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zoom RSS 箕輪初心●愛知【小牧山城】=織田信長D築城・家康陣城

<<   作成日時 : 2012/06/05 05:41   >>

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小牧山は、濃尾平野の標高82m小山である。永禄6年(1563)
に織田信長が小牧山城を築城した。織田信長は4年間在城した。
天正12年(1584)徳川家康が豊臣秀吉に対抗して改修した。
小牧山城は小牧・長久手の合戦の家康の陣城の古城跡である。
江戸時代には、尾張藩の保護を受けた。現在は、公園として
整備されている。私は小牧城を20回以上、高速道路から眺め
ているであった。しかし、今回は小牧山城に登城できたのだ。

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 (★小牧叢書16小牧山城800円)

■訪問記・・・平成24年(2014)5月26日
◎小牧市の「かな和」・・・名古屋コーチン
  ★肉がこってり・・・
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 こんな奇祭もあるそうだ。
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○小牧市役所に着いた。

 ボランティアガイドは、尾山勝美氏であった。
 「墨書の佐久間が有名です。」
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@大手道・・良く整備されている。
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両側に織田信長時代の盛り土が見られる。
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A尾張9代藩主:徳川宗睦源明公の墓
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B稲荷神社&桜の馬場
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「90の郭の中で、最も広い場所です。」
C大手道の途中の郭・・・
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 「侍屋敷だったらしいです。」
DT字路を右折・・・大手道の発掘
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「道の真ん中に溝がほってありました。」

E空堀・・・深さ2m〜4m
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「兵は隠れ、敵を襲うことができます。」
★横堀の機能を果たしているのであろう。

F左に曲がって、右に曲がって・・・
 井戸跡=水の手

G巨石・・・
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「チャートの山なんです。崩れないように石が
おいてあります。」
H徳川義親公の銅像・・・解説者:尾山氏
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 「台座は花崗岩で、切れ込み・・楔が入っています。
岩崎山から運んできた石です。名古屋城を造るとき、
残された岩だといわれています。」
  刻印もあった。

I主郭=歴史館
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「小牧市歴史館は昭和43年、平松茂翁が私財を投じて建設し
 小牧市に寄付されたものです。3層4階建で豊臣秀吉が京都
聚楽第に建てた飛雲閣(現西本願寺内)をモデルにして名古屋
工業大学城戸久教授の設計しました。」

1階・・・ジオラマ・墨書「佐久ま」
★写真撮影禁止で、紹介できないのが残念。

2階・・・小牧山遺跡の出土品:銅鐸、銅鏡
     歴史に関する展示。
3階・・・小牧・長久手合戦のパノラマ。
     ★ビデオが分かりやすかった。
4階・・・展望室。かなり遠くまで見渡せる。
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  「花崗岩の岩崎山は名古屋城にも使われました。」
「岩崎城は手前の低い丘です。」
  ★織田信長の美濃攻略気分になって周囲の景色
   一望した。
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J織田信長時代の石垣の遺構
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K土橋跡&空堀
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L虎口・・・大手口からの合流点
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Mタブノキ

N五段坂
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O搦め手口&虎口

P徳川家康の土塁跡
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○井戸
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○城下町の図
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Q織田信長の居館(伝)
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R公園緑地・・
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S小牧中学校の土塁
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★ボランティアガイド尾山さん他5名方、ありがとう
 ございました。

◆◆ 小牧山城の歴史 ◆◆
・弘治元年 (1555) 織田信長が守護代:斯波家を滅ぼし、
          那古野城から清須城へ移る
・永禄3年 (1560) 桶狭間の戦い
          織田信長が今川義元を破る
・永禄6年 (1563) 織田信長は小牧山に城を築き、
         清須から居城を移した。
         小牧山南の原野に城下町を整備
  ★一辺45mほどの方形の武家屋敷の敷地が山を取り
   巻くように配置されていた。
   武家屋敷の境には、幅2m以上の堀が掘られた。
   東南隅には、小牧山城では最大の規模を持つ
   曲輪402があり、一辺75mの方形の武家屋敷で
   あったとみられる。
   信長の館跡の可能性があるといわれている。
  ※これらの武家屋敷群は、小牧・長久手の合戦で、土塁を
   盛り上げるための土を掘ったり、戦後の小牧中学校の
   造成で削られたりしたため、屋敷内の建物跡は残って
   いないが、深く掘られた堀や井戸の跡が発見された。

織田信長は小牧山から美濃攻略をめざし、
    たびたび美濃攻めを行った

・永禄10年 (1567)美濃の稲葉山城:斎藤龍興を攻略。
稲葉山城を岐阜城と改称して小牧山から居城を移した。
   小牧山城は廃城となった。
   城下町は一部が残り存続する。
   江崎氏(小牧村庄屋)が小牧山守となる。

・天正4年(1576) 安土城の築城開始。
・天正10年(1582) 本能寺の変
織田信長が死去。安土城焼失・

・天正12年(1584) 小牧・長久手の合戦
  豊臣秀吉軍・・・犬山城から南下する
  織田信雄・徳川家康連合軍・・・小牧山城跡を
    改修し陣城を築く。
  江崎氏は長久手への道案内で徳川家康から褒美の
  軍扇を下賜される。
→和解が成立し、小牧山城は再び廃城となった。

・江戸時代
  将軍家開祖の徳川家康公「御勝利御開運の御陣跡」
  として尾張藩領となり、小牧村庄屋江崎氏に管理させ
  一般の入山が禁止される。
  
  ※結果、山中の堀や土塁などは残存状態が非常に
  良好で、日本の城郭史上、貴重な資料となっている。

・元和9年(1623) 尾張藩の名古屋と中山道を結ぶ上街道
の整備に伴い城下町の名残の町場を現在の小牧市街地
へ宿駅として整備するために移転。城下町は田畑となる。

・天保6年(1835) 小牧山から尾張藩江戸屋敷普請用に
         竹三万本を送った。

・明治2年(1869) 版籍奉還により官有地。

・昭和2年(1927) 国史跡に指定。

・昭和43年(1968) 小牧山山頂に小牧歴史館を建設。

(★小牧山城パンフレット・
  小牧叢書16小牧山城・小牧市Hpを参考に編集)


◆◆ チエゾー行こまい・・・。 ◆◆
http://www.geocities.jp/chiezoikomai/owari/komaki.html
愛知県出身だそうです。
2回、群馬の城廻りでお世話になりました。



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舟橋 武志

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箕輪初心●愛知「清洲城2回目」 =織田信長の城
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