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zoom RSS 箕輪初心●山形【新庄城】&松尾芭蕉の最上川&My川下り一覧

<<   作成日時 : 2013/07/12 05:19   >>

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新庄城には奥の細道紀行2008年7月19日〜21日のおまけ
で登城した。新庄城は新庄盆地中央部を流れる中之川と指首野川
にはさまれた合流地点に位置している。
最上川は山形県・福島県
との境にある吾妻山が源である。山形県中央部を北に米沢→上山→
山形→天童→大石田→村山→尾花沢→と流れる。新庄で西に向きを
変え酒田で日本海に注ぐ。229kmの流れである。
★松尾芭蕉は新庄で
最上川下りをした。怖かっただろうな。実は私も怖かった思い出がある。
★今回も松尾芭蕉の復刻版である。
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◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉25『奧の細道』M
  【最上川下り〜▲羽黒山・月山・湯殿山】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_9.html

◆◆ 箕輪初心◆山形旅行12回の概要 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●山形【米沢城】&米沢の秘湯 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_4.html

箕輪初心●山形【米沢城】&上杉家廟所・林泉寺・照陽寺 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●山形【上山城】&武家屋敷 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_6.html

箕輪初心▲百名山bQ【蔵王4回】&サクランボ大将錦&佐藤錦
http://53922401.at.webry.info/201307/article_7.html

◆◆ 箕輪初心●【山形城】&山形博物館&最上義光歴史館 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_8.html

◆ 箕輪初心●山形【長谷堂城】&直江兼続VS最上義光 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●山形【天童城】&芭蕉立石寺&セミの話 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html


◆ 箕輪初心●山形【延沢城】&松尾芭蕉の尾花沢・佐々木監督 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_11.html




【1】新庄城
■訪問記・・・平成20年(2008)7月21日
 ★奥の細道の延長。・・・
 
●大手門の中の駐車場に車を止めた。
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●大手付近に外堀跡・土塁が残されている。
  特に本丸大手門石垣は、切込ハギで非常に美しい。
●本丸・・・・長方形である。
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●天満神社・・現存する唯一の建物で江戸時代初期の  
 建築様式である。
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●本丸&二の丸の間の堀
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●案内図
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・西・・・三層天守閣
・東南・・・武器櫓
・北東・・・大納戸櫓=二層櫓
・東・・・・・表門&裏門を置いていた。
      表門は内枡形が設けられた。
・一ノ門は櫓門、二ノ門は高麗門であった。
・本丸の周囲は土塁をめぐらせてあった。
・北の外周水堀で囲まれていた。
・本丸の南に二ノ丸を配した。
・外に三ノ丸を配置。
・三ノ丸の東は大手門が設置された。
・南東隅に南門
・北に北門が置かれていた。

見所・・・本丸周囲三方の水濠と土塁・大手門石垣が良く
 残されている。








●▲■ 新庄城の歴史 ■▲●

・天正8年(1580)日野有祐によって居城として築城。
    
・慶長7年(1600) 関ヶ原の戦い
   山形・・・長谷堂城の戦い
   上杉景勝家臣:直江兼続 VS  最上義光・伊達政宗家臣
    
   最上氏が57万石の大大名となった。
   *日野氏は山形城の最上氏に属し、新庄城は
     最上48館の1つであった。

・元和8年(1622) 最上騒動・・・
山形城の最上氏が改易・・・
      最上氏が近江大森1万石へ転封。
  →常陸松岡から戸沢政盛が68000石で入城。

   −戸沢氏の入部−

・寛永元年(1624) 3月 新庄城の築城開始。
山形城主:鳥居忠政が担当したらしい。。

・寛永2年(1625) 戸沢雅盛が真室城→新庄城を築城。
     戸沢氏11代の居城として明治維新まで。

・寛永4年(1628) 三層天守を含む本丸・二ノ丸を焼失。
戸沢氏は復旧工事を開始。

・寛永13年(1636)8月、再び天守・本丸・二ノ丸が焼失。

・延宝3年(1675) 新庄城が再建。
         天守が再建されることはなかった。

・慶応4年(1868) 戊辰戦争
新庄藩は当初奥羽越列藩同盟に参加した。

7月 新政府軍側に付いて同盟軍を離脱した。
    庄内藩を中心とする同盟軍の攻撃を受けた。
    新政府軍の中心であった薩摩・長州藩の兵は敗れて撤退。
    新庄藩は孤立した。
    藩主:戸沢正実は城を脱出して秋田:久保田藩へ逃亡。
    同盟軍庄内藩軍が新庄城を制圧。
    新庄城と城下町は放火によって大半が焼失。

9月  庄内藩軍が撤退。
    新庄藩は再び新庄城の手に戻った。

・明治4年(1871)
7月 新庄県庁
11月 山形県と合併した。

・明治26年(1893) 本丸跡に戸沢氏の先祖:平維盛・
  藩祖戸沢政盛を祀る戸沢神社を建立した。
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・大正13年(1924)
1月 戸沢氏11代:正実を合祀。

・昭和48年(1973) 最上公園として整備された。


・平成25年(2013)夏
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 ★お祭りがあるようだ。





【2】松尾芭蕉の最上川下り
内陸部の紅花や米が、最上川が舟運の道として利用され、酒田を経て
主に上方に運ばれた。



◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉24『奧の細道13』【立石寺】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_8.html

■6月3日=太陽暦7月21日
★6月3日、山形の新庄から舟で最上川を下る。
「五月雨を あつめて早し 最上川」
★意味・・五月雨が最上川の支流から集まって来て
流れが、とてもはやいなあ。怖いよう。 最上川は
増水中なのだ。凄まじい急流になっている。私もか
つて乗ったが、渦を巻いて超怖かった。ちびちゃい
そうだった。松尾芭蕉は途中で下船して出羽三山
に登り、鶴岡にいく計画を立てたのだ。

○新庄発
○角沢

○本合海(もとあいかい)・・最上川最大の川港。
 古口の船乗り場は「戸沢藩船番所」を模して
 造られた。

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(★新庄市本合海・・・最上川乗船地)

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 (★現在の乗り場)

○最上川下り         
【最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・
はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、
果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。
是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の瀧は
青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて
舟あやうし。】


11) 『 五月雨を あつめて早し 最上川 』
(*最上川の河港大石田での発句を改めたもの。) 

私には「あつめて」という言葉が頭の中で支流が集まって
くると想像した最上川であると思えるのだ。舟に乗って最上
川下る怖さは十分に表現できていない気がする。だって、
本当におしっこちびりそうだった。茶色く濁った最上川に、
煙のようにモクモクと盛り上がる渦・・・落ちたら、自由な
んてない。異常な恐怖感があるのだ。その上、渦を巻く流れ
@@〜〜@〜@に、舟がガクッ・ガクッ・ギシッ。ギシギシ
と川の丘に乗り上げたり、梶操作とは違う別方向に向いたり
しながら、進むのだ。
しかし、旅日記の中の句として松尾芭蕉の気持ちをちょっと
だけ味わえる。松尾芭蕉の私も最上川下りを経験したからで
ある。供に共感できているからである。俳句の価値は詠み手
と作られた俳句の読み手の共感や心理状態によって、更に深
まるのであろう。
紀行文を読まなければ、この句は今一歩だと思う。


齋藤茂吉は松尾芭蕉にあこがれて大石田に2年住んだのだ。
上山市出身だ。

斎藤茂吉の短歌
「 最上川 逆白波の たつまでに
   ふぶくゆふべと なりにけるかも 」 齋藤茂吉


●最上川下り@1981年7月31日・・職員旅行
 古口から草薙温泉まで最上川くだりを楽しんだ。
 船頭さんが「最上川舟唄」を歌ってくれた。
 でも、怖かったのだ。
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「 夏の雨 集めて大河 最上川 
   渦巻く流れ 舟歌きけず 」 箕輪初心。
 

「 最上川 川の流れに 身を任せ
   握りしめるは 軋む舟縁 」 箕輪初心

 
水の量で下る速さは違うが〜〜〜。
流れが緩くなって〜〜〜
「エ〜ンヤ ヨイトの マカショ 
 エ〜ンヤ コラマカセ 
 酒田さ 行ぐさげ まめでろちゃ 
 はやり 風邪など ひけねよに 


●今の下船場所
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●当時の下船場所近く

○清川(下船場所)・・・清川小学校裏
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○清川関所
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手形なしでトラブル発生。


●清河八郎記念館・・・前だけで、残念。 
個人的に、尊敬する小栗上野介を攻撃しようと
した人物なので、好きではない。大嫌いじゃ。


○清川発→

○狩川

○羽黒山の手向(とうげ)。:午後4時頃





【3】MY川下りの経験
◆◆ 箕輪初心:川下り怖かった順 ◆◆
 恐怖→スリル→刺激→楽しみ・・の順

1)最上川下り(山形県新庄市)
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★怖かった。大河であった。
 人生同様流れに逆らえない。
 人間はちっぽけだった。

2)信濃川下り(長野県木島平・・・カヌー)
★静かそうだが、モクモクと湧き上がる川の流れ。
    不気味である。一見、緩やかそうである。

3)球磨川下り(熊本県人吉市)
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★水量が多かった。

4)天竜川下り(長野県飯田市)
★2011年、下りで人が亡くなった。

5)タリー川下り(オーストラリア・・ラフティング)
★スリル満点。眼鏡が飛んだ。

6)阿賀野川下り(新潟県)
★楽しめた。流れが少し穏やかだった。

7)保津川下り(京都府亀岡市〜京都)
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★竹が届く範囲だが、水かかかる。


8)荒川川下り2回(埼玉県長瀞町)
★竹が届く範囲だが、水かかかる。


9)吉野川下り(徳島県池田市)
★大歩危・小歩危をのんびりと・・・。

 〜〜〜   





★明日は、山形:松山城&羽黒山かな?        

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