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zoom RSS 箕輪初心★新島襄周辺『柏木義円』=群馬四大キリスト教伝道者

<<   作成日時 : 2013/02/22 07:14   >>

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柏木義円はキリスト教思想家である。新島襄の信頼が厚かった。
同志社大学には紋付き袴で通学し、卒業するときは新島襄から
「紋付き袴を新調してあげる。」と言われたが、断ったという
エピソードが残っている。

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◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm


◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html


◆◆ 箕輪初心★住谷天来 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_20.html

◆◆ 箕輪初心★住谷悦治 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_21.html


◆◆ 【柏木義円の生涯】 ◆◆
万延元年(1860)3月9日=4月30日〜昭和13年(1938)1月8日
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・万延元年(1860)3月9日 越後国与板藩(現長岡市)の浄土真宗
   西光寺の住職の家に生まれる。
生後4ヶ月で、父死亡。
仏教と漢籍を学んだ。
・明治7年(1874) 私塾で、星野恒(後東大教授)に学んだ。
・明治8年(1875) 新潟師範学校に転入学。
・明治10年(1877)東京師範学校(東京教育大学→筑波大学)編入学。
・明治11年(1878)7月東京師範学校を卒業。
  10月 群馬県碓氷郡土塩村(現安中市旧松井田町)小学校
      の校長として赴任。
郡内の教員:中山光五郎に誘われて安中教会に通った。
柏木義円はキリスト教&新島襄に興味を持った。

・明治13年(1880)同志社大学に入学。
学費が続かず、半年で退学。
群馬県碓氷郡(安中市旧松井田)の細野東小学校
   校長になった。

・明治17年(1884) 在職中、安中教会で海老名弾正に影響を受けて
   入信し、海老名弾正より洗礼を受けた。
入信理由
「真の宗教は新事実の啓示でなげればならない。
 釈迦(仏教)は宇宙人生の説明者に過ぎない。
 キリスト(教)は、苦を楽とし、邪を正とするなど、
 神の義と愛とを具体的に示してくれる。」
(★上毛教界月報216号)

 同志社大学普通科に入学。
    5年間学んだ。新島襄に薫陶を受ける。
    
・明治17年(1884) 同志社大学を卒業。
  同志社予備校の主任となった。

・明治18年(1885) 1月 新島襄が大磯で死亡。
 柏木は京都の新島邸で霊柩を迎えた。

 10月 熊本英語学校、熊本英語女学校の校長代理を務めた。

・明治21年(1888) 同志社予備校に戻った。
   『同志社文学』の編集に従事。
   井上哲次郎の国家主義および教育勅語を批判する。

・明治21年(1888) 前橋英学校が閉校。
   前橋英学校の女教師、不破きよ・村山ゆき・笹尾縫らの呼び
   かけで始まった女学校設立の動きは、深沢利重・高津仲次郎
   ・湯浅治郎・不破唯次郎・住谷天来ら教会有志の協力で、  
   前橋英和女学校(=共愛学園)設立。
   新島襄の助力、地元之諸教会の支え、アメリカン・ボード
   宣教師の協力もあり、その基礎が固まった。
  ★住谷天来は新島襄に興味を持ち、影響を受けた。


・明治25年(1897) 平瀬かやと結婚。
   
・明治30年(1902)同志社予備校を辞職。   
日本組合基督教会安中教会牧師になる。

・明治31年(1903) 『上毛教界月報』を創刊。
  安中で地域伝道と政治・社会批判運動を活発に展開した。
@足尾鉱毒事件、
 A廃娼運動、
 B未解放部落問題、
 C朝鮮人虐殺問題など・・・
 時代批判を幅広く行った。
 日露戦争以降は、軍備増強・国家主義を批判し、
 一貫して非戦を主張した。

・明治43年(1910) 日韓併合後の日本組合基督教会による
渡瀬常吉らの植民地伝道を批判した。

・明治45年(1912) 内務省による三教会同を
内村鑑三らと共に批判した。

・大正11年(1922) 第7代共愛学園の仮校長になった。
週1回、安中から電車で通った。
群馬県に校長申請をしたが、「社会主義者」という理由から
許可が下りなかった。


・昭和6年(1930)満州事変・・・
  時局を批判した。  

・昭和10年(1934) 12月の「月報459号」で終止符となった。
満州事変の際には軍部批判を行ったため月報が発禁処分になる。

・昭和11年(1935) 安中教会牧師を引退する。
「新島襄伝」の執筆に取りかかった。

・昭和13年(1938)1月8日 昇天。

★参考文献・・・近代群馬のキリスト教教育:宮崎俊著
 など・・)

●上毛新聞の「新島襄」
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