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zoom RSS 箕輪初心★新島八重周辺3「湯浅治郎&八重さんの醤油」

<<   作成日時 : 2013/02/08 06:40   >>

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今日も別の病気発覚により、4日目の病院通いだ。
★平成25年(2013)2月2日、自性寺焼の青木禮子先生に
「・・八重さんの醤油を買いに行きたいのですが、・・。」
と聞いたら、「有田屋さんの醤油はおいしいよ。」と言いな
がら、安中市の「有田屋」を教えてくれた。目的は、
@2月2日の産経新聞で紹介された【八重さんの醤油】購入
A徳富蘇峰&徳冨蘆花の姉:初子を妻にした湯浅治郎とは?
B新島襄は6回、新島八重は4回安中に来たのだ。
重なりは2回であるが、いつなのか?
醤油・お菓子も
売ってるいい感じの店なので是非「有田屋」さんに行って
みてね。七代目もダンディだ。

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安中土産
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◆◆ 有田屋7代目:湯浅康毅氏のブログ ◆◆
http://www.aritaya.com/frame/frame_whatsnew.html

◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳冨蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄&徳富蘇峰』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm



【1】 「有田屋」さん=味噌醤油製造業&販売
 7代目当主:湯浅康毅氏はとても感じのいい紳士であった。
 当然だろうが・・・
 ちなみに、写真撮影とブログ掲載も許可していただいた。
 ありがとうございます。

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 「八重の桜」上映中・・・
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【2】 便覧社・・・有田屋さんの道反対
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【3】 「有田屋&湯浅治郎ミニ博物館」
@先祖・・・7代目当主:湯浅康毅氏の話
「先祖は和歌山県の湯浅町だと思います。」 
湯浅の醤油は紀州藩の保護を受けて発達した有名な醤油
 である。
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A安中の湯浅家初代〜7代系図
 華麗なる一族であった。・・・
 現当主は有田屋7代目湯浅康毅氏であること。
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B湯浅治郎
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★湯浅治郎は徳富蘇峰&徳冨蘆花の姉:初子を嫁にしている。 
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 最初の妻・登茂子との間に6人・・・湯浅一郎・三郎など
 後妻の初子(徳富蘇峰・蘆花の実姉)との間に8人。
               ・・・湯浅八郎
 ※湯浅八郎は12代同志社大学学長である。
※弟は詩人の湯浅吉郎=湯浅半月


C新島譲&新島八重は「有田屋」に宿泊したこと
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★★徳富一敬の子ども
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長女:常子・・・陸軍大尉:山川清房に嫁ぐ。
次女:光子・・・絹織業の実業家:河田精一に嫁ぐ。
三女:音羽子・・牧師の大久保眞次郎に嫁ぐ。
        子は久布白落実は女性運動家。
四女:初子・・・湯浅治郎の後妻として嫁ぐ。
長男:徳富蘇峰(猪一郎)
次男:友喜・・・天祈。
三男:徳富蘆花(健次郎)
        孫は考古学者の徳富武雄。




【4】★★ 湯浅治郎&新島襄 ★★
嘉永3年(1850)10月21日=11月24日
〜昭和7年(1932)6月7日)

・嘉永3年(1850)10月21日=11月24日
 上野国碓氷郡安中宿(現群馬県安中市)の味噌醤油醸造業者
 「有田屋」の2代目:湯浅治郎吉&茂世の長子として生まれる。

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 有田屋は南京米や魚油の輸入・蚕紙の輸出・販売もしていた。

・万延元年(1860) 新島襄は17歳 
※3月 桜田門外の変・・・大老井伊直弼が暗殺。
 11月 新島襄は徳川幕府の軍艦教練所に通い、数学や
    航海術を学ぶ。

  板倉勝明の弟:板倉勝殷(かつまさ)の護衛役で、
  新島襄は安中に来た。


・万延2年(1861)18歳 ※世界・キリスト教を知り、
祖国を離れようと思うようになった。
この時、新島襄と湯浅治郎は知り合いになったかは不明。


・元治元年(1864) 湯浅治郎は有田屋3代目当主となる。
  福澤諭吉の著書「学問のすすめ」を読んで、
  教育の重要性を認識した

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・明治5年(1872) 安中の「有田屋」の道反対に私立図書館
  「便覧舎」を設置した。 3000冊の図書を収集。

 ★図書館事業の先駆となった。
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・明治7年(1974)
31歳の新島襄は7月にアンドーバー神学校を卒業。
10月、教会で大学設立講演。3000人の聴衆が集まった。
今までの10年を振り返った話をした。日本でキリスト教を広めたい。
日本にキリスト教主義の大学設立をしたい。・・・。と語った。
5000$の寄付金を集めた。 
 ハーディ家で送別会
 ボストン→NY===汽車で大陸横断===
 サンフランシスコ〜〜〜船〜〜〜    
11月26日 横浜==汽車===東京・・・
人力車・・・安中に帰郷。
 
11月29日 新島襄は安中の両親と再会。
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龍昌寺・便覧社・自宅などで講演会を開催
湯浅治郎と新島襄は仲良しになった。
3ヶ月の安中の滞在・・・
神戸からの手紙
   「キリスト教の伝道に力を貸してくれ。」
12月19日 川田甕江に手紙を送った。
   「帰国したこと。」
 12月22日 川田甕江より返事の手紙が来た。
   「新島約瑟(襄の前の名前)へ帰国を喜んでいる。」
 12月26日 川田甕江を訪問する。


・明治8年(1875)32歳
1月 父宛ての手紙
初めて「襄」の字を用いる。
2月 大阪で木戸孝允に学校設立について援助を依頼。
4月 京都に入り、山本覚馬らに会った。
   京都での開学を勧められる。
6月 山本覚馬を訪問。

  京都府顧問で旧会津藩士:山本覚馬から
  学校用地=旧薩摩藩邸を550$で譲渡してもらった。

 11月29日 京都に「同志社英学校」を創立。(校長)
山本覚馬・山本八重(後に妻)・デビスなどの協力
→「同志の学校」の意味である。

 生徒は8人であった。
この中に、徳富猪一郎(=蘇峰)・横井時雄、
   金森通倫、浮田和民、海老名弾正などがいた。
※徳富蘇峰は横井時雄、金森通倫、浮田和民らとともに
  熊本バンド(花岡山の盟約)の結成に参画した。
 8月東京英語学校に入学。10月末に退学。
11月29日、京都の同志社英学校に転入学した。
12月、同志社創設者の新島襄から、徳富蘇峰や金森通倫
  とともに洗礼を受けた。

・明治9年(1876)
 京都府知事:槇村正直の紹介で・・・
山本覚馬の妹:「八重」と結婚・・・日本初の教会結婚
 ★新婚旅行は坂本龍馬&おりょうらしい。
親族を安中から京都に迎え入れた。


・明治11年(1878)
安中:便覧社で、キリスト教を布教。

 ※安中便覧社・・・湯浅治郎の「有田屋醤油店」の道反対
  安中教会が建設された。


湯浅治郎は新島襄からキリスト教の洗礼を
   受けた。

・明治12年(1879) 碓氷郡書記

・明治13年(1880) 群馬県会議員

・明治13年(1880)4月 「自責の杖」事件
「先輩と後輩が一緒の級では嫌だ。」と言いだした。
首謀者は徳富蘇峰だった。
  新島は三尺ばかりの白木の杖を持って朝の礼拝の壇上に立
  った。
  ストライキ問題に触れた。・・・
 「吉野山 花咲く頃は 朝な朝な 
   心にかかる 峯の白雲 」
と、詠んで、自分の手を杖で叩いた。
 「教師の罪でもまた諸君の罪でもない。校長である私の不徳
  のいたすところである。校長はいまその罪人を罰するのだ。」
  と言って、白木の杖で自分の手を打ちつづけたのである。

「誰の責任でもない。私の責任だ。」と言って、責任を自分と
 し、難関の危機を乗り越えた。しかし、・・・

8月、卒業を1ヶ月前、徳富蘇峰は退学した。
でも、徳富蘇峰は新島襄を尊敬していた。


・明治15年(1882)新島八重1回目
新島襄39歳
5月
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7月 新島八重と伊勢峰(山本覚馬の長女)は先に
安中に行って、有田屋=湯浅治郎宅に宿泊?


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■伊勢峰=山本覚馬の長女・・・横井(伊勢)時雄の妻
 
  新島襄は徳富蘇峰も横井時雄達を伴って、中仙道
  をやってきた。
  「中仙道紀行」
※新島襄と徳富蘇峰たちは、蕎麦の大食い大会を
  した話も残っている。


7月19日 便覧社前で有田屋=湯浅治郎宅前で
 新島八重・湯浅治郎の出迎えを受けた。

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 新島襄&新島八重は有田屋に7日間泊まった。
 ・30人が洗礼。
  柏木義円らを排出。
 (★有田屋のミニ博物館資料館より)

横井小楠の子ども
横井小楠は徳富蘇峰・蘆花の父:徳富一敬の師匠
  ※横井小楠・・・鎌倉の北条得宗家の末裔
妻の妹:久子・・・・徳富一敬の妻=蘇峰の母
長男:横井時雄・・徳富蘇峰・蘆花の従兄弟。
長女:みや(横井時雄妹)・・・海老名弾正の妻。
   
★★徳富蘇峰の親族
@徳冨蘆花(弟)
A湯浅家・・湯浅治郎(治郎の2番目の妻が蘇峰の姉=義兄)
      湯浅八郎(甥)湯浅一郎(義甥)・湯浅半月
 横山時雄の妹:みやは兄の友人の海老名弾正と結婚して
  海老名弾正&みやは安中教会に赴任してきた。
  初代安中教会の神父は海老名弾正。
■海老名弾正・・・同志社英学校1期生。

・明治16年(1883) 群馬県会議長に就任。
         廃娼運動の先導役となった。


・明治21年(1889) 新島八重2回目
  新島襄は八重を伴って伊香保療養。
  安中に戻った。・・・湯浅家に寄った
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・明治23年(1890) 第1回衆議院議員総選挙に
    群馬県第5区から立候補して当選。
衆議院議員(自由党所属)
1期で国政から引退。、
 社会・文化運動に力を尽くした。

新島の同志社を支援した。
 義弟:徳冨蘇峰の民友社を経済的に支援した。

同志社・日本鉄道・日本組合基督教会などの理事を務めた。

 東京に警醒社(→警醒社書店)を設立した。
  内村鑑三らの出版事業を助けた。
 警醒社では『六合雑誌』を刊行している。


・明治23年(1892) 京都に移住。
   新島譲亡き後の同志社理事として立て直しに尽力した。


  救世軍の山室軍平とも親交があった。
  高崎出身の第13代日本銀行総裁:深井英五とも親交があった。

・明治43年(1912) 新島八重3回目
   新島襄先生永眠20年記念祝賀会
新島八重も安中に来た。・新島襄没後20回忌
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・大正10年(1921) 新島八重4回目
8月28日・・・新島八重が安中の湯浅家に宿泊。
8月19日・・・新島八重は安中教会へいった。


・晩年・・・家業を息子:三郎に譲った。
    同志社のある京都や警醒社のある東京で過ごした。

・昭和7年(1932年)6月7日、肺炎で死去。享年83歳。
    (★ウキペディアや新島襄:安中市教委
       有田屋さんの展示資料より)





【5】華麗なる湯浅一族
@湯浅吉郎(湯浅半月)・・・湯浅治郎の弟
聖書学者・図書館学者・詩人

A湯浅一郎・・・・・・・・湯浅治郎の長男
洋画家・・・黒田清輝に師事。


B湯浅八郎・・・・・・・・湯浅治郎の子
12代目同志社大学学長・初代国際基督教大学学長
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 など多数の方がいらっしゃるようである。







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