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zoom RSS 箕輪初心●山形【天童城】&松尾芭蕉立石寺&セミの話

<<   作成日時 : 2013/07/10 05:43   >>

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天童は将棋の駒で有名で、人間将棋も行われている。まるでイ
ンドの世界遺産「ファーテプル・シークリ」の人間チェスのようで
ある。
天童には2回訪問している。1回目は遠い昔、「松井田職
員旅行2泊3日:立石寺・本間家・羽黒山神社」で天童温泉に
泊まった。2回目は奥の細道紀行2008年7月19日〜21日の
一貫として、天童にやってきたのだった。

箕輪初心★松尾芭蕉24『奧の細道』L【尾花沢〜立石寺】&延
沢城・天童城・新庄城の方が情報が詳しく載っている。

★今回の編集は、この原稿の再版である。
画像

 (★天童城の二の丸=人間将棋会場)
画像

(★インドの世界遺産「ファーテプル・シークリ」人間チェス広場)

◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉24『奧の細道』L【尾花沢〜立石寺】&
  延沢城・天童城・新庄城  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_8.html

◆◆ インドの世界遺産「ファーテプル・シークリ」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201207/article_10.html

◆◆ 箕輪初心◆山形旅行12回の概要 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●山形【米沢城】&米沢の秘湯 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_4.html

箕輪初心●山形【米沢城】&上杉家廟所・林泉寺・照陽寺 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●山形【上山城】&武家屋敷 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_6.html

箕輪初心▲百名山bQ【蔵王4回】&サクランボ大将錦&佐藤錦
http://53922401.at.webry.info/201307/article_7.html

◆ 箕輪初心●【山形城】&山形博物館&最上義光歴史館 ◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_8.html


◆◆ 箕輪初心●【長谷堂城】&直江兼続VS最上義光 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201307/article_9.html



【1】天童城
■訪問記・・・平成20年(2008)7月21日
●車での登り口が見つからず、舞鶴山の麓を一周半して
 しまった。後で調べたら、周囲は4kmあるそうだ。
画像
 
●舞鶴山の東側から北側が急な崖であった。
北の方から山道を進んだ。
画像
 

●舞鶴公園の駐車場に出た。
車を停め、 本丸の場所を地元の方に聞いた。
画像
 

●天童古城=二の丸・・舞I公演
 人間将棋の碁盤から本丸を望んだ。
  舞鶴城の詰め城の眺め

「耳すまし 将棋の声に 思いはせ 
  暑きに耐える 舞鶴公園」 箕輪初心


画像

 (★雑誌のより・・・人間将棋)
インドの世界遺産「ファーティプシークリ」は
  人間チェスを王様がやっていた。どなたが気づいた
  のか、ユニークなパクリ?である。

  チェスの庭の写真は見つからなかった。
   今回は見つかった。上の写真である。

画像


●天童古城址の案内板
舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石:
北畠親房の末えい北畠天童丸が吉野朝興隆のため、村山盆地を一望す
るこの地に、居を構えたのが初まりといわれている。その後、北朝方
の勢力が強まり、天授元年(1375)に北朝方の成生荘の荘官:里見
頼直が、成生からこの地に城を移し、さらに堅固な山城にした。  
この城は、全山を自然の城塞としたもので、周壁は、自然の侵蝕に任
せた典型的な山城であった。山頂に本丸を構え、これを中心にして、
西方の峰々には、八森楯、小松楯などの補助楯を設け、重臣を配し守
備させた。大手門は山の東方、搦手口は西方に在って、北目や小路に
は、それぞれ武家屋敷が建ち並び、門前には市が建つなど、活気ある
城下町を形成していた。領主は代々、天童氏を名乗り、山形最上氏と
肩を並べる奥州の名門として、その威容を誇ったが、10代頼久の時代
に、義兄の山形城主最上義光に攻められ、壮絶な戦いの末、天正12
年(1584)10月10日、ついに落城し、頼久は、伊達家の家臣国分氏
にのがれた。ここに、初代頼直から数え、209年間の長きにわたる天
童山城時代は終わり、以後この地に再び城が築かれることはなかった。  
その後、天童は最上家の所領するところとなり、義光は山頂の本丸跡
に愛宕権現を祀り、戦死者の霊を慰めるとともに、一族の安泰を願っ
たが、その最上家も天童落城から38年後の元和8年(1622)徳川幕
府によって改易となった。尚、八幡山の南麓の古戦場には、天童方の
戦死者の墓があり、四百年記念碑が建てられている。    
  (★天童ライオンズクラブ)
画像

 
●天童城は標高242mの舞鶴山の山頂:愛宕山に本丸があった。

●地元の方「比高は133mある。」
 

●時間がなく、本丸へのハイキングは止めた。
  
※山形県天童→山形→米沢→福島の喜多方→(磐越自動車道
 →関越自動車道)・・・群馬渋川・・・家。




●▲■ 天童舞鶴城の歴史 ■▲●
・南北朝時代 
  南朝方にあった北畠天童丸が居を構える。
(★ウキペディア)

  天童丸が去った後、清和源氏の子孫:里見義直が
      成生館に入って天童の地を支配した。
  
■承久の乱(1221)・・・里見義直が戦功
@里見義直は、+京都殷富門蔵人・・・
 後白河天皇皇女:富子内親王の領地の蔵人で京在住。
A2男:里見頼成は美濃:平野庄に在住。
 →美濃に所領=美濃:平野庄・・・
 岐阜県大垣市平野町円教(興)寺内
B3男里見義景・・出羽(山形県天童市)に移住。
  子息養子説&嫡子:里見義宗説・・・不明。

C4男里見義宗・・・康永4年(1345) 
 民部少輔(従五位下)に任じられ、
 足利尊氏の天竜寺供養の随行者
 享徳の乱・・鎌倉公方足利成氏の家臣として活躍。
 →安房里見初代?(峰岸純夫説・久保田順一氏は否定)

出羽里見氏は、里見義成の4男:義直にはじまる家系
 である。子孫:里見義直が承久の乱(1221)で戦功あり、
 里見義直の3男:里見義景が出羽国成生庄(現:山形県
 天童市)を所領として出向いた。ここを拠点に勢力を持
 った。

★南朝・・・清和源氏系新田系里見一族が勢力を持っていた。
群馬県の出身なのだ。隣町だ。

・延文元年(1356) 斯波兼頼が奥州大崎から羽州探題として山形に
        入部した。
  ※北朝・・・清和源氏系足利尊氏支流斯波家である。
    
  
@里見義直の3男:里見義景
里見5代:里見義景には実子がなかったため、
  斯波家兼の3?4男?:斯波義宗を養子に迎えた。


 B足利氏の一門:斯波家兼の3?4男男:斯波義宗→
  里見義宗も子宝に恵まれなかった
  

・天授元年・永和元年(1375) 里見氏流が途絶えた。
 B最上直家弟:頼直が養子→天童頼直 
  山形城主斯波兼頼の孫:最上氏一門の最上直家弟:斯波(最上)
  頼直が里見義宗の養子となった。
  斯波頼直が成生館に入城。
 成生館から天童城に居城を移し、天童伊予守頼直を名乗った。



天童氏・・・新田系里見の家系ながら足利氏の血をひくこととなった。
群馬の新田一族の岩松一族と同様である。


・天童頼直は村山郡に勢力を伸ばしていった。
(★最上48楯の6分の1)
次男:天童頼高を東根城・・・→東根氏
    三男:天童頼種を鷹巣城・・・→鷹巣氏
    四男:天童満長を上山城・・・→上山氏  
天童頼直は里見氏一門を家臣団として編成して勢力を拡大。
 →上山氏・東根氏・鷹巣氏という庶流を移住。
 支配権を確立していった。

天童頼直は領内には有力家臣を配置した。
    八森石見守を八森館
    小畑大隅守を小幡館
    成生伯耆守を成生館
    小松山城守を小松館
    大友将監を向館
    安斎刑部を安斎館
    草苅兵庫守を草苅館
    大泉内蔵助を大泉館
 天童氏を中心に最上一族の中でも強大な力を誇る
  ようになった。


★楯=館=砦=城の意味である。
(★ウキペディア・峰岸純夫氏の本「新田一族」より編集)
★参考Hp・・・詳細を参考されたし。
http://joukan.sakura.ne.jp/joukan/yamagata/tendou/tendou.html


天童頼直は延沢・飯田・尾花沢・楯岡・長瀞・六田・成生家
 らとともに最上八楯を形成した。・・・親戚関係・娘婿の関係を
 を結んだのだ。そして、最上氏や伊達氏と対抗していった。

    
斯波家兼系最上直家が領土拡大を画策し、最上兼頼の実弟:
 天童頼直にも従属化を求めた。

 
 →天童頼直は新田系里見+足利系の一門として独立を
   維持した。


・永正11年(1514) 米沢の伊達稙宗が最上氏を攻撃。      
        天童頼長は最上側に加勢した。

・大永元年(1521) 最上氏 VS 伊達稙宗・蘆名盛滋
     伊達勢が天童城を占拠した。

 しかし、最上義光の頃になると、天童氏との関係が悪くなって
 いった。天童氏は主家:最上氏に匹敵する勢力を持っていた。
次第に最上氏と対立していった。

最上義光は妹:義姫を伊達輝宗に嫁がせた。
  生まれた子が伊達政宗であった。


・天正5年(1577)  ▲最上義光の天童城攻撃→    
  天童城主:天童頼貞は「最上八楯」からの援軍を要請した。
   野辺沢(延沢)能登守満延・東根頼景・楯岡満英ら最上八楯が
   天童頼貞に味方した。

  ▲最上軍が撃退された。

  ▲最上義光は天童頼貞の娘を側室に迎えることで和睦した。
  そして、娘:松尾姫を野辺沢(延沢)満延の嫡子:又五郎康満に
  嫁がせて傘下に入れようと図った。


・天正6年(1578) 東根頼景の家臣:里見源左衛門景佐の離反。
    ▲最上義光の家臣:里見武蔵守・民部父子が
     上山城:上山満兼は山形城主を暗殺した。

     →最上義光が領有。
     上山城代は里見民部。
坂光秀
     

・天正8年(1580) ▲最上義光は東根城を攻撃。
   東根頼景は討ち死に
   楯岡城・成生館・飯田館・六田館の館主達も
   最上義光に降りた。
   天童頼貞・頼久父子は孤立状態になった。


・天正10年(1582) 最上義光に嫁いだ10代:天童頼貞の娘が死去。
    天童頼貞・頼久 VS 最上義光
・・・衝突のきっかけになっていった。

・天正12年(1584) ▲最上義光に「最上八楯」の延沢満延などが内応。
10月、▲最上義光は5500の軍勢で攻撃。        
     天童城は落城。
     南北朝期以来、天童を支配していた天童頼久は、逃亡し、
     母の実家:国分氏を頼った。
     天童頼久は伊達政宗に配下になった。


→▲最上義清家臣:氏家光氏は天童城主となった。

・慶長7年(1600)長谷堂城の戦い
氏家光氏は長谷堂城に籠城した。

最上75万石・・

・元和8年(1622) ▲最上家が徳川幕府によって改易となった。

・明和4年(1767) 織田氏2万石の藩地・・・天童・高畠。
織田氏は上州七日市藩・・・奈良の宇陀のほかに、
 山形にも飛び地があったのだ。


・天保2年(1831) 舞鶴山の西麓に小さな館を築城。





【2】松尾芭蕉・・・天童〜立石寺〜大石田〜新庄
■5月27日=太陽暦7月13日
清風泊3日目+養泉寺泊7日=尾花沢10泊した。
○尾花沢発 午前6時半ごろ。
「素晴らしい必見の山寺があるんですよ」
と清風?地元の人?に教えられ、
7里の道=28kmも遠回りして立石寺を訪れること
にした。 

○本飯田
○楯岡(村上市)・・・馬はここまで。
○天童

立石寺:午後3時ごろ到着。
画像

 (★トランベールの表紙)
○山麓の宿に荷を預け、夕暮れの本堂に登った。
土も岩も古色を帯び、なめらかな苔が覆っている。
岩の上を這い上がってようやく本堂を拝んだ。
立石寺は「慈覚大師円仁」によって創建された。
通称「山寺」である。・1015段の石段・・
あついよう。
画像

【山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、
殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすすむるに依て、
尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮
ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。】


【岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩
上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を
這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。】


→【岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて、
苔なめらかに、岩上の院々扉を閉じて、物の音きこえず。】

★意味・・岩の上にさらに岩が重なって山をなしており、
生い茂る松や檜(=ひのき)も年経た老木で、土や石も年
老いた老人のように古びていて苔がなめらかに覆っており、
岩の上に建てられたたくさんの寺院は、どれも扉を閉じて
いて、物音が全く聞こえない。

【岸をめぐり、岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂莫として、
こころすみ行くのみ覚ゆ。】

★意味・・岩の崖っぷちを巡り、岩の上を這って、仏閣を
参拝した。その素晴らしい風景は寂しく静まり返っていて、
心が澄んでいくのを感ずるばかりである。

○その日のうちに山上の奥の院までの参拝。
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 (★いい旅夢気分2012年6月22日)

 「山寺や 石にしみつく 蝉の声」?
     ↓
 「さびしさや 岩にしみこむ 蝉の声」?
     ↓
10) 『 閑さや 岩にしみ入 蝉の声 』
★意味・・・夕暮れの静まる立石寺、ニイニイゼミ
の声だけが岩に染み入るように聞こえてくるよ。
渋いぜよ。汗もひき、涼しくなってきたぜ・・。
 (★金森敦子説)
画像


○「せみ塚」・・芭蕉句が刻まれている。

○立石寺下の宿屋泊


◆◆ 立石寺の蝉の話 ◆◆
松尾芭蕉が汗をかいて登った太陽暦7月13日。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
暑かったんでしょうね。
梅雨が明けたのかもしれない。きっと、
中国の山水画もような絶景ポイントを日影で堪能して
いた時、1匹の蝉が鳴き出した。夕方なので、誰もい
ない本堂か奥の院の静寂の中でのこと、・・・
蝉の声はインパクトがあったのであろう。


・以前は「アブラゼミ」だったそうである。
しかし、太陽暦7月13日の夕方ということで
定説が覆った。現在は、「蝉」はニイニイゼミが
定説だそうだ。

春5〜7月・・・・エゾハルゼミ・ハルゼミ
画像

夏の初め・・・・・ツクツクボウシ
夏の朝〜・・・・アブラゼミ・ミンミンゼミ
ミンミンゼミの♀には、尻の先に輸卵管の
   槍がある。♂より、ちょっと、腹が小さいのだ。

  俺は動物学者ではないが、・・・知っていた。
         コエゾゼミ・チッチゼミ
・夏の夕方・・・・ニイニイゼミ・??・・

朝方と夕方では鳴いている蝉=セミが違うのだ。
夏の終わり・・・・ヒグラシは
 日暮らし=日暗しなのか分からないが夕方
★子供の頃、ヒグラシが鳴くと、もう夏休みが終わっ
ちゃうよと思ったもんだ。・・群馬だけど。


ちなみに、クマゼミは関西のみである。

画像

 (★鳥海山頂上の蝉。たぶん、自然のH結果の
 アブラゼミ&ミンミンゼミの掛け合わせか?
 自然の進化の歴史かな?・・・日本の昆虫図鑑
 や蝉図鑑に載ってない亜種であることは間違い
 ないのだ。
 ・・・昆虫学者がこれを見てくれないかな?
 どなたか、学者様にご連絡下さい。★)


●立石寺・・・@1981年7月31日
職員旅行・・・青葉城・中尊寺・立石寺・最上川下りなど
立石寺を私が訪問した時は、人人人だった。
松尾芭蕉が俳句を詠んでくれたおかげで、観光地としての
立石寺が有名になってしまったのだ。
おかげさまで大混雑。「閑か」じゃないのだ。
私が行った時も立石寺で蝉が鳴いていた。
 
「 厚さ増し  五月蝿き蝉の 断末魔 」 箕輪初心 

「 うるささや 岩にしみいる 蝉の声 
   ますます暑き 夏の立石寺」 芭蕉の盗作

      ↓  
「 木立から じじいじじい(爺爺)と 蝉が呼ぶ
   いやみ聞こえし 夏の箕輪城 」 箕輪初心


「 蝉と蚊の 生きてる証 森の中
     恨みに思う 夏の箕輪城 」 箕輪初心


「 土の中 7年外で 一週間
   生きる証と 鳴きまくる蝉  」 箕輪初心

 ★アブラゼミは死んでいた。


■5月28日=太陽暦7月14日 
○立石寺発→山形中止。もと来た道を馬で戻った。
  (佐竹道)


○大石田:午後2時
【最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧
の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心を
やはらげ、此道にさぐりあしして、新古ふた道にふみまよふ
といへども、道しるべする人しなければとわりなき一巻残し
ぬ。このたびの風流爰に至れり。】芭蕉

★意味・・最上川の舟に乗ろうと、大石田という場所に〜。

・俳句好きの庄屋:川水と組頭:高野一栄と合った。
高野一栄宅の句会・・・連句
 「さみ堂礼遠 あつめてすずし もがみ川」 芭蕉
 「岸に ほたるを繋ぐ 舟杭」       一栄
 「爪ばたけ いざよふ空に 影待ちて」   曽良
 「里をむかひに 桑の ほそミち」     川水

しかし、梅雨の影響で雨は降り続いている。
いくつもの川を集める最上川は、茶褐色の激流となっている
はずである。実際には、「すすし」「ほたる」と気楽に俳句を
詠んだりして風流に遊んでいる場合ではなかったであろう。
従って、高野一栄に示された発句は、後に
『 五月雨を あつめて早し 最上川 』
改訂された。
画像

 (★雑誌より)

○大石田の一栄宅泊
★大石田・・私の大石田を通ったが、松尾芭蕉関係・
芭蕉に憧れ2年住んだ斎藤茂吉関係には行かなかった。
私の妹の夫の祖母が大石田出身なのだ。去年、大石田に
行ったのに、妹夫婦に写真を頼むのを忘れた。
関係ないけど、蕎麦が美味しいそうだ。

画像

 (★山形そば・・いい旅夢気分より) 


■5月29日=太陽暦7月15日
○大石田発
  「五月雨を あつめて涼し 最上川」
○向川寺
○芦沢・・・舟で・・・
○猿羽峠・・・
○舟形
○新庄

○新庄の「風流の家」泊
 

■5月30日=太陽暦7月16日
○新庄泊


■6月1日=太陽暦7月17日
○新庄泊   


■6月2日=太陽暦7月18日
○新庄泊


【3】佐沢(あてらざわ)楯山城遠望 (北村上郡大江町)
  奥の細道紀行2008年7月19日〜21日



★明日は山形:延沢城かな?

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2013/07/18 06:38
箕輪初心◆山形:酒田【土門拳記念館】&『とびしま』&海洋センター
★鳥海山の2回目の登山の後に、酒田の「土門拳記念館」に寄った。 「土門拳記念館」は庭園や建物、そして、作品も凄かった。私は 土門拳の「古寺巡礼」の写真集を何度か図書館で見た。でも、仏 像写真だけではなかったのだ。「ヒロシマ」や「昔の農村風景」 「子ども」などテーマは複雑だ。それから酒田港の『海鮮どんや とびしま』に行った。安い・旨い・混みすぎの3拍子揃った店だ った。隣の海洋センターはそれなりに楽しめた。飛島にダイビン グに行きたいと思った。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/07/19 05:50
箕輪初心●山形『松山城=松嶺城』&山形の海水浴場
★平成25年(2008)7月21日は参議院議員の投票日である。 群馬の私の地区は加賀谷富士子:民社党新・山本一太(自民) ・安永陽(幸福新)・店橋世津子(共産新)が候補者である。 比例代表の選挙もある。・・・結果はどうなるのかな? ★松山城の大手門」は山形県指定文化財である。松山城の大手 門は巨大で重厚であった。 松山藩は庄内藩初代藩主:酒井忠 勝の3男:忠恒が2万石を分地され、松山藩が成立した。つまり、 松山陣屋は鶴ヶ岡城の支城として築かれたのである。松山城にな ったは、... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/07/21 07:05

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