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zoom RSS 箕輪初心★【奥平一族の歴史】上野(群馬)→三河→上野→

<<   作成日時 : 2012/11/27 05:41   >>

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★奥平氏は、鎌倉時代には上野国の吉井(現高崎市吉井町
奥平)にいた。室町時代には三河北東部の作手地方に移住
した。戦国時代には三河の長篠城を中心に活動した。長篠
城の活躍を機に徳川氏の重臣となった。今川氏→織田氏→
松平氏→武田氏→徳川氏(松平)に従属し、戦乱を乗り切
ったのだった。そして、下野の宇都宮城主→大分の中津城
主になったのだった。
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【1】上野時代
★出自には、3説がある。
@.村上源氏の後裔と自称した赤松一族と称した。
  (★『姓氏』樋口清之・丹羽基二著)。
A.有道姓児玉党片山氏流の末裔説。
  (★『姓氏家系大辞典』太田亮 )
◎上州が発祥地と言われている。その後、上州の所領を
  放棄して、三河に新天地を求め転住した(伝)説。
 (★「家伝」・『中津藩史』・『寛政重修諸家譜』)。
B村上源氏赤松則景の2男:氏行が、秩父氏一族児玉
 庄左衛門の婿となり、奥平氏を称したことに始まる説。
 (★新城市長篠城祉史跡保存館の資料より)
★家紋は「軍配団扇」だから、この見方が正しいのか?

●上野国甘楽郡岩井奥平郷=現高崎市吉井町下奥平
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◆◆ 箕輪初心●群馬【吉井の城:奥平城等38城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_13.html


【2】三河作手時代
天授年間(1375~1380)
●8代:奥平貞俊・・・作手領主:山崎左衞門高元を
頼って作手に来た(伝)。
郷人を従属。
   「郷主」となり、代々七百貫文を領した。
  @川尻城築城
  A亀山城築城
●9代:奥平貞久・・・近在に奥平一族を配している。

●10代・奥平貞昌・・・
・文明年間、奥平貞昌が日近城を築城。
  2男:松平貞直が日近奥平氏の祖となった。
 今川義元の東三河侵攻・・今川氏に従属。
 東三河に松平清康(家康祖父)が遠征すると松平氏に従属
 松平清康が東三河に進出。宇利久城攻撃に従軍。
 守山崩れ・・・松平清康が横死。
 三河は今川氏の領国となり、再び今川氏に従属。

●11代:奥平貞勝・・・今川氏に従属。
 桶狭間の戦い
今川義元+徳川家康 VS 織田信長
今川義元戦死。
  奥平貞勝は徳川家康に従属。
  
 武田信玄の三河侵攻
山家三方衆:奥平貞勝は一族宗家として
 「武田信玄に属したい。」と考えた。
 東三河の国衆とともに武田信玄に従属。
 武田信玄は奥平貞勝が今川氏→徳川氏に属した経緯
 から馬場信春に古宮城を築かせ、監視させた。 
 ※古宮城は虎口・馬出しに武田流築城法が残存。
武田信玄の死亡

●11代:奥平貞能と嫡子:奥平信昌が作手を退去。
 貞能・信昌親子は徳川家康に本領安堵。
 徳川家康は
 @長女:亀姫を松平信昌と婚姻せしむること、
 本領など三千貫文の地を宛行うこと、
 を約束した。



【3】長篠城時代

 奥平貞能と奥平信昌が徳川氏に従属。
 
 11代:奥平貞能は額田郡亀穴城。
 12代:奥平貞昌21歳は長篠城。
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 →武田勝頼は、奥平貞能親子の離反に怒った。
  奥平貞能2男=奥平貞昌の弟:仙丸
 日近奥平貞友の娘:おふう
  を磔にした。

奥平貞昌の大叔父、叔父、弟、甥の4世代で支族を分出。
 奥平貞昌の宗家は、奥平氏族をの重臣として厚遇
 身内から有力7家&小領主5氏が選出。
 計・・12家は七族五老奥平氏の家老衆となった。

・天正3年(1575)長篠の戦い
   武田勝頼18000の長篠城攻撃。長篠城包囲。
   奥平貞昌500は、鳥居強右衞門の決死の働き。
    長篠を死守。
  ※日近2代:奥平貞友は、作手本家と長篠篭城
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 設楽原の戦い
  織田・徳川VS 武田
織田・徳川勝利
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 勝因に大きく寄与
  @奥平貞昌→信昌(織田信長の信)
  A徳川家康の長女:亀姫を妻。
  B新城3000貫=15000石 




【4】新城城時代

・天正4年(1576)  奥平信昌は新城城を築城。

・天正8年(1582 ) 奥平信昌は天目山の戦いに出陣
  武田勝頼が自害・・武田氏滅亡。
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・天正10年(1584) 徳川家康から本領安堵&
  遠江国榛原郡を与えられた。

・天正16年(1580) 小牧長久手の戦い
   奥平信昌は手勢千余人を率いて首200余級の戦果を
あげた。豊臣秀吉の推挙で美作守、従五位下に叙された。
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 (★徳川家康の造った土塁)


◆◆ 箕輪初心●愛知【小牧山城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201206/article_5.html



・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃に出陣。  
 箱根の山中城攻撃
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 小田原城攻撃
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◆◆ 箕輪初心●神奈川【小田原城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_19.html



【5】上野:宮崎城時代
※徳川家康の関東入封・・
 
●奥平信昌は上州宮崎城(現群馬県富岡市
  富岡西中学校の敷地内)3万石
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(※富岡武蔵氏の案内・・・
 埋もれた古城さん・チエゾーいこまいさん・北緯36度
 さん、野口さん・私で散策)



◆◆ 箕輪初心●群馬【宮崎城&神成城(詰め城)】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_16.html


・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
奥平信昌は初代京都所司代・・・半年



◆◆ 奥平信昌の子孫 ◆■
【1】長男:早死に

【2】2男:宗家:12代奥平家昌
・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
徳川家忠に従軍し、第2次上田戦争の参軍。
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 上田城攻撃が失敗。

 宇都宮10万石城主→
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  古河城主→
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  宇都宮城主→

・享保2年(1717) 豊後中津10万石に移封。
明治に至っている。
※福沢輸吉は、奥平家の家来にあたる。



【3】3男:奥平忠政
・慶長6年(1601) 父:奥平信昌が美濃加納10万石の城主
奥平信昌が同行。・・・継承。


【4】4男:松平忠明
 ※奥平信昌の4子:奥平松平忠明は亀山城主
 松平忠明は、作手藩の初代藩主。
・慶長15年(1610)伊勢亀山藩に移封。
  作手藩は廃藩→天領。
・伊勢桑名藩
・武蔵忍藩の藩主として奥平松平忠堯が10万石で入封。
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 薩長東征軍は忍城を攻撃した時には、鳥居強右衞門の
 子孫の家老が、切腹して、76万両の借金を肩代わりさ
 せた。東征軍の奥州・会津戦争などへの基地になった。

・明治を迎えた。

◆◆ 箕輪初心●埼玉【忍城&のぼうの城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_6.html


【5】女・・・大久保忠常の室

  
 



★明日は、長篠城だ。

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箕輪初心●愛知【長篠城】=奥平信昌の先祖は群馬出身
★天正3年(1575)5月、武田信玄のあとをついだ武田勝頼は 西へ勢力を伸ばすために重要な拠点となる長篠城を1万5千 の軍を率いて包囲し攻撃した。城主奥平貞昌以下500の兵は 鉄砲200挺で攻撃に耐えたが、限界となったため、織田信長、 徳川家康へ救援を請うため鳥居強右衛門を岡崎へ派遣した。 鳥居強右衛門の決死の働きにより、5月18日、織田信長3万、 徳川家康8千=3万8千の援軍は長篠城の西方約4kmにあ る設楽原に到着し、連吾川に沿って陣を築いた。当時最強を 誇っていた武田... ...続きを見る
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2012/11/28 06:44

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