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zoom RSS 箕輪初心★新島八重の周辺A『新島襄&徳富蘇峰』

<<   作成日時 : 2013/02/07 06:01   >>

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胃から血、血尿で病院通い。胃痛を紛らわしながら・・。
明治8年(1875)32歳の新島襄は同志社英学校(現同志社大学)
を創立した。生徒8人の中に徳富蘇峰がいた。翌年に、新島襄&
山本八重は日本初の教会結婚式をした。徳富蘇峰は、新島八重
とはしっくりいかなかった。しかし、同志社大学設立を協力する
頃は、新島八重とは、違和感はなくなっていったらしい。明治
23年(1890)1月23日、新島襄は、妻:新島八重、かつて徳冨蘆
花と大恋愛した山本久栄(八重の姪)&愛弟子:徳富蘇峰らに
見まもられ、46歳で亡くなった。

画像

 (★新島八重子回想録・・同志社大学)

◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳富蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm

新島襄の年譜ベースの中で、徳富蘇峰を抽出してみた。
・明治7年(1974)31歳
新島襄はは7月、アンドーバー神学校を卒業。10月、教会で
大学設立講演をした。で、3000人の聴衆が集まった。
今までの10年を振り返った話をした。日本でキリスト教を広めたい。
日本にキリスト教主義の大学設立をしたい。・・・。と語った。
5000$の寄付金を集めた。 
 ハーディ家で送別会
 ボストン→NY===汽車で大陸横断===
 サンフランシスコ〜〜〜船〜〜〜    
11月26日 横浜==汽車===東京・・・
人力車・・・安中に帰郷。
 11月29日両親と再会。
龍昌寺・便覧社・自宅などで講演会を開催
3ヶ月の滞在・・・
神戸からの手紙「キリスト教の伝道に力を貸してくれ。」

12月19日 川田甕江に手紙を送った。
   「帰国したこと。」
  12月22日 川田甕江より返事の手紙が来た。
   「新島約瑟(襄の前の名前)へ帰国を喜んでいる。」
  12月26日 川田甕江を訪問する。


・明治8年(1875)32歳
 1月 父宛ての手紙
初めて「襄」の字を用いる。
2月 大阪で木戸孝允に学校設立について援助を依頼。
4月 京都に入り、山本覚馬らに会った。
   京都での開学を勧められる。
6月 山本覚馬を訪問。

  京都府顧問で旧会津藩士:山本覚馬から
  学校用地=旧薩摩藩邸を550$で譲渡してもらった。

 11月29日 京都に「同志社英学校」を創立。(校長)
山本覚馬・山本八重(後に妻)・デビスなどの協力
→「同志の学校」の意味である。
生徒は8人であった。
この中に、徳富猪一郎(=蘇峰)がいた。
徳富蘇峰は横井時雄、金森通倫、浮田和民らとともに
  熊本バンド(花岡山の盟約)の結成に参画した。
 8月東京英語学校に入学。10月末に退学。
11月29日、京都の同志社英学校に転入学した。
12月に同志社創設者の新島襄から、徳富蘇峰や金森通倫
  とともに洗礼を受けた。


・明治9年(1876)
 山本覚馬の妹:「八重」と結婚・・・日本初の教会結婚
 親族を安中から京都に迎え入れた。
新婚旅行は坂本龍馬&おりょうらしい。


徳富蘇峰は、新島八重にいいイメージを持っていなかった。
西洋感覚を持ちながらも、武士の誇りと道徳観を持ってい
たからである。
「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺(?)のような女性
 である。」と避難した。
しかし、新島八重は動じなかったという。
あまり仲は良くなかった。

 (★新島八重から見る幕末と明治を参考に)

@レディファーストの話
新島襄は、車に乗るときは、新島八重を先に乗らせた。
新島八重は当然のように振る舞った。
A食事の話
新島襄は、食事の手伝いや片づけを進んでやった。
新島八重は、当然のように振る舞った。
徳冨蘇峰は、こんな面も嫌いだったらしい。


・明治11年(1878)35歳
 新島八重も徳富蘇峰も横井時雄も同行した。
  新島襄と徳富蘇峰たちは、蕎麦の大食い大会を
 した話も残っている。
  
  安中:便覧社で、キリスト教を布教。
 ※安中便覧社・・・湯浅治郎の「有田屋醤油店」の道反対
  有田屋に泊まった。
  ・30人が洗礼。
   湯浅治郎・柏木義円らを排出。

★★徳富蘇峰・・・後の親族★★
@徳冨蘆花(弟)
A湯浅家・・湯浅治郎(治郎の2番目の妻が蘇峰の姉=義兄)
      湯浅八郎(甥)湯浅一郎(義甥)・湯浅半月
@横井時雄(姉の夫・・・父の師匠:横井小楠の長男)
※横井小楠・・・鎌倉の北条得宗家の末裔



・明治13年(1880)4月 37歳「自責の杖」事件
「先輩と後輩が一緒の級では嫌だ。」と言いだした。
首謀者は徳富蘇峰だった。
きっかけは明治10年9月入学の上級組&明治12年入学の
下級組を、生徒数が少ないという理由から、学校当局が合併
を決定したことにある。新島の旅行中のことである。
上級組は不満だった。不平を持っていた上級組を徳富蘇峰
達が煽動し、ストライキに突入したのであった。

旅から帰った新島襄は説得に努めた。騒ぎは収まった。
しかし、責任&処分問題で苦悩する。
「処分を行わなければ、校則違反を認めたことになる。」
「処分を行えば、上級生は学校を去ってゆく。」
  新島は三尺ばかりの白木の杖を持って朝の礼拝の壇上に立
  った。
  ストライキ問題に触れた。・・・
 「吉野山 花咲く頃は 朝な朝な 
   心にかかる 峯の白雲 」
と、詠んで、自分の手を杖で叩いた。
 「教師の罪でもまた諸君の罪でもない。校長である私の不徳
  のいたすところである。校長はいまその罪人を罰するのだ。」
  と言って、白木の杖で自分の手を打ちつづけたのである。

「誰の責任でもない。私の責任だ。」と言って、責任を自分と
 し、難関の危機を乗り越えた。しかし、・・・

8月、卒業を1ヶ月前、徳富蘇峰は退学した。
でも、徳富蘇峰は新島襄を尊敬していた。



・明治15年(1882)39歳
5月 東京
画像

7月 新島八重と伊勢峰(山本覚馬の長女)は先に
安中に行って、有田屋=湯浅治郎宅に宿泊?
新島襄は徳富蘇峰も横井時雄達を伴って、中仙道
 をやってきた。
新島襄と徳富蘇峰たちは、蕎麦の大食い大会を
 した話も残っている。


7月19日 便覧社前で有田屋=湯浅治郎宅前で
 新島八重・湯浅治郎の出迎えを受けた。
新島襄&新島八重は有田屋に7日間泊まった。
徳富蘇峰達は山田屋に泊まった。


 ・30人が洗礼。
  柏木義円らを排出。
 
画像

  (★有田屋のミニ博物館資料館より)
 ★7代目当主:湯浅康毅氏より許可を2月4日に
   いただいた。ありがとうございます。



・明治19年(1886)の夏、徳富蘇峰は『将来之日本』の原稿を持っ
  て新島襄を訪ねた。新島襄の添状=紹介状を持参して高知の
  板垣退助を訪ねた。原稿を最初に見せたかったのが板垣で
  あったといわれている。
(★ウキペディア)

・明治20年(1887)44歳 父が死亡。
2月 徳富蘇峰は、姉初子の夫:湯浅治郎の協力を得て
  民友社を設立し、月刊誌「国民之友」を刊行した。
  民友社には弟:徳冨蘆花・山路愛山・竹越与三郎・国木田
  独歩らが入社した。



・明治21年(1888)45歳
9月 徳富蘇峰は一時「明治専門学校」の名称を「同志社大学」
に戻した。新島襄は「同志社大学設立の趣意」の作成を
徳富蘇峰に依頼した。


11月 徳富蘇峰は 「同志社大学設立の趣意」を「国民之友」
   に掲載し、資金集めを開始した。
徳富蘇峰は関東を中心に資金集めに奔走した。


・明治22年(1889)46歳
 11月28日 前橋で激痛。
      ・・ベルツ博士に死亡宣告された。

 東京で静養していた。
12月27日 新島襄は徳富猪一郎(徳富蘇峰)の勧めにより、
   神奈川県大磯町で療養することにした。

   大磯海岸に近い旅館「百足屋(むかでや)」に宿を取る。
 ここ百足屋で療養した。「腹膜炎」は悪化して行った。

・明治23年(1890) 47歳
1月
  「いしがねも 透れかしとて ひと筋に
    射る矢にこむる 大丈夫(ますらお)の意地」
 
 新島八重夫人・徳富蘇峰・小崎弘道らに見守られて・・・
「真誠の自由を愛し、邦につくすような人物の養成・・
 「教職員は生徒を大事に取り扱うこと」
など10項目を遺言した。

 
1月23日 神奈川県大磯で死亡。

棺は京都駅から同志社大学・・銀閣寺前・・
 父:新島民次の墓のある南禅寺はキリスト教の新島襄の
 墓を拒否。・・・
 南禅寺東の横・・・若王寺山へ(共同墓地)が墓。
山本覚馬も新島八重もここに眠っている。


◆◆ 実話-新島襄の最後の聖戦 ◆◆
http://netabare1.blog137.fc2.com/blog-entry-2348.html




★明日は、有田屋:湯浅治郎かな?




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