新田義貞の母)?

・牛沢氏・太田氏・山本氏・仁田山氏・堀内氏などの
   庶家が出ている。
 ※里見一族の中には、源頼朝の御家人になり、新田本宗家:新田義兼
  流を凌ぐ程の存在となった。


C里見義秀・・・新田義貞の祖父?
○長男:里見義忠・・新田の庄:高林郷・里見郷を継ぐ?
  ○次男:竹林基秀・・★新田次郎の小説「新田義貞」では、
             新田義貞の傳役(=教育係)である。
  ○3男:竹林時秀・・・・
  ○4男:竹林義綱・・・・


D里見義忠・・・★新田義貞の父か?
  ○長男:里見義胤
  ○次男:里見時義
  ◆3男:里見義貞→新田朝氏の養子:新田義貞
   (★新田正伝・里見???)    



E里見義胤
 里見義胤の新田義貞の兄説・・・・里見小五郎義貞が新田朝良の養子へ
画像

  (★小五郎砦)
(★主に榛名町の方々の説)・・・
    新田義貞は里見から新田朝定に養子か?
 ※里見義胤の新田義貞の叔父説・・・
 ※里見義胤の新田義貞の叔母の子説・
   ○長男:里見義連
  ○次男:里見義宣 

 惣領家:新田義貞に従軍し、鎌倉幕府の得宗執権の北条高時を滅ぼ
 した。
 ※北条得宗家の子孫は、熊本の横井小楠である。
  「八重の桜」の横井時雄・コ富蘇峰・徳冨蘆花・
  湯浅治郎などはみんな新島襄の身内になったのだ。


 里見義胤は戦功により、新田義胤は後醍醐天皇から伊賀守に
 任ぜられた。
 しかし、1338年7月に越前国藤島で新田義貞が戦死を遂げた。
 里見一族に足利尊氏に従う者が続出して里見氏は没落を免れた。
 鳥山3名・里見2名・・・・
 新田義宗(★ウキペディア・榛名町誌では美濃の里見義宗。)
 は『観応の擾乱』で足利直義(足利尊氏実弟)に従ったが、
 薩た山で対峙委し、竹之下の戦い(静岡県御殿場市)で足利直義
 が兄に敗北した。新田義宗?里見義宗・・・・
 『承久の乱』以降の美濃国の所領を没収され、没落した。
 ★とすれば、峰岸純夫先生の「美濃:里見氏のからの
  安房:里見義実説が苦しくなる。 


F里見義連・・・陸奥守。現福島県山本に在住。
  ○長男:里見基義
  ○次男:山本胤幸・・・・里見系山本氏の祖
  ■3男:里見氏連       



G里見基義・・・里見郷に戻って、地固め。
  ○長男:里見家兼
  ○次男:里見満俊       


H里見家兼・・・常陸國小原に在住。
  ○長男:里見家基・・・新田庄:高林郷・里見郷
  ○次男:里見満行・・・
  ○3男:里見家成・・・・
  ○4男:里見氏兼・・・・



I里見家基・・・結城の乱で戦死。
 里見家基は関東公方の足利持氏の傘下となり、将軍:足利義教と
 上杉憲実と対決して、破れた。
 里見家基は常陸国の結城氏朝を頼っった。
 しかし、上杉憲実の軍勢に包囲され、里見家基は子:家氏ととも
 に自害し、里見氏宗家は(庶家の一部は除く)は滅亡した。         
3男:里見氏義・・・結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を称する。
  安房里見義実の可能性がある。   






★鎌倉時代から室町時代にかけて諸国に分かれた里見氏がある。
 出羽里見氏、美濃里見氏、越後里見氏などである。
●出羽里見氏・・・・天童氏・東根氏・延沢氏など
  
画像

  (★山形「天童城」)
箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
  里見氏のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html

●美濃里見氏・・・・里見氏
●越後里見氏・・・・里見氏・大井田氏・羽川氏など
  ★新潟県十日町市の城は来年掲載しようかな?






●●〜〜後里見氏〜〜●●●
安房里見氏は戦国大名として成長した。房総に割拠し、江戸時代初頭には
里見一族は安房・上総・下総の一部を治める館山藩主となった。
画像


J里見義実・・・白浜城(安房郡白浜町)を居城。
画像
  

※説@・・・里見家基の長男:里見義実説
      里見氏の嫡流である里見義実が安房に入国した。
     (★安房里見氏の家伝)
      ★系譜関係は定かではない。

※説A・・・里見家基の遺児説
      義実(大隅守氏義)・義通(義成・成義)父子は遺児(★通説)

※説B・・・里見家基3男:里見氏義説=海保氏→里見氏説
   坂東八氏の上総氏の系統であるが「里見氏」と自称した可能性
  がある。
  海保氏は里見家基3男:里見氏義が結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を
  称した。後に末裔が千葉家執権・後北条氏家臣・井伊家家臣・板倉家家臣
  ?で末裔に海保丹後守(千葉勝胤四天王の一人)
   (★ウキペディア)

※説C・・・美濃里見からの養子説(★峰岸純夫先生説)
       ★観応の擾乱で、美濃の里見義宗は領地を
       没収されたという通説からすると、結構苦しい。
       しかし、2012年9月の里見の郷の講演会では
       一部、峰岸説を信じる人も出て来ていると
       千葉県館山の方がおっしゃっていた。

※説D・・・里見3代:里見義基の次男:義秀の子孫説
  (★尊卑分脈・妙本寺蔵の源氏系図・群書類従→
   榛名町誌:久保田順一先生執筆)

※滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデル。
  史実と伝説が入り混じる謎の一族である。
 
 安房には東条・丸・神余・安西の「安房四氏」が割拠。
 神余氏家中の下剋上平定を機に里見義実が瞬く間に安房統一(伝)。
   
K里見成義・・・稲村城を本拠。上総一部まで領土拡大。

L里見義通・・・平穏無事。早死に。長男:義豊は5歳。
L里見義通→N里見義豊
     └M里見実尭→O里見義堯


M里見実尭・・・里見義通の弟


N里見義豊・・・小弓公方・足利義明を支持。
  古河公方:足利高基を支持する相模北条氏や下総千葉氏と交戦。
・天文2年(1533) 義豊は叔父の実堯を誅殺したことから
    内乱が発生・・・ (★天文の内乱)。
    実尭の子:義堯が勝って里見氏嫡流は滅亡。


O里見義堯・・・・第一次国府台合戦
  小弓公方滅亡後は、北条氏と40年にわたる抗争。


P里見義弘・・・北条氏と和睦。

Q里見義頼・・・里見義弘の死後、嫡男梅王丸と義弘弟:義頼の間で
        抗争が勃発。
       →里見義頼が勝って里見氏を相続。

R里見義康・・・・「小田原の役」で豊臣軍に味方。
  鎌倉などを攻撃したが、「関東惣無事令違反」に問われ、
   安房一国以外を没収。
 ※上野国:板鼻藩が成立。・・・弟が藩主


S里見忠義・・・徳川配下の小田原城主:大久保忠隣の娘を妻に
  迎えていた。
・慶長20年(1614)大久保忠隣改易のあおりを受けて
伯耆倉吉に配流。お家断絶。
   大名としての里見氏は滅亡。
  里見忠義の代で改易された。。





●▲■ 桐生仁田山の里見一族 ■▲●
  三代将軍足利義満の頃・・・
画像

 (★仁田山館)
画像

 (★仁田山城の二の郭)


8)里見氏連(里見義連3男)・・・現桐生市仁田山城
   桐生氏との婚姻説・・・桐生国綱の娘が妻。
  
9)里見成義・・・仁田山八郷の支配。仁田山紬の生産。

10)里見時連・・8代将軍足利義政が二階堂行旨を城主に
   嫡子:二階堂政行を暗殺?・・・
  @里見時連の返り咲き説
  A安房の里見勝広が赤萩城主として仁田山をおさめた説。
  
  里見勝弘は同族の里見氏を頼って安房から桐生へ(伝)。
  里見勝弘は16代安房里見義弘の甲州後胤説
  里見勝廣は安房里見実堯(★関八州古戦録は変?)
  
  「桐生搦手の赤萩に在城せしめ」(関東庭軍記)
   「赤萩の塁を構えて差置けリ」(桐生家本末記)
  桐生助綱が里見勝広に赤萩を守らせた。

11)里見国義・・・高津戸城を強固に〜〜?

12)里見宗連(家連)・・・
 ・永禄3年(1560) 長尾景虎の第一次関東出兵。
   @長尾景虎の仁田山城攻撃。→自刃説。
     (関八州古戦録)(上杉文書)
   A長尾景虎への寝返り→桐生氏への攻撃。
     桐生氏の反撃説→自刃。
   →長尾景虎(=上杉謙信)は桐生氏と和睦。
 ・永禄9年(1566) 由良の援助で、古河公方配下。 




◆◆◆ 榛名里見の里見一族 ◆◆◆
13)里見宗義(河内)・・・114年の仁田山を捨て、
 ・天文24年(1555) 現高崎榛名に手勢30騎で逃亡。
  長野業政の娘?を妻とする。
    ※長野一族の有力家臣の娘説(★里見義弘氏説)
 ・永禄5年(1562)雉郷山城を修築。

 ・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻撃
   @高浜城攻撃。
   A雉郷城攻撃・・・高橋隼人正勝則が城代が守り。
   B長谷砦・・
   C箕輪城総攻撃→落城。
     ・・・里見宗義は自刃・討ち死に?

★★里見繁美先生の説家
  里見家→長野業政の養子・・長男:氏業=業盛の誕生
群馬富士見の所領で、
@長野業政は長男:吉業が死んだ。
   長野業政には12人の娘がいたが、男の子はいなく
   なった。
   A長野業政は養子として、2男:里見義樹(里見義光
   の子)を迎えた。・・しかも、
   系図@安房里見の実堯→義堯→義弘の弟:義樹
   長野業政の嫡子:長野吉業=福田吉業(菅谷)・・死亡
   長野業政の養子:里見義樹が成立した。
   (★長年寺系図
    長野正弘氏の系図
  里見義樹系図
  B里見義光の娘と結婚=妾とし、3男:長野氏業=業盛を
   産んだ。(系図は長野正弘氏蔵)
  長野業政の次男:長野氏業=義盛が産まれた。
   C養子の里見義樹(長野義樹)は、長野業盛が生まれたので、
   一時、養子を離れ、前橋市旧富士見村に、石井城を築城し
    住んだ。里の青柳・木暮・小沢を家臣とした。
   D石井左京太夫讃岐守信房・・鷹留城主に抜擢した。
  ※里見義樹→長野義樹→石井義樹?・・
   →石井左京太夫讃岐守信房と名乗った。
  石井左京太夫讃岐守信房・・勢多郡旧富士見村石井
  青柳金王丸忠家…・・・勢多郡現前橋市青柳村
  木暮丹後守直政・・・・勢多郡現前橋市木暮村
  小沢治郎兵衛亮信縄・・勢多郡現前橋市小沢村
   などを、家臣とし、箕輪城に
   永禄3年(1560)に行った。
   ※里見繁美氏は、近藤義雄氏の考えを否定した。
    近藤先生の「箕郷町誌P989」家臣一覧表2つ
    近藤先生「石井信房を鷹留城主にしていること、
    青柳・木暮・小沢を重用しているのが疑問である。」
    と書いているが・・・。
   「石井信房を懸念していて、信憑性に欠ける。
    これは、里見義樹は長野業政の妻の甥に当たる
    ので、石井信房が身内であった証拠である。」と述べた。
(★里見繁美先生の説)

箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html

14)里見義宗(宗義の弟)・・・榛名里見の祖
  ※安中氏の庇護・・帰農
  ●里見家代々??・・・帰農
  ※武田16年支配→滝川一益2ヶ月支配
    →北条8年支配
  ※井伊直政支配

15〜??代)・・・帰農
  
・元和年間・・・大部分は酒井忠清の支配地




・現在・・・●榛名里見に7軒・中里見に5軒。
現在の里見家御当主:里見??氏・・・御免なさい。
  名前が違っていると失礼なので、書きません。
  背広を着ている方です。
画像

 (★里見の郷事務局:中嶋氏と一緒)


●▲■ 里見氏の支流 ■▲●
斯波氏、船田氏、大井田氏、正木氏、尾崎氏、竹林氏、山本氏、小原氏、粟屋氏、
竹林氏、山本氏、小原氏、仁田山氏、太田氏、古山氏、牛沢氏、大島氏、鳥山氏、
蜂須賀氏、伊賀氏、堀内氏、海保氏、豊岡氏、富岡氏、田中氏、今西氏、小沢氏、
真崎氏、久永氏、田井氏、木戸氏、木部氏、金野氏、北角氏、西塚氏、馬場氏、
木山氏、中屋氏、吉野氏、中村氏、藤沢氏、東条氏、天津氏、中里氏、中沢氏、
小谷氏、鍋田氏
 (★ウキペディアより転載)


◆◆◆ 群馬県下仁田町の里見氏 ◆◆◆
箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html
画像

 (★里見哲夫先生宅)




◆参考文献&資料
@「里見氏」(里見義成著)あさを社1300円がベース・・・
  ※群馬の地方会社なので、群馬のみ販売。
A新田町史+群馬県県史ベース
B上州風VOI29・・2008年「里見氏のルーツをたどる」
               「南総里見八犬伝と群馬」
C館山城博物館の資料・出版物
D河内源氏:元木泰雄著
E榛名町誌の通史編上巻・・・中心は久保田順一先生。
〜〜〜など多数。


◆参考サイト
 ウキペディア



★明日は2代:里見義成かな?
   久保田順一先生の講演会かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる