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zoom RSS 箕輪初心●福島伊南町『久川城』=奥会津の名城

<<   作成日時 : 2013/06/19 06:38   >>

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▲会津駒ヶ岳&▲燧ヶ岳」の登山のおまけの歴史散策である。
「会津駒ヶ岳」登頂後、檜枝岐村の民宿に泊まることになった。
夕飯までに2時間程、時間があった。隣の伊南町「久川城」に
行った。堀・土塁跡は実によく残っていて整備されていた。
久川城は奥会津の名城であった。

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◆◆ 箕輪初心▲『会津駒ヶ岳&檜枝岐温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_18.html



◆◆ 箕輪初心▲『磐梯山』&白布温泉&米沢 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_15.html

◆◆ 箕輪初心▲『西吾妻山』&白布温泉&銀山平温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_16.html

◆◆ 箕輪初心▲『安達太良山』&二本松城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_14.html


◆◆ 箕輪初心▲『平ヶ岳』&銀山平温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_17.html



◆◆ 箕輪初心●【二本松城】=少年隊戦死 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_8.html

◆◆ 箕輪初心●【猪苗代城】&ふるさと歴史館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_12.html



■訪問記・・・平成21年(2009)8月15日
●檜枝岐の観光案内所で紹介していただいた民宿に挨拶して、
 出発した。
 「目印は、下って行って、左に見える大きな看板です。」
 と言われた。
 後は、自分の感である。
 新道から旧道に入った。でも、1回、村人に聞いた。

●「伊南博物館」という看板があった。
 この反対の山かなと思った。案の定、大きな看板があった。

●2台とめられるスペースに車を停めた。
 北東の搦め手口の枡形は消滅しているが、表示があった。
 そして、城碑と案内板があった。

●縄張り図・・・久川城は、生活環境保全林になっていた。
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 いつの時代に造られたかわかんない用水路があった。
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■案内板
「久川城は東に伊南川、西に滝倉川、北は2つと合流する久川が麓
を流れ、四方を急崖に囲まれた丘陵上にあり、天然の要害となって
います。
 「新編会津風土記」によれば、この城は伊南川対岸の古町の館を
根拠地としていた河原田盛次が天正17年(1589)伊達政宗の来襲に
備えて築城したもので、のち蒲生氏の支城となり、慶長16年
(1611)に至って廃城とされたといわれています。
 久川城跡は、空堀や土塁などの遺構の保存の良好な点、歴史的背
景及び築城廃城の時期の比較的明確な点など、戦国・近世初頭の山
城としてきわめて貴重な史跡です。
 また、指定区域の南に隣接する堂平地区は城下集落とくに侍屋敷
跡と推測され、城跡とともに久川城を研究する上で貴重な地域です。」
    
(★福島県教育委員会の現地案内板より)

★西側から東にかけて、南郭・三郭・二郭・主郭・北郭・北出丸
  と並ぶ連格式らしい。枡形虎口は2ヶ所ある。
 ※この城は、空堀2つと土塁が重要だなと思って、観察すること
  にした。


●車を停めた場所で、虫除けスプレーを持って、探索開始。
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●九十九折の道が北の丸の虎口に通じていた。
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●北郭虎口は、埋込虎口と呼ばれる形式らしい。
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●虎口は搦め手口である。・・・・でも、馬出がここにはない。


●北郭
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●北の出丸に行った。
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 ★やはり、馬出代わりの武者だまりか家臣の家であると
  勝手に思った。


●北郭の後ろには5m〜10mの自然の土塁がある。
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 ここには鎖が張ってある。
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  なぜなら、後ろは30m〜50m?の崖になっている。
  横倉沢とあった。全く、ここは天然の要害である。

  
●北郭と本丸の間に大きな空堀があった。
  鎖の小道を更にすすみ、本丸の上を通った。
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●本丸と二郭の間に大きな空堀が見えた。
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 3つの郭の後ろの土塁の半自然ハイキングコース?を越えると
 道は下る。
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●南の郭も背後は高い土塁に守られている。
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 削平地の下に、石垣が少し残る枡形があった。
  
大手門口はこの下だと思ったが、行かなかった。
下に別の郭も見えた。
「武者の道」を行った。

●三の丸
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 わずかな削平地であるが、大手の二重の枡形虎口を
 護る重要な郭にしては貧弱であった。

●南の「武者の道」とある通路を進む。

●三の丸郭と二の丸郭を区切る空堀が土塁から続いていた。
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●二の丸・・・約40m×40m四方の広さである。
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●空堀
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●二の丸の下の通路には枡形の虎口がある。
  かなり大きな防備である。
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●二の丸と本丸=主郭の間の大きな空堀
  ★<蚊の大群に虫除けスプレーで対抗しながら
  本丸に行った。

 
●高さ2〜3mの本丸の土塁の上に上がると、南東隅にの櫓と思われる
 礎石?のような平たい石があった。
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●土塁上を歩いて、本丸の虎口に着いた。
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●本丸は約20m×20m位あった。
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 奥に社が見えた。

×水の手郭もあったが、行かなかった。

●本丸北東の空堀は美しかった。
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●門跡の下に「東の見晴らし台」があった。

▼北郭に戻った。
 ★家臣団の居住区と見られているらしい。
 
▼北郭と北の出丸の虎口(搦め手口)から戻った。



◆◆ 久川城の歴史


・文治5年(1159)河原田近江守藤原盛光が伊南郷の領主。
    檜枝岐村を含む伊南川流域一帯を支配した。
    久川城の元を築くなど領土拡大をした。
    河原田氏は会津四家の一家として地位を固めていた。
       
※河原田氏は会津四家(蘆名・長沼・山内・河原田)の
       一つである。

・天文12年(1523) 蘆名氏が檜枝岐村に侵攻。
         河原田氏は臣従。

◆◆ 箕輪初心●【向羽黒山城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_18.html

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・天正17年(1589)摺上原の戦い
蘆名盛広(佐竹からの養子)+佐竹 VS 伊達政宗
伊達政宗が勝利。→蘆名氏は滅亡。


  伊達政宗は須賀川城:佐竹に侵攻。
 
  河原田盛次は蘆名家臣となっていたが、
  蘆名氏の没落で、河原田盛次は自立の道を歩んだ。
 
伊達政宗は開城要求・・
  河原田盛次は、伊達政宗の誘いを拒否。
  河原田盛次は、本城:駒寄城では防ぎきれないと考えて、
       久川城を築城。

信濃の小笠原長時が久川城に避難していた。

  河原田盛次は伊達政宗に抵抗し、久川城に籠城。
   一年間も戦い続けた。・・・伊達勢を撃退。
   しかし、緊張状態が続いていた・・・・

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
  小田原攻めに参加できず、奥州仕置き命令。
@伊達政宗も会津没収→宮城の岩出山城へ
A河原田盛次も南会津を没収→蘆名氏の江戸崎
  (茨城県稲敷市)
    →後に角館(秋田県仙北市角館町)へ移住。
     武家屋敷河原田家住宅として現存・・・


    →蒲生氏郷は奥会津の支城として、
     久川城を枡形虎口を多用した織豊系城郭に改修。


   上杉景勝、蒲生秀行氏、加藤嘉明と領主が変わった。


・慶長16年(1611)  廃城。




★明日は、福島の檜枝岐村かな?

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