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zoom RSS 箕輪初心★松尾芭蕉Q奧の細道F【須賀川】&▲磐梯山&西吾妻山

<<   作成日時 : 2012/08/05 18:32   >>

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☆やっと、韓国フリー【雪岳山&束草ダイビング&利川の
焼き物】の旅から帰ってきた。韓国でもTVはオリンピック
一色で韓国人選手の活躍ばかり見た。日本人選手の活
躍は全く情報がなかった。スマホ世代でないのが苦しい。
★《陸奥(みちのく)》へと足を踏み入れた松尾芭蕉。
私は鏡石・須賀川・福島信夫に行ってないので、資料
が脇道ばかりである。『奧の寄り道』になっちゃったのだ

曾良は私と似たメモ魔?+松尾芭蕉は
未熟なルポライター?&一筆講釈師?と思って
いるは私だけだろうか?

画像

 (★酸性雨にいじめられた松尾場城&曾良)


◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉P奧の細道E【那須〜芦野】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_1.html

4月20日=太陽暦6月7日
○旗宿に宿泊?(白板宿には行かなかった説あり)
松尾芭蕉・曹良は白河の古関跡を求めて旗宿に泊まった。
松尾芭蕉は宿の主人から、旗宿にも関の明神があると教え
られた。


4月21日=太陽暦6月8日
○旗宿発
○明神祠・・・草木が鬱蒼と生い茂る場所だった。

○白河の関・・やっと探し当てた陸奥の玄関口
 白河の関は廃されて朽ち果てた関所だった。
 平兼盛も能因法師も、この関所を越えて奥州に入ったのか
 と遠い平安時代の歌人達を偲んだ。 
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【心許なき日かず重なるまゝに、白川の関にかゝりて旅心定り
 ぬ。いかで都へと 便り求しも断り也。
 中にも此関は三関の一にして、風騒の人心をとゞむ。
 秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。
 卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞす
 る。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置
 れしとぞ。】 芭蕉

★意味は・・
「気持ちがあせって落ち着かない旅の日数を重ねているうちに
いつのまにか『白河の関』に来てしまった。旅を続けようとい
う気持ちも定まった。何とかして、都の人々にこの素晴らしい
景観を手紙で知らせたいと思った昔の人々の話も当然である。
数ある関所の中でもこの白河の関所は、奥州三関(常陸の勿来
の関・出羽の念珠(ねず)の関)の1つであり、たくさんの歌
人=風流人が訪れて、様々な感動を伝えている。
『秋風』を耳にし、『紅葉』の姿を面影に浮かべながら目の前の
青葉の梢は、一層趣きが感じられる。
今は、卯の花(ウツギ)が真っ白に咲き、そこに茨(イバラ)が
加わってまるで雪の中にいるようだ。
古人、竹田大夫国行がこの関所を越えるとき冠を被り直し衣装を
改めたなど、藤原清輔の筆でも書き置かれたと言うことだ。


「卯の花を かざしに関の 晴着かな」曽良
★意味・・この辺りに咲く卯の花を正装の晴れ着の代わりに飾っ
 て、この関を越えることとしよう。
曽良は、白河の関を通る時、古人は冠を正し、衣装を改めた
 話を受けて・・・せめて卯の花を冠の代わりに髪にかざして
 関を通ることにしようと思ったのだった。

神社の前の『古歌碑』・・芭蕉が引用した3つ和歌。
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@「都をば 霞とともに 立ちしかど 
     秋風ぞふく 白河の関」
           能因法師(後拾遺集)

A「都には まだ青葉にて 見しかども 
    紅葉散りしく  白河の関 」   
            源頼政(千載和歌集)

B「見て過ぐる 人しなければ 卯の花の咲ける
   垣根や 白河の関 」  藤原季通(千載和歌集)

★白河の関・・・@2007年4月7日桜散策4人旅
 お祭りで、ニジマスのつかみ取り           
 カタクリとアズマイチゲ
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「 桜どこ 4人で出かけ カタクリと 
   芭蕉に出会った 白河の関」
 箕輪初心の駄作

○関山620mの満願寺
  (★金森説では行っていない)

○白河宿・・・中町の左五左衛門を訪問


白河小峰城・・・【奥の寄り道】
 見所・・・復元天守閣200円・春の桜・夏の薔薇
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南湖公園・・・松平定信が造られせた公園
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【とかくして越えゆくままに、阿武隈川を渡る。】
○ミニ宿場7つ

○矢吹宿泊・・・ 
     

4月22日=太陽暦6月9日
○矢吹宿発
【左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄・
 常陸・下野の地をさかいて山連なる。】 

○鏡石
○影沼
【影沼といふ所に行くに、今日は空曇りて物影映らず。】

○須賀川・・・奥州街道の宿場で商業の中心地。
「須賀川の駅に等窮といふものを尋ねて、四、五日とどめら
る。先ず「白河の関いかにこえつるや」と問ふ。
「長途の苦しみ、身心疲れ、且は風景に魂うばわれ、
懐旧に腸(はらわた)を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。」


「風流の 初やおくの 田植うた 」

「無下に越えんもさすがに」と語れば、脇・第三とつずけて
三巻となしぬ。


○須賀川宿の相良等躬(とうきゅう)宅に逗留。
  ・・・当地俳壇の中心人物で、芭蕉と旧友。
 夜の3人の句会

5) 『 風流の 初やおくの 田植うた 』
 ★意味・・・陸奥(みちのく)に入って、風流の
一番はじめが 田植え歌だった。
娘さん達がそろいの支度で、揃って田植えを
していたのであろうか?エロ爺かな?
 ・・上毛カルタ(群馬)
 「そろいのしたくで 八木節音頭 」が蘇ったのだ。
 またまた、勝手な想像は楽しい。
 どんな偉い学者が何を言おうと松尾芭蕉をに会った
 人は誰もいない。人物像そのものが架空の領域な
 のだ。日本の原風景の田植えの共同作業は、
 当たり前だったのであろう。明治に入ってからの
 新潟での寒い地方での農林1号〜始まり、コシ
 ヒカリへの品種改良前・・・。「やませ」を承知で
 米生産に取り組んだのであろう。
 私はいつも車で通りすぎてしまうのである。
 


×須賀川芭蕉記念館
  開館時間 朝9時から夕5時
*牡丹園


4月23日=太陽暦6月10日
○朝〜昼過ぎまで等躬宅に居た。

○夕方に可伸の家を訪れた。
可伸は俳人で、号を栗斎といった。可伸庵は等躬宅より
四、五軒南の裏通りに近いところにあり、其処に大きな
栗の木があった。可伸はそこに隠棲していて、僧可伸と
いわれたが寺の僧侶ではなかったらしい。
○可伸庵からの帰りに、近くのお寺と八幡様を参拝した。
可伸庵から数軒ほど南に徳善院があり、可伸庵の西裏に
は岩瀬寺と八幡社があった。
○須賀川宿泊


4月24日=太陽暦6月11日
○等躬の家の田植え 
 相楽等躬宅は田植えの日であった。
 江戸時代の商人は町で商いをしながら、近くに田畑を
 持ち農耕をしていた。田植えも家人たちの手で行っていた。
○昼過ぎになるのを待って可伸庵を訪れた。
【此宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ
 僧有。橡ひろふ太山もかくやと閧ノ覚られて、ものに書
 付侍る。其詞、
   栗といふ文字は西の木と書て、西方
   浄土に便ありと、行基菩薩の一生
   杖にも柱にも此木を用給ふとかや。


「 世の人の 見付ぬ花や 軒の栗 」
○句会
須賀川の俳人達が集まっていて松尾芭蕉を迎えた。
芭蕉は、可伸の静かな生活ぶりとその人柄に心を打たれた。
ちょうどその日は、可伸庵脇の栗の木が花をつけはじめて
いたので、
「隠家やめただぬ花を軒の栗」
と発句をつくった(「曽良旅日記」)。
この発句を受けて、同席の七人で歌仙を巻いた。
 「隠れ家や 目にたたぬ花を 軒の栗」
    ↓
 「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」 

歌仙が終わってから、祐碩がそばをふるまった。
午後から雷雨であったが、日暮れには止んでいた。




4月25日=太陽暦6月12日・物忌み・・・蝉吟(伊賀での主人)の祥月命日
・等躬の物忌の日・・・等躬は斎戒して飲食の火も別にきり
 出した火を用いていた。
○須賀川宿泊


4月26日=太陽暦6月13日
26日は小雨が降った。この年は雨が多く、芭蕉が須賀川に
滞在中も曇りの日が多く、24日、26日と雨であった。
○須賀川宿泊

  
4月27日=太陽暦6月14日
・27日も曇りであった。 
・松尾芭蕉と曽良は須賀川の俳人達芹沢と
滝へ行った。
○芹沢の滝(須賀川市の朝日稲荷神社の西)
・雨で出発延期決定・・(阿武隈川の増水)
○須賀川宿泊


4月28日=太陽暦6月15日
○須賀川宿の相良(宿駅業)宅・・・・   
28日は出発の日であったが、矢内彦三良が来て
出発は延期
となった。
「須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝といふあるよし。
行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比の雨にみかさ増りて、
川を越す事かなはずといゝて止ければ さみだれは滝降り
うづむみかさ哉 翁
案内せんといはれし等雲と云人のかたへかきてやられし。
薬師也。」(「曽良旅日記」)
 
松尾芭蕉と曽良は須賀川から守山へ行く予定であった。
守山に行くのには、三春街道を行くとすぐ近くなのだが、
等雲(吉田祐碩)の勧めで石河の滝(乙字ケ滝)を見て
から守山に入ることになった。
ところが、連日の雨で川を越すことが出来ないからと、
一日延期したのである。
午後は矢内彦三良宅に行って、夕方まで彼の家で遊んだ。
矢内彦三良は矢内弥一右衛門、素蘭の係累の者で、
素蘭もその席にいた。
帰りには十念寺を参詣し、さらに諏訪
明神(神炊館神社)まで行った。
○雨で出発延期・・・・(阿武隈川の増水)
○須賀川宿泊


4月29日=太陽暦6月16日
○須賀川宿の相良(宿駅業)宅・・・・
   無料の馬で・・・
○乙字ヶ滝
29日は珍しく快晴であった。十時ごろ須賀川を
発って石河の滝(乙字ケ滝)に向かった。滝壺のやや
下流は床滑になっており、其処は徒歩で渡れるのだが、
この日は水量が多くて渡れなかった。
やむなくさらに下流の渡舟場を渡り、1kmも上に登
って滝の南岸に着いた。滝の水かさが増しており、
阿武隈川の川幅いっぱいが滝となっている豪快な眺め
であった。
石河滝を見てから、芭蕉と曽良は再び道を引き返した。
ここで阿武隈川に別れ、山間の街道を守山へと向かっ
たのである。
○小作田村=阿武隈川東岸の宿場で「馬次」=宿駅
○守山

○郡山宿泊       

猪苗代湖


野口英世生家
 「てんぼう=手が不自由」とやけどで指がくっついたこ
 とでいじめを受けた野口清作。後に、黄熱病のワク
 チンを造った偉大な学者である。エクアドルで自分が
 黄熱病にかかって死んだ。
 
福島・エクアドルの写真がない。残念。




会津磐梯山
「会津磐梯山は〜 宝〜の〜や〜ま〜よ〜〜〜〜。」
2010年夏bR福島の山旅 (7月30日・7月31日・8月1日)
▲bV4磐梯山&▲bV5西吾妻山&▲平が岳2回目
7月30日(金)
家=高崎IC=太田IC=佐野IC=郡山JC=猪苗代磐梯高原IC 
@猪苗代城
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伊達政宗が猪苗代氏を味方に抱き込み、
  会津の蘆名が伊達に負けたのである。
  伊達政宗は宮城・福島をぶんどったのだ。



A猪苗代歴史ふるさと館・・・スタッフが説明。     
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磐梯山は標高は1819m。
 1)9万年前頃の翁島火砕流堆積物と5万年前頃の頭無火砕流
   堆積物によって、猪苗代盆地の河川が堰き止められて、
              古猪苗代湖が出現した。
 2)大同元年(806)・・大噴火。2000m級の富士山のような山だったが、
   噴火で磐梯山頂部分がふっとんで、
      大磐梯、小磐梯、赤埴山、櫛ヶ峰の4峰になった。
 3)明治21年(1888)・・・大噴火。発生した爆風と岩屑なだれにより
    北麓の集落が埋没するなどの被害を及ぼした。
    477人の死者を出した。また長瀬川とその支流がせき止められ、
    桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼などが形成された。
    (★パンフレット・ウキペディアを参考に作成)

●磐梯山の6登山ルート・・・猪苗代町の登山パンフレットを見ながら、
 @猪苗代表登山口・・・・登山口の猪苗代スキー場〜標高差1000mの急登
             表磐梯展望抜群のコース。南側なので夏場は暑い。
 A翁島登山口・・・押立温泉〜猪苗代リゾートスキー場〜ガレた尾根の直登。
 B渋谷登山口・・・櫛ヶ峰の東尾根の樹林帯を登る。標高差が最も大きい。
 C川上登山口・・・国道459号線の川上温泉バス停近くが川上登山口。
             磐梯山のガレ場の爆裂火口壁を登るコース。
            樹林帯を抜け火口原と櫛ヶ峰の西肩を経由して山頂
 D裏磐梯登山口・・登山口は裏磐梯スキー場の右端。
         ※中ノ湯で八方台口からの道と合流するコース。
         ※川上口合流点を経て爆裂火口壁を登るコース。
 E八方台登山口・・最も手軽な1100m地点から標高差700mで、
         山頂まで2時間。
         登山口は磐梯ゴールドライン730円の最高地点・・・50台。
●深田久弥の「日本百名山」(新潮社)の磐梯山・・・表磐梯&裏磐梯コース
   (上り)猪苗代スキー場 → 鏡沼 → 沼ノ平 → 弘法清水 → 山頂。
   (下り)山頂 → 弘法清水 → 中の湯 → (裏磐梯スキー場)→ 檜原湖。
 「沼ノ平から旧河口壁を登りきると、草原風の広い尾根になり、
 やがて弘法清水という甘露の水の湧き出ている所へ着く。」



10:00 八方台登山口・・・有料道路の途中の最高地点。
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10:30 八方台登山口の駐車場・・・約50台停車可能。トイレもある。
                   磐梯山と猫魔ヶ岳・雄国沼へも行ける。
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10:45 八方台登山口1100m・・・磐梯山への登山開始。
      「八方台登山口から中の湯まで1.1km」の表示
      しばらくは緩やかなバラス道・・・ブナ林を進む。
      約15分程で「中の湯」となる。
11:00 中の湯・・二酸化硫黄 
      硫化水素の温泉が噴出している。
     「磐梯温泉:中の湯」・・・旅館跡は廃墟になっている。
     「弘法清水まで1.7km」と表示。
画像

      急登になった。弘法清水までは約1時間かかる。
11:30 火口壁の頂・・・視界が広がった。
      遠くは雲に覆われている。
      眼下には、裏磐梯の檜原湖・小野川湖・秋元湖
      ロープ柵の下は銅沼や火口原・火口壁が見える。
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      次第に、大きな樹木が少なくなって,笹林になった。
11:45 分岐・・右:弘法清水に直行,左:お花畑経由弘法清水
      お花畑経由・・・約100m遠いだけである。
11:50 弘法清水4合目・・・売店が2つある。
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      弘法清水・・・塩ビ管から清水が出ている。清水の冷たさに感動。
      「弘法清水山小屋」・・・なめこ汁300円
      弘法清水から裏磐梯の眺望は最高である。
      弘法清水への入り口脇に,頂上までの登山道がある.
      「頂上までは約25分」
12:00 急登が続く。一気に頂上まで登った。
      時々、荒々しい岩肌の絶景が見れる.
      ガレ場になってきた。頂上までもうすぐだ。     

12:15 頂上到着.頂上は5合目・・噴火前の磐梯山によるものか?
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      頂上に祠が建っている。
      山頂には似合いのカップルがいた。「こんにちは」
        男性は20代のマッチョ系で、山スタイルであった。
        女性は30代のファッショナブル系で、海スタイルであった。
      2人は愛想がよかった。
      「他人の思い出に入り込むのが趣味?
       思い出に入り込んでもいいですか。」と
     2人が言ってきた。楽しい方達だった。
     一緒に写真を撮っていただいた。
画像

「30℃ 湿度100の 磐梯山 眼下の湖 暑さを忘れ」

「磐梯山 歴史を語る 石祠 表は優雅 裏は厳粛」
      ※登り標高差700mで、山頂ま2時間を1時間30分          

12:40 山頂下山→弘法清水:岡部小屋:バッジ500円で購入。
      弘法清水・お花畑・・裏磐梯の「檜原湖」見ながら・・    

13:40 「磐梯温泉:中の湯」・・・・・湯旅館跡は廃墟になっている。
       硫化水素の温泉の湯は熱くなかった。噴煙もない。
       温泉湧出箇所は底が泥となっている露天風呂である。
       登山道から丸見えだが、露天・秘湯ファンなら服を
       脱ぎたくなる。

      でも、硫化水素の濃度が高いので、くらくらしてきた。 
       近づかないほうが賢明である。

13:50 八方台登山口
       ※下山コース1時間40分を1時間10分
      
14:20 C五色沼 
      D檜原湖
      E白布峠(岩崎ちひろ記念碑)・・・西吾妻山が見える。
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        小学2年の時、父は浜田広介全集15巻と
        日本の歴史全集6巻を買ってくれた。
        「泣いたあかおに」「りゅうの目のなみだ」など、
        何度読んだことか。

      ●白布温泉・・・天元台スキー場
      ★昔あこがれたスキーデモの佐藤正人の地元だ。
16:00 3)米沢市散策     
     F照陽寺・・・関東管領:上杉憲実
      (上杉謙信に上杉&管領を譲った人・群馬藤岡の平井城)
     G上杉神社・・・朱印300円
     H上杉家御廟所・・・上杉家歴代の墓 200円
     I林泉寺・・・・・・上杉家奥方の墓・直江兼続の墓など100円
     J旧米沢工業高校校舎(国史)

17:50 ●白布屋・・・古くさかった。
      山形県米沢市関1514-2 0238-55-2006
      K白布温泉・・・中屋不動閣の露天風呂
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      L民宿白布屋・・山形県米沢市関1514-2
        0238-55-2006 6800円  
      ※米沢牛・・・肉嫌いなのに、美味しかった。
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       ※主人:上村氏はスキー国体選手・55歳からマラソン開始とか?
       100kmマラソンやインド・ネパールなどの山岳マラソンに参加
  ※米沢八湯・・・日本有数の秘湯地帯。
    八湯は吾妻山の北側山麓に点在。
   白布・新高湯・大平・姥湯・滑川・五色・湯の沢・小野川
   6湯が標高900mから1100mの山間部。
   5湯が一軒宿・3湯が自家発電の宿。
  ※白布温泉は標高900mの高地に湧く温泉。
   米沢藩中興の祖で第九代藩主:上杉鷹山が入浴(伝)。
   平成12年(2000年)中屋から出火。
         茅葺の宿:中屋・東屋が火災。西屋だけ茅葺きが残存。
   現在・・・旅館ホテル7軒、民宿1軒、ペンション1軒、公共の宿3軒。
   @西屋・宿泊料金は12,000円〜18,000円(2010年7月現在)
       0238-55-2480 日帰り入浴は12時〜15時30分。500円。
   A東屋・・宿泊料金は11,000円〜18,000円(2010年7月現在)
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7月31日(土) 
05:00 起床
07:00 朝食
07:45 駐車場
5)M百名山bV5西吾妻山・・初トライ。土曜日・日曜日8:00〜
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08:00●天元台ロープウエイ駅・・20分ごとに運行 ゴンドラ
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    天元台ロープウエイ、及びリフト(3基)
     ●北望台
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●人形石→お花畑
     ●大凹
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p://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/783/66/N000/000/038/134420602478913101289_ym75azuma20100731n06.JPG" target="_blank">画像
     ●天狗岩
10:30▲西吾妻山2038m
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      ●西吾妻山下山→山形テレビの取材→
13:00 ●天元台ロープウエイ駐車場

13:20 ★新高湯温泉・・・日帰り入浴500円 「日本秘湯の会」
★太田酒店・・・裏:雅山流・東光を購入。
13:45 ★吾妻屋・・・・・ざるそば 680円
14:15 山形:白布温泉→猪苗代IC=新潟:小出IC=銀山平


会津関係は会津西街道編でいつか紹介したい。

★明日も続く。

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