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zoom RSS 箕輪初心★松尾芭蕉33『奧の細道22』【金沢・小松】&My金沢城登城

<<   作成日時 : 2012/08/26 05:46   >>

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今日は、村の旅行で、袋田の滝に行くのだ。楽しみだ。
私は残念ながら、金沢での松尾芭蕉の追跡はしていな
い。従って、金沢の旅行を中心に書くことにする。

○太陽暦8月29日、まだ残暑がきつかった。
松尾芭蕉は木曽義仲が活躍した古戦場倶利伽羅峠・越中と
加賀の国境を越え、金沢に未ノ中刻(午後2時20分頃)
金沢=加賀百万石の城下町に入った。松尾芭蕉と曾良
は、金沢城下北の浅野川のほとりの京屋吉兵衛宅に宿を
とった。 

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 (★金沢城)

◆◆ 松尾芭蕉32『奧の細道21』【越中路】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_16.html


◆◆ 番外編:奧の寄り道【金沢城他】 ◆◆
@平成2年(1990)3月30日・31日
●金沢城
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芭蕉句碑前で夕食
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・忍者寺=妙立寺


A平成21年(2009)5月3日・・・奥の細道
●金沢城
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 ・近江市場 
 ・兼六園
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金沢の駐車場のおじさんが7軒のビジネスホテルに
宿探しの電話して下さった。〜〜 感動物だった。
金沢で探しても21:00までかかった。
石川県人は信用できるのだ。温かかった。
しかし、宿はなかった。
結局、金沢西ICのサウナ風呂付きの宿であった。


B平成23年(2013)3月21日
●金沢城
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 ・近江市場=のどぐろ定食
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 ・金沢城
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 ・兼六園
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  ・野々市の富樫氏の城
 

●劔神社の芭蕉の句碑
松尾芭蕉がいつ行ったのか不明である。
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・白山比盗_社(白山市)
●鳥越城
●一向一揆の里
城紹介はいつになることやら?


7月15日=太陽暦8月29日
【十五日 快晴。高岡を立。埴生八幡を拝す。源氏山、卯の花
山也。くりからを見て、未ノ中刻(午後2時20分頃)、金
沢に着。京や吉兵衛に宿かり、竹雀一笑へ通ず。艮刻、竹雀
牧童同道して来て談。一笑、去十二月六日死去の由。】曾良

★意味・・・宿から、会うのを楽しみにしていた金沢の俳人:
小杉一笑に使いを出したところ、竹雀、牧童が訪ねてきて、
一笑は昨年12月6日(36歳)に亡くなったと聞かされた。
「7月15日、金沢。芭蕉は当地に住む愛弟子の一笑との
再会を楽しみにしていたが、前年冬に他界していた。

「卯の花山倶利伽藍が谷を越えて、金沢は七月中の五日なり。
ここに大坂よりかよう商人可処といふ者あり。それが旅宿を
ともにす。一笑という者は、この道に好ける名のほのぼの聞
こえて、世に知る人もはべりしに、去年の冬早世したりとて】

・「一笑」・・・葉茶屋で、芭蕉の弟子
○金沢泊@ 京屋
 (7月15日から24日の9日間は金沢泊)

その兄追善を催すに、
「 塚も動け 我が泣く声は 秋の風 」

  ある草庵にいざなはれて
「 秋涼し 手ごとにむけや 瓜なすび 」

  途中吟
「 あかあかと 日はつれなくも 秋の風 」

  小松という所にて
「 しをらしき 名や小松吹く 萩すすき 」



7月16日=太陽暦8月30日
松尾芭蕉は片町で旅宿を営む俳人宮竹屋竹雀(ちくじゃく)
の招きを受け、宮竹屋を金沢の宿とした。
金沢の大勢の俳人たちに歓迎された。
でも、その席には一笑の姿はなかった。
・「竹雀」・・・宮竹屋という旅籠を経営
○金沢泊A 宮竹屋にずうっと 24日まで


7月17日=太陽暦8月31日
【十七日 快晴。翁、源意庵へ遊。予、
 病気故不随。】曾良
○句会
○金沢泊B


7月18日=太陽暦9月1日
・俳句の話
・曾良は病気
○金沢泊C


7月19日=太陽暦9月2日
・俳句の話
・曾良は病気
○金沢泊D


7月20日=太陽暦9月3日

・松幻庵(一泉宅)の句会
「秋すずし 手毎(てごと)にむけや 
          瓜天茄(うりなすび)」

○金沢泊E


7月21日=太陽暦9月4日
・明王院
○金沢泊F


7月22日=太陽暦9月5日
・句会(一笑の追悼):願念寺(野町一丁目)
 城下の名士達が幾度も句会を設定。
 一笑追善供養が催された。
 松尾芭蕉は一笑を悼んで句を詠んだ。
18) 『 塚も動け わが泣く声は 秋の声 』
★意味・・墓よ、動いてくれ。私の泣く声はこの寂しき
 辛い秋風なのだ。・・・松尾芭蕉は泣きまくった。
 芭蕉門下:一笑は葉茶屋を営む商人。
 松尾芭蕉は前年に死去を知り、号泣した。
 曾良は体調勝れず。
★金沢の南方面へ
○野田山
○大乗寺(前田家の墓)
○金沢泊G

【二十二日 快晴。此日、一笑追善会、予、病気故、
未ノ刻(午後2時頃)より行。】曾良



7月23日=太陽暦9月6日
★金沢の西方面へ
○宮ノ越=金石
○大野湊神社○金沢泊H


7月24日=太陽暦9月7日
松尾芭蕉&曾良は金沢に10日間滞在した。金沢の俳人たち
(竹雀、北枝、牧童、秋の坊、句空、小春など)に招かれ、
句会を開いたり、野田山や宮腰(=金石)の散策もしたり
した。松尾芭蕉と曾良は、名残りを惜しまれながら金沢を後
にした。小松、山中を経て大聖寺へ向かった。小春、牧童ら
は町はずれまで見送り、北枝は一緒に行った。

【この日、日中は快晴、夜降雨。朝、金沢を出発。
小春・牧童・乙州らは、街はずれまで、
雲口・一泉・徳子らは野々市町まで、
竹意は小松まで随行した。
北枝は越前丸岡まで同行した。】

○金沢発・・・申の上尅(午後4時頃)みんなの見送り
  芭蕉・曽良+金沢の北枝(ほくし)で出発。

○どこか?
 金沢の犀川橋上で詠んだ句?
金沢から小松への途中で詠んだ句か不明。
『 あかあかと 日は難面(つれなく)も あきの風 』
★意味・・赤々と日差しが照りつけている。秋になったの
 に残暑が厳しいが、吹いてくるのは秋の風だなあ。


○野々市・・・富樫氏の館
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●金沢工業大学

○松任
●松任城


○上柏野・上柏野
○水島
○手取川〜〜〜〜

○栗生
○寺井・・・・・九谷焼  

○小松・・・午後4時過ぎに小松に到着。
 小松泊:近江屋泊。
●小松 
 @1988年(H5年)3月21日・・・職員旅行
 A2009年(H21年)5月3日・・・奥の細道
     安宅の関・さざれ石と小松城
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×松井秀喜野球の館・・・残念ながら、寄れなかった。
【小松と云所にて
『 しほらしき 名や小松吹 萩すすき 』


■7月25日=太陽暦9月8日
松尾芭蕉は小松を出発しようとしたところ、多くの人に引き
止められて、予定変更。多田八幡を訪ねた。この後、山王神
社神主:藤井伊豆の宅に行き、ここで句会を開催した。
この夜は藤井宅に泊る。
午後4時ごろから雨、夜になって降ったり止んだりだった。
○小松

○建聖寺
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●建聖寺の松尾芭蕉の句碑「しほらしき名や・・」
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○本折日枝神社
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太田(ただ・さだ?)神社=多太神社(石川県小松市)
 ・斎藤別当実盛の兜を見に行ったのだった。
 平家物語(巻第七)や源平盛衰記の篠原の戦い
 (篠原合戦)斎藤実盛を偲ぶ。
源平時代に付近の合戦で討ち取られた老将:斎藤実盛
 (木曽義仲の恩人)の兜を前に一句
 でも木曽義仲ファンなのだ。
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(源義仲に敗れた武将に思いをはせる芭蕉)

19)『 むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす 』
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『 あなむざんや 甲の下の きりぎりす 』
   ↓ 改訂版
『 むざんやな 甲の下の きりぎりす 』
★意味・・無残だなあ。斎藤別当実盛の遺品の兜。
 今はもう秋、コオロギが一匹、兜の下で鳴いている。
 このコオロギは齋藤実盛の霊かもしれないのだ。
★「キリギリス」はツヅリセコオロギ。
私の村では、ウマコオロギと呼んでいる。
暗いところにいて、一番後ろの足が太く、
ジャンプ力があるコオロギだ。
●太田神社の「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句碑
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○小松泊


■7月26日=太陽暦9月9日
【7月26日。雨。特に午前10時ごろから風雨激しく
なる。夕方になって止む。
夜、越前寺宗右衛門宅に招かれて句会。】

 
『 しほらしき 名や小松吹 萩すすき 』
★意味・・・かわいらしい上品な名前だ。小松とは。
その浜辺の小松に、今は秋風が吹いていて、丸葉萩の花
やすすき穂がゆれているのだ。とっても小松っていい所
だべさ。〜〜〜主人&土地への挨拶である。 
※TVの人気番組「笑点」の御当地挨拶と同じである。
非常にうまくできると座布団2〜4枚。 
松尾芭蕉はこの句を発句として句会を興行しているが、
桂歌丸役なので、ほとんど司会者である。


【此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源
氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士の
ものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金
をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願
状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事
共、まのあたり縁起にみえたり。】

★意味・・・ここで(小松で)太田の神社(小松の多太ただ八幡
宮神社)に詣でた。斎藤別当実盛の甲&錦の切(実盛が死に花
を咲かせるために着用した「錦の切」)がある。その昔、斎藤
別当実盛が源義朝からの下賜された品ものであれせられるとか?
まじ、本当に平侍=下級武士のものではない。兜の正面の庇(ひ
さし)のようになっているつば&吹返し:つばが反り返っている
部分までの唐草模様に菊をあしらった文様の彫り物には金をちり
ばめてある。竜頭=竜の形をした兜の前立物で、眉庇につけた台
に、金銀銅を角状に立てた鍬形が打ってある。真盛=斎藤別当実
盛(※松尾芭蕉の記述ミス)の死後。樋口次郎兼光(=斉藤別当
実盛の旧友)が齋藤実盛の首実検をしたその。・・・齋藤実盛の
黒く塗られた白髪頭を見て、樋口次郎が「あな、むざんやな」と
涙を落としたという。・・・木曾義仲はこの神社へ願状を添えて
これらを奉納したという伝説〜〜〜。神社の縁起状に書いてある
のをまのあたりにした。
※「錦の切」・・・源義朝からの下賜品ではなく、平宗盛に願い出
て下賜された赤地錦の鎧直垂である。松尾芭蕉の感違いである。


★★斎藤別当実盛の話====
◆◆ 箕輪初心★木曽義仲 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_29.html

斎藤別当実盛は、はじめは源義朝に仕えていた。
源義朝には、3人の子供がいた。@長男:義親、
A次男:義国(初代新田義重・初代足利義康)、
B三男:義忠、C四男=@長男:義親の子:為義
が養子で継承した。・・・この源為義の子は5人いた。
D長男:義朝(義平・朝長・頼朝・範頼・義経の父、
E義賢(木曽義仲の父)、F志田義憲=義弘、
G鎮西八郎為朝、H行家となる。
※E源義賢(木曽義仲の父)は上野国の多胡庄を
所領となった。多胡館・小串館・上池館を中心として
西は天引川、北は新田義重の寺尾&八幡庄&烏川、
東は藤岡鮎川=高山御厨、南は関東山地である。
しかし、源義賢(木曽義仲の父)は、藤岡から、
武蔵国の児玉・嵐山と進行した。
木曽義仲は、武蔵国:嵐山(東松山市)で産まれた。
斎藤別当実盛は幼少時に武蔵の嵐山にいた時、駒王丸
(木曽義仲)養育したのである。
源頼朝の兄:悪源太義平(木曽義仲の従兄弟)に大蔵
館を襲われた。嵐山を追われた。
斉藤実盛は当時4歳の駒王丸(木曽義仲)を木曽の
中原氏に届けたのである。
★途中には、2つの伝承がある。
1)信濃の滋野系海野系依田一族
丸子城から真東500m・・★ここかいな?
2)鬼無里の木曽義仲館伝承
平治の乱で源義朝が失脚した後、平宗盛につかえた?
その後、斎藤別当実盛は平維盛の配下となった。
斎藤別当実盛&平維盛は木曾義仲追討のため北陸に出陣
した。しかし、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れ
となる中、覚悟を決めた斉藤実盛は老齢の一歩も引かず
奮戦した。しかし、木曽義仲の部将:手塚光盛によって
討ち取られた。斉藤実盛は出陣前から覚悟を決め、
「最後こそ若々しく戦いたい。」
俺は毛がない。毛がない者を嘗めた行動である。
しか〜し、この時代は、禿=ハゲが皆無だった。


斎藤別当実盛は幼少時に武蔵の嵐山にいた時、
駒王丸(木曽義仲)養育したのである。

源頼朝&兄:悪源太義平(木曽義仲の従兄弟)に襲われ、
嵐山を追われた。
斉藤実盛は駒王丸(木曽義仲)を木曽の中原兼遠に届けた
のである。・・・駒王丸は木曽姓を名乗った。

平治の乱で源義朝が失脚した後、平宗盛につかえた?
その後、斎藤別当実盛は平維盛の配下となった。

斎藤別当実盛&平維盛は木曾義仲追討のため北陸に出陣
した。しかし、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れ
となる中、覚悟を決めた斉藤実盛は老齢の一歩も引かず
奮戦した。しかし、木曽義仲の部将:手塚光盛によって
討ち取られた。斉藤実盛は出陣前から覚悟を決め、
「最後こそ若々しく戦いたい。」
と思い、白髪の頭を黒く染めていた。そのため木曽義仲は
首実検の際で斉藤実盛本人と分からなかった。妻の兄:
樋口兼光(中原兼遠長男・木曽義仲の長男義高の叔父)
から齋藤実盛ではないか?と知らせを聞いた。
木曽義仲は首を付近の池で洗わせた。そうしたら、黒髪は
白髪に変わったのである。斉藤実盛の死が確認された。
木曽義仲はかつての命の恩人を討ち取ってしまったことを
知り、人目もはばからず涙にむせんだ(伝)。               
       ★『平家物語』巻第七「実盛最期」
武蔵の大蔵館から木曽の中原兼遠の元に送り届けた
齋藤実盛・・・木曽義仲にとっては、大恩人だった。
寿永2年(1183年)、木曾義仲との倶利伽羅峠での戦いに
白髪を染めて奮戦したが討死にした。
その後、実盛は亡霊となって出没した。????



○松尾芭蕉は小松で一泊予定であったが、土地の俳諧衆に
懇願されて、予定外の3泊4日の滞在となってしまった。
7月26日は雨天で、三吟歌仙を巻くことになった。
三吟歌仙
「 あなむざんやな 甲の下の きりぎりす 」 翁

「 ちからも 枯れし霜の 秋草  」    亨子

「渡し守 綱よる丘の 月かげに 」    鼓蟾

「しばし 住べき屋しき 見立てる 」  翁

「 酒肴 片手に雪の 傘さして  」   子

「 ひそかに ひらく 大年の梅  」   蟾



★明日は、山中温泉・那谷寺・大聖寺と続く。

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★山中温泉の魅力は@名湯、A鶴仙渓、B山中漆器、 C松尾芭蕉巡り、D街の風情・・・などであろうか? 松尾芭蕉も、山中温泉を気に入った人物の一人だ。 「おくのほそ道」の旅で、8泊9日の長逗留をしたのだ。 ★江戸から旅立って4ヶ月。松尾芭蕉も疲労がピーク。 曽良は腹の病。遂に、曾良と別れの時がきてしまった。{%泣くwebry%} ★松尾芭蕉は那谷寺→小松→大聖寺の全昌寺と歩んだ。 ...続きを見る
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2012/08/27 19:23

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