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zoom RSS 箕輪初心●群馬【仁田山城&谷山城&皿窪砦】&『里見一族』

<<   作成日時 : 2012/05/16 05:55   >>

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【太田:犬&スキー&ハイキングの会】の2012年のスキーは
終わり、ハイキングになった。第1弾は【鳴神山】である。
私は、桐生川内町駒形09:00集合というので、その前に、
仁田山城=石尊山を計画した。富岡武蔵さんのブログでは、
赤城大明神が登山口で、ほかのHpでは、栃久保ダムを登
山口であった。しかし、大手口からの登山を考えた。きっと
二人とも大手道ではないだろうと思ったからである。

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 (★右の山が仁田山城・左は谷山城)
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 ★桐生川内町5丁目三堂坂

07:50 @ 仁田山城居館跡地=蓮慶寺庚申堂・・
   三堂坂のバス停の横。
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  今は川内町5丁目町内会の広場になっている。
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○道反対の家の方・・・親切だった。
  ・「三堂坂・・・不動堂、薬師堂、蓮慶寺庚申堂だ。」と
教えて下さった
 ・集落からと、棒ノ谷戸の赤城神社よりの登路がある。
・栃久保ダムに向かって、50mの所の水道の黄色
  マークの右が登山道であると連れて行って下さった。
 ・「正面の山は「谷山砦」で5月5日に7人で、崩れた
  石祠を直しに行った。」とおっしゃっていた。
・「案内人がいないと難しい。」と言われたが・・・。
 ★山頂が主郭と分かれば、攻め方はいろいろだ。
私は、大手門から攻めることにした。


○車移動・・・三堂坂を左に3軒目脇に車を止める。
 「仁田山城は栃久保城とも言われている。
  仁田山城址は石尊宮を祀るようになって、石尊山と
  呼ばれるようになった。」

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  (★山崎一氏の縄張り図)

A08:00 大手口・・・三堂坂からダム方面に50mを右折。  
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B08:05 石の祠3体
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C08:10 尾根歩き・・松などの倒木が凄い。
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ひどい薮であるが、登路が見つかる。
急斜面 道なし。枯れ葉の斜面をよじ登る。
しかし、かすかに踏み跡があった。

D08:15 鉄の鳥居
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   倒木を潜り、倒木を跨ぎ越え、
    落葉に埋まった道の跡を行った。

D08:30 本丸南東の三の郭(仮称)
 青銅の梵鐘が目に入る。
   ここは既に頂上直下だ。
  虎口に釣り鐘=梵鐘・・・思いっきり、3回叩いた。 
  倒木で荒れている。
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  祠が3体
  ここが石尊宮の境内だ。★名前の由来である。
  左に大天狗の石祠・・・不動尊である。
  右に小天狗の石祠・・・
  奥に石尊宮の石祠・・・
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E08:32本丸南東の二の郭(仮称)
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F08:40 本郭=主郭跡・・・南北に細長い形状。
 20m×40m?
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●本丸から西尾根へ
※縄張り図には、3つの堀切跡がある。 
  堀切=空壕がある。
G堀切@
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H北西の小規模な四の丸跡(仮称)・・10m×15m
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I堀切りA
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J北西の小規模な五の丸跡・・10m×15m 
 
○ヤマツツジの群落を通る。

K堀切りB
  
○ヤマツツジの群落を通る。

L峠・・・仁田山城&谷山城の境の峠
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  大間々の小平から三堂坂への峠道である。
★大間々にある里見の城:高津戸城=要害山に通じる
脇道なのであろう。
@本道・・・南回りの道
A脇道・・・延命寺からの大間々小平への道
B脇道・・・三堂坂からの大間々小平への道

M谷山城=谷山の砦跡・・・里見勝広の自害の地。
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 雷電祠・・・「今年の5月5日に直した祠だ。」
 ・・・まわりはヒノキ林。
※友達:富岡武蔵氏は大間々の小平から登って来た
が、尾根続きであった。実は、この峠から、仁田山城
は東に200〜300mほどだと分かった。
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さらに、別の地元の方の話では、
「谷山城の南には、さらに砦があることが分かった。」
★山崎一氏の研究で出てこない砦である。


N桜峠・・・谷山の砦の堀切跡。

○尾根を下る。
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O栃久保ダムの下の家
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栃久保ダムから大手口を目指す。

P「延命寺の先が砦だった。」と、教わった。
※○○砦

Q皿窪城・・・・八幡宮は館だった。
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R皿窪の砦・・・八幡宮裏山に城址がある。
   八幡宮は県道338号線沿いにあり、
    反対側は桐生みやま園がある。
  地元の人
  「八幡宮からの登山30分・・・。」
  ★俺は死んだ。もう、足が筋肉痛だ。
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S藪塚温泉:「ふせじま館」1100円→550円
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◆◆ 箕輪初心●群馬【高津戸城=要害城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html


◆◆ 箕輪初心●群馬仁田山の新田一族の歴史 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

桐生仁田山の里見一族
  三代将軍足利義満の頃・・・
8)里見氏連(里見義連3男)・・・現桐生市仁田山城
   桐生氏との婚姻説・・・桐生国綱の娘が妻。
  
9)里見成義・・・仁田山八郷の支配。仁田山紬の生産。

10)里見時連・・8代将軍足利義政が二階堂行旨を城主に
   嫡子:二階堂政行を暗殺?・・・
  @里見時連の返り咲き説
  A安房の里見勝広が赤萩城主として仁田山をおさめた説。
  
  里見勝広は同族の里見氏を頼って安房から桐生へ(伝)。
  里見勝広は16代安房里見義弘の甲州後胤説
  里見勝広は安房里見実堯(★関八州古戦録は変?)
  
  「桐生搦手の赤萩に在城せしめ」(関東庭軍記)
   「赤萩の塁を構えて差置けリ」(桐生家本末記)
  里見勝広(里見実堯の子?)
  ・天文2年(1533) 安房里見で父:実堯が里見義豊に
    誅され、里見勝広は同族:里見家連を頼って
   仁田山城に逃れた。
   桐生助綱が里見勝広に仁田山赤萩城を守らせた。
   桐生助綱の養子:桐生親綱に敬遠された。
   里見勝広は上杉謙信を頼ろうとした。
・永禄13年(1570)3月  桐生親綱に討たれた。(伝)
谷山城で、討ち死に。(説)

11)里見国義・・・高津戸城を強固に〜〜?

◆◆ 箕輪初心●群馬【高津戸城】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

12)里見宗連(家連)・・・
 ・永禄3年(1560) 長尾景虎の第一次関東出兵。
   @長尾景虎の仁田山城攻撃。→自刃説。
     (関八州古戦録)(上杉文書)
   A長尾景虎への寝返り→桐生氏への攻撃。
     桐生氏の反撃説→自刃。
   →長尾景虎(=上杉謙信)は桐生氏と和睦。
 ・永禄9年(1566) 由良の援助で、古河公方配下。

13)里見宗義  →高崎:旧榛名の里見に戻る。里見城&雉郷砦
   の改修。長野業盛の同心に入った。

14)里見義宗



★明日は、宮城県の城にしようかな?東北の山にしようかな?

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