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zoom RSS 箕輪初心★小笠原長時の波乱の人生&会津

<<   作成日時 : 2013/04/27 06:49   >>

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会津若松と言えば、鶴ヶ城=会津若松城。白虎隊に代表にされる戊
辰戦争の地である。蘆名盛氏・伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝&直
江景続・保科正之・松平容保・野口英世など聞の有名人がいる。で
も、大龍寺で、ボランティアガイドの方から「小笠原長時の墓です。」
といた時はビックリした。「小笠原長時と室・息女の墓」と立札?の
奧に立派な2つの墓があったのだ。 何で墓があるのか?と思った。
後で調べてみると、意外に小笠原氏と会津は関係が深いことがわかっ
た。@ 武田信玄に信濃を追われ、転々としたら、会津に来ていた。
A会津で家臣に殺された。B小笠原流礼法が会津のたしなみになって
いた。等・・小笠原長時は、武田信玄に信濃統一を許してしまった悲
劇の武将であるのだ。

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(★会津の大龍寺・小笠原長時の墓)

【0】小笠原長時の生涯
・平安末期〜 武田信玄の先祖と同じ同族の支流:小笠原一族・・・
・室町時代  信濃飯田の小笠原&信濃深志(現松本)の小笠原に
別れた。
・永正11年(1514) 小笠原長棟の嫡男として信濃深志(松本)の林城
      で生まれた。」
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 (左は林大城・右は林小城。簑型である。)
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 (林城の本郭)
※松本城=深志城は林城の支城に過ぎなかった。
回りに家老クラスの城があった。
@南東・・・埴原城=第一家老:埴原の館&砦はでかい。
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  A東・・・・桐原城(家老)・山家城(家老)・・・・

 B北東・・・早落城など
C北・・・・井深砦・深志砦など
D北西・・・早P城
E西・・・・
  F南西・・・
G南・・・・娘婿の福与城





【1】小笠原長時1『信濃時代』
・大永6年(1526) 小笠原長時は13歳で元服。
武田晴信(信玄)は信濃侵攻を開始する。

・天文10年(1541) 家督を継いだ。
※小笠原長棟〜長時は守護大名から戦国大名への道を歩んだ

・天文14年(1545) 武田晴信は伊那郡へ出兵・
   武田勢は高遠頼継の高遠城を陥落させる。
   小笠原長時の娘婿:福与城の福与頼親を攻撃。
   小笠原長時は龍ヶ崎城(辰野町)で武田晴信に対抗した。
   武田晴信の家臣:板垣信方が龍ヶ崎城を陥落させた。
   小笠原長時は敗退(★『高白斎記』)

・天文17年(1548) 武田晴信(信玄)信濃に侵攻。
  小県郡上田原の戦い・・・
   村上義清 YS 武田晴信
   村上義清は武田勢を撃破。

  村上義清や仁科氏、藤沢頼親らと諏訪郡へ侵攻。
  6月 塩尻峠・・・塩尻:桔梗ケ原の戦い
   小笠原長時が敗戦。
   武田晴信の勢力に押されていった。

・天文19年(1550)
京都の小笠原稙盛(秀清の父)を介して将軍:足利義輝に
  太刀・馬を献上。・・・信濃国衆への下知を約束された。

  武田晴信の林城攻撃
   落城・・・信濃小笠原氏は没落(★『高白斎記』)
    武田信玄は「軍門に降れば本領安堵する。」
   小笠原長時は「小笠原は代々京都にいて武田より
   上だった。今さら、どうして武田に属せようか。」
   結局、小笠原長時は武田晴信(=信玄)に対抗した。
   結果・・・流浪の道を選んだのだった。

 ★小笠原長時と村上義清は本格的に
 手を結んでいたら、武田信玄の侵入は無理だったのだ。



【2】,小笠原長時の『越後時代』
小笠原長時は没落直後の4説
 @宇田源氏:村上義清(正室は信濃守護・小笠原長棟の娘。
   つまり、妹の夫)を頼って葛尾城(現千曲市)に行った説

 A越後:中塔城:二木氏を頼り越後へ逃れた説
  
 B実弟:信濃飯田の鈴岡城:小笠原信定のもとへ逃れた説
C越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼ったのだ。

・天文23年(1554) 小笠原長時は嫡男:小笠原貞慶を越後に残
して、飯田の実弟のいる鈴岡城に入った。
   松尾小笠原は深志小笠原長時に対抗していたので、武田晴信
   松尾は小笠原を傘下にしていたのだった。
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   鈴岡城は武田軍に攻められ落城
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   小笠原長時は三河国境の新野を経て、伊勢の外宮御師:
   榎倉武国を頼った。

【3】、小笠原長時の『京都時代』
・弘治元年(1555) 遠い同族の摂津国芥川城主:三好長慶を頼った。
三好長慶氏は、京都を制圧する勢いであった。
小笠原長時は将軍:足利義輝の礼法指南になった。
  河内の高安に領を賜った。

※信濃では、上田の砥石崩れで2度も武田信玄に勝った村上義清で
 あったが。武田信玄の家臣:真田幸隆の砥石城調略から・・・
 葛尾城から逃亡する結果になった。
 村上義清は越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼った。
 川中島の5回の戦い
  武田信玄 VS 上杉謙信
 
・永禄2年(1559) 三好長慶の仲介で将軍義輝と対面
  足利義輝は上杉謙信に「小笠原長時の信濃復帰への助力を
  命じた。


・永禄6年(1564) 三好長慶が病死.
 小笠原長時は上杉謙信のもとへ移った。
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・永禄11年(1568) 織田信長の攻撃。
   三好敗戦。


【4】.小笠原長時の『越後時代』
 「上杉謙信」を再び頼った。
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・天正5年(1577) 上杉謙信が死去。
     「御館の乱」

・天正6年(1578) 小笠原長時は越後を離れた。


【5】.小笠原長時の『会津時代』
・天正6年(1578) 会津→久川城主:河原田氏のもとに滞在。
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【6】.小笠原長時の『信濃復帰時代』
・天正8年(1580) 織田信長に信濃の名義上の旗頭として利用
された。織田信長の京都御馬揃えにも参加した。
織田信長に仕えていた三男:小笠原貞慶が信濃に所領を
  与えられている。



【7】.小笠原長時の『信濃復帰時代』
・天正10年(1582)
3月 武田氏が織田信長に滅ぼされた。 
6月 本能寺の変・・・織田信長が死亡。

  会津黒川城主:蘆名盛氏の食客。
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 (★城は黒川城後の会津若松城)
  ※三男:小笠原貞慶は信濃に残った。
    →弓矢=礼法の師範となった(伝)。
  蘆名盛氏の軍師として戦略面で支援も担当した(伝)。


・天正11年(1583)2月25日 会津で病死した。享年70。

※大龍寺・・・小笠原長時の墓。
 飯盛山と武家屋敷の間に臨済宗妙心寺派の寺である。

 境内に入ると、「小笠原長時と室・息女の墓」と立札がある。
 2つの墓が小笠原長時&妻。
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 長時の戒名は「長時院殿麒翁正麟大居士」
 妻は「仙操院殿梅実春光大姉」 
 息女(長女or三女)は「雲霄院殿心清智浄大童女」とある。

※山本覚馬&新島八重の祖先の墓もある。



※嫡男の長隆・・・上杉景勝の越後に残り、上杉軍の越中戦で戦死。
 嫡男:長隆の子・・長男:小笠原長高(高天神家の傍流)を
  頼った。
  小笠原貞頼は、三河幡豆(はず)小笠原家となった。
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 三男の貞慶・・・家臣に謀殺された?

◆◆ 箕輪初心●三河『幡豆寺部城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_9.html

◆◆ 箕輪初心★小笠原の歴史 ◆◆
“小笠原島”を発見。
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 小笠原貞頼の姉が豪商茶屋四郎次郎に嫁いだ。
http://53922401.at.webry.info/201108/article_18.html


※「日新館」での小笠原流礼法
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 会津の日新館では、「礼式方」として小笠原流礼法が用いられていた。
 礼法は小笠原長時→小笠原貞慶→山家新太夫祐友(★林城の東の山家
 城主)へ・・・ 星野味庵から始まる「味庵流」。
 系譜は長時直伝ともいえる流派だが、不明である。
 
※藩校での礼法のカリキュラムは九等(9段階)になっている。
初等:配膳。
二等:鳥目(受渡し)。
三等:太刀折紙熨斗の受渡し。
   子弟となる嫡子は三等までは卒業する。
   四等以降は学ぶものが少なかった。
成績優秀者&上級武士だけだった。
四等:折方結方
五等:軍礼。・・歩射礼・騎射礼。首実検などの作法へと続く。
応答や会釈・饗応・切腹の作法。
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※「女礼=女性用の作法」は、齢40歳に充たざれば仮にも伝うべ
 からず」とある。
 会津日新館は、儒教思想もあり、女性との接触を厳しく制限した。
 小笠原流礼法が会津士魂の育成に一役買った。

◆◆ 箕輪初心◆日新館:保科正之&新島八重のパネル展 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_25.html

★参考
小笠原長時・ウキペディア・林城・日新館・大龍寺等

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