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zoom RSS 箕輪初心★小栗上野介K「大隈重信妻綾子」&「三野村利左衛門」

<<   作成日時 : 2012/05/23 06:56   >>

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平成24年(2012)5月27日に『小栗祭り』が、小栗
 上野介が西軍により斬首された高崎市旧倉渕村の墓の
ある東善寺&倉渕小学校で催し物が開催される。

小栗上野介研究の第一人者:東善寺の村上泰賢先生が
 中心になって『小栗祭り』をすすめられていらっしゃる。
★今回は、@東善寺、A小栗上野介従兄弟:大隈重信妻:綾子
の文献情報。
A小栗上野介の妻&息子を助けた
三井家大番頭:三野村利左衛門の住んでいた場所

昨日、オープンで22万人が訪れたという東京スカイツリー近くの
江東区清澄町2丁目を紹介しようと思う。
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 (★東善寺写真・・・大隈重信&妻綾子の墓参り)


■東善寺9回目
東善寺Hp     http://tozenzi.cside.com/

平成24年(2012)5月19日、東善寺に9回目の訪問を
  した。奧様より、写真掲載の許可もいただいた。

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◆◆ 小栗上野介の従姉妹:三枝綾子 ◆◆
●慶応 4年 (1868) 閏4月4日★小栗上野介の斬首42歳
★★★★★ 小栗上野介の功績 〜〜〜〜
@中小坂鉄山(群馬県下仁田)の開発・・・鉄の供給。
 横浜製鉄所・・・鉄鉱石→製鉄

A横須賀製鉄所=造船所・鉄
   →ネジなどの鉄製品・船などの製造。
  戦艦「三笠」の東郷平八郎も小栗を絶賛・・・
  「勝てたのは、小栗さんがいたからだ。」と食事に招待。

B日本初の株式会社:兵庫商社(鴻ノ池など22人)
   日本初の洋式トイレ付きの築地ホテル。

C洋式陸軍制度の導入・・・・
D日本初のフランス語学校の設立
★★★★★ 提案事
Eガス灯 
F郵便・電信制度 
G新聞 
H鉄道敷設 
I森林保護 
J中央銀行 
K商工会
生きていれば、もっと凄い活躍できただろうに〜〜
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○明治元年(1868 ) 大隈重信は明治政府に出仕・・
三枝綾子は没落した実家を助けるために芸妓になっていた
  った(伝)。井上馨夫人:武子とは同僚だった(伝)。

    http://kingendaikeizu.net/oguritadamasa.htm
と書いたが、ブログの投稿の方から、「幕末維新懐古談」
高村光雲著のは、大隈綾子芸妓説は嘘である。というご指摘
がありましたので、ありがたく訂正したい。


◆◆ 「幕末維新懐古談」高村光雲著の概略 ◆◆
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「実は、先日来、大隈未亡人綾子刀自が御重体であると新聞紙
上で承り、昔、お見知りの人のことで、陰ながらお案じして
いた次第であったが、今朝(大正12年4月29日)の新聞を
見ると、おなくなりになったそうで、誠に御愁傷のことであ
る。〜〜〜(略)〜〜〜
旧旗本で三枝竜之介という方がありました。この方の屋敷は
御徒町にありました。7〜800石です。・・・
この三枝家が、私の師匠東雲師の仕事先、〜〜〜屋敷はいら
なくなったので、三枝家から材木を買い取り、家を建てた。
師匠の姉:お悦さんの家であります。お悦さんは私の養母で
あって、〜〜〜」
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「師匠が三枝家の大黒様ができあがった頃、妹御のあ綾さん
が、時の大臣:大隈重信という人の処に貰われて大変出世
された。これは、大黒様の御利益だと言って、三枝家の親戚
が〜〜〜」

「お綾さんの母親は〜〜〜
ある時、師匠宅に来て、
「〜〜〜良い縁があれば、どうか、おたのみします。〜〜〜」
(私はまだ小僧の時代でしたが〜〜)

師匠の得意先で神田和泉橋に辻屋という糸屋がありました。
ここの次男が柏木稲葉の養子になっていて、柏木貨一郎と
名乗っていました。〜〜〜
師匠はこの方にと柏木家に縁談を申し込んだのでありました。

柏木家と三枝家は諏訪町河岸の「坊主そば」で見合いをし
ました。私は師匠のお供で参ったのでした。

しかし、柏木家の母親がヒステリックな方らしく〜〜
綾子さんには難しかろうということになったのでした。

この後、お綾さんが〜〜間もなく、大隈さんに貰われることに
なったのですが、この関係は私にはわかりません。
ある日、三枝未亡人が師匠宅に来られて、
「・・・実は綾のことですが、今度お国のお侍で大隈という人
から是非欲しいというので、遣わすことに承諾しましたのです
が、まるで娘をさらわれるような具合で〜〜〜。」
と愚痴混じりで〜〜〜。
一方は西国大名の中でも荒い評判の鍋島藩中のお国侍、大隈八
太郎といって非常な論客で、政治に熱狂していた志士の1人。
その時は、既に大官を得て、出世しているとはいえ、万事が
粗野放胆で婚儀のことなど礼節にかかわらず、妻を娶るは品
物のやり方くらいにしか思っていたであろうから、〜〜〜
三枝未亡人を驚かしたも無理ならぬと思われます。
〜〜〜〜
三枝未亡人は
「でもねえ、私は不安なんですよ。〜〜〜」
師匠は
「いやあ。御隠居様。そういう男が役に立つのでございます
 よ。」
と、話しておられました。

〜〜〜幾日かして、三枝未亡人は〜〜〜
お綾さんの書いた(写経)を持って来ました。
「処分してください。」
〜〜〜師匠は、私に隅田川の吾妻橋から流すように言いい
ました。私は、2〜3時間かかって、流したのでした。

噂に聞けば、大隈夫人綾子という人は大層できた人だと評判
あるが、娘時代からあれだけの辛抱をして心を練っておられ
ただけあって、今日1,2と言われる政治家夫人になっても
やはりその妻として役儀を立派にしおおせるということは、
心がけがまた別なものであるか感心したことでありました。

私が綾子刀自についてしっていることはこれだけですが〜〜

刀自の素性について世間の噂が全く違って、とんでもない
悪名をつける有様になって、女中であるとか、芸妓をしてい
たとか、はなはだしきは、他人の妾であったとか、とりとめ
もない噂を立てられるのを耳にし、また、目にするにつけ、
〜〜〜〜立派に輿入れされ、また清く元の身のまま里に帰さ
れ、〜〜〜大隈家へ貰われてお出になった当時の事実を知り
ながら、黙っているより、今日を好機会として、話しておく
ことは、間違いをただし、嘘を取り消すよすががともなうと
存じて〜〜〜話したしだいであります。

また、〜〜〜私が大隈邸に招かれたとき、〜〜〜
玄関であった方が、三枝竜之介氏であったと記憶しています。


●明治2年(1869)春、小栗道子夫人&国子は会津→東京→静岡。
 静岡に徳川慶喜に従って、小栗又一の実家の旗本:駒井家や
 道子夫人の妹:はつがとついだ蜷川家が神田から移住して
 いたからである。
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 (★東善寺の写真・・・駒井氏など)
 でも、小栗の夫人らはすぐに東京に戻った。
 ※三井家大番頭:三野村利左衛門の保護を受けた。
 三野村は若い頃、小栗家で中間奉公をていた。その後、神田
 に店を出した。小栗上野介の紹介で三井組に採用された。
 三井も三野村によって幕府崩壊の際に生き延びたのだ。
 だから、義理深い三野村は危険を犯してまでも小栗の家族の
 面倒を死ぬまでみることにしたのだ。・・・8年間も。

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 (★東善寺の三野村利左衛門の写真)
三野村利左衛門の家・・
 
 現東京都江東区清澄町2丁目である。  
 ★深川稲荷神社の石碑の碑文から分かった。
 つまり、小栗道子夫人はとお嬢さんはここにいたこと
 になる。
 発見は深川の松尾芭蕉散策の時だった。
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 小栗上野介の妻&娘を助けた三井の創始者の土地
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・明治2年 (1869 )
   大隈重信は32 歳で、三枝綾子と結婚。
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   大隈重信は築地に転居→築地梁山泊
   大蔵大輔となった。
    @鉄道敷設を推進。・・・★小栗の計画推進。
    
    A財政改革を推進。
         
  「版籍奉還・箱館戦争」

・明治3 年(1870 ) 大隈重信は参議。
         「全国一致之論議」提出。

・明治5 年(1872)大隈が博覧会事務局総裁(博覧会・共進会)
         「鉄道開通」・・・★小栗の実践化。
         「太陽暦採用」

・明治6年(1873) 大隈重信は参議兼大蔵卿に就任。
         「征韓論で西郷らが下野」

・明治7年(1874) 台湾蕃地事務局長官を兼務・
         民撰議院建白 
         佐賀の乱・・・・江藤俊平死刑。

●明治10年(1877)2月21日 三野村利左衛門が死亡。

 ※大隈重信は、三井組の総支配人:三野村利左衛門から、
  臨終時に小栗の未亡人:道子と遺児の国子の保護を託さ
  れた。大隈の保護下で遺児:国子は嫁ぐまでの9年間、
  三野村家の助情金で育てられた。

 
★大隈重信の妻が小栗上野介の従兄妹:綾子という理由
だけではない。三野村は大隈とも表裏で繋がっていた
のではないかと推測できる。東善寺には、小栗の大隈重
信の墓参り写真があるのだ。
 大隈重信は「日本の近代化は小栗上野介の2番煎じに
 すぎない。」ようなことを言っている。


村上泰賢先生、がんばって下さい。
  皆さん、群馬県旧倉渕村の東善寺に行って、幕末の本当の
  偉人=小栗上野介を知りたくありませんか?
  現在も間違った薩長の歴史観に惑わされることが分かるで
  しょう。勝海舟よりも、坂本龍馬より私は凄い人間だと
  思っています。


◆◆ 箕輪初心★小栗上野介 VS 勝海舟 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

★明日は、安中自性寺焼かな?

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箕輪初心★小栗上野介M童門氏VS村上泰賢先生TV討論
★平成24年(2012)12月12日(水)の22:00〜23:00の BSーTBSの『ライバルの光芒』で、勝海舟=童門冬二 氏 VS 小栗上野介=村上泰賢先生の対談のTV放映が あった。司会:高橋英樹氏&アシスタント:加藤シルビア氏 であった。村上泰賢先生って、全国レベルだ。★凄えな。 私は小栗上野介ファンである。できれば、小栗上野介が 造った横須賀造船所が世界遺産になって欲しいと考えて いる一人である。なぜなら、日本の重工業の発展の元に なった場所だからである。 ...続きを見る
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2012/12/18 07:52

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