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zoom RSS 箕輪初心★若山牧水Gロマンチック「法師温泉へ」

<<   作成日時 : 2013/01/29 07:13   >>

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若山牧水は大正11年(1922)10月21日、四万温泉『田村旅館』で、
不快な思いをした若山牧水は、中之条に向かった。中之条から
は吾妻線に乗り、渋川駅に正午に着いた。3時間あるので、渋川
駅前の小料理屋で昼食&酒タイムにした。渋川駅で雨人と別れて
独り旅になった。沼田駅で降り、沼田の「鳴滝館」に泊まった。

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◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅@水上〜川原湯温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_23.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅A「妙義&磯部温泉」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅B榛名湖&伊香保温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_25.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅C川原湯温泉&草津温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Dロマンチック街道 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Eロマンチック『旧六合村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_28.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Fロマンチック『四万温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_29.html


★若山牧水 みなかみ紀行:青空文庫にお世話になってます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/4649_15562.html


大正11年(1922)10月21日 
●渋川・・・15時
※澁川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走る
のである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、・・・。

●沼田駅・・・19時30分
沼田町に着いたのは七時半であつた。指さきなど、痛むまでに寒か
つた。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になつてゐた
郵便物を受取つた。局の事務員が顏を出して、今夜何處へ泊るかと
訊く。變に思ひながら澁川で聞いて來た宿屋の名を思ひ出して、そ
の旨を答へると、さうですかと小さな窓を閉めた。

鳴滝→移築「みやま荘」→うのせ温泉「旅館みやま」

※宿屋の名は鳴瀧と云つた。風呂から出て一二杯飮みかけてゐると、
來客だといふ。郵便局の人かと訊くと、さうではないといふ。不思
議に思ひながらも餘りに疲れてゐたので、明朝來て呉れと斷つた。
實際K―君と別れてから急に私は烈しい疲勞を覺えてゐたのだ。」
 然(しか)し矢張り氣が濟まぬので自分で玄關まで出て呼び留めて
部屋に招じた。四人連の青年たちであつた。
★「四人連の青年」の1人は沼田の本屋の「金子刀水」である。


※矢張り郵便局からの通知で、私の此處にゐるのを知つたのださうだ。
そして、
「いま自轉車を走らせましたから迫つ附けU―君も此處へ見えます。」
といふ。
「アヽ、さうですか。」
と答へながら、矢つ張り呼び留めてよかつたと思つた。U―君も
また創作社の社友の一人であるのだ。この群馬縣利根郡からその
結社に入つてゐる人が三人ある事を出立の時に調べて、それぞれ
の村をも地圖=図で見て來たのであつた。そして都合好くばそれ
ぞれに逢つて行きたいものと思つてゐたのだ。
「それは難有う。然しU―君の村は此處から遠いでせう。」
「なアに、一里位ゐのものです。」
一里の夜道は大變だと思つた。
 やがてそのU―君が村の俳人B―君を伴れてやつて來た。
もう少しませた人だとその歌から想像してゐたのに反してまだ
紅顏の青年であつた。
歌の話、俳句の話、土地の話が十一時過ぎまで續いた。そして
それぞれに歸=帰つて行つた。村までは大變だらうからと留めたけ
れど、U―君たちも元氣よく歸つて行つた。

★沼田城・・・沼田公園
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◆◆ 箕輪初心●沼田城 ◆◆
@  http://53922401.at.webry.info/201112/article_25.html

A  http://53922401.at.webry.info/201112/article_3.html


★生方誠&生方たつゑの家…移築され、沼田公園へ
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★村上鬼城の句碑もある。



H10月22日
※十月廿二日
今日もよく晴れてゐた。嬬戀=恋以來實によく晴れて呉れるのだ。
四時から強ひて眼を覺まして床の中で幾通かの手紙の返事を書
き、五時起床、六時過ぎに飯をたべてゐると、U―君がにこにこ
しながら入つて來た。自宅うちでもいゝつて言ひますから今日
はお伴させて下さい、といふ。それはよかつたと私も思つた。
今日はこれから九里の山奧、越後境三國みくに峠の中腹に在る
法師ほふし温泉まで行く事になつてゐたのだ。

 私は河の水上みなかみといふものに不思議な愛着を感ずる癖を
持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして
峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作り
ながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくな
る樣な歡びを覺えるのが常であつた。
 矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみ
なかみを尋ねて見ようとこの利根とねの峽谷に入り込んで來たこ
とがあつた。沼田から次第に奧に入つて、矢張り越後境の清水越
の根に當つてゐる湯檜曾ゆびそといふのまで辿り着いた。そして
其處から更に藤原郷といふのへ入り込むつもりであつたのだが、
時季が少し遲れて、もうその邊にも斑らに雪が來てをり、奧の方

には眞白妙に輝いた山の竝んでゐるのを見ると、流石に心細くな
つて湯檜曾から引返した事があつた。然しその湯檜曾の邊でも、
銚子の河口であれだけの幅を持つた利根が石から石を飛んで徒渉
出來る愛らしい姿になつてゐるのを見ると、矢張り嬉しさに心は
躍つてその石から石を飛んで歩いたものであつた。そしていつか
お前の方まで分け入るぞよと輝き渡る藤原郷の奧山を望んで思つ
たものであつた。
藤原郷の方から來たのに清水越の山から流れ出して來た一支流
が湯檜曾のはづれで落ち合つて利根川の溪流となり沼田の少し手
前で赤谷川を入れ、やゝ下つた處で片品かたしな川を合せる。そ
して漸く一個の川らしい姿になつて更に澁川で吾妻川を合せ、此
處で初めて大利根の大觀をなすのである。吾妻川の上流をば曾つ
て信州の方から越えて來て探つた事がある。片品川の奧に分け入
らうと云ふのは實は今度の旅の眼目であつた。そして今日これか
ら行かうとしてゐるのは、沼田から二里ほど上、月夜野橋といふ
橋の近くで利根川に落ちて來てゐる赤谷川の源流の方に入つて
行つて見度いためであつた。その殆んどつめになつた處に法師
温泉はある筈である。

 讀者よ、試みに參謀本部五萬分の一の地圖「四萬」の部を開
いて見給へ。眞黒に見えるまでに山の線の引き重ねられた中に
唯だ一つ他の部落とは遠くかけ離れて温泉の符號の記入せられ
てゐるのを、少なからぬ困難の末に發見するであらう。それが
即ち法師温泉なのだ。更にまた讀者よ、その少し手前、沼田の
方角に近い處に視線を落して來るならば其處に「猿ヶ京村」と
いふ不思議な名の部落のあるのを見るであらう。私は初め參謀
本部のものに據らず他の府縣別の簡單なものを開いて見てこの
猿ヶ京村を見出し、サテも斯んな處に村があり、斯んな處にも
歌を詠まうと志してゐる人がゐるのかと、少なからず驚嘆した
のであつた。先に利根郡に我等の社中の同志が三人ある旨を言
つた。その三人の一人は今日一緒に歩かうといふU―君で、他
の二人は實にこの猿ヶ京村の人たちであるのである。

●後閑・・★上毛カルタ「天下の義人茂左右衞門」 
 月夜野橋に到る間に私は土地の義民磔はりつけ茂左衞門の話
を聞いた。徳川時代寛文年間に沼田の城主眞田伊賀守が異常な
る虐政を行つた。領内利根吾妻勢多三郡百七十七箇村に檢地を
行ひ、元高三萬石を十四萬四千餘石に改め、川役網役山手役井
戸役窓役産毛役等(窓を一つ設くれば即ち課税し、出産すれば
課税するの意)の雜役を設け終つひに婚禮にまで税を課すに至
つた。納期には各村に代官を派遣し、滯納する者があれば家宅
を搜索して農産物の種子まで取上げ、なほ不足ならば人質を取
つて皆納するまで水牢に入るゝ等の事を行つた。この暴虐に泣
く百七十七箇村の民を見るに見兼ねて身を抽んでて江戸に出で
酒井さかゐ雅樂守うたのかみの登城先に駕訴をしたのがこの月
夜野村の百姓茂左衞門であつた。けれどその駕訴は受けられな
かつた。其處で彼は更に或る奇策を案じて具さに伊賀守の虐政
を認めた訴状を上野寛永寺なる輪王寺宮に奉つた。幸に宮から
幕府へ傳達せられ、時の將軍綱吉も驚いて沼田領の實際を探つ
て見ると果して訴状の通りであつたので直ちに領地を取上げ伊
賀守をば羽後山形の奧平家へ預けてしまつた。茂左衞門はそれ
まで他國に姿を隱して形勢を見てゐたが、斯く願ひの叶つたの
を知ると潔く自首するつもりで乞食に身をやつして郷里に歸り
僅かに一夜その家へ入つて妻と別離を惜み、明方出かけようと
したところを捕へられた。そしていま月夜野橋の架つてゐるツ
イ下の川原で磔刑に處せられた。しかも罪ない妻まで打首とな
つた。漸く蘇生の思ひをした百七十七箇村の百姓たちはやれや
れと安堵する間もなく茂左衞門の捕へられたを聞いて大いに驚
き悲しみ、總代を出して幕府に歎願せしめた。幕府も特に評議
の上これを許して、茂左衞門赦免の上使を遣はしたのであつた
が、時僅かに遲れ、井戸上村まで來ると處刑濟の報に接したの
であつたさうだ。
舊沼田領の人々はそれを聞いていよいよ悲しみ、刑場蹟に地
藏尊を建立して僅かに謝恩の心を致した。ことにその郷里の人
は更に月夜野村に一佛堂を築いて千日の供養をし、これを千日
堂と稱へたが、千日はおろか、今日に到るまで一日として供養
を怠らなかつた。が、次第にその御堂も荒頽して來たので、こ
の大正六年から改築に着手し、十年十二月竣工、右の地藏尊を
本尊として其處に安置する事になつた。
斯うした話をU―君から聞きながら私は彼の佐倉宗吾の事を
思ひ出してゐた。事情が全く同じだからである。而して一は大
いに表はれ、一は土地の人以外に殆んど知る所がない。さう思
ひながらこの勇敢な、氣の毒な義民のためにひどく心を動かさ
れた。そしてU―君にそのお堂へ參詣したい旨を告げた。
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 (★月夜野橋を渡った所にある顕彰碑)  



 月夜野橋を渡ると直ぐ取つ着きの岡の上に御堂はあつた。
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田舍にある堂宇としては實に立派な壯大なものであつた。そし
てその前まで登つて行つて驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げ
られてあつたからである。そして附近には唯だ雀が遊んでゐる
ばかりで人の影とてもない。百姓たちが朝の仕事に就く前に一
人々々此處にこの香を捧げて行つたものなのである。一日とし
て斯うない事はないのださうだ。立ち昇る香煙のなかに佇みな
がら私は茂左衞門を思ひ、茂左衞門に對する百姓たちの心を思
ひ瞼の熱くなるのを感じた。
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 堂のうしろの落葉を敷いて暫く休んだ。傍らに同じく腰をお
ろしてゐた年若い友は不圖ふと何か思か出した樣に立ち上つた
が、やがて私をも立ち上らせて對岸の岡つゞきになつてゐる村
落を指ざしながら、
「ソレ、あそこに日の當つてゐる村がありませう。あの村の中
ほどにやゝ大きな藁葺の屋根が見えませう、あれが高橋お傳の
生れた家です。」
これはまた意外であつた。聞けば同君の祖母はお傳の遊び
友達であつたといふ。
高橋お伝は毒婦と言われている。
 義人と毒婦のコントラストがいい。

※強盗殺人の罪で斬首刑に処せられた女性。
仮名垣魯文の「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなった。
上野国利根郡下牧村(現群馬県利根郡みなかみ町)出身。
「明治の毒婦」と呼ばれた。
 (★ウキペディアより)

「今日これから行く途中に鹽原太助の生れた家も、墓もあり
ますよ。」
と、なほ笑ひながら彼は附け加へた。

◆◆ 箕輪初心★茂左右衛門 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201202/article_16.html


●月夜野
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※月夜野村は村とは云へ、古めかしい宿場の形をなしてゐた。
昔は此處が赤谷川あかたにがは流域の主都であつたものであら
う。宿を通り拔けると道は赤谷川に沿うた。


対岸は名胡桃城である。北条氏康のB男氏邦の
 重鎮:猪俣邦憲は、真田昌幸の家臣で、八木節に
 登場する名胡桃城主:鈴木主水をおびき出し、乗っ取った
 のだ。これをきっかけに、豊臣秀吉の小田原城攻撃となり、
 北条氏が滅亡し、天下と秀吉がとったのだ。

◆◆ 箕輪初心●名胡桃城 ◆◆
@  http://53922401.at.webry.info/201202/article_21.html

A  http://53922401.at.webry.info/201202/article_22.html



●黒岩八景
※この邊、赤谷川の眺めは非常によかつた。十間から二三十間に
及ぶ高さの岸が、楯を並べた樣に並び立つた上に、かなり老木の
赤松がずらりと林をなして茂つてゐるのである。三町、五町、十
町とその眺めは續いた。松の下草には雜木の紅葉が油繪具をこぼ
した樣に散らばり、大きく露出した岩の根には微かな青みを宿し
た清水が瀬をなし淵を作つて流れてゐるのである。


★新治の下新田・・・塩原太助の生家
 「沼田城下 (本当領下) 塩原太助」
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◆◆ 箕輪初心★塩原太助 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_13.html 
 
◆◆ 箕輪初心●新治「箱田城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201204/article_11.html
★新治村
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 (★生方代議士像・・弟が法師温泉に訪ねて来た。)
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●布施宿
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★湯宿


●笹の湯・・・赤谷湖の湖底に今はある。
  湯島温泉も湖底に沈んだ。


●相俣・・・上杉謙信の逆さ桜
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★猿ヶ京相俣宿 
 登るともない登りを七時間ばかり登り續けた頃、我等は氣にし
てゐた猿ヶ京村の入口にかゝつた。其處も南に谷を控へた坂なり
の道ばたにちらほらと家が續いてゐた。中に一軒、古びた煤けた
屋根の修繕をしてゐる家があつた。丁度小休みの時間らしく、二
三の人が腰をおろして煙草を喫つてゐた。
「ア、さうですか、それは……。」
私の尋ねに應じて一人がわざわざ立上つて煙管で方角を指しな
がら、道から折れた山の根がたの方に我等の尋ぬるM―君の家の
在る事を教へて呉れた。街道から曲り、細い坂を少し登つてゆく
と、傾斜を帶びた山畑が其處に開けてゐた。四五町も畦道を登つ
たけれども、それらしい家が見當らない。桑や粟の畑が日に乾い
てゐるばかりである。幸ひ畑中に一人の百姓が働いてゐた。其處
へ歩み寄つてやゝ遠くから聲をかけた。
「ア、M―さんの家ですか。」
百姓は自分から頬かむりをとつて、私たちの方へ歩いて來た。そ
して、畑に挾まれた一つの澤を越し、渡りあがつた向うの山蔭の
杉木立の中に在る旨を教へて呉れた。それも道を傳つて行つたの
では廻りになる故、其處の畑の中を通りぬけて……とゆびざしし
ながら教へようとして、
「アツ、其處に來ますよ、M―さんが。」
と、叫んだ。囚人などの冠る樣な編笠をかぶり、辛うじて尻を被
ふほどの短い袖無半纏を着、股引を穿いた、老人とも若者ともつ
かぬ男が其處の澤から登つて來た。そして我等が彼を見詰めて立
つてゐるのを不思議さうに見やりながら近づいて來た。
「君はM―君ですか。」
斯う私が呼びかけると、ぢつと私の顏を見詰めたが、やがて合
點が行つたらしく、ハツとした風で其處に立ち留つた。そして笠
をとつてお辭儀をした。斯うして向き合つて見ると、彼もまだ三
十前の青年であつたのである。
私が上州利根郡の方に行く事をば我等の間で出してゐる雜誌で
彼も見てゐた筈である。然し、斯うして彼の郷里まで入り込んで
來ようとは思ひがけなかつたらしい。驚いたあまりか、彼は其處
に突立つたまゝ殆んど言葉を出さなかつた。路を教へて呉れた百
姓も頬かむりの手拭を握つたまゝ、ぼんやり其處に立つてゐるの
である。私は昨夜沼田に着いた事、一緒にゐるのが沼田在の同志
U―君である事、これから法師温泉まで行かうとしてゐる事、一
寸でも逢つてゆきたくて立ち寄つた事などを説明した。

※「どうぞ、私の家へお出で下さい。」
と漸く色々の意味が飮み込めたらしく彼は安心した風に我等を誘
つた。なるほど、ツイ手近に來てゐながら見出せないのも道理な
ほどの山の蔭に彼の家はあつた。一軒家か、乃至は、其處らに一
二軒の隣家を持つか、兎に角に深い杉の木立が四邊あたりを圍=
囲み、濕(しめ)つた庭には杉の落葉が一面に散り敷いてゐた。
大きな圍爐裡端(いろりばた)には彼の老母が坐つてゐた。
お茶や松茸の味噌漬が出た。私は圍爐裡に近く腰をかけながら、
「君は何處で歌を作るのです、此處ですか。」
と、赤々と火の燃えさかる爐端を指した。土間にも、座敷にも、
農具が散らかつてゐるのみで書籍も机らしいものも其處らに見え
なかつた。
「さア……。」
羞しさうに彼は口籠つたが、
「何處といふ事もありません、山でゝも野良でゝも作ります。」
と、僅かに答へた。私が彼の歌を見始めてから五六年はたつであ
らう。幼い文字、幼い詠みかた、それらがM―といふ名前と共に
すぐ私の頭に思ひ浮べらるゝほど、特色のある歌を彼は作つてゐ
るのであつた。
收穫時の忙しさを思ひながらも同行を勸めて見た。暫く默つて
考へてゐたが、やがて母に耳打して奧へ入ると着物を着換へて出
て來た。三人連になつて我等はその杉木立の家を立ち出でた。恐
らく二度とは訪ねられないであらうその杉叢が、そゞろに私には
振返へられた。時計は午後三時をすぎてゐた。法師までなほ三里、
よほどこれから急がねばならぬ。
猿ヶ京村でのいま一人の同志H―君の事をM―君から聞いた。
土地の郵便局の息子で、今折惡しく仙臺=台)の方へ行つてゐる
事などを。

●相俣の郵便局
やがてその郵便局の前に來たので私は一寸立寄つてその父親に言葉
をかけた。その人はゐないでも、矢張り默つて通られぬ思ひがした
のであつた。
石や岩のあらはに出てゐる村なかの路には煙草の葉がをりをり
落ちてゐた。見れば路に沿うた家の壁には悉くこれが掛け乾され
てゐるのであつた。此の頃漸く切り取つたらしく、まだ生々しい
ものであつた。

★コンビニ・・・赤谷湖は当時なかった。
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湖城閣のあるところがかつては城だった。
 長尾景虎=上杉謙信が永禄3年(1560)に宿泊した。
 長尾景虎は申年生まれで、「申ヶ京」→「猿ヶ京」の地名の
 もとになったらしい。翌年には、関東管領の上杉姓を鎌倉
 八幡宮で貰って、上杉輝虎になった。



相生橋・・・★当時、全国2位の高さの橋だった。
        
笹の湯1軒&湯島温泉数軒が岡の上に移築した。

★猿ヶ京の関所
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阿部鳩雨は猿ヶ京出身・・・もしかしら
 若山牧水に会っているかも・・・

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● 吹路宿・・・元々の宿
※吹路(ふくろ)といふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れか
けた。
風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をりをり路ばたの畑で
稗や粟を刈つてゐる人を見た。この邊では斯ういふものしか出來
ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られて
ゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼につ
いた。小走りに走つて急いだのであつたが、終つひに全く暮れて
しまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つ
た。

●長井宿
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そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間はざまの
奧の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思はず大
きな聲を上げたのであつた。

●法師温泉・・・・★午後2時までが日帰り温泉>今はどうか?
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 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先づ何よりもと湯殿
へ急いだ。そしてその廣いのと湯の豐かなのとに驚いた。十疊敷
よりもつと廣からうと思はるゝ湯槽が二つ、それに滿々と湯が湛
へてゐるのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあつた。
乏しい灯影の下にづぶりつと浸りながら、三人は唯だてんでに微
笑を含んだまゝ、殆んどだんまりの儘の永い時間を過した。のび
のびと手足を伸ばすもあり、蛙の樣に浮んで泳ぎの形を爲すもの
もあつた。
部屋に歸ると炭火が山の樣におこしてあつた。なるほど山の夜
の寒さは湯あがりの後の身體=体に浸みて來た。
 何しろ今夜は飮みませうと、豐かに酒をば取り寄せた。
罐詰=缶詰をも一つ二つと切らせた。
 
 U―君は十九か廿歳、M―君は廿六七、その二人のがつしりとし
た山國人の體格を見、明るい顏を見てゐると私は何かしら嬉しく
て、飮めよ喰べよと無理にも強ひずにはゐられぬ氣持になつてゐ
たのである。

 其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。
一人はK―君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原太助の生れ
たといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行
つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK
―君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、
畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私
の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私
とを見比べながら、
「矢張り本物に違ひはありませんねヱ。」
と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。
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K−君は生方吉次、生方大吉代議士の弟。
★「阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家」ではなく、
 「かどふぢ」の生方誠=生方たつゑの夫である。

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当時は、ランプの宿であった。浴槽は2つあり、湯槽の
 底から湯が湧いていた。
 高峰美恵子&???とのJRの宣伝で有名になった。
 今でも凄い温泉である。




会津戦争・・・永井宿の上で町屋久助が戦死






★明日は、若山牧水『猿ヶ京温泉』が。

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箕輪初心★若山牧水Gみなかみ紀行「猿ヶ京温泉〜湯宿温泉」
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2013/01/30 07:07
箕輪初心★若山牧水Hみなかみ紀行「沼田〜老神温泉」
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箕輪初心★若山牧水Iみなかみ紀行「白根温泉〜金精峠」 若山牧水は老神温泉「牧水苑」→吹割の滝→東小川で千明家 に立ち寄った。→白根温泉(泊)翌日は丸沼→金精峠に出 た。 ...続きを見る
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『山口の瑠璃光寺五重塔は国宝です。全国に現存する五重塔で10 番目に古く、日本3名塔の1つです。ちなみに日本3名塔は@山 口県の瑠璃光寺、A奈良県の法隆寺、B京都府の醍醐寺にある五 重塔です。室町時代における最も優れた建造物と評価されていま す。また、瑠璃光寺は檜皮葺の屋根が特徴です。明日行く厳島神 社の五重の塔も檜皮葺です。室町時代の初め、大内義弘が・・』 とバスガイドさんが説明してくださった。また、常栄寺の雪舟 のエピソードの方が面白かった。本当、凄いバスガイドであった。... ...続きを見る
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2015/12/29 08:05

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内 容 ニックネーム/日時
上州合宿2/9・2/10 宿泊は倉渕 池田屋旅館
 集合時間9:00・集合場所 
 下仁田IC近くの下仁田道の駅
南牧村 城の腰砦、桐の木坂城、小沢城
下仁田 吉崎城
倉渕  権田城、大明神砦
高崎  寺尾中城、寺尾上城、榛名山城
を攻める予定です。ただし私は2/10は午前のみ
富岡武蔵
2013/01/29 21:24
ご連絡、ありがとうございます。私も9日は、青木先生の
所で窯たきが続いていますので参加できません。
10日に参加したいと思っています。
何時でしょうか?8時には行こうとおもっていますが。
富岡武蔵さんへ
2013/01/30 21:06

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箕輪初心★若山牧水Gロマンチック「法師温泉へ」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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