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zoom RSS 箕輪初心◆水戸天狗党3の3「信濃→越前:処刑」

<<   作成日時 : 2013/03/26 05:47   >>

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★水戸天狗党の西上の最大の激戦地:上野国下仁田の下小坂の
岩下の群馬bPの植物学者:里見哲夫先生宅前の畑である。
高崎藩109人 VS 水戸天狗党925人の戦いがあった。
高崎藩36名、水戸天狗党4名の戦死者を出した。高崎藩は
撤退しながら、安導寺で再び戦った。高崎藩は撤退し、水戸
天狗党は下仁田の本宿に泊まった。リーダーの武田耕雲斎は
神戸家に泊まった。
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 (★諏訪の御柱会場の1km和田峠よりが戦場だった。)


◆◆ 箕輪初心◆水戸天狗党1『挙兵〜下仁田戦争直前』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html
◆◆ 箕輪初心◆水戸天狗党2『下仁田戦争詳細編』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★下仁田の特産品・名所・偉人・有名人 ◆◆
 ★里見哲夫先生=「シダ植物研究」の 第一人者
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html
http://53922401.at.webry.info/201205/article_15.html


【5】 信濃(長野県)
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(★下仁田ふるさとセンター・・写真掲載許可済み)

11月17日
水戸天狗党は星名村の市川実五郎の案内で内山峠→佐久に入った。
 
佐久では岩村田藩と戦った。
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 (★岩村田城)
 
 平賀村に泊まった。
★関係ないけど、「芙蓉」という酒が旨い。


11月18日
→(中仙道)・・・
 ★今年中に、中仙道宿場町67次中、10次程写真が
  ないが、を紹介したいと思っている。




11月19日
 和田峠の戦い
水戸天狗党 VS 松本藩&高島藩
  水戸天狗党の墓・・・6名戦死。
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下諏訪露営泊

11月20日 下諏訪→岡谷→平山→松島泊
  (三州街道)

11月21日 上穂泊
 
11月22日  片桐泊

11月24日 飯田城下を避けて間道へ・・・駒場泊


11月25日 清内路泊 
中仙道木曽〜〜〜〜〜



【7】 美濃(岐阜県)
11月26日
  中仙道木曽〜〜〜〜〜
 馬籠宿
 ★「夜明け前」:島ア藤村著・・・★詳しく書かれている。
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11月27日 大井宿

11月28日 御嵩宿

11月29日 木曽川を舟で渡った。鵜沼
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11月30日 間道・・・天王で宿

12月1日 水戸天狗党は美濃の揖斐宿に到着。大雨だった。
ここで、薩摩藩:中村半次郎=桐野利秋が面会に来た。
 「薩摩藩の前面支援を勧める。京都に来てくれ。」
 武田耕雲斎は辞退した。


12月2日 谷汲山を越えた。

12月3日 くらやみ峠を越えた。大野藩領に入った。
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一橋慶喜が出発。

【8】 越前
12月4日 朝から雪・・・大砲を分解して運ぶ。
       

12月5日〜 大野藩が民家焼却・・・雪中で露営。
         疲労困憊


12月6日 朝より雪 木之本泊


12月7日 大雪で行程が遅れる。法慶寺泊

12月8日 東俣泊


12月9日 遅れる者多し。今庄宿営


12月10日 今庄
   ▲加賀藩2000が葉原に布陣。
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 (★新田義貞のいたそま山城から今庄を望む)

12月11日 雪の木ノ芽峠を越えた。 →若狭へ
 新保宿で泊まった。
 ★新田義貞のコースである。なんか、よく似ている。
30000人の大部隊に包囲された。
 

12月12日 敦賀の新保で金沢藩に通行許可を求めた。  
  一橋慶喜公が天狗党征伐の総督として琵琶湖の
  北の海津まで来ている事を知らされた。
  
  水戸天狗党の西上行軍は、先代藩主:徳川斉昭の息子:慶喜に
   嘆願するための行軍であった。
  ところが、徳川慶喜は討伐軍の総督だった。

  ★
   
 金沢藩士:永原甚七郎らは、慶喜の間をとりもつ約束した。
 武田耕雲斎の嘆願書と始末書をを持って、近江に行った。

 しかし、慶喜は、「天狗党は賊徒である」として
 「12月17日に総攻撃をせよ。」と金沢藩に命じた。


12月17日 天狗党は戦闘準備


12月18日 
 水戸天狗党・・最後の軍儀を開いた。
 軍師:山国兵部は、
「山陰道を行き、長州(山口県)とともに尊王攘夷の意志を貫く
 べきである。」
 と言った。




【9】 結末
12月19日 加賀藩に降伏した。

12月21日 水戸天狗党:武田耕雲斎の降伏状が
    天狗党征討総督の徳川慶喜に受理された。

12月24日 捕虜として新保→敦賀へ
水戸天狗党823人は、敦賀市元町の本妙寺・,本勝寺
   ・長遠寺の3つの寺に収容された。

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 ・(★本勝寺・・・偶然、見つけた寺)

   加賀藩から餅と酒が振る舞われた。

12月27日 徳川慶喜は海津から京へ戻った。
   敦賀には加賀藩と小浜藩の兵だけが残った。
   
   

・慶応元年(1865)
1月4日 食事がよくなった。

1月7日 酒が支給された。

1月29日 加賀藩→幕府管轄になった。
  松原のにしん小屋に移された。

2月降伏した353人が処刑された。
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★★武田耕雲斎のお墓は敦賀市の松原神社にある。
松原神社に墓はあるなんて、知らなかったし、
 水戸天狗党の処刑の地だなんて知らなかった。
 新田義貞&松尾芭蕉の追っかけをしていったから
 である。

 

★武田耕雲斎の話
武田信玄家臣:跡部資勝の子孫・・水戸藩士:跡部正続の子
  として生まれた。跡部正房(跡部家の宗家300石)の養嗣子
  となった。跡部資勝の長篠の戦いは悪評だと考え、武田信玄
  にちなんで、武田耕雲斎と名乗った。  


徳川家康は武田信玄を尊敬していた。
三方ヶ原での武田信玄の敗北は、「うんこちびり説」を生んだ。
自分の怖がっている顔を絵師に書かせた。
・・・我慢強い戦国大名になった。
徳川家康は5男に「武田信安」と名付け、後に水戸家:徳川家と
なった。水戸黄門は徳川家康の孫であった。
・・・水戸家にはごそっと、武田信玄の家臣がいたのだった。
もちろん、井伊直政には、山県昌景の配下が多数入ったのだ。




3月25日 武田・山国・田丸・藤らの首が水戸でさらし首になった。


〜〜〜〜3年後〜〜〜〜〜
・明治元年(1868)
   鳥羽伏見の戦い・・・
   徳川慶喜は小栗上野介の西軍との戦いを拒んだ。
    勝海舟の恭順の意見を採った。
   
   徳川慶喜は寛永寺で恭順謝罪。





★水戸天狗党・小栗上野介を斬首した西軍などがごっちゃになって
 いた。でも、やっと、歴史が結び着いた。

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箕輪初心★小幡一族&熊井土一族&三方原の戦
★群馬甘楽小幡に小幡重貞の本拠地があった。しかし、小幡重貞は 本拠を国峰城に移し、家老の熊井土に小幡館に住まわせた。小幡 重貞の妻は長野業政の長女であった。しかし、長野業政の計略で 従兄弟:小幡図書之介(宮崎城&神成城)は富岡の国峰城を占領 した。小幡重貞は永禄年間の武田信玄の誘いで、長野業政の同心 から武田信玄の家臣になった。武田信玄は小幡赤武者隊を家臣に したのだ。小幡重貞は武田信玄の「信」の字を賜り、小幡信貞(信実) に名前を変えた。武田信玄は、山景昌景・真田昌幸にも赤... ...続きを見る
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2013/04/10 07:29

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