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zoom RSS 箕輪初心●第7弾岩櫃城跡探検隊2『下河辺伝説&斉藤憲行伝説』

<<   作成日時 : 2013/06/04 05:50   >>

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第7弾岩櫃城跡探検隊の御前の部は「講演会」である。
第1部:歴史講演=高橋政充先生:東吾妻町教育課次長
・学芸員 『岩櫃城の歴史と伝説』の続編である。高橋先
生に感謝申し上げます。

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 (★岩櫃城探検隊の冊子の表紙)


◆◆ 箕輪初心●第7弾岩櫃城跡探検隊1『吾妻太郎伝説』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_3.html

◆◆ 箕輪初心●第6弾岩櫃城跡探検隊『岩櫃城』前編  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_8.html


◆◆ 箕輪初心●第6弾岩櫃城跡探検隊『岩櫃城』後編  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●第5弾岩櫃城跡探検隊『岩櫃城』と本間陶芸 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201206/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●第4弾岩櫃城跡探検隊『岩櫃城&柳沢城』 ◆◆
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201111/article_4.html


◆◆ 箕輪初心●第3弾岩櫃城跡探検隊『岩櫃城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201011/article_7.html

◆◆箕輪初心●『岩櫃城2回目』と歴史  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201011/article_6.html

◆◆箕輪初心●『岩櫃城1回目』と岩櫃山  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201011/article_5.html

【5】吾妻太郎下河辺藤原行家の「鬼岩伝説」
「藤原秀郷の末孫:下河辺藤原行家が、北条泰時の命で、妖訣 
(ようげつ)の退治に遣わされた。しかし、簡単には退治でき
なかった。下河辺(しもこうべ)行家は神仏に祈願した。その
夜、夢を見た。矢倉行沢観音の菩薩が、・・・鬼岩の地で化生を
罰するであろう。」
と言った。・・・大勢で、岩櫃山から太鼓や笛にてはやし立て、
妖訣(ようげつ)を追い出した。鬼岩で本性を現した妖訣を
下河辺行家が首をかきき切った。
○鬼岩の古歌
 「梓弓 引くぞ矢倉の 道のべに 鬼岩ありと 聞くはまことか」
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下河辺行家は岩櫃城に城主となり吾妻氏を名乗るようになった。
下河辺行家は吾妻郡を賜り、吾妻庄司行家と名を改め、・・・
嫡男:吾妻太郎行重に家督を継がせ、吾妻四郎助光の娘を妻と
させた。吾妻太郎行重と娘の間に嫡子が生まれ、吾妻太郎行盛
となった。」

高橋先生・・・なぜ、下河辺なのか?
下河辺は茨城・埼玉・千葉の県境に住んでいた。それなのに、
・・・松井田斉藤家と下河辺氏は姻戚関係だったのでは
 ないだろうか?

★下河辺吾妻氏は太郎行家→太郎行重→太郎行盛と代を重ねた。



【5】吾妻太郎下河辺藤原行盛の伝説
1) 吾妻太郎下河辺藤原行盛の「自刃」伝説
・正応年間(1288〜1292)吾妻太郎行盛は松井田?から嫁を娶った。
長男は千王丸(=斉藤憲行)、次男は小治郎憲重(後、尻高城主)
である。

※南北朝時代
 吾妻太郎下河辺行盛は足利尊氏の北朝方に属していた。
 里見氏は後醍醐天皇の南朝方に属していた。
 新田義貞の母は、里見氏の出身であった。
★説がいくつかあるので不明である。
・正平4年(1349)南朝方(新田氏側)の里見氏に攻められた。
行盛は岩櫃城から白米を落として、水があるのを装った。
高橋先生・・・米が玄米の時代。こんな無駄はしないだろう。
 行盛は郷原の霧沢づたいに降り、東吾妻町川戸の立石河原に出た。
秋間・荒尾に「千王丸をもり立て、仇を討ってくれ。」と
 頼んで、腹を真一文字にかっきり、自らの首を落とすと対岸の
 里見本陣に投げつけた。・・・夜な夜な青白く光続けた。
高橋先生・・・この時代、割腹の風習はなかった。首をきるだけ。
  首を落としてから投げられないであろう。

高橋先生・・・青く光るのはリンのため、・・・

2)吾妻太郎行盛の「首の宮」伝説
「農民達は霊を慰めるために祠を造った。これが川戸神社=首の宮
である。
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 (★翌日の上毛新聞)
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・本殿
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根津さん
「ここが吾妻太郎の首を埋めた場所・・・伝説だけどね。」

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立川原で討死した行盛は、岩井の長福寺に埋葬されたという。

※長福寺・・・檀家の剣持先生
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・盗まれた不動様・・・★酷いことを
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・1349年の宝塔・・・左隅が上毛新聞の記者
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【5】 「千王丸=斉藤憲行」伝説
1)吾妻太郎下河辺藤原行盛の子:「千王丸」伝説 
 吾妻行盛が自刃した時、遺児:千王丸は12歳だった。
 「秋間泰則の家臣が剣術を教えに行った。お家再興を企てていた
 のだ。秋間泰則と荒尾行貞は度々、岩櫃城に忍び込んだが、
 奪還できなかった。
 数年後、千王丸は母方の叔父:松井田の斉藤五郎兵衛を訪ね、
 養子になった。斉藤五郎兵衛は上杉憲顕公に加勢を懇願した。
 上杉憲顕公は長尾・禰津・小幡・和田・白倉・長野ら3500騎、
 千王丸の旧家臣・榛名の僧兵・神人3500。・・大勢で岩櫃に
 押し寄せた。・・・千王丸は裏側から、城内に入り込むと、
 浮き足だった里見方は城から逃げ出した。・・・
 
 逃げる里見親子は秋間泰則に立石川原の大岩で首をはねられた。
 千王丸は上杉憲顕公を訪ねると、・・・憲の字を賜り、斉藤憲行
 と名乗ることが、許された。弟は尻高小治郎憲重の名前を頂戴
 した。鎧兜と馬もいただいた。斉藤憲行は岩櫃城、尻高憲重は
 尻高城、秋間泰則は川戸城、荒尾行重は岩井堂城を持つことに
 なった。・・・」

●斉藤憲行の岩櫃城、
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●尻高憲重の尻高城、
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●秋間泰則の川戸城・・・川戸神社東150m
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◆◆ 箕輪初心○群馬『川戸城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201201/article_12.html

●荒尾行重の岩井堂城
★写真見つからず・・・



2)川戸神社の末社「秋間社・荒尾社」伝説
秋間泰則と荒尾行重は、吾妻太郎行盛の霊を慰めるために
 川戸神社の両脇に「秋間社・荒尾社」を建てた。
根津さん・・「社殿の両隣は秋間・荒尾の霊を祀った祠である。」
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3)唐沢の「耳なし不動」伝説
千王丸は城中で、敵に囲まれた時、加勢をしてくれた者もいた。
 身替不動=身代わり不動はこれを祀ったものである。
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 (★探検隊の写真より)

箕輪初心榛名山に逃れて、母方の叔父にあたる秋間の斉藤梢基
 (すえもと)の養子となり,斉藤氏を称した。
 成人になった千王丸は,上野守護上杉憲顕(のりあき)や斉藤氏
 の後ろ楯を得て、里見氏から岩櫃城を奪還し,斉藤太郎憲行と名
 乗った。斉藤家は、憲行→行禅(ゆきすけ)行弘→行基→行連
 (ゆきつら)→憲広→基国と6代続いた。
 
※「斎藤氏は安中の秋間(飽間)出身だ。」(★唐沢定市先生)
※吾妻氏は斎藤姓で、碓氷の飽間氏と同族である。」(★群馬県史)  
高橋先生は、松井田説であった。





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