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zoom RSS 箕輪初心◆群馬『上野国分寺』=金堂・七重の塔・築塀の復元

<<   作成日時 : 2013/06/02 06:05   >>

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今日は、日高病院に定期検診に行った。帰りに国分寺跡に寄った。
奈良時代:天平13年(741)、聖武天皇は全国68の国々に国分僧寺=
金光明寺と国分尼寺=法華寺を造ることを命じた。群馬県は上野国と呼
ばれていた。上野国の国分寺は、政治の中心である国府の北西に僧寺・
尼寺がそれぞれ東西に並ぶように建てられていた。高崎市旧群馬地区と
前橋市との境近くに建てられた。国分僧寺の広さは東西約220m×南北
約235mである。周囲は築垣=土塀で囲まれていた。中央に本尊の釈迦
像を祭る金堂と奥に講堂があり、金堂の南西側に高さ60.5mの七重塔が
建てられていた。『続日本紀』によると、天平勝宝元年(749)旧碓氷郡や
旧勢多郡の豪族の協力により主な建物が完成したようである。全国の国
分寺の中でも、最も早い時期に建造されたものといえる。『上野国交替
実録帳』によれば、長元3年(1030)には築垣や門は壊れてしまったが、
金堂などは残っていたことが記されている。しかし、南北朝時代1380
年頃には、伽藍が滅びてしまったようである。その跡は道路などで分断
されずによく残っており、大正15年(1926)国の史跡に指定された。    
現在では金堂・塔の基壇や築垣(ついがき)が復元されている。また、
ガイダンス施設も造られている。

 (★国分寺パンフレットなどを参考に編集)
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◆◆ 箕輪初心◆群馬『国分寺2011年2月』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_32.html


25年程前〜
群馬県埋蔵文化財の発掘調査担当:前沢先生に何回も見学させてい
ただいた。現地説明会などで、特別な奈良三彩や3ヶ所で焼かれた瓦
などを3〜4回見せていただいた。



20年程前〜
広大な伽藍の築垣が復元された。資料展示館もできた。
矢野敬一先生がガイダンス施設の初代館長だった。
矢野先生には、群馬町の文化財について、たくさん
教えていただいた。叔父とも仲良しであった。



10年程前 近藤義雄先生から「上野国府&国分寺・国分尼寺」につ
いての講演会を聞いた。国府地区や金古地区の文化財巡り
や箕輪城と長野氏などについてもたくさん教わった。群馬県史
の編集責任者であった。
個人的にパプアニューギニア戦線に行って、ウィルヘルム山
の東の2000m〜2500mの山脈を越えた話なども聞いたことも
ある。

 
 ※聖武天皇は741年に全国に国分寺の建立の詔を発した。
 上野国分寺の建立に技術を駆使し、膨大な労力を費やした。
 8年間かかって、壮大な寺院が完成させた。
               ■牛池(牛の牧の水場)
         国分寺      国分尼寺
           □         □
              国府
               □  
               :     最初の総社神社
               :    □
               :        
               :          今の総社神社
               :             □
     :::::::::::東山道::::::::::::
****少し、南側の本通りの東山道******
高崎の浜川運動公園〜群馬町の菅谷の群馬銀行〜道の駅
 〜群馬高等専門学校の南〜牛池川を渡ると、国府に通じる
 道があったのだ。
    
 

 ※東山道の歴史・・・国府の北に牛池=牛の牧は上野で1か所。
           貴族が牛車に乗るため・・・・

 ※国府の手前に東に総社神社・・・各社を一つにまとめた。
  左に国分寺・右に国分尼寺。(★近藤義雄先生)
 

 *万葉集の防人の歌「伊香保・・・」4首読まれた。
  上野の国の歌は全部で25首? 
  (★群馬町誌他)



◆訪問日・・・平成25年(2013)6月1日
○南駐車場

・上野国分寺説明板
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・上野国分寺見学案内
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・上野国分寺周辺遺構の配置図
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@国分寺橋・・・★本当にあったかどうか?
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・染谷川には、ウグイ=ハヤの親や子どもがたくさん泳いでいた。
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・染谷川の戦い・・・平将門がここまで、攻めてきた。
  源氏系の人は隣の妙見寺で戦勝祈願をした。
  すぐ、西に見えた。


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A南大門&築塀
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発掘調査・・・?
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 ・最近の瓦だそうである。
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B中門・・・・H25年の発掘。
 ※想像していたより、南にあったそうである。
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C金堂の基壇
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・金堂から、南の築塀を見た。
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ヘリコプターが100m西に降りた。何があるんだろう。

D七重の塔
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塔の基壇は一辺が19.2mの正方形で、上面には17個の礎石が並ん
でいる。塔の規模としては国内最大級である。
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 ★住谷悦治先生の実家が北東にある。
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▼戻って、築塀の横を通った。
 すずめが、壁に巣をたくさん作っていた。
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Eガイダンス施設・・・★金田一夫先生「7年目。」
・瓦の文字
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・上野国分寺(左)と上野国分尼寺(右)の推定外観図。
 国府から国分寺と国分尼寺は北西の方向2Km離れた場所にある。
 ※奈良の都を真似た一町ごと条理(碁盤の目道路)制。

・南大門の発掘調査の話
 金田先生「12本の礎石の内、今年2つ発掘されて、
  6本の確認ができた。」と教えて下さった。 
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・上野国分寺の金堂基壇。


・金堂基壇の礎石配置。

・上野国分寺の七重塔。
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・七重塔の説明板。


・上野国分寺の伽藍配置模型(矢野敬一先生作)
  基壇、塔身、相輪まで60m。
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 ※奈良の東大寺七重塔・・・96m。
  ※京都の東寺五重塔・・・・55m。(現存)


・伽藍の築垣復元部・・・厚みは1.8m・高さは3.9m。

・築垣の説明板。

・奈良三彩
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○軒瓦・・・安中飽間(秋間)・藤岡本郷・太田金山・多胡
  国分寺創建期の軒丸瓦の文様は蓮華の花弁を表現した
  重弁である。
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○ビデオ鑑賞・・・無料。20分。
 ★分かり安かった。近隣の遺跡との関わりも歴史を追って
  詳細されている。



※金田先生が
「国分寺と国分尼寺の間は4町=約400mです。
あの鉄塔の北になります。」
と教えて下さった。

お礼を言って帰った。




★明日は、岩櫃城7回目か箕輪城106かな?

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