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zoom RSS 箕輪初心●群馬【名胡桃城A】=北条氏滅亡のきっかけの城

<<   作成日時 : 2012/02/22 06:18   >>

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 名胡桃城は、沼田城からは5km程の距離で、利根川沿いの上流を
見れば、谷川岳の手前に見える。沼田城を守る猪俣邦憲からすれば、
名胡桃城は「目の上のたんこぶ」である。ついつい攻略したくなっ
てしまったのでだろう。北条氏邦の沼田城代:猪俣邦憲は、中山城
主:安芸守の2男:中山九郎兵衛に、「貴殿は中山城主であって当
然だ。北条につけば、名胡桃城&小川城は貴殿のものになる。」と
言葉巧みにそそのかした。中山九郎兵衛は姉婿の名胡桃城代:鈴木
主水(重則)に「伊那郡(もう一つの豊臣秀吉の分与地)の城取り
の相談あるから、上田に来るよう。」と偽りの真田昌幸の書状を出し、
鈴木主水を城外におびき出した。鈴木主水が異変に気づいて名胡桃
城に戻ったときには、中山九郎兵衛が名胡桃城を乗っ取ってしまっ
た後だった。鈴木主水は妻子を沼田城に取られたので、北条の味方
になるふりをしたが、鈴木主水は真田昌幸から預かった名胡桃城を
乗っ取られた責任からか、腹を掻っ切って果てるしかなかった。沼
田の正覚寺で自刃したという。この年に結婚した真田信之の妻:小
松姫(徳川家康養女)の墓のある場所である。話が出来すぎの感が
あるが、とにかく、猪俣邦憲は簡単に名胡桃城を手に入れた。きっ
と北条氏邦が「でかした。」と褒めたであろう。その後、北条氏邦は
真田昌幸の岩櫃城に総攻撃をかけようと、中山口・白井口・大戸口
から岩櫃城に向かった。中山口は猪俣邦憲が大将で、中山・尻高・
富永が攻撃開始をし、中之条の横尾八幡城で戦った。白井口は北条
氏邦の本隊軍で、中之条古城で戦った。大戸口からは上田を大将に
手古丸城を落とし、大戸の仙人窟陣城から様子を伺っていた。★も
しかしたら、箕輪城代:多米周防守や倉賀野城代:塀和伯耆守も応
援していたかもしれない。
・・・・しかし、真田昌幸から、これを
聞いた豊臣秀吉は烈火のごとく怒り、北条氏政&氏直に宣戦布告状
を叩き付けた。
・・・北条一族は、岩櫃城攻撃を断念した。猪俣邦
憲は名胡桃城の乗っ取り作戦の成功が原因で北条氏を滅亡に追い込
むなんて思ってもいなかったのである。
(★上毛古戦記の要約等)
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◆◆ 名胡桃事件の発端に関する諸説 ◆◆
@猪俣邦憲の独断説=通説多数説(★鉢形城開城:鉢形城博物館)
 猪俣邦憲は猪武者で、虚突猛進型の軽率な人間と評価する説
今回の話は、猪俣邦憲の独断説をベースに歴史を書いた。
◆多くの方は、猪俣邦憲は名前どおりの猪武者で軽率な行動を
  したという説をとっているようだ。
 ★職場に猪俣邦憲の子孫がいて、びっくりだった。歴史的な流
 れも知っていたのだった。「あれまっ〜〜〜〜。」


A北条氏邦の命令説
猪俣邦憲は北条氏邦の命令を受けて、名胡桃城を攻撃した説
・・・北条氏邦が真田昌幸の岩櫃城に総攻撃をかけようと、
 3方向から、攻撃したこと考えると、猪俣より直情型の氏邦
 が命令したと解釈する方が当たり前だろう。何故なら、氏邦
 が小田原城の籠城より、武蔵国(埼玉県寄居町)の籠城を考
 え、すぐに鉢形城に戻ったような戦術優先型の人物である。

B徳川家康の陰謀説(★真田太平記)
 徳川家康の手紙を忍者に持たせた。この時点では、徳川家康は
 自分から、上杉景勝に真田信繁(=幸村)を人質だして、反抗
 する真田昌幸をなんとか自分の配下にもう一度なびかせたかっ
 た可能性がある。天正17年(1589)・・この年に結婚した真田
 信之の妻:小松姫(徳川家康養女←本多忠勝の娘)を内偵の役
 目をさせたかったのかもしれない。そして、1年後には、真田
 信之は沼田城主になったのだ。・・・できすぎだなあ?
 

C豊臣秀吉の計略説(★勝手な妄想)・真実は不明である。
 なかなか自分になびかない北条氏政&伊達政宗が気になって
 いたのではないだろうか?・・・つまり、沼田領の分配計画
 は大規模な北条氏抹殺&真田封じ込め計画があったのでは?
 私のような歴史無知蒙昧の人物想像の妄想型の考えである。
 でも、・・・こんな考えの方はいませんか?もともと、真田に
 反感を買わせるような作戦ではなかったのではないだろうか?

さあ、この4説のどれを貴方は採用するのか?貴方次第である。
 個人的には、A説ではないかと思っている。〜〜〜〜。


訪問記D・・平成20年(2009)10月27日
○外郭&主要部分をバイパスで分断・・・。
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H般若曲輪・・・平時の居館
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○ビジターセンター
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 近年、ボランティア会場に当たるレストランも出来た。
 説明の展示も充実している。・・・
 ・・・★箕輪城とは大違いである。
 パンフレット
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 ボランティアも充実しているようだ。メンバーに知人が2人いる。
 2〜3年前に箕輪城ボランティア斉藤Mさん&元陶芸同門の富岡武
 蔵氏である。今も名胡桃城ボランティア続けているかどうかはわ
 からない。・・・。

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○現地案内板
  ★発掘調査が済み、よく整備されている。
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@丸馬出・・・・武田流と言われている。
  ★ここは堀の中なので、三日月堀ではないのだろうか?
   表示場所が完全に違っている。
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A外郭&三の丸の間の空堀
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B三の丸虎口
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C三の丸&二の丸の堀切
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D二の丸への土橋
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E二の丸
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F二の丸の外側の天然の堀
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G二の丸&本丸の間の大堀切&土橋
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H本丸
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○本丸の発掘調査案内板
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H袖郭→笹郭
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○北条の対名胡桃城対策の明徳寺城を望む。
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J本丸の西堀
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▼下山・・・
K笹郭から本丸を景観
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L本丸堀・・・本丸&二の丸の土橋
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○ビジターセンターの戻った。
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 ★はっぴがいい。
   箕輪城語り部の会は腕章と帽子のみである。
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 ★忘れた? 真田の書状?
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 ★展示内容が充実している。
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 ★ジオラマ
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◆◆ 名胡桃城の歴史 ◆◆
・明応元年(1492)沼田城の支城として築城(伝)。
・天正7年(1579)上杉氏と同盟した武田氏の家臣:真田昌幸に命じて、
   後北条氏から、沼田領を奪取するための前線基地として築城。
   真田昌幸は名胡桃城を内応させ沼田城を攻略
   (→内応した鈴木主水が城主)
       (★加沢記・真田太平記など)
・天正17年(1589)
沼田城を含む利根沼田の3分の2は後北条氏。
    名胡桃城を含む残り3分の1は真田氏の領地。
        
後北条氏は沼田城の城代に猪俣邦憲を配置。
 
・天正17年(1589)
?月 真田信之が徳川家康養女(本多忠勝娘)の小松姫と結婚。
8月 関白豊臣秀吉の裁定で、
   ・沼田城を含む沼田領の三分の二が北条氏の領土.。
   ・名胡桃城を含む三分の一が真田氏の領土。+伊奈
   →真田信幸は沼田城を北条氏直に渡す。
       名胡桃城は真田氏に残す。
     矢沢頼綱は沼田城から退去

10月 猪俣邦憲は南西の榛名峠城から名胡桃城を奪取(名胡桃事件)。 
北条氏邦の右腕で、沼田城主:猪俣邦憲は、名胡桃城主:
 鈴木主水の配下、中山城主:中山九兵衛を調略し、偽の
 真田昌幸からの手紙で、鈴木主水を城外に誘った。
南西の榛名峠城(=権現山城)から名胡桃城を奪取した。
鈴木主水は沼田の正覚寺で自刃した。(名胡桃事件)
※小田原征伐勃発の口火を切った城である。
 {★名胡桃城の歴史・月夜野町(現みなかみ)教育委員会より}
  

 ●真田昌幸が徳川家康に苦情
    →豊臣秀吉は北条氏政に質問

11月21日 真田昌幸宛の豊臣秀吉からの書状
  「秀吉に上洛しない北条が、一部の部隊とはいえ、
   秀吉の裁断を破って真田領を侵した
   ことは〜〜〜。」と激怒。
12月 北条勢:猪俣邦憲は3方向からの岩櫃城攻撃。
岩櫃城周辺に大戸から攻撃。
    @中山口→横尾八幡城の戦い
    A白井口→中之条古城の戦い
    B大戸口→手古丸城占領→仙人窟陣城で監視
          (群馬県東吾妻町大戸)

★★箕輪初心●【横尾八幡城】
http://53922401.at.webry.info/201202/article_12.html


→豊臣秀吉の小田原征伐の口実・豊臣秀吉は北条氏追討の指令。
  猪俣邦憲が兵を撤退させた。 
   

・天正18年(1590)   後北条氏が滅亡。
  真田信幸の沼田領が安堵され、名胡桃城は廃城。


見所・・・遺構は馬出し・三郭・二郭・本郭・ささ郭と郭が    
      直に並ぶ連郭式の山城。
*月夜野町教育委員会の発掘調査で、土塁址・三日月堀・虎口
・通路・門礎・石址・掘立・柱建物址などの重要な遺構が多数確認。
 {★名胡桃城の歴史・・・月夜野町(現沼田市)教育委員会より}
                    
 (★参考Hp群馬県埋蔵文化財・パンフレット・加沢記他)

http://www.gunmaibun.org/remain/guide/hokumo/nagurumi.html

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