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zoom RSS 箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」

<<   作成日時 : 2013/09/16 11:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

幕末の魅力的な人物はたくさんいる。私は1位:小栗上野介、2位
・・・佐久間象山、岩瀬忠震、高山彦九郎など、現代の歴史観=薩
長史観のため、埋もれた人物に興味がある。

薩長史観から有名人になった人物は凄いがあまり
すきではない。坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟等?

★佐久間象山について調べてみた。「象山神社」で「佐久間象山生誕200年
記念」・・・長野市の先人に学ぶ「佐久間象山」を購入したのだ。
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★★ 箕輪初心★佐久間象山@「象山神社など」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

●● 箕輪初心●長野:海津城=松代城 ●●
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html


★● 箕輪初心◆長野:松代藩の家臣の家 ●★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html





〜〜〜箕輪初心★小栗上野介シリーズ〜〜〜
◆◆箕輪初心★小栗上野介@「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介A「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介B「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介C「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介D「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介E「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介F「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介I「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介J「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介L「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

★★ 箕輪初心★高山彦九郎
http://53922401.at.webry.info/201110/article_15.html
http://53922401.at.webry.info/201106/article_15.html


★★ 箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

u 箕輪初心★中原街道:勝海舟・伊藤博文など 
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_18.html

★★ 箕輪初心★土方歳三35年の生涯 ★★
http://53922401.at.webry.info/201305/article_23.html

箕輪初心★小栗上野介G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」
河井継之助も出てくるよ。小林虎三郎は「米百俵」で見たが・・
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html


箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖。
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201301/article_7.html


★箕輪初心★中居屋重兵衛=貿易商
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html



〜〜〜〜〜★佐久間象山の生涯★〜〜〜〜〜
1)幼年時代・・・父母の愛にはぐくまれて
・文化8年(1811年)2月21日
 2月28日(★ウキペディアでは)
  信濃松代藩10万石の城下町松代で藩士:佐久間一学国善の
  長男として、松代字有楽(現浦町)で生まれた。
  母は松代城下の東寺尾村に住む足軽の荒井六兵衛の娘で「まん」
  である。父佐久間国善が50歳、母まんが31歳の時に生まれた
  男児であった。佐久間家では久しぶりの男児が誕生したので、
  国善は大変喜び、将来に大きな期待をかけた。
  中国の諺の明けの明星=「東に啓明あり」から選んで「啓之助」
  と名づけた。

  佐久間一学国善は、5両5人扶持という微禄の下級武士であった。
※5両5人扶持=5人の武士の部下を持つ約30石取りの武士。
  しかし、父は藩主の側右筆兼表右筆(=書記官)を務めていた。
  卜伝流剣術の達人で藩からは重用されていた。
また、和漢学で神渓という号を持っていた。書も達人であった。

・文化10年(1813) 満3歳
逸話・・寺に書いてある「禁」という字を書いた。


・文化11年(1814) 5歳
逸話・・陰陽道で使う易の「64掛け」を暗唱してしまった。

・文化13年(1816) 満6歳
父から学問を習い始めた。

・文政2年(1818) 満8歳
硯石を拾う。・・・父「勉強しなさい。」
論語を真剣に勉強した。


2)腕白少年時代・・
・文政3年(1819) 満9歳
※逸話・・・友達を泣かせることもあった。
「妻女山から 槍が降る 佐久間の門から 石が降る
  石投げ小僧の 啓之助  や〜い や〜い」
とはやし立てられた。

※逸話・・・「テテツポウ」(梟の方言)と渾名されていた。
 ・・・顔は長く、額は広く、二重瞼で眼は少し窪んでいて、
  瞳は大きくて梟の眼のようであったという。

※逸話・・・乾した籾の上で相撲をとって、叱られた。  


・文政4年(1820) 満10歳
 ・烏帽子親:藩儒の窪田岩右衛門馬陵恒久からを儒学を習った。
   象山は必死に儒学(朱子学)を学び、頭角を現していった。
 ・馬奉行:竹村七左衞門から馬術を習った。
象山は家老などの子どもからねたみを買った。
喧嘩して、父から謹慎を言い渡された。



・文政6年(1823) 満12歳
8代藩主:真田幸貫が老中:松平定信の子で、真田家に養子に
なった。・・・国元に入った。
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・文政7年(1824) 満13歳
  藩儒の竹内錫命に入門して詩文を学んだ。
初めての漢詩を作った。

・文政8年(1825) 満14歳
元服をした。

・文政9年(1825) 満15歳
  @佐藤一斎の門下生:鎌原桐山に入門して経書を学んだ。
(★鎌原の先祖は真田幸隆の弟で群馬県嬬恋村出身)
  A藩士:町田源左衛門正喜に最上流会田流の和算を学んだ。   
    ★最も象山に影響を与えた。
  B河野左盛から水練を学んだ。

・文政10年(1826) 満16歳
  家老:恩田頼母と知り合いになった。
  易学に没頭した。
上田に琴を習いにいった。


3)8代藩主:真田幸貫との出会い=仕官〜国元での活動
・文政11年(1828)満17歳 
 家督を継いだ。

・天保2年(1831) 満20歳
  3月 藩主:真田幸貫の世子:真田幸良の
    近習・教育係に抜擢された。

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  5月に辞任。理由は高齢の父への親孝行をするためであった。
しかし、真田幸貫は象山の性格を癇が強いとしつつも才能は
  高く評価していた。


・天保3年(1832) 満21歳
4月11日 藩老に対して不遜な態度があったとして真田幸貫
から閉門を命じられた。3月の武芸大会で象山が国善の門弟
名簿を藩に提出した所、序列に誤りがあるとして改めるよう
に注意を受けたにもかかわらず、象山は絶対に誤りなしとし
て自説を曲げなかったためである。
真田幸貫の逆鱗に触れた。


   8月17日真田幸貫は国善の病が重くなったため、赦免した。
8月23 父:国善が死去。

  
・天保4年(1833) 満22歳
佐久間象山は漢文100篇を作って鎌原桐山に提出。
  鎌原桐山ばかりか真田幸貫からも学業勉励であるとして評価された。
  銀3枚を下賜された。


4)江戸出府→兵学家の地位の確立
・天保4年(1833)11月 7両が必要だった。
家老の矢沢家(★初代矢沢頼綱は真田幸隆の弟)から、
 借用証文は自分の学問として、金を借りた。
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  江戸に出た。

儒学の第一人者昌平黌:佐藤一斎に詩文・朱子学を学んだ。
   山田方谷と共に「二傑」と称された。
佐藤一斎はこっそり陽明学も教えた。

儒学の林鶴梁とも問答をした。
藤田東湖・安井息軒・塩谷岩陰などとも知り合った。



・天保7年(1836) 満25歳
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故郷:松代に帰った。
 松代学問所の先生になった。

*大塩平八郎の乱
佐久間象山は陽明学を藩主:真田幸貫に説いた。
 松代文武学校の建設となった。

飢饉を救った。
 佐久間啓之助は「象山」と号した。
 この寺から取ったと言われている。
 佐久間象山の家から250m程・・・
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・天保10年(1839) 満27歳
  江戸で私塾「象山書院」を開いた。儒学を教えた。 佐藤一斎・・・・
川路聖あきら・渡辺崋山・などと知り合った。
名声はさらに広がった。

※蛮社の獄・・・渡辺崋山・高野長英らが牢に入れられた。

・天保12年(1841) 満30歳
・松代藩江戸藩邸学問所頭取となった。
・ 詩文「望岳賦」・・・

・天保12年(1841)
 江川英龍は高島流砲術をさらに改良した西洋砲術の普及に努めた。
洋式砲術師範を許され、江戸芝に縄武館を開いた。
 全国の藩士を教育した。
 ・幕臣:川路聖謨
 ・幕臣:大鳥圭介 
 ・福井藩士:橋本左内
 ・長州藩士:桂小五郎(木戸孝允)などが学んでいる。

5)儒学→西洋学問&西洋の研究
・天保13年(1842) 満31歳
  松代藩主:真田幸貫が老中兼任海防掛に任ぜられた。
  真田幸貫から洋学研究の担当者として白羽の矢を立てられた。
  佐久間象山は伊豆の江川太郎左衛門英龍の門下生になった。
    芝の縄武館で、兵学を学ぶことになった。
  江川太郎左衛門高島秋帆の門に入り火術の英傑である。
  和漢洋の学に秀で、多くの門弟がいた。
  中に二人の弟子が有名である。
  一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。
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江川太郎左衛門英龍は伊豆の韮山代官所の役人だった。
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 西洋式の大砲の研究をし、韮山反射炉を造った。
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  後に伊豆川奈・富戸・下田などに大砲を設置した。
品川砲台=お台場も造った。

  江川は象山のことを嫌っていた。
  洋式砲術を使った戦略を短期間で習得しようとしたからである。
  江川は「秘伝」といった旧来の教育方法であったからである。

江川英龍に西洋兵学をほとんど教えなかったらしい。
  (★本では)

  高島秋帆の門下生:下曽根信敦から文書資料を借り、自学学習を
  進めた。
  
※小林虎三郎へ送った文書
「宇宙に実理は二つなし。この理あるところ、天地もこれに異なる
 能わず。鬼神もこれに異なる能わず。百世の聖人もこれに異なる
 能わず。近来西洋人の発明する所の許多の学術は、要するに皆実
 理にして、まさに以って我が聖学を資くる足る。」
 (★ウキペディア)


9月 佐久間象山は藩主:真田幸貫に『海防八策』を献上した。
    高い評価を得た。
    江川英龍や高島秋帆の技術を取り入れつつ大砲の鋳造に成功
    した。その名をより高めた。

・天保14年(1843) 満32歳
藩主:真田幸貫は海防掛けから、勝手掛け(会計担当)
なった。その後、老中も辞任した。
水野忠邦の天保の改革は2年で終わったのだった。




6)松代での西洋の学問研究
・天保14年(1843) 満32歳
 松代藩で郡中横目役(奉行の補佐)100石どりに抜擢された。
 
これ以降、佐久間象山は西洋の学問に大きな関心を寄せるように
 なった。

・江戸での殖産興業策に着手。


・弘化元年(1844) 満33歳 
  黒川良安に蘭学を学んだ。
  オランダ語文法を約2ヶ月でマスターした(伝)?
黒川良安とともに学ぶ。
  オランダ語のシュメール百科事典からガラスの製造に成功した。

 「8ヶ月後には、辞書を使えば、全て理解できるようになった。」
  と手紙に書いている。
  ショメールの百科全書を読みながら、さらに石灰製造、硝石の精製、
  ぶどう酒醸造などを実際に行った。

・嘉永2年(1849) 満38歳
  松代で日本初の指示電信機による電信を行った。
松代藩鐘楼〜70m〜御御使者屋に電信を張り、実験に成功した。
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  地震予知器の開発に成功。
  牛痘種の導入・・・息子にした。

・嘉永3年(1850)
松代で砲術を演じた。

 江戸木挽町の松代藩邸に私塾を開き、砲術を教えた。
  幕臣:勝海舟が入門。

・嘉永4年(1851)
  長岡藩:小林虎三郎(★映画「米百俵」・・後、長岡県大参事)が
  長州藩:吉田寅次郎=松陰が入門。
  長州藩:宮部鼎蔵(★松陰の友達、池田屋事件で死亡)
  

 ※江戸で大砲演習に大失敗。
   砲身が爆発して周囲から大笑いされた。
   佐久間象山は「失敗するから成功がある。」と平然としていた。
   「大玉池 砲を二つに 佐久間修理 
     この面目を なんと象山」
   というものがある。
   「大玉池」は、象山の住む「お玉が池」に「おおたまげ」をかけた
   洒落である。
(★ウキペディア)

・嘉永5年(1852)   
   佐久間象山に勝海舟の妹「順」が嫁いだ。   
  ★勝海舟は義兄となったが、当時は、傲慢な象山をあまり高く
   評価していないようである。

   長岡藩:河井継之助は入門
   長岡藩:三島憶次郎(★河井継之助や小林虎三郎と近所の幼なじみ)
   出石藩:加藤弘之(川崎尚之助と同じ出石藩→後の東大総長)

・嘉永6年(1853)
   坂本龍馬が入門。

6月3日 ペリー提督がアメリカ合衆国大統領の国書を持って浦賀に
  やってきた。
  佐久間象山はただちに浦賀へ急行し、妻の兄である勝海舟から貰った
  望遠鏡で黒船をつぶさに観察した。


佐久間象山はペリー来航の際には老中:阿部正弘に「急務十言」を
  進言し、浦賀警護に当たった。


 6月12日 ペリーは国書の回答を1年後の延期を認め江戸湾を去る。
 
「太平の 眠りをさます 上喜撰(じょうきせん)
    たった四はいで  夜も眠れず 」


・嘉永7年(1854)
  福井藩:橋本左内が入門
  久留米藩:真木和泉(寺田屋事件で幽閉。蛤御門の変を起こし自刃)

        
7)ペリーの再来航=失脚〜死まで
・嘉永7年(1854)
江戸幕府は下田を開港を決めたが、佐久間象山は有事の際に
  江戸から遠い下田開港に反対で、横浜を考えていた。


1月16日 日米和親条約の締結で、ペリーが軍艦七隻を率いて
      再び来航した。
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3月27日 松陰の密航
 夜、ミシシッピー号に二人の男の乗った小舟が近づいた。
  小舟には吉田松陰と同僚の金子重輔が乗っていた。
  アメリカへの渡航を希望したが、ペリーに断られ、実現しな
  かった。吉田松陰が密航を企て失敗するという事件である。
  密航の企てが露見し、吉田松陰は伝馬町から萩の野山獄に
  護送された。
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 (★吉田松陰の下田での宿泊所)
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 (★坂本龍馬の飛翔の地の像)


  佐久間象山も事件に連座して伝馬町に入獄することになった。
伝馬町につながれ、さらに国元の松代での蟄居となった。

 
 
★★長岡藩士:小林虎三郎・三島憶次郎。河井継之助のその後★★
  小林虎三郎は佐久間象山の意向に従って、下田開港反対の建白書を
  老中長岡藩主:牧野忠雅に提出した。佐久間象山は虎三郎を使って、
  海防掛老中の忠雅から筆頭老中:阿部正弘に働きかけたのである。
  筆頭老中:阿部正弘は岩瀬忠震に命令を下した。
 小林虎三郎は帰郷謹慎を命じられた。・・・後。長岡県大参事
  三島憶次郎も帰郷謹慎を命じられた。・・・後、長岡県大参事
 河合継之助の献言は評価され、部屋住みから評定方賄役に抜擢され
  たのである。
  しかし、後に、アームストロング砲2挺を買い、戊辰戦争で
 ・・・家老として戦死した。
★★勝海舟のその後 ★
勝麟太郎は弟子であり、義兄弟でもある。
 佐久間象山とは、「海舟」を勝麟太郎に贈った。
  勝麟太郎は勝海舟と名乗った。
  勝海舟は佐久間象山の意志を引き継ぎ、幕府海軍を造ることになる。

・安政元年(1854) 
 佐久間象山は吉田松陰の米国密航未遂に連座して松代に蟄居を
 命じられる。





〜〜〜〜松代謹慎中〜〜〜〜〜
 (★象山神社の池の奧が住まい)
蟄居生活は8年間・・その間も西洋研究に没頭した。
 大砲製造、地震予知、電池の政策、電信実験などを成功させた。
 また、高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎らが佐久間象山を訪ねている。


・安政2年(1855)
松代文武学校が完成した。
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・安政3年(1856)
  

・安政4年(1857)
  望遠鏡で月面を観察した。

・安政5年(1858)
電気治療器を完成させた。
   地震計を完成させた。

・文久元年(1861)
母「まん」が死亡。

・文久2年(1862) まで、松代で蟄居。
長州藩・薩摩藩が佐久間象山の要請・・・
〜〜〜〜謹慎・蟄居が解除〜〜〜〜

・文久3年(1863)
藩主:真田幸教に藩政改革を箴言。

・元治元年(1864)
   佐久間象山は一橋慶喜に招かれて上洛した。
   海陸御備向海防掛手付となった。
   一橋慶喜に公武合体論と開国論を説いた。


  京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏の拠点となっていた。
  しかし、佐久間象山は京都の街でも供を連れ、いなかった。

7月11日 京都三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等に暗殺される。
  享年54歳。
河上彦斎は後に佐久間象山を経歴を知って、暗殺をやめて
  しまった(伝)。


・安政6年(1859) 5月 佐久間象山が主張した横浜が開港した。


佐久間象山は自信家で、自説を曲げなかった。傲慢で時には人
 を見下したような態度で周囲の評判は非常に悪かった。藩主の
 真田幸貫は才能を高く評価したが、性格が悪いと謹慎も命じた
 こともある。・・・と、本には書いてあった。
 しかし、佐久間象山のまわりに有能な人材が集まってきた。
 当時の日本においては佐久間象山は洋学の第一人者だったから
 である。弟子達は後に時代を動かした英雄になっていく。
 幕臣:勝海舟・・・・・幕府海軍の創設、江戸城無血開城。
 長州藩士:吉田松陰・・高杉晋作・久坂玄瑞などを育成。
 長岡藩士:小林虎三郎や河井継之助や三島憶次郎(★上記)
 福井藩士:橋本左内・・福井藩主:松平春嶽の側近→安政の大獄。
 中津藩士:岡見清熙・・慶應義塾の創設者。福沢諭吉を輩出。
 出石藩士:加藤弘之・・八重の桜:川崎尚之助と同郷。後東大総長。
 土佐藩士・坂本龍馬・・長州藩&薩摩藩を結びつけた偉人。海援隊。
 など・・・
★佐久間象山は幕末の動乱期に日本を担う人材を多数輩出し、日本の
 歴史に多大な影響を与えた人物の一人である。

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 (★長野市松代象山神社)
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 (★長野市八幡原)





★明日は、松代大本営かな?

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。佐久間象山について拝見しました。この中にあやまりがあります。象山は陽明学に批判的でした。そのため陽明学を教えていた佐藤一斎からは詩文だけを学びました。従って、象山が藩主幸貫に陽明学を教えるということはありえません。
信州人
2014/03/06 11:41
ご指摘、ありがとうございます。素人なので、松代で買った本?などを信じてしまいました。お気づきの点がありましたら、また、ご指摘ください。
信州人さんへ
2014/03/06 21:40

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