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zoom RSS 箕輪初心●愛知【名古屋城6回目写真集後編】

<<   作成日時 : 2012/05/31 05:05   >>

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★名古屋城の見学は6回目である。群馬県立歴史博物館の
旅行である。見所は全景・天守閣・西北櫓・那古屋城跡である。
■名古屋城6回目訪問日・・平成24年(2012)5月26日 
@正門前・・恩賜元離宮:名古屋城の碑、
A門、B本丸御殿、C門〜〜D天守閣全景
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◆◆ 箕輪初心●名古屋城6回目前編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_29.html

◆◆ 箕輪初心●名古屋城4回目・5回目 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_28.html

E天守閣博物館
門→銅門→天守入り口
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1階
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エレベーターで4階へ
○7階展望台
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○5階・・・
・実物大金鯱模型・・・・・
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・模型コーナー
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・石引き体験コーナー・・・
・尾張三河の三英傑・・信長・秀吉・家康
・名古屋城の歴史コーナー

○4階
・石垣コーナー・・・門柱の帯鉄の鋲。石垣の刻紋
・武器・武具類の展示コーナー
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・駕篭乗りコーナー
・本丸御殿コーナー・・障壁画・本丸御殿のパネル
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3階
・藩主の暮らしコーナー
・城下の一日コーナー
・本丸御殿上洛殿上段之間の8分の1模型
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1階
・本丸御殿障壁画復元模写コーナー
・古写真展コーナー
・木子コレクション・・・刀&鍔
・模型コーナー
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・本丸御殿3Dシアター
・天守閣の石垣の刻印
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F御深井丸(おふけまる)
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・天守閣の礎石
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G御深井丸(おふけまる)からの天守閣の眺め
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H御深井丸の西北櫓=清洲城小天守
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I大天守&小天守台跡
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※正門前に戻った。



J二の丸
 加藤清正像
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○本丸堀&南西櫓
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K那古屋城跡=織田信長の居城跡
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◆◆ 名古屋城の歴史 ◆◆
・戦国時代 今川氏親が、尾張進出のために築いた(伝)。
      柳ノ丸が名古屋城の起源とされる。
      名古屋城二の丸一帯にあったと考えられている。

・天文元年(1532) 織田信秀(織田信長の父)が今川氏豊から奪取。
         那古野城と改名された。
         織田信秀は那古屋城に居住。
        嫡男:織田信長が生まれたといわれている。
   従来説・・・・・・那古屋城説
   最近の有力説・・・勝幡(しょばた)城説
      (※信長の祖父:織田信定が津島に築城) 
        信秀は古渡城に移り、
・        那古野城は信長の居城となった。
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・弘治元年(1555) 織田信長が清須城(清洲城)に本拠を移した。
        那古屋城が廃城。

   ※清洲城は長らく尾張の中心であった。

・慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦

・慶長14年(1609)徳川家康は名古屋城の築城を決意。
政治情勢や水害に弱い清洲の地形の問題があった。
   清須(現清洲町)から東海の拠点と考え、名古屋に城を
   築くことを決定した。大坂方への備えである。
   9男:義直の尾張藩の居城  
   加藤清正・福島正則・前田利光等諸大名20名に普請命令。
   こうして、清洲越が始まった。 

・慶長15年(1610) 名古屋城の造営着工〜17年頃に完成。
  西国諸大名の助役による天下普請。

普請奉行・・・滝川忠征、佐久間政実ら5名
  作事奉行・・・大久保長安、小堀政一ら9名
  縄張・・・・・牧野助右衛門
  石垣・・・・・西国諸大名の助役の分担。
  天守台石垣・・加藤清正。
  天守・・・・・小堀政一、大工頭には中井正清
  (※大工棟梁が中井正清で、岡部又右衛門が大工頭説あり)
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・慶長17年(1612) 天守閣や櫓の建築工事は、ほぼ完成。
   名古屋城は、徳川御三家の筆頭尾張家の居城。

・慶長17年(1612)〜元和2年(1616) 清洲越し
   名古屋城下の地割・町割を実施→清洲からの移住。
   家臣・町人・社寺3社110か寺
   ・清洲城小天守→西北櫓。
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徳川義直が名古屋城に移った。
・・・以来256年間(明治維新を迎えるまで)

・明治維新後  14代藩主:徳川慶勝は明治政府に対して、
        名古屋城の破却と金鯱の献上を申請。
   ドイツ公使:マックス・フォン・ブラントと陸軍第四局長
   代理:中村重遠工兵大佐の保存の依頼。
   山縣有朋が城郭保存を決定。
     →天守・本丸御殿とともに保存。

・明治5年(1872) 東京鎮台第三分営が城内に設置。
・明治6年(1873) 名古屋鎮台
・明治21年(1888) 第三師団に改組され、終戦まで続いた。
・明治26年(1893) 本丸は陸軍省から宮内省に移管。
           名古屋離宮となった。
・昭和5年(1930) 名古屋離宮が廃止。
          宮内省から名古屋市に下賜。
          恩賜元離宮として名古屋城を一般公開。
  (※正門前に石碑がある。)
         建造物や障壁画は国宝に指定。
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・昭和20年(1945) 名古屋空襲
     大天守閣・小天守閣や本丸御殿・東北隅櫓
     ・正門・金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失。
・昭和34年(1959) 現在の天守閣は再建。金鯱の復元。
・現在     本丸御殿の復元作業中。
 (★パンフレット・購入資料・ウキペディアなど多数を参考に作成)

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