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zoom RSS 箕輪初心●群馬【桐生檜杓山城】&『桐生一族』

<<   作成日時 : 2012/05/18 06:24   >>

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桐生檜杓山城は三の丸、二の丸、小郭、本丸+北郭と
連郭式の山城の特徴を明瞭に残している。
観応元年(1350)に、桐生国綱によって桐生城が築城され
たと伝えられている。しかし、桐生国綱が最初に造った城が
城山の場所で、その後、桐生檜杓城をつくったのではない
だろうかと個人的には思っている。
永禄3年(1560)上杉謙信の第一次関東出兵で、下野
への出撃拠点にもなった。
しかし、元亀4年(1573)金山城 :由良政繁の攻撃を受け
て落城した。桐生親綱は実家の佐野へと逃亡した。
桐生氏の支配は終わり、以降、由良氏が支配した。

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■訪問記・・・平成20年(2008)5月18日 
JR「桐生駅」から北北東へ進む。・群馬大学工学部・桐生
女子高を越え、梅田一丁目・・・渭雲寺に行った
ついでに、日枝神社にも行った。
この辺りが、桐生氏の平時の居館であったらしい。
でも、大手口のはずだが、登り口が見つからない?★変だ。


その先の梅田の町並み終わり付近に「桐生檜杓山城入口」
の案内板があった。城址入口の標識に従い、国道沿いから
左折した。そのまま林道を進んだ。途中に分岐を左へ進む。
道脇に10台。さらに上にハイキングコース案内板があ
り、伐採された空間に駐車場がある。50台は駐車可能で
ある。梅田町一丁目城山

 ★上の地図では、梅田町一丁目の城山である。
 ★下の地図では城山&桐生檜杓城が2つがある。
  つまり、桐生城&桐生檜杓城は違うことが分かる。
  鳴神山〜吾妻山のど真ん中が城山=桐生城である
  と思われる。

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●駐車場の案内板・・ハイキングコースだ。
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 ★やはり、日枝神社が居館で、大手口であった。
  といことは、ここは搦め手口ということになる。納得

画像


@いざ、出陣・・
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 スズメバチの入れ物を見て、山道を行く。
 登城道は整備されていて歩きやすい。
A堀切
B3の丸の表示板
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C堀切
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D2の丸の表示板
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E堀切
F小郭・・・本丸へ約20m
G堀切
H▲本丸
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▼下山
○二の丸&三の丸の間・・
   「保安林リフレッシュ事業」の看板
   この手前の道へ下る。
I北曲輪
J堀切・・・石積み。  


★★ 桐生城・檜杓城・桐生一族の歴史 ★★
・平安末期・・・桐生氏@・・・平家
・鎌倉時代・・・源頼朝から梅原館に蟄居命令。
         桐生氏A〜C

・南北朝時代・・桐生5代目:桐生国綱は足利尊氏につき、
  新田義貞へのの攻撃戦功をあげ、桐生川一帯の地を
 与えられたという。
 最近の研究によれば、桐生国綱は佐野氏の出身である。
 孫の桐生親親も佐野氏から養子で佐野氏の血をひく者である。
 (★「古城の丘にたちて」さんのHP)

・観応元年(1350)桐生国綱によって桐生城が築城(伝)。
    詰め城は城山に桐生城を築いた。
    平時は城山の南東の麓に居館を建てて住んだ。

・観応2年(1351)高津戸城城主:山田筑後守則之が、
     密かに桐生を侵略しようと企てていた。
      桐生国綱は山田氏を攻め滅ぼした。
      領地を西に渡良瀬川沿岸に広げた。

・正平5年(1487)桐生国綱によって桐生檜杓城築城説
私見:桐生助綱の築城か?

・???? 桐生檜杓山城を築城か?
 ★私見:桐生城&桐生檜杓山城は別であると考えている。
  桐生檜杓山城の詰めの城を桐生城としたのでは
  ないだろうか?


・????桐生氏最盛期・・・桐生助綱
@群馬&栃木県境方面の山に築かれた山砦  
 丸山の砦、今井宿、浅間山砦、物見山砦など
 
A桐生谷・・小倉の砦、用命の砦などの城砦

B川内谷・・仁田山城、高津戸城などの要害城
 ★里見一族@〜D代に任せた。

C黒川谷(渡良瀬渓谷)・・深沢城、五覧田城などの城。

・永禄13年(1570) 桐生親綱(佐野家よりの養子)が
  桐生氏の家督を継いだ。 重臣の谷右京や大屋勘解由
  左衛門などを無視して、佐野家からの後見役の荒井
  主税之助、茂木右馬之丞、山越出羽守、津布久刑部
  の四人に行政を任せた。これに対し、桐生氏の家老:
  里見上総介入道勝弘(新田系安房里見実堯の子?)ら
  が親綱に諫言するが、逆に恨まれて、仁田山谷山城で
  自害した。

・元亀4年(1573)〜天正元年(1573)  
  金山城主:由良政繁の家臣:藤生善久が檜杓山城を
  攻撃。 檜杓城は陥落し、親綱は実家の佐野に逃亡。
  →戦国大名としての桐生氏は滅亡。
  →北条氏康の支配下。(由良政繁の統治下)

・天正2年(1574)由良政繁が隠居。
           桐生の居館に住んだ。

・天正6年(1578) 6月 上杉謙信の死去。
   由良政繁が、黒川谷に兵を進めた。
   黒川郷士は由良政繁の旗下となった。
   由良成繁が死亡。→由良国繁が継いだ。

・天正12年(1584) 後北条氏は由良国繁&弟:長尾顕長
   を小田原で人質にした。 

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原城:北条攻撃。
   桐生檜杓城落城→廃城。
   由良国繁は後北条氏の小田原籠城戦に参加。
   
   由良国繁の母:妙印尼(館林赤井家堅の娘:輝子)
   77歳は10才の孫:由良貞繁を伴って、東山道を
   上野に向かって来た前田利家に会い、前田利家と
   上杉景勝の幕下となった。後北条家の松井田城
   :大導寺政繁を攻略に参加した。
  
  →豊臣秀吉の命令で、由良貞繁は牛久5000石に移封。
  
 (★ウキペディア・「古城の丘にたちて」さんを
    参考に作成) 

★Hpを見ていたら、チエゾーさんのHpもあった。
12月23日に群馬:手古丸城でお世話になりました。
◆◆ チエゾーさんのHp ◆◆
http://www.geocities.jp/ikomaihigasi/gunma/kiryu.html

◆◆ 「古城の丘にたちて」さんのHP ◆◆
★凄い研究なので、リンクさせていただきました。
http://homepage2.nifty.com/mori-chan/sakusaku/4_1_3.htm

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