★6月3日、山形の新庄から舟で最上川を下る。 「五月雨を あつめて早し 最上川」 ★意味・・五月雨が最上川の支流から集まって来て 流れが、とてもはやいなあ。怖いよう。 最上川は 増水中である。凄まじい急流になっている。私もか つて乗ったが、渦を巻いて超怖かった。ちびちゃい そうだった。松尾芭蕉は途中で下船して出羽三山 に登り、鶴岡にいく計画を立てたのだ。 (★新庄市本合海・・・最上川乗船地) ◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉24『奧の細道13』【立石寺】 ◆◆ http://53922401.at.webry.info/201208/article_8.html ■6月3日=太陽暦7月21日 ○新庄発 ○角沢 ○本合海(もとあいかい)・・最上川最大の川港。 古口の船乗り場は「戸沢藩船番所」を模して 造られた。 ○最上川下り 【最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・ はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、 果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。 是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の瀧は 青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて 舟あやうし。】 11) 『 五月雨を あつめて早し 最上川 』(*最上川の河港大石田での発句を改めたもの。) ★私には「あつめて」という言葉が頭の中で支流が集まって くると想像した最上川であると思えるのだ。舟に乗って最上 川下る怖さは十分に表現できていない気がする。だって、 本当におしっこちびりそうだった。茶色く濁った最上川に、 煙のようにモクモクと盛り上がる渦・・・落ちたら、自由な んてない。異常な恐怖感があるのだ。その上、渦を巻く流れ @@〜〜@〜@に、舟がガクッ・ガクッ・ギシッ。ギシギシ と川の丘に乗り上げたり、梶操作とは違う別方向に向いたり しながら、進むのだ。 しかし、旅日記の中の句として松尾芭蕉の気持ちをちょっと だけ味わえる。松尾芭蕉の私も最上川下りを経験したからで ある。供に共感できているからである。俳句の価値は詠み手 と作られた俳句の読み手の共感や心理状態によって、更に深 まるのであろう。 紀行文を読まなければ、この句は今一歩だと思う。 齋藤茂吉は松尾芭蕉にあこがれて大石田に2年住んだのだ。 斎藤茂吉の短歌 「 最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも 」 齋藤茂吉 ●最上川下り@1981年7月31日・・職員旅行 古口から草薙温泉まで最上川くだりを楽しんだ。 船頭さんが「最上川舟唄」を歌ってくれた。でも、 「 夏の雨 集めて大河 最上川 渦巻く流れ 舟歌きけず 」 箕輪初心。 「 最上川 川の流れに 身を任せ 握りしめるは 軋む舟縁 」 箕輪初心 水の量で下る速さは違うが〜〜〜。 流れが緩くなって〜〜〜 「エ〜ンヤ ヨイトの マカショ エ〜ンヤ コラマカセ 酒田さ 行ぐさげ まめでろちゃ はやり 風邪など ひけねよに ◆◆ 箕輪初心:川下り怖かった順 ◆◆ 恐怖→スリル→刺激→楽しみ・・の順 1)最上川下り(山形県新庄市) ★怖かった。大河であった。 人生同様流れに逆らえない。 人間はちっぽけだった。 2)信濃川下り(長野県木島平・・・カヌー) ★静かそうだが、モクモクと湧き上がる川の流れ。 不気味である。一見、緩やかそうである。 3)球磨川下り(熊本県人吉市) ★水量が多かった。 4)天竜川下り(長野県飯田市) ★2011年、下りで人が亡くなった。 5)タリー川下り(オーストラリア・・ラフティング) ★スリル満点。眼鏡が飛んだ。 6)阿賀野川下り(新潟県) ★楽しめた。流れが少し穏やかだった。 7)保津川下り(京都府亀岡市〜京都) ★竹が届く範囲だが、水かかかる。 8)荒川川下り2回(埼玉県長瀞町) ★竹が届く範囲だが、水かかかる。 6)吉野川下り(徳島県池田市) ★大歩危・小歩危をのんびりと・・・。 〜〜〜 ●今の下船場所 ●当時の下船場所近く ○清川(下船場所)・・・清川小学校裏 ○清川関所 手形なしでトラブル発生。 ●清河八郎記念館・・・前だけで、残念。 ★個人的に、尊敬する小栗上野介を攻撃しようと した人物なので、好きではない。大嫌いじゃ。 ○清川発→ ○狩川 ○羽黒山の手向(とうげ)。:午後4時頃 ○羽黒山へ 【六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、 別当代会覚阿闍梨に謁す。南谷の別院に舎して、 憐愍の情こまやかにあるじせらる】 ○羽黒山五重塔・・慶安五年(1372)の建立。国宝。 白木造りで柿葺(こけらぶき)、高さは29.4m。 ・参道を3分の2ほど登ると脇へ入る道を進む。 当時は300軒以上の山伏経営の宿坊があった。 *目的は「其角門下の図司左吉(呂丸)に高野一栄の 書いた会覚阿じゃ梨に当てた手紙を渡すこと」 呂丸→会覚(羽黒山で一番偉い人かbQ)への 紹介状を持っていた。 「紫苑寺の宿泊指定・・・超特別なお偉いルート」 ○羽黒山南谷の紫苑寺宿泊 ■6月4日=太陽暦7月22日 【四日、本坊にをゐて俳諧興行】 ○羽黒山宿坊 ・昼食は会覚の蕎麦切りご招待 ・句会・・・7人(芭蕉・曾良・呂丸+僧4人) ○羽黒山南谷の紫苑寺宿泊 ■6月5日=太陽暦7月23日 【五日、権現に詣。当山開闢能除大師は、いづれの代の人と 云事を知らず。延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、 「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山」を中略 して「羽黒山」と云にや。出羽といへるは、「鳥の毛羽 を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。月山、湯殿 を合て三山とす。当寺武江東叡に属して、天台止観の月 明らかに、円頓融通の法の灯かかげそひて、僧坊棟を ならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。 繁栄長にして、めで度御山と謂つべし。】 (★羽黒山の無料画像) 『 有難や 雪をかほらす 南谷 』 ・句会の続き・・・ ・(夕食後)羽黒山神社・・・2446段の石段。 参道の両側には樹齢400年からの杉並木。 『 涼しさや ほの三か月の 羽黒山 』 ○羽黒山南谷の紫苑寺宿泊 ■6月6日=太陽暦7月22日 ・芭蕉と曽良は装束を整えて、準備。 ★羽黒山南谷の紫苑寺→(馬で)・・・ ★一合目 ★二合目 ★三合目 ★四合目 ★五合目 ★六合目 ★七合目 高清水→歩きで出羽三山の月山へ。 ★八合目 ★九合目 ★月山山頂・・・芭蕉は1984m登山しているのだ! ※月山は、「羽黒修験道」で知られる出羽三山 (月山・羽黒山・湯殿山)の中心的な山である。 三所権現=出羽三山は 羽黒山(本地仏は聖観世音菩薩=観音浄土=現世) 月山(本地仏は阿弥陀如来=阿弥陀浄土=死後) 湯殿山(本地仏は大日如来=大日寂光浄土=未来) ※三所権現の3つの参拝のご利益は、 「生きながら死後の体験をして生まれ変わる。」 @松尾芭蕉は「羽黒山から馬に乗り、途中から、歩いてきた。 山頂で宿泊し、羽黒山の御神体と神社と参詣し、再び、 山頂小屋に泊まった。」と本に出ていた。 また、「雲霧山気の中に氷雪を踏み越えて登ること八里、 息絶え身凍えて、頂上に至れば、日没して、月顕わる。」 松尾芭蕉は、死んだ先を見て、今の自分をどう生きようとしたのか? この後、松尾芭蕉は羽黒山に戻って宿泊した。 (★月山の無料画像) A月山の山頂角兵衛小屋:いつの間にか夕刻。 『 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 』 ★意味・・月山の空に黙々と山の峰のように入道雲が 出ていたが、夕方になって、月山の名前の通り、 月が山を照らしている。 *小屋の宿泊費は高かった。 そして、笹の布団に篠の枕・・・・ ○月山泊 ▲▲ 番外編:奧の寄り道【月山】 ▲▲ @2005年8月2日・・・佐渡小木ダイブ・鳥海山後 05:00 鳥海山の外輪山最高峰の七高山2229m 06:00 朝食 象潟遠望 2時間で下山。 08:00 鉾立・・・月山に向けて出発 11:00 ★湯殿山神社→(バス)→ 12:00 湯殿山神社 奧の御神体見物 第1酸化鉄を含んでいるので、茶色なのだ。 霊験あらたかな湯が岩を流れてくるのだ。 裸足になって、ご神体を踏ンだ?・・ ・御神体は撮影禁止であった。足湯で面白かった。 「湯殿山 本体は何か 知らざれば 夏の暑さと 御湯の熱さ」箕輪初心 ★湯殿山御神体の入場料は500円 ・手前で、靴下を脱ぎ、足湯気分で一周した。 御神体=大きな赤い岩(高さ10m×幅15m) の温泉の湯 14:00 姥沢リフト 「月山へ 芭蕉は馬と 山歩き 俺はリフトで 夏登山」 箕輪初心 15:00 牛首 雪渓の上で、スキーの軍団 「雪恋し 夏でもスキー 月山で 雪解けまだかと 待つヒナザクラ」 箕輪初心 15:30 お花畑でアサギマダラ発見 「一面の コバイケイソウ 独占め アサギマダラは 旅立ち準備」 箕輪初心 *群馬県の昆虫学会発表「戦争の 思いが残る 月の山 時代錯誤か 八紘一宇 」 {@アサギマダラは群馬片品村丸沼から放つと 屋久島や喜界島まで約1000km?の旅}ホントだよ。 {A2007年8月湯ノ丸高原マーキング会のアサギマダラ は、3月後、1000km先の喜界島(鹿児島県)で捕獲。} 15:40 月山山頂1984m 月山神社「八紘一宇」・・・「第二次世界大戦か?」 「戦争の 思いが残る 月の山 時代錯誤か 八紘一宇 」 箕輪初心 「月の山 下山は一人 寂しさに 芭蕉を思う 夏の夕暮れ 」 箕輪初心 16:00 下山・・・ 17:00 駐車場 21:00 家 (写真は、パソコン故障で全くなし) A深田久弥は「羽黒と湯殿は山として論じるには足らない。 ひとり月山だけが優しく高く立っている。」と書いている。 ■6月7日=太陽暦7月23日 湯殿山神社の往復 ○月山→ ・牛首・・・「ふり積雪の下に埋もれて、 春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし」 金森氏は「タカネザクラ(木)」というが、木ならば チシマザクラ(日本海要素)であるが、これは、 「ヒナザクラ(草ハクサンコザクラ・)」の東北変種。 ・・・紫でなく白いコザクラ(草本)なのだ。 ○湯殿山(ゆどのさん)の御神体 『 語られぬ 湯殿にぬらす たもとかな 』 湯殿山神社奥の院・・・なんと、御神体は 「茶褐色のゴツゴツした大きな岩&温泉水=神滝」だった。 松尾芭蕉も、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 の句を詠ん でいる。松尾芭蕉が「奥の細道」150日の旅の半ばで、 出羽三山を必死巡礼した。芭蕉はがっかりした? ○湯殿山神社泊 ■6月8日=太陽暦7月24日 【八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭 を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪 を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやし まれ、息絶身こごえて頂上に臻れば、日没て月顕る。 笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば、 湯殿に下る。 谷の傍に鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、ここ に潔斎して剣を打、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。 彼竜泉に剣を淬とかや。干将・莫耶のむかしをしたふ。道 に堪能の執あさからぬ事しられたり。岩に腰かけてしばし やすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあ り。ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わ りなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の歌の 哀もここに思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。惣て、此山中の微 細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとどめ て記さず。坊に帰れば、阿闍梨の需に依て、三山順礼の句 々短冊に書く。 】 『 涼しさや ほの三か月の 羽黒山 』 『 雲の峰 幾つ崩て 月の山 』 『 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 』 『 湯殿山 銭ふむ道の 泪かな 』 曾良 ○湯殿山神社?→月山?日程が分からず。 ■6月9日=太陽暦7月25日 ○月山?→羽黒山 ○羽黒山紫苑寺泊 |
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箕輪初心★松尾芭蕉25『奧の細道12』【鶴岡・酒田】&●3城&▲鳥海山
★松尾芭蕉は鶴岡→酒田→汐浦→遊佐→三崎峠 と旅を続けた。 「江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責。 酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、 いさごをふみて其際十里、 日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、 雨朦朧として鳥海の山かくる。 闇中に莫作して、雨も又奇也とせば、 雨後の晴色又頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて、 雨の晴を待。・・・」 芭蕉 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2012/08/13 09:02 |
箕輪初心●山形【新庄城】&松尾芭蕉の最上川舟下り
★新庄城には奥の細道紀行2008年7月19日〜21日のおまけ で登城した。新庄城は新庄盆地中央部を流れる中之川と指首野川 にはさまれた合流地点に位置している。最上川は山形県・福島県 との境にある吾妻山が源である。山形県中央部を北に米沢→上山→ 山形→天童→大石田→村山→尾花沢→と流れる。新庄で西に向きを 変え酒田で日本海に注ぐ。229kmの流れである。★松尾芭蕉は新庄で 最上川下りをした。怖かっただろうな。実は私も怖かった思い出がある。 ★今回も松尾芭蕉の復刻版である。 ... ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/12 05:20 |
箕輪初心▲羽黒山の記憶&松尾芭蕉の出羽三山
◆羽黒山山の隋神門〜▲山頂までは約1時間程で行ける。羽黒山の 美しい杉並木や見所を眺めながら、登った。でも、行ったのは昔の ことで記憶が曖昧なのだ。TVの「片岡鶴太郎さんの羽黒山」や 「いい旅夢気分」の画像を見ながら、思い出してみた。 今回も松尾芭蕉「奧の細道」の復刻版である。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/13 05:39 |
箕輪初心▲『月山』=ヒナザクラ&アサギマダラの話
★平成15年(2005)の夏:7月30日〜8月2日は佐渡ダイビング& 鳥海山登山&月山登山をした。なんと無謀な計画だったことか? まるで若者のようだった。私は月山で、雪渓の残る雪田でヒナザクラ を愛で、アサギマダラの旅立ちを目の当たりにした。松尾芭蕉の奧の 細道を思い出しながら、山行した。でも、山頂の「八紘一宇」には、 もっとビックリだった。遠い昔の懐かしい思い出を振り返ってみた。 ★今回も箕輪初心:松尾芭蕉「奧の細道」シリーズ復刻板となった。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/14 04:40 |
箕輪初心●山形【鶴岡城】&藤沢周平&高山樗牛
★山形県鶴岡市は大学吹奏楽部4年の合宿地・演奏会のの地 である。むし歯で合宿中に歯医者通いをして、そのまま放っておい たら、歯の根が腐り、現在の200万円の前歯を入れるきっかけにな った。奥の細道紀行2008年7月19日〜21日の途中で鶴岡に宿 泊したのだった。鶴岡城・致道館の外観を見た。藤沢周平&高山 樗牛が鶴岡市出身だと知った。今回も松尾芭蕉の復刻板である。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/15 08:08 |
箕輪初心●山形【大山城】&加茂ダイビング&鶴岡水族館
★奥の細道紀行2008年7月19日〜21日の一貫として、鶴岡に 宿泊。その後、【大山城】&加茂ダイビング&鶴岡水族館、そして、 クラゲ定食のランチとなった。鶴岡のダイビングショップで支払い となった。戦国時代、尾浦城→大山城は上杉景勝や最上義光の争っ た場所である。江戸時代には松尾芭蕉は酒田の帰りに泊まった場所 である。鶴岡水族館はクラゲの世界一の水族館である。今回も松尾 芭蕉の復刻版である。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/17 05:25 |
箕輪初心●山形:東禅寺城→酒田城=亀ヶ崎城&山居倉庫
★奈良時代、鶴岡・酒田は出羽の中心地として発展した。酒田は 羽後の支配のため、柵が築かれた。湊も整備された。鎌倉時代、 武藤氏が入部した。東禅寺城→酒田城→亀ヶ崎城と名を変えた。 ★奥の細道紀行2008年7月21日、本間家訪問後、酒田城に 行った。酒田東高校の敷地が城だった。酒田東高校には入りづ らかったが、ちょっと散策させていただいた。土塁が残っていた。 ★松尾芭蕉は「奧の細道」で、行きに2泊、帰りに6泊している。 ★河村瑞賢の港整備により、さらに海運業の発達した。酒田港... ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/18 06:38 |
箕輪初心◆山形:酒田【土門拳記念館】&『とびしま』&海洋センター
★鳥海山の2回目の登山の後に、酒田の「土門拳記念館」に寄った。 「土門拳記念館」は庭園や建物、そして、作品も凄かった。私は 土門拳の「古寺巡礼」の写真集を何度か図書館で見た。でも、仏 像写真だけではなかったのだ。「ヒロシマ」や「昔の農村風景」 「子ども」などテーマは複雑だ。それから酒田港の『海鮮どんや とびしま』に行った。安い・旨い・混みすぎの3拍子揃った店だ った。隣の海洋センターはそれなりに楽しめた。飛島にダイビン グに行きたいと思った。 ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/19 05:50 |
箕輪初心●山形『松山城=松嶺城』&山形の海水浴場
★平成25年(2008)7月21日は参議院議員の投票日である。 群馬の私の地区は加賀谷富士子:民社党新・山本一太(自民) ・安永陽(幸福新)・店橋世津子(共産新)が候補者である。 比例代表の選挙もある。・・・結果はどうなるのかな? ★松山城の大手門」は山形県指定文化財である。松山城の大手 門は巨大で重厚であった。 松山藩は庄内藩初代藩主:酒井忠 勝の3男:忠恒が2万石を分地され、松山藩が成立した。つまり、 松山陣屋は鶴ヶ岡城の支城として築かれたのである。松山城にな ったは、... ...続きを見る |
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー... 2013/07/21 07:05 |
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