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zoom RSS 箕輪初心●『鉢形城の歴史詳細』&47回寄居北條まつり2008

<<   作成日時 : 2013/05/15 05:25   >>

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鉢形城には3回、行っている。1回目は平成18年(2006)11月
12日、2回目は平成20年(2008)4月13日、3回目が平成25
年(2013)5月12日である。鉢形城は日本百名城である。天正
18年(1582)6月2日、本能寺の変で、織田信長が亡くなると、
鉢形城主:北条氏邦は、厩橋(前橋)城主:滝川一益を神流川
の戦いで、破ると、箕輪城をも支配した。 今回は、鉢形城の歴
史&47回「寄居北條まつり2008」の写真を掲載した。

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◆◆ 箕輪初心●第52回『寄居北條まつり2013』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_14.html


【1】1回目・・・平成18年(2006)11月12日
 百名城の本を購入したら、鉢形城(埼玉県寄居町)に行きたく
 なった。寄居でうろうろしながら、やっと発見した。
@鉢形城博物館=外郭内
・ジオラマ
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・館内の復元の門などをみた。
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 「鉢形城の歴史」・・・1000円を購入した。
 ★素晴らしい冊子である。歴史の流れの中で、編集してしるの
で、凄い。また、文書資料がばつぐんである。

A深沢川に沿って

B二の丸
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C三の丸
・門・・・復元されたばかりで、真新しかった。
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【2】2回目・・・平成20年(2008)4月13日
@群馬寺尾中城→A多胡碑博物館→B小幡城&小幡城祭りを見た。
埼玉に向かった。寄居町役場で駐車し、寄居駅を越え、徒歩20分。
やっと、荒川にかかる橋の近く玉淀に着いた。北条祭りのイベント見
物の客がものすごく、いい観客席がない。隙間から、やっと覗いた。
箕輪城語り部の会のメンバーが2人武者姿で出場していた。「箕輪
城祭りにも来てもらっているので、30名で参加している。」との
ことだった。その後、鉢形城の本丸の散策に出かけた。

@「寄居北条祭り」・・・荒川の玉淀
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・終わって
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・箕輪城関係者
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A鉢形城
★見所は、空堀と土塁の遺構・復元された門などである。



◆◆ 鉢形城の歴史詳細編 ◆◆
・文明5年(1473) 関東管領:山内上杉氏家宰:長尾景信が死去。
        上杉顕定は長尾景信弟:忠景に家宰職を嗣。
        長尾景信の子:景春は、不服として上杉氏に反発。
        上州白井城に帰郷。

・文明8年(1476) 長尾景春(★群馬:白井城主)が築城。
  ※長尾景春の乱・・・鉢形城に立て籠もり、上杉氏と対立 

・文明9年(1477)
1月 長尾景春は五十子(いかっこ)の上杉氏本陣を襲撃。
→山内上杉氏は上野:平井城に逃亡。
     扇谷上杉氏の家宰:太田道灌は長尾景春に帰服を説得。
     →長尾景春は拒否。
  5月 用土原の合戦。 
太田道灌  VS  長尾景春  
→長尾景春の敗戦。鉢形城に籠城。
   上杉氏は鉢形城を包囲
→長尾景春は古河城:古河公方:足利成氏に救援要請。
           
7月 足利成氏が結城・宇都宮・那須・佐々木・横瀬氏らを
引き連れて上野の滝まで進軍。
              
上杉顕定、上杉定正らは包囲を解いて上野の防衛を固めた。

・文明10年(1478)
   1月 上杉氏と足利成氏の間で停戦が成立。
      長尾景春も足利成氏の説得で鉢形城に帰還。
            
   7月 扇谷上杉氏:太田道灌は鉢形城を攻撃し、攻略。
→長尾景春を秩父へ追放。
      →鉢形城は上杉顕定の居城。
太田道灌が鉢形城を修復工事。

・文明12年(1480) 長尾景春は秩父方面で抵抗後、上杉氏に降伏。
         扇谷上杉氏の家臣太田道灌が鉢形城を攻略。
    ※太田道灌1487年主人:扇谷上杉定正に殺害。
            
上杉顕定が越後長森原(新潟県八海山の麓に碑がある。)で戦死。
   →古河公方:足利政氏の子で顕定の養子となった上杉顕実が居住。


●明応2年:1491年〜北条早雲の胎動。→2代氏綱→3代氏康
・明応3年(1492)10月 高見原の対峙  
     北条早雲+扇谷上杉定正  VS 山内上杉顕実

・永正7年(1510)6月 山内上杉顕実が鉢形城に入城。

・永正9年(1512)6月 別の養子:山内上杉憲房の長尾景長が鉢形城を
           奪還。
・大永4年(1524)
   1月 北条氏綱が江戸城:扇谷一族上杉朝興の攻撃。
           奪取。
   10月 上杉憲房は鉢形城→上杉北条氏綱と戦うために
                武蔵毛呂山城を攻撃。
・天文14年(1545) 扇谷上杉朝定+山内上杉憲房+古河公方4代:
           足利晴氏が河越城:北条綱成を攻撃。

・天文15(1546)河越の夜戦・・・・
上杉氏が北条氏に大敗。→武蔵の土豪は北条氏の配下。
    天神山城主:藤田重利=康邦は北条氏康の実質3男(4男)
    :氏邦を養子に迎え、用土城に隠居。
   ※藤田康邦の娘婿として、天神山城・花園城に入城。

・天文21年(1552) 山内上杉憲政が上野の国平井城に逃亡。
          ・・・長尾景虎に北条攻めを要請。
       北条氏が平井城・箕輪城・沼田城・金山城を制圧   
       北条VS武田 ・・・・引き分け

・永禄3年(1560)?北条氏邦は本拠を鉢形城とし、大規模な改修工事。
          北条氏邦の秩父への進出。

・永禄4年(1561) 長尾景虎の第一次関東出兵
国府台(千葉市こうのだい)の戦い・・・
          北条  VS  里見

・永禄5年(1562) 岩槻城:太田道灌&秩父の土豪が抗戦。
          →長尾景虎は鎌倉八幡宮で上杉政虎を改名。
  
・永禄12年(1569)  武田信玄が小田原城攻撃のために、上州から侵攻。
          鉢形城も攻撃。
          武田信玄は鉢形城が守りが堅いのを見て、
          南下して滝山城(東京:日の出IC近く)を攻撃。 
       
    ※滝山城:北条氏照は籠城し、やっと持ちこたえた。
     →八王子城を築城と考えた。
            
   ※三増峠の戦い  北
   条氏邦・氏照  VS  武田信玄 
    →北条軍の大敗

・元亀元年(1570)  北条氏政・氏照・氏邦の弟:三郎は
          上杉政虎(謙信)の養子となった。
   9月 武田信玄の鉢形城攻撃・・・
      上杉輝虎(謙信)の出兵で、退却。

・元亀3年(1572)1月 武田・北条で国分協定=武田との争いが終結。

・天正元年(1573) 北条氏邦の深谷攻撃。
        深谷城:上杉憲盛を攻略・北条氏邦領有
       ・・→北条軍2万で常陸の佐竹義重を攻撃。

・天正2年(1574) 武田信玄没。
        上杉謙信が鉢形城等を攻撃。城下を消失。太
         田金山城に陣。

・天正7年(1579)御館の乱・・・
   上杉謙信の養子:北条三郎が上杉景勝に負け、自刃。
   北条軍が沼田城を攻撃・・・大敗。

・天正9年(1581) 4代:北条氏政は織田信長に接近
      (鷹のい献上、馬の献上・縁組み要請など)

・天正10年(1582)3月 織田信長・徳川家康軍の甲府侵攻。
            武田勝頼は死。滅亡。
         6月 本能寺の変・・・織田信長の死
             神流川の戦い 
   北条氏邦+北条5代氏直 VS 織田家臣:滝川一益
    ・・・北条勝利
            
        7月 甲州・信濃で 
北条軍   VS  徳川軍
           織田信雄の仲裁・・・家康娘を北条氏直に  
                             
結果・・・甲州・信濃は徳川氏、上州沼田は北条氏。

・天正12年(1584) 2月北条氏邦は太田金山城:由良由繁を攻撃

・天正13年(1585) 8月 北条氏邦・氏房は沼田城:真田昌幸の攻撃
          ・・・落城せず。
         10月 真田昌幸は徳川を離れ、上杉景勝に接近。
             →豊臣秀吉に沼田城の件で訴え。

・天正14年(1586)11月  徳川家康の上洛。

・天正15年(1587)12月 豊臣秀吉は「関東総無事令」を発布。

・天正16年(1588) 8月 北条氏規が上洛。私見・・・5代氏直ではない。
             北条の読みの浅さを露呈?
・天正17年(1589) 関白豊臣秀吉の裁定
           ・沼田城を含む沼田領の三分の二が北条氏の領土.。
           ・名胡桃城を含む三分の一が真田氏の領土。 
           
  ※11月 名胡桃事件
        沼田城主猪俣邦憲は南西の榛名峠城から名胡桃城を奪取
         →秀吉の小田原征伐の口実

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の北条攻撃
      豊臣軍約20万騎?  VS  北条軍3425騎
(★豊臣秀吉が調べた北条家人数覚書:毛利家文書)
    *北条氏邦5000騎は鉢形城・深谷城・倉賀野城・厩橋城・箕輪城
     ・沼田城であった。そのうち、3500人の武士・町人・農民。
   *波賀駿河守・・・見失(★毛利家文書)

  ●北国軍・・・前田利家、上杉景勝らの進撃
    松井田城:大導寺政繁)→箕輪城(塀和伯耆守)→鉢形城
   西牧城:多米周防守→・・倉賀野城(塀和兼任)→鉢形城
        
  ●北条氏邦は出撃論を主張したが、籠城策に決定。
    北条氏邦は勝手に鉢形城に帰郷。
        3000の守備兵で鉢形城を固めた。
     鉢形城3500人 VS 前田・上杉軍など20万人。
   5月 前田利家、上杉景勝らの北国軍が鉢形城の攻撃を開始
   6月 前田・上杉・本多忠勝が車山から大砲で攻撃。
   6月14日 鉢形城は開城。
        北条氏邦の身分は前田利家に預け→
        1000石(七尾市)。
         鉢形城は廃城。
         開城・・・。
         徳川家康の家臣:成瀬正一・日下部定好が代官。 
   {★鉢形城博物館の1000円の冊子より編集}
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★明日は、鉢形城の詳細編かな?

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箕輪初心●埼玉『鉢形城』&北条氏邦の箕輪城の大改修
★鉢形城の3段の石垣&畝堀の築城法は北条氏邦によって、 高崎市の箕輪城の本丸や二の丸&大堀切に受け継がれた。 箕輪城は井伊直政の時代の遺構と言われているが、箕輪城の 2つの橋台と堀の中の工法は小田原城三の丸と同じである。 ★鉢形城の西〜北は荒川玉淀の断崖、南〜東〜北は深沢川の 深い谷があり、天然の要害となっている。南西の大手口方面は なだらかな丘陵地帯で、幾重にも堀切を造り防備を固めている。 なんと、本曲輪や御殿曲輪が三の曲輪より標高が低いのだ。 深沢川の東は外曲輪であり、... ...続きを見る
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2013/05/16 07:03

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