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zoom RSS 箕輪初心●第7弾岩櫃城跡探検隊3『まろうど伝説』&稲荷城・植栗城

<<   作成日時 : 2013/06/05 06:37   >>

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『戦国真田の岩櫃城跡探検隊第七弾』が6月2日(日)に行われた。
「コニファーいわひつ」の豪華昼食後、昨日、箕輪城で会った百名城
99のカップルや箕輪城語り部の会の吉田夫妻と話したりした。
午後は、あざみの会の根津光儀氏や本間泉氏の案内でフィールド
ワークであった。『まろうど伝説』に関係する稲荷城・植栗城を案内
していただいた。実に組み合わせがよかった。スタッフの方々に、
感謝申し上げます。

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 (★稲荷城の本郭の虎口)



◆◆ 箕輪初心●群馬【稲荷城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201201/article_18.html

◆◆ 箕輪初心●群馬【植栗城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201202/article_13.html

◆◆ 箕輪初心●群馬【仙蔵の砦】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201202/article_8.html

◆◆ 箕輪初心●群馬【桑田城・山田城】 ◆◆
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201201/article_19.html

【1】高橋政充先生の講演会の伝説の6つ目は『まろうど伝説』
・永享年間(1429〜)吾妻3家の時代になる。
@大野憲直・・・稲荷城。★初代斉藤憲行か2代行禅(すけ)の支流。
★旧原町の北で、岩櫃城の東延長上の子山

@塩谷秀治・・・和利宮城。★宇都宮氏系の一族。
★中之条町伊勢

B秋間泰則・・・川戸内出城。★安中秋間の斉藤憲行身内の一族。
★吾妻川左岸

※斉藤憲次・・・岩下城。追いやられていた状況である。
・・・やがて、権力争いが起こった。


・文明年間(1469〜)
 @大野憲直はB秋間氏を滅ぼした。
   →@大野氏は、@の大野領+Bの太田庄領を支配した。
 A塩谷秀治は仙蔵城に甥の折田源二郎元清の守らせた。
  塩谷秀治は一人娘を折田源二郎元清 

「折田源二郎元清は、四万の奧:木野根峠で娘に会った。
 弓やつぶてが得意な娘であった。・・・連れて帰った。
この娘のおかげで、奇っ怪な事件が起こった。
 ・・マムシの頭・・・オオトカゲ・・
娘は実家の和利宮城に帰ってきた。
 塩谷掃部介は
 「仙蔵城に戻れ。」
と、責めた。・・・
 この時、姫をさらったのは、斉藤孫三郎であった。
 
 大野は大いに喜び、城下館の内に「まろうど御殿」と建てた。
 ★稲荷城のどこ?か不明である。
  姫は間もなく懐妊し、・・・一場治郎を生んだ。・・
 大野はますます隆盛を誇り、岩櫃城の改修を行った。
 お祝いに来ていた植栗河内守は、まろうど殿と知り合い、
 2人はひかれあう。
 怒った大野は、岩下の斉藤孫三郎に植栗を攻めるように
 命じた。
 しかし、斉藤&植栗は気脈を通じる間柄であった。
この夜、斉藤&植栗は岩櫃城:大野を討ち取った。

 斉藤孫三郎は岩下城に引き上げ、吾妻一円の豪族に手紙を
 出した。平井城:上杉氏に臣下の礼をとり、岩櫃城に入城
 した。斉藤孫三郎改め、斉藤憲次と名乗った。

※この後、高橋先生の「真田の歴史」の話があった。
 
●「コニファーいわひつ」の豪華昼食
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●昨日、箕輪城で会った百名城99のカップル
 ★もっと、じっくり話したかった。

●箕輪城語り部の会の吉田夫妻と話した。


●午後は、あざみの会の根津光儀氏や本間泉氏の案内で
フィールドワークである。

【1】稲荷城・・・2回目
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 (★富澤豊前守様作成の縄張り図)
・稲荷神社
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・二の郭
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・本郭の虎口
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・本郭の空堀・・・武者走りになっていて、
 本郭を囲んでいる。
・虎口の西
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・本郭の南東の角
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・空堀→武者走り・・・本郭の郭下・・東側
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・本郭の西の空堀
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・西の郭の堀
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・一番西側
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・二重の堀
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・本郭の西の空堀
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・本郭内の土塁・・・高さ3m
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・本郭
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・根津さんの説明
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【2】植栗城・・・3回目
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 (富澤豊前守様作成の縄張り図)
・植栗安芸守の碑
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・東の堀切〜滝
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・2の郭
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・二の郭の水堀跡
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・二の丸&本郭の間の水堀跡
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・本郭北の空堀
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・本郭の吾妻川方面の横矢がかり
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・本郭
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『まろうど伝説』に関係する稲荷城・植栗城を案内していただいた。
スタッフの方々に感謝申し上げます。





◆◆ 加沢記での「姫の宮」伝説 ◆◆
@・文明年間(1469〜)※和利宮城主:塩谷掃部介秀治には、娘が
 1人しかいなかった。甥の仙蔵城主:折田源二郎元清に嫁がせ
 た。しかし、夫婦仲が悪く、娘は身ごもったまま父の元に帰っ
 て来た。(★加沢記)
 
 ※折田源二郎元清は四万の奧:木野根宿に見回りに行った際、
弓やつぶての得意な娘に出会い、城に連れて帰ってきた。
それをきっかけに姫の身辺に恐ろしい事件が起こった。
夕餉の椀の中にマムシの頭が入っていたり、オオトカゲが
寝所にでてきたり・・・姫がいたたまれなくなり、
実家に戻って来た(★高橋先生の冊子)
 
 A塩谷秀治は娘の行動に怒り、和利宮館に入れなかった。
 娘(姫)は仕方なく大野義衡を頼った。
 大野義衡が喜んで匿った。大野は蜂須賀伊賀に稲荷城に
 屋敷を造らせた。これを「まろうど御殿」と呼んで
 大切にした。
 娘は岩櫃城(←稲荷城から)で男児を出産した。
塩谷秀治は娘と孫を人質に取られた形であった。
  塩谷秀治は大野義衡に降伏した。
 その後、大野義衡は塩谷氏一族:蟻川・池田・尻高および
 塩谷秀治の家臣:割田・佐藤・中田らを味方につけ、塩谷秀治
 を殺害した。
・文明5年(1473) 岩櫃城主:大野義衡に塩谷秀治は滅ぼされ
 たのだった。  (★加沢記)
 
※和利宮城から出た姫を稲荷城:大野の家臣:斉藤孫三郎
がさらってきて、大野の稲荷城の舘ノ内に、「まろうど御殿を
こしらえた。懐妊すると、城下で大祭を催した。」

   
 大野義衡は、塩谷秀治の娘を大切にされた。
 塩谷秀治の孫は大野義衡によって一場二郎と名付けられ、
 大野義衡の二男(兄は大野憲直)として養育された。
大野は岩櫃城の大改修を行った。(★高橋先生の冊子)
 
 ・大永年間(1521~1528)、岩櫃城主:大野憲直(義衡嫡子)は
 岩下城主:斎藤憲次に「植栗城主:植栗元吉を討て。」と命令
 したが、家臣:富澤但馬守と相談し、逆に、斎藤憲次は植栗と
 手を結び、大野憲直を滅ぼした。斉藤憲弘は岩櫃城主となった。
  (★加沢記)
 ※平井城:上杉氏に臣下の礼をとり、岩櫃城に入城した。斉藤
 孫三郎は斉藤越前守憲次と名乗った。弟は佐藤将監と名乗らせ
 折田の守りにつかせた。

 塩谷まろうど殿(和利宮城主:塩谷掃部介秀治の娘)は大野憲直
 が滅ぶと植栗元吉の庇護を受けた。まろうど姫は、笛の名手で
 あった。毎日、植栗元吉に笛を聞かせていた。家臣が心配し、
 このまろうど姫を植栗城から追い出そうとした時、まとうど姫は
 本丸の東隅から吾妻川に転落して死んでしまった。植栗元吉は
 悲しみ、本丸南東の隅に「姫の宮」として祀ったという。(伝)
 ※植栗河内守(安芸守の父)の奥方の嫉妬に会い、いられなくな
 って・・・。(★高橋先生の冊子)
  
 
 塩谷秀治の孫(姫の長男):一場二郎は大野憲直の死亡後、
 岩櫃城の斉藤憲弘に従った。
  (★上毛古戦記P46〜50加沢記他より)
(★高橋先生の冊子より)



★明日は、未定

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